008 黄色の砂上
赤ん坊を見るたびに、シリィは罪悪感に苛まれる。
自分の子供のことを思い出すのだ。
生れ落ちたのがギルベナの山村だったという理由だけで、間引かれ、殺されなければならなかった自身の子供のことを。
それなのにシリィはギルベナにある唯一の産婦施設で、赤ん坊達の世話係として働いている。
行き倒れていたシリィを助けてくれた司祭様が紹介してくれたのが、この職場だったからだ。
子供を間引いた後悔を告解したシリィに、司祭様がこの職を紹介してくれたのは、シリィに贖罪の機会を与えてくれたに違いない。
シリィはこの産婦施設に住み込みで務めている。
給金はなく、お金を得る機会は、たまに入院した人たちがくれる心付けのみだった。
大地母神教会が運営する産婦施設では、正式には心付けの類を受け取ることは禁止されていたが、それは表向きで、やはり自身の大切な子供の世話人の心証を良くしておきたいというのは家族としては無理からぬ心情であろう。
だからシリィを含めた世話人達は皆、心付けを受け取っていた。とはいえ、貧しいギルベナ地方である。お金と言っても金額的には、ちょっと買い食いができる程度だったし、時には食べ物だったりする。
ただし、シリィは受け取った心付けはすべて、毎週通っている礼拝の際に、大地母神教会へ寄進していた。
シリィにとって、司祭様に救って貰ってからは、あの子への贖罪と司祭様への恩を返すためだけに生きているのだ。だから、少ない心付けを教会へ寄進することは、最も有意義な使い方だと思えた。
今、シリィは産婦施設の特別新生児室の担当になっている。
担当といっても、特別室には医療の心得のある職員が24時間詰めているし、世話人もシリィ一人ではない。しかし、司祭様はこの特別新生児室に二人の赤ん坊がくるという、大変珍しいこととなった際に、その担当世話人の一人にシリィを推薦してくれた。
ギルベナ地方でも、裕福な者は大地母神教団の産婦施設を利用することは珍しくないが、特別待遇でかかりっきりの世話人と医療職員が付く特別室は、ほとんど利用されることはない。そんな部屋に二人も同時に入室となったのだ。シリィたち産婦院職員達にとってはちょっとした事件といってよかった。
そんな特別新生児室の世話人に推薦され、選ばれたのである。シリィは久しく感じなかった誇らしさと、そしてそれ以上の使命感で燃えていた。
その珍しい特別新生児室に来たうちの一人、
クレオリア・オヴリガンは病弱だが、美しい赤ん坊だった。
何人もの赤ん坊を見てきたシリィだが、この赤ん坊ほど神秘的で存在感のある子をみたことがなかった。さすが、かの流刑皇子、初代オヴリガンの血を受け継いでいるといったところか。
父親でこのサウスギルベナの領主、スコット・オヴリガン公爵は穏やかそうではあるが、どこか庶民階級に近い雰囲気のある、典型的なギルベナ貴族である。タイプ的には違うが、クレオリア嬢は、母親である夫人。帝都社交界の華であったという、あの華やかな雰囲気のある女性に似たのは間違いあるまい。
シリィは、そんなクレオリアを見て、よく亡くした自分の子供のことを思い出していた。
もちろん、先ほども述べたとおり、神々しいまでの存在感を発するクレオリアと農村出身の自分の子供では似ても似つかない。
どちらかといえばもう一人の赤ん坊。両親が不明で、あのアーガンソン商会が後見人の子供、エドゥアルド・ウォルコットの方が、確かに雰囲気は近かった。
それでもシリィがクレオリアを見て、あの子のことを思い出すのは、きっと同じ女の子であったということと、クレオリアが生まれつき病弱だったということだろう。
生まれたばかりの時は、夜泣きもひどくかったが、最近では起きている時でもぐったりとしており、乳を自力で吸うこともできない。ほとんど起きることはなく、日に日に弱っていっているのが分かった。
だからこそ、シリィは生きることのできなかった我が子の影を、クレオリアの中に見ずにはいられなかった。そして仕事のない時には毎日教会へ行き、クレオリアの健康を神に願った。この子を救うことこそが自身の贖罪ではないかと、半ばそう信じかけている。
それは父親であるスコット・オヴリガンも同じだろう。彼は毎日見舞いに来ては、クレオリアに笑いかけている。まるで、その笑顔がクレオリアの生命力に変わると信じているかのように。
そして出産直後の夫人に対しては黙っているようにとも言われている。
シリィたち世話人も、度が過ぎない限り、スコットの振る舞いや意向に配慮していた。産院施設で出産にたずさわる者として、家族の心情は理解していたからだ。
個人的な想いで、クレオリアの健康を願っているのがスコットやシリィであるならば、公の立場として、クレオリアの無事の退院を願っているのが、産婦施設の医療職員達だろう。
腐っても皇室の血を受け継ぐ公爵家が、わざわざ高い金を支払ってまで、特別新生児室に入室させているのである。しかも、生まれた直後から異常があったのなら言い訳もできる。しかし、クレオリアは生まれた直後には元気に産声を上げていた。数時間後、特別新生児室に入ってから急におかしくなったのである。
医師達は真っ青になって連日クレオリアが衰弱した原因を探っていたが、まだ原因はわかっていない。今日も今の今まで何かの検査に連れて行かれていたのだ。
検査を終え、眠りについているクレオリアを見る。
