27 エド灰魔術を放つ2
「はっ!」
だが掌の『光』はそれ以上大きくなることはなく、『気撃』の魔力球体が放たれた。
「え?」
意外な行動にナイジェルはよく目を凝らして見た。やはり放たれた魔力ボールは小さいままだ。エドの小さな手のひらの中にすっぽり収まるほどでしかない。しかもエドから標的の椅子までは三メートルほどしかなかったが、『気撃』は手のひらから一メートルほどでフッと消えてしまった。
「ん?」
「ぐっ」
エドが苦悶の表情で片膝をついた。
エドはポケットに手を突っ込むと、中から何かを掴み出して、そのまま口に含んだ。
「ちょ、ちょっと頑張りすぎちゃいました」
「……」
やり遂げた感を出すエドとは対照的に、ナイジェルに生ぬるい空気が流れた。
「やれやれ、本気を出しすぎて魔力切れを起こすところでしたよ」
エドは暫くゼイゼイと床に這いつくばっていたが、漸く立ち上がった。さきほど口に含んだのは自作の魔力回復薬丸だ。魔力をほんの微量、回復できるもので、良薬ではないが苦い。
「おい、天才灰魔術師の少年よ」
ナイジェルは何の感情もこめない目で、白髪坊主の少年を見た。
「いかがでしたか?」
「えっと、フザケてるんだよな? とりあえずそれなら殴るつもりだけど」
「は? 全力で撃ちますって言ったでしょう。それに最初に言いましたよね? 感想は言い方を考えてくださいと」
真剣な顔でエドがナイジェルを睨む。
「全力?」
「はい」
「今のが?」
「ええ、もちろんです」
「しょぼい!」
「言い方!」
思わず叫んだら、同じくらい叫び返された。
「ああ、すまん。もう一度確認するが、さっきの馬糞の川流れみたいに消えていったのが、全力の『気撃』なんだよな?」
「い、い、か、た!」
エドが顔を真赤にして、床を踏み鳴らした。
「あー、わるい。なんか期待してたのと違ってたからな」
「ぐっう。屈辱だ!」
エドは涙を溜めて悔しがっているが、ナイジェルは目の前で起きたことをどう解釈すればいいか迷っていた。
エドは全力で魔術を放ったというが、そこに嘘はないのか?。
確かに『気撃』は威力の割に、魔力消費量の多い魔術だ。実戦での使い手はほとんどが魔力量に自信があるタイプである。魔力量が少ない魔術師には不向きな魔術といえる。
しかし、それにしたってしょぼすぎないだろうか。
「……いやいや、六歳にしては大したもんだ」
慰めもこめて口に出して言った。だがエドはプライドが傷ついたのかブスッとした表情で自分の椅子によじ登って、ドカリと尻をおろした。
そう、六歳にしては悪くない。だが才能を持つ子供なら、初めて魔術を使ってもこの程度の威力の魔力量はあるだろう。もちろん魔術の発現自体できる子供はそうそういないので比較はできない。だがエドは独学であれある程度訓練は積んでいるはずだ。そうなると他の部分が優れているだけに魔力量の少なさが酷く目立つ。
「魔術を修行し始めて何年だって言ってた?」
「半年ですけど?」
ぶらぶらさせた足を眺めながらエドは暗い表情をしている。
これは嘘だとナイジェルは内心思っていた。
年齢を考えると、二年くらいか。練り上げた魔力の滑らかさから考えると、もっと修行していると思うが、それ以上となると今が六歳児だけに物理的に不可能な気がする。
「もうほかの魔術は使えそうにないか?」
「ほかですか。例えば?」
不機嫌でも一応教えて貰う立場なので、素直に答えはする。
「印か、咒詞を見てみたいんだが」
「役鬼の術でいいですか?」
『役鬼の術』というのは、魔術で人工生命体を作り出す灰魔術だ。特定の用途に使役するのでこう呼ばれる。広くは『魂宿し』ともいわれる。
「じゃあ」
エドはふたたび椅子を後ろ向きに降りると、床においていた自分の鞄へと歩み寄った。そして中を漁っている。
「これを使います」
そう言って一枚の紙切れを取り出した。大きさは二十センチ四方くらいの粗末な紙。その紙には墨で帝国の公用語とは全く違う、文字と絵の混ざったような文字が書かれている。
「ちょっと見せてくれ」
ナイジェルは勿論それが灰魔術の咒詞であることは知っているが、少し変わった文字だったので興味がわいたのだ。
エドから紙を受け取り、詳細に見てみる。
確かに『咒』、魔粒子が宿っている。文字はやはり現代積道とは違う部分があった。エドが書いたのなら原始積道の文字なのだろう。
ナイジェルが紙を返すと、エドはそれを床に置いた。自身はその前に立つ。
「じゃあ、やりまーす」
少し投げやりな調子だが、それは先ほど気合を入れて恥をかいたからだろう。
エドが小さな手を組み合わせて十本の指で印を結ぶ。
速い。
今度は素直に感心した。高速とまでは言わないが、よく訓練した動きだ。やはり技術自体は『霊行』や『神詠』の階位にある者と遜色が無い。印を結ぶ速さだけなら『真宮』のナイジェルとも変わらない。他の印も同じくらいのレベルなのかは分からないし、ナイジェルは高速印が苦手だから、それだけでエドが『真宮』級であるとはいえない。それでも六歳ということを考えれば天才だ。恐らく宗家の中にも六歳でこれほどの技術を持つ者はいないだろう。
「鬼影葦草に在りて暗きに来れり、塊然の鬼」
咒詞が紡がれる。
これまたお見事!
