21 姫君の動機
「眠気覚ましに剣の稽古をつけてちょうだい」
などと起き抜けに言われても困る。
「えーっと……」
起き抜けでなくとも困るので、寝ぼけている今、クレアは返答に困る。初対面の時のこともあり、母親であるニレーナ夫人は娘がチャンバラに熱中していることを快くは思っていないに違いない。
今、裏庭に行けば、その夫人と鉢合う可能性は高い。果たして手ほどきをしていいものだろうか?
「そんなお茶よりよっぽど目が覚めるわ」
そう言ってさっさと裏口へ向かう。
しょうがないのでクレアは苦味のある香茶を喉に流し込み、マグカップをゲコウに渡し、後を追う。
クレオリアと二人で裏庭に行くと、思った通りニレーナ夫人の姿が見えた。
「お母様、おはよう!」
六歳児らしい、快活な声でクレオリアが、母親に呼びかけている。
このこまっしゃくれた神童も母親には歳相応の顔を覗かせた。逆に言えば、普段それ以外の時には大人びたと言うよりは、薄気味悪いくらい理性的で冷静な顔しか見せない。
母親に嬉々として朝の挨拶をする令嬢の姿に、クレアは少しほっと体の力が抜けるような気がしていた。
長身で、とても三人の子持ちとは思えない夫人がニッコリと微笑みを返す。
「おはよう、クレオリア。それにクレアも。二人揃って裏庭でどうしたの?」
赤毛の母親の問いに、金髪の幼女があっけらかんとして答える。
「目覚めの運動に二人で剣の稽古をするの」
いつのまにか稽古をつけることになっていた。
公爵令嬢に剣の稽古をつけるというのは、母親としていい顔をしないのではないかと、ニレーナ夫人の顔色を伺うが、彼女は少し驚いた顔をしているだけで特段嫌そうな表情には見えない。
夫人の顔色を伺っていたら、彼女の視線とかち合った。
「クレアは昨日も徹夜だったんでしょ? 少し休んだ方がいいんじゃない?」
「えっと、私は別にかまいませんけど」
「じゃあ、決まりね!」
夫人に言った言葉をクレオリアが受け取って、そのまま歩いて行ってしまった。
少女の背中を見つめながら、クレアはニレーナ夫人にそっと尋ねる。
「あの……いいんですか?」
「なにかしら?」
「クレオリア様に剣の稽古をつけても。貴族のご令嬢のお遊びにしては少しお転婆過ぎる気もしたものですから」
できるだけ歪曲に尋ねたつもりだったが、それはクレアの気の使いすぎだったようだ。ニレーナはコロコロと笑う。
「あら? 私も小さい頃は馬に乗っていたものよ」
なるほど、母親のニレーナ夫人も小さな頃は活発だったようだ。だが、乗馬と剣術では随分違っている気がする。
「えっと、奥様はクレオリア様が剣を振り回しているのは構わないのですか?」
「子供の遊びだもの。それにクレオリアは赤ん坊の時に病弱だったから少しくらいお転婆だったとしてもそれは喜ばしいことだと思わない?」
「まあ、そういうものですかねぇ……」
公爵夫人というより母親としてならそれが正しいのかもしれない。ここは辺境の地でもあるし。
「でも、あなたのお仕事に支障がでるようなら、きっぱり断ってちょうだいね」
夫人の言葉に、逆にクレアは気持ちをカチリと固めた。
「いえ、少しくらい体を動かしたほうが目が覚めますから」
クレアの言葉に、ニレーナ夫人は笑って足元においた籠を持ち上げる。
「じゃあ美味しい朝食を作っておくわ」
「はい」
クレアは立ち去る夫人に頭を下げた。
「クレア」
そのクレアの背後から令嬢の声がかけられる。
見るとクレオリアが棍棒を二本持って立っていた。
その内の一本をクレアに投げてよこす。
訓練用の木剣だ。
長さはちゃんと一般的な騎士剣のものになっている。握りの部分は角を潰して握り易くしてあるが、それ以外の部分はただの木の棒だ。おそらく薪を切り出したものだろう。材質は硬く、これだと割れやすいのであまり木剣には向いていない。それに子供が扱うには長くて重すぎる。
「どうしたの?」
木剣を眺めていたクレアに、公爵令嬢が少し眉を寄せて尋ねてきた。
「いえ、少しクレオリア様には重すぎるんじゃないですか」
「そう? 子供のお遊びにしては本格的すぎる?」
どうやら先程の夫人との会話を聞いていたようだ。
「えっと……」
そのとおりなのだが、それを本人に言うわけにはいかない。よく例えても自尊心の強いクレオリアの反発を招かずにどういいわけすればいいのか難しいところだ。とは言えこの木剣では万が一体に当たった時には大けがをする危険性がある。
「……えー、そう。型の稽古をするにはもっと軽いものの方がいいです。重心が崩れると正しい型を覚えられませんから」
我ながら良い言い訳だ。型なら怪我もする心配もないし一石二鳥である。
「あらそう?」
クレオリアは自分の持っている木剣を二度振ってみせた。軽く風切音が聞こえたが、全く体がブレていない。特段体を使って上手く振るっているというふうではなく、手首の返しだけで振るっているようだが、その他の部分は微動だにしていなかった。
「……なぁるほど」
確かに重すぎるということはなさそうだが、しかしこれは一体どういうことだろうか。
今二人が持っている