弱ってはいたが、寝顔に異常は見られない。
それを確認したシリィは、小さく大地母神に祈りの言葉を呟くと、取り替えた衣類の入った籠を抱えて、部屋を出た。
洗濯室への廊下を歩きながら、
シリィはいつもの様に、なんとかクレオリアを救う手立てはないものか、考えを巡らせていた。もちろん、そんな名案が思いつくはずもない。学のないシリィが思いつくぐらいなら、医師達がとっくに辿りついているだろう。それでも、考えずにいられない。藁をも掴む心情でシリィはクレオリアを救う方法を考えた。もし、この身を生贄に捧げることで、クレオリアの命が助かるのなら、喜んで差し出しただろう。
クレオリアが無事育つことは、シリィにとって自分の願いを成就することと同意であったから。
それはクレオリアを自身の亡くした子供への贖罪というだけではなく、大恩ある司祭様を救うことにもなるからだ。
クレオリアが入院している産婦施設の運営団体は大地母神教団であり、その統括責任者は司祭様なのである。シリィを特別新生児室担当世話人に推薦したことから分かるとおり、人事権を持っているのは司祭様ではあるが、実務上は現場の人間の判断で行われてはいる。が、あくまで正式な責任者は司祭様だ。もし、クレオリアが命を永らえることができなかったら、または重大な障害を負ったら。しかも、もしそれが、クレオリアが特別新生児室に移った後に原因があるとわかったならば。
司祭様も無関係ではいられまい。シリィにはそれがどんな形であるかはわからないが、なんらかの責任を負わなければなるまい。
そんなことはさせてはならない。
シリィは己が贖罪と大恩を返すために、必死で考えを巡らせていた。だからその人物がすぐ側まで来ていることに気が付かなかった。
「おい」
そんなシリィに、対面から歩いてきたその人物が声をかけて来た。白色の教団ローブの下に、板金甲冑という、産婦施設には似つかわしくない格好の騎士。そんな格好をしているのは、産婦施設というより、教団施設内で一つしかない。教団の保安管理職でもある貴族。神殿騎士だ。
サウスギルベナのように小規模な勢力地域には、神殿騎士は一人しか派遣されていない。それがこの神殿騎士リガリオである。
リガリオは、50歳近い人物で、短く刈ったプラチナブロンドの髪をしている。治安の悪いサウスギルベナの教団保安責任者だけあって、体格はそれほど大柄ではないが、重い甲冑を苦もなく着こなしている。
神殿騎士リガリオは、シリィを不機嫌そうに睨みつけていた。
「気が付かず申し訳ありません」
シリィが頭を下げると、リガリオはやはり不機嫌そうに「ふん」と鼻をならした。感じはよくなかったが、シリィはあまり気にしなかった。というのも、リガリオが不機嫌そうにしているのはいつものことで、何か特別、シリィが粗相をした訳ではないといことが、分かっていたからだ。
もちろん、この男の人を見下した態度に、好感は持ってはいないが、シリィにとってはどうでもいいことだ。それよりも、この不遜な男が、司祭様にだけは、敬意を持って対応している。シリィにとってはそれで、十分だった。
司祭様の評価は、小役人的な、器の小さい人物という声が大勢だ。
が、実際のところは司祭様に対して、尊敬の念を抱いている者たちはサウスギルベナの教団内には少なくない。
それは、シリィのように、行き倒れていたところを救って貰った者達であったり、リガリオのような貴族出身者にもいる。シリィたちのように命を救って貰ったものは、その人柄を評価するが、組織経営での評価となるとまた違う見方があるのだろう。
そのリガリオがシリィをジロジロと見ている。その視線には好色さはなく、どちらかといえば、怪しむ様な目つきだ。
「あの、なにか……?」
「お前は、たしか特別室の担当だったな」
リガリオが、なぜそんなことを聞いてくるのか見当も付かないが、シリィは取り合えず「はい」と答える。
「では、公爵の赤子の健康状態のことで、医師達が検査を繰り返し行っていることも知っているな」
「はぁ、ええ」
質問の要領を得ずに困惑していたシリィだが、リガリオの次の言葉に青ざめる。
「実は、そのことで、司祭様の立場が不味い事になった」
「や、やっぱり特別室に入ってからの不手際が原因で……」
だが、リガリオは首を横に振った。
「それどころの話ではない」
「い、一体どういう?」
しかし、リガリオはそれには答えずに、辺りを見回し、人が近くにいないことを確認し、再びシリィを探るように睨み付けてきた。
「私はなんとか司祭様をお救いしたい。お前も司祭様には恩があったな?
お前は司祭様をお助けするために命をかけることはできるか?」
「勿論です!」
その質問にだけは、シリィは戸惑うことなく、即答することができた。
暫く、そのシリィの様子を見た後、リガリオは「誰にも喋ってはならんぞ」と、声を落とし、少ししゃがむと、シリィの方へと顔を寄せる。
反射的に、シリィも耳をリガリオの口元へ寄せた。
しかし、リガリオの言葉を聞き終える前に、シリィは思わず天を仰いで、大地母神の名を呼んでいた。それは救いを求めたためではない。
神が一体何を、自分に求めているのか、それが分からなくなったからだ。
遅筆だとは自覚していましたが、やっと第1部が書きあがったので順次投稿していきます。これを機会にタイトルを改めました。旧タイトルは『mob男の転生物語』です。