エドの咒詞は完璧だった。ナイジェルよりも完璧な発音である。さきほどの印の速度と正確さが努力の結晶だとすれば、発音に関してはその努力を超えた才能がある。これほどまでに完璧な咒詞はナイジェルの記憶を探ってもちょっと出てこないかもしれない。
しかし実はこれは当然のことで、元々灰魔術の呪文はセドリックが日本語を元に開発したものだ。
同じ日本人の転生者であるエドが完璧に発音できるのは当然なのだが、ナイジェルはもちろんそこまで予測することはできない。
さらに付け加えるならば、印を結ぶ速度も実は才能と言っていいのかは微妙なところだ。というのも、エドが灰魔術師の修行を始めたのは、ナイジェルが予想している二年前よりもっと以前。ゼロ歳児の時から、しかもセドリックが作った夢の中の仮想世界『箱庭』の術も利用して、文字通り寝ても覚めても修行していたのである。魔術の発動技術も高くなろうというものだ。
魔粒子を含んだ紙、エドの指先が結んだ印、唱えた咒詞が意味を持ち、魔術が発現される。
床に置かれている紙に書かれた墨の部分が魔力による発光現象を見せた。
発光はすぐにおさまり、そのかわりに描かれた文字が蠢きだした。墨文字は中央に固まるとポッコリと厚みが生まれる。まるで紙の内部から這い出してきたようだ。グニョグニョと穏やかな跳動を繰り返していた黒い塊は、やがて形を整える。
小さな妖魔だった。
紙の上から墨で書かれていた文字が消え、その代わりに小さな黒く醜い妖魔がいる。
妖魔は闇魔術師たちが使役する小悪魔のように見える。体長は二十センチほどで、小悪魔と違って、羽と尻尾はない。
エドは現れた妖魔の方に右手を差し出して、スイスイと動かした。
妖魔は主人の意図を理解したのか、すぐにクルクルと踊り、ひょいと逆立ちしてみせる。滑稽な仕草だが、顔は一切笑ってはいない。
逆立ちをやめると、そのまま片膝をついて、動かなくなった。
「どういう役鬼なんだ?」
ナイジェルが興味を惹かれて、床に鎮座する妖魔を覗きながら尋ねる。『役鬼』は使い魔のように汎用性はない。その代わりに特定の状況下、一能では力を発揮する魔術生命体だ。『魔力感知』の目で見ると、混沌と生命の魔力を感じる。細かいことは分からないが構造自体は極単純な人工生命体だ。
「これは貧民街の路地で『すくった』魔粒子で作った子鬼の役鬼です。自我を持たない傀儡人形ですが、特に能力はないですね、術者の考えた通り動きます。強いて言うなら手の届かない場所なんかの物をとるのに便利です。ちなみに名前は『子鬼』です。効力範囲は僕から二メートルってところかな」
『すくった』というのは、灰魔術師達が使う表現だ。意味はエドが先ほど使った紙に特定の効力を持つ魔粒子をこめたということだ。
灰魔術師は、魔粒子を操る魔術師である。
魔粒子とは、魔力の残滓であり、意味付けされた、または汚染された存在である。
その意味を取り出し、咒として使うのが積道、灰魔術なのである。
今回エドが発現に使ったのは三種類の方法。印、咒詞、紙、つまり魔道具だ。
どれか一つだけでも発現することは可能だが、印だけで発現するより、印と咒詞を使った方が楽だし、発現時間も短くなるし、精度も上がる。
それから咒詞を書いた紙。これも意味としては魔道具なのだが、一般には魔道具というのは魔力量の違いや技術に関係なく発動できるものであったり、超常の存在が宿る魔法道具のことをさすので、今回の紙のようなものは単に道具と呼ばれる。
この道具の役割は発現のための設計図という意味合いも勿論あり、発現速度を助ける意味もあるが、灰魔術においては魔力の油壺、燃料のような意味が大きい。
つまり、先ほど小さな『気撃』(と呼べるかどうかは別として)を放っただけで魔力切れを起こしそうになったエドが、その後に『子鬼』を作り出せたのはこの紙があったからである。事前に魔力を含ませておいた紙を使ったことでエド自身の魔力消費は殆どなかったのだ。
エドはパチンと指を鳴らす。それを合図に子鬼はトコトコと床に置かれた紙まで歩いて行く。紙の上まで歩いて行くと、ドカリとあぐらを組んで座り込んだかと思うと、その途端に子鬼は形を崩した。
ベシャリと下の紙に墨となって広がる。あっという間に元の咒詞の墨字にもどった。
「どうです?」
術を終了したエドが聞いてくる。




