32 なぜ少年は殺されたのか
「……兄が殺されたのは、その数カ月後。今から一年ほど前です」
エドは話を終えて、目の前の痩せた灰魔術師をじっと見つめた。
サウスギルベナの魔道士ギルドの広間。
そこに座っている二人の間に窓から指す光が、細かい埃が渦を巻いているのを晒していた。
対面にある赤い瞳がナイジェルの言葉を待っている気がしたが、何を言えばいいのか。
「随分話が飛んだな」
本質を離れた感想が漏れる。
「それからは商人としての修行ですから聞いても仕方がないでしょう」
「殺されたってのは……聞いていいか?」
一番大切なことなのだろうが、どうやって上手く聞き出せばいいか数瞬考えたものの、何も浮かんでこなかった。しかたがないので率直に尋ねる。
「兄のラグは商人への異動が認められた数カ月後、商隊に参加してサウスギルベナを旅立ちました。そこで盗賊に襲われたんです」
エドは淡々と話す。聞いているナイジェルにとっても、エドにとってもそれが話を進めるには一番の方法だった。
「盗賊? それは……」
「異民族系の野盗団だったそうです。そうなると盗賊ギルドとは無関係ということになりますね」
エドはナイジェルの質問を先読みして答える。
「僕の目的はそれです」
「それって、復讐ってことか?」
「それも目的のひとつですけどね。納得してないんですよ」
「納得?」
「ええ、納得です」
エドは視線を落としながら言葉を紡ぐ。
「姉が病死して、その後に兄が殺されて。その時の共通点は何かわかりますか?」
たったそれだけのことで分かるわけもなく、エド自身も答えを期待していないのはわかったから、ナイジェルは黙っていた。
「アーガンソン商会の人間だけでなくてね、両親も、一番上の姉も、同い年の兄弟も暫くすると普段の生活に戻ってました。死んだ時にはあれくらい泣いてたのにね」
「いや、お前、それは……」
なんと言い聞かせれば分からないが、しかしエドの言っていることは、なにも言い繕わずに言えば「しかたがない」としか言えない。
平民で、しかも貧しい都市に住んでいる人間には、酷い言い方だが、悲しんでいる時間も与えられない。
事情を詳しく知っているわけではないが、エドの両親が子供のことを悲しまなかったわけではないだろう。それでも次の日はやってくる。そして命を繋ぐために働かなければしょうがないのだ。納得しなくても、体を動かさなければしょうがないのだ。
ナイジェルも元は猟師の生まれである。平民にとっての家族の死がどういうものかは分かっていた。
それをまだ六歳の子供に正直に話していいことなのかは、独身の、子育ての経験もないナイジェルには分からなかった。
しかし、ナイジェルが言いよどんだ様子から、何が言いたいかはエドにはわかったらしい。
「僕はね」
と再び口を開く。
「これでも冷めてる方なんですよ。人が死ぬのなら貧民街で毎日、目にしてきた。それで怒りを覚える人間じゃないんです。それに比べれば両親も、姉弟達も僕よりずっと情に厚い、温かい人間なんです。ナイジェルさん、僕が納得いかないって言うのはね。そんな家族でさえ、この街で住む人達には、疫病で死んだり、盗賊に殺されたりってことが『当たり前にある不幸』として『納得』していることなんです」
エドの床を見つめる瞳は鋭く、眉間に歳不相応な皺が刻まれていた。
「気にいらないんです。冷めた人間の僕だけじゃなくて、僕の家族がこの街の状況に納得していることが。イーネ姉さんとラグ兄ちゃんが死んだことが、ありふれた出来事であることが、僕は気にいらないんです」
エドはギュッと目を閉じた。そしてすぐに開く。気を落ち着けるように深く息を吐いた。
「あやふやな言い方だけど、なんか歪なんです、この街は僕にとって。『それ』は僕であって、彼らじゃないはずなんです。言ってもわかんないだろうけど。乱雑に置かれた家具みたいにね、気になるんですよ。イライラとね」
そこでようやくエドは視線を上げてナイジェルを見た。
「それが、僕の目的なんです」
思わずナイジェルは椅子から立ち上がって、エドの側まで歩み寄っていた。そこまで来てそれからどうするか分かっていなかったことに気がついて動きが止まる。
「?」
エドは近づいてきたナイジェルを不思議そうに見つめてきた。仕方ないのでナイジェルは力いっぱいエドの白髪の坊主頭をクシャクシャとかき回した。
「ちょっ、なんですか!」
エドが抵抗するが、ナイジェルは自分の中の込み上げてきたものが収まるまでガシガシと頭を撫で続けた。
「もう! 話はまだ続くんですから」
やっとこさエドがナイジェルの手を振りほどき、睨み上げる。
「わりぃ」
ナイジェルも気分が落ち着いて椅子に座った。
「なんなんですか、いったい」
ブツブツ言いながら、話を進める。
「で、ですけど。いままでの説明だとおかしな所がありませんか?」
「あん?」
「僕の能力を隠す理由ですよ」
「ああ」
そう言われて考えると、少しおかしいかもしれない。
エドが周りの人間を幸せにするという意味は、この場合においては『豊かになる』ということだ。
そうなると能力を隠す意味がわからなくなる。平民であるエドが『豊かになる』にはどういう方法を取るにせよ成り上がるしかないのだ。そのためには灰魔術を独学で学んだという才能とその名声は最大限利用すべきだろう。
「僕は自分の灰魔術師の能力を隠すのをアーガンソン商会がなんだか物騒な連中だからっていうなんとなくそう思うって理由だけじゃないんです」
「なにか具体的な理由があるってことか?」
ナイジェルの言葉にエドが頷く。
エドが灰魔術師としての能力を隠していたのは、ラグが死ぬまではアーガンソン商会だけを対象においていたわけではない。生まれたばかりの時に誘拐されたエドは弱い存在のままで目立つことに危険を感じて警戒していたことと、前世の記憶を持ったまま生まれた異世界の転生者という事実を隠すためだ。
だが、兄が死んで以降は、エドの警戒対象の中にアーガンソン商会もはっきりと含まれることになった。
「兄が殺された時参加していた商隊というのは、当然ですけどアーガンソン商会の商隊です。商隊は商人と荷を載せた馬車の周りを警備の兵が取り囲んでいると思ってください」
エドは小さな指で、宙に二重の円を描いてみせた。内側の円が馬車と商人。外側の円が警備隊ということだ。
「アーガンソン商会、たぶん他の商人でも同じですが、商隊を組む場合にはある優先順位がつけられます。それは有事の際には何を優先するかです」
また小さな指で、今度はピンと人差し指を掲げた。
「まず第一が、商人の命です」
「へぇ。意外だな。荷物より重いのか?」
ナイジェルには金が何よりの第一という商人たちなら、命より金という偏見があったのだ。
「まぁ、荒事の場に商人がいたってしょうがありませんしね。それに金はまた稼げばいいですから。通常の交易なら荷物を捨てて安全なところか状況が収まるまで逃げるっていうのは普通ですよ。それで第二は荷物と警備兵の命。この二つは時と場合ですね。警備責任者は出立前の打ち合わせで商人とどうするかを決めておきます。盗賊の戦力がこちらより低ければ命がけで戦わないといけませんけど、どう考えたって敵いそうにない時は商人を護衛しながら逃げるもんですよ」
「ふーん。で?」
「で、兄の時は、とても敵わない規模だったそうです。商隊の人数は荷馬車三台に警備の兵は三組十五人編制でした。アーガンソン商会が取り扱う荷物の量としては大規模です。かさばる荷物というだけですけど。兄が参加したのもそういう定期交易便は安全で簡単だったからです」
「でも、十五人も警備兵がいたのに敵わないほどの盗賊に襲われたんだろ?」
「そうです。商隊は比較的安全が確保されている交易路を通りますし、おっしゃるように十五人も警備がいました。通常の野盗ならなかなか手を出しにくいですし、見つかれば『通行料』を支払えばいいだけですからね」
「通行料ってあれか? 盗賊に金を払うのか?」
「大体の盗賊、二桁規模の集団なら何かしらの組織ですし、そういった盗賊たちにとっては金で済ますのはそんなに不思議な話じゃありません。彼らだってやりすぎて軍隊が掃討に出てきたら元も子もないですから。だから三台十五人編制の商隊はほぼ安全です。ただし、これが異民族となると話は別です」
大陸の最大勢力である帝国であるが、その全土を支配しているわけではない。国家としての体をなしているのは西の王国だけだが、蛮族と呼ばれる少数民族は数え切れないほどいる。最も有名なところでは東方の異民族たちだろう。東方以東の地域は帝国領土よりも広い地域に数百という部族が存在している。彼らは帝国東方軍と建国以来千年にわたって戦を続けているのだ。
三百年前まで未開の地であったギルベナを含む南方も同じような異民族がいた。東方と違って、一応平定されているため規模や数は格段に少ないがそれでも百人規模の部族も存在する。彼らは帝国の手から逃れるために部族ごと移動して生活していることもある。
「そして、異民族が僕達帝国をどう見ているかも当然知ってますよね?」
ナイジェルは頷いた。それは帝国民ならそれこそ赤子でも知っていると言われることだ。
帝国民は彼らを蛮族と蔑み、害獣として殺し、奴隷として狩る。異民族達は帝国民を侵略者として襲い、皮を剥いで晒す。
「商隊の通る交易路まで異民族がやってくることはそうそうありませんが、それでも遭遇した場合には逃げるしかありません」
「まぁ、そうだろうな」
部族で移動する彼らはそれこそ数十人単位で襲ってくる。しかも捕まれば問答無用で皆殺しだ。
「そうなると、お前の言っているアーガンソン商会が怪しい理由が見えてこねぇんだが」
「あのとき、商隊は五十人近い異民族と遭遇したために、荷物を捨てて一目散に逃げたそうです。それでも交易品だった荷物と、警備の人間が十人と兄や商人のうち五人が被害にあいました。それっておかしくないですか?」
「そうなのか?」
聞かれてもナイジェルにはまったく疑問点が分からなかった。エドには申し訳ないが、それはたままたエドの兄が運が悪かったのかもしれない。
「商隊が襲われたのは街道を進んでいた昼間のことです。夜に野営地を襲われたわけじゃありません。それはそうでしょうね。休憩中や野営している時に不意打ちで襲われたら逃げられなかったでしょう」
エドはもう一度宙に二重の円を描いてみせた。
「移動中に襲われたなら、兄は警備隊の内側、商人たちと一緒にいたことになります」
「そうだけどよ。たまたま逃げ遅れたってだけじゃないのか?」
「生き残った人たちもそう言ってます。兄は異民族達の第一撃目で切られたそうです」
「それでもおかしいと思った理由は?」
「まず最初におかしいと思ったのはなぜそこまでやられたのかです。昼間の交易路で五十人もの集団がやってくるのに、警備の人間は何をやっていたのか。アーガンソン商会の警備兵はこの街の常駐兵よりもよっぽど腕の立つ人間がそろっているんですよ。あっさりと近づかれすぎでしょう」
「ちなみにだけどよ。五十人相手だと、十五人じゃ逃げるしかないのか? 戦っても勝てない?」
ナイジェルは集団戦闘の経験がないので判断できない。それを六歳児に尋ねるのもおかしな話だったが、すっかりそのことは抜けていた。
「逃げますよ」
きっぱりとエドは答えた。
「異民族達は武装した騎馬兵だったそうですが、素人の集団だったとしても三倍もいればね。さっきも言いましたが優先すべきは商人の命です」
エドはピッと手の平を上げて話を次に移す。
「で、なんで兄が助からなかったのかを自分なりに考えてみました。そこで助かった人たちを見て、第二の疑問が湧きました。
助かったのは商隊の責任者だったアーガンソン商会の商人が二人、警備の兵が五人一組。死んだのは警備部以外では見習いだった兄と、荷役や雑務をやる雇われ人が四人です」
「ん? んー?」
言われても「それが?」という感じしかナイジェルは受けない。
「ちなみに兄の優先順位は見習いですが、商人たち二人の次。しかもほとんどかわりはありません。有事の際には助かった二人と同じくらいには警護されます」
「子供の見習いなのにか?」
「子供の見習いだからです」
エドは少し苦笑していた。
「アーガンソン商会じゃ僕たちみたいに子供の頃から見習いとして働いている人間は将来の管理職候補なんですよ。少なくない時間と金をかけて教育されてますからね。それなりに厚遇は受けます」
「うん、それはわかったわ。で助かった人間とそうじゃない人間の違いていうのは?」
「ほぼ同じ優先順位で兄だけが助からなかった。そして助かった警備の人間は同じ組の者でした」
「あー、つまりあれか?」
なんとなくエドの言いたいことは分かった。
「その商人二人と警備の一部の人間が結託して、異民族に襲われたように見せかけたっていうのか?」
エドは頷く。
「異民族に襲われたっていうのは彼らが言っているだけですから。というか、そこまでの話ならほぼ確定しているんですよ」
エドは手の平で首を斬る仕草をしてみせた。
「その時助かった商人二人と警備の組にいた五人はその後、全て同時期に死んでますから。商人二人に関しては正確には行方不明ってことになってますけど。商品をちょろまかしてたっていう話なら、まず粛清されてますね」
エドがそこまで言って自分の話に首を傾げる。
「でもね。そうなるとやっぱりおかしな話なんです。積んでいた荷物をちょろまかして転売するのが目的にしては危険が大きすぎますよ。その時の荷物なんて塩と鉱石がほとんどですからね」
「塩なら高く売れるんじゃねぇの? 鉱石も物によっちゃ高く売れるものもあんだろう?」
「塩の売値は確かに高いですよ。でも沿海部にあるサウスギルベナじゃ唯一安価にしかも大量に仕入れられるもんですからね。商人が横流しするほどじゃないですよ。少なくとも8人殺してその後自分が粛清される危険を犯すほどじゃないです。鉱石に至っては卑金属くらいのもんですよ、定期便で運ぶような物は。商人の二人は独立裁量権を与えられてる商人ですからね、その気になればもっと儲かる悪事はありますよ」
「すまん。話を聞いているだけじゃ、なにがなんだか分からなくなってきたんだが」
「実は正直言って、僕もです。なんか気になるんですけど、調べようもない」
エドはため息を吐いて上を見上げる。
「まず商隊が襲われ兄ちゃんを含む八人が殺された……」
「あ、すまん。嫌なこと思い出させるようだけどよ。その八人が殺されたっていうのは本当なのか? 言っているのはその助かった商人たちだけなんだろ?」
エドは首を静かに横に振った。
「遺体自体はその後回収されました。兄以外の大人たちの皮は剥がされていたそうです。兄の遺体が傷つけられていなかったのは異民族達も子供の死体を傷つける気にはなれなかったのか、異民族の犯行に見せかけようとした人間もさすがにそこまではできなかったのか。理由はさっき言ったけど後者でしょう、ね?」
「悪い。わかった続けてくれ」
「その後、助かった人間も死ぬか、行方不明になった。このことで疑問は二つになります。一つはさっきも言ったとおり横流しするにしては危険が大きすぎるってこと」
現場の状況の不自然さなどの疑問点は、関係者が全員死亡したことで解決していると言える。
「あともう一つなんか言ってたか?」
「まだ言ってませんから。もうひとつは粛清したのがアーガンソン商会、つまりソルヴ総帥ならなんで粛清したんでしょうね、ってことです」
「いや、そりゃー裏切り者には死をってことじゃねえの? 物騒な連中ならよ」
エドが鼻で笑う。
「その連中は八人殺害してますからね。役人に差し出せばいいんですよ。証拠なんていくらでもでっちあげられるでしょう。というかジガ婆達が本気になれば証拠や自白なんて簡単にとれますしね。定期便の横領犯程度なら粛清なんて後ろ暗い真似をする必要はないでしょう? でも、たしかにわからないことだらけなんです」
今度はまたため息を吐いた。
「今言った二つ疑問。それにこの事件が二人の商人の単独犯なのか、ソルヴ総帥達が関わっているのか。最初からソルヴ総帥が関わっていたのなら、なぜ見習いの兄が商隊に参加していたのか。殺されなきゃいけなかったのか。どう考えたって兄ちゃんを殺す理由なんてないし」
気分を変えるようにパンっとエドが柏手を打った。
「結局何も分かってないってことですが、僕がアーガンソン商会を警戒して、灰魔術師の能力を隠している理由はわかったでしょう?」
それに関してはナイジェルも頷くしかない。そして自分の身も気をつける必要があることも。
「ま、いずれ真相は明らかにするつもりですし、事と次第によっちゃ……ね?」
エドが物騒なことを言い出した。
「おいおい、何するつもりだよ」
「真相を知って、納得したいだけですよ。そのためにも一人前にならなくちゃいけません。それが僕がガンバる具体的な理由です」
口調は若干投げやりだ。
「ただ、今の件を抜きにしても、この街の盗賊ギルドもたいがいですからねー。結局荒っぽいことになりそうですけど」
「盗賊ギルドまで敵にまわす気かよ」
六歳児がどこまで自信過剰なのか、ナイジェルはもう呆れるしかない。
「心配しなくてもまずは一人前の灰魔術師になることが先決なのはわかってますから」
エドはぴよんと椅子から飛び降りた。
「なんだが、無駄話で終わっちゃいましたね。そろそろ帰りますか」
「無駄話っつーのかなぁ」
「無駄話ですよ。ナイジェルさんにとっては、ね」
エドはさっさと出口に向かって歩き出す。その小さな背中を見てナイジェルは頭をポリポリと掻いた。
それは天文道による易でも、利害関係を考えた理知的な判断でもない。
おかしな六歳児を見ながら思ったのは、
「めんどうなヤツと遭っちまったなぁ」
自分には関係のない話。そんな風には思えなかった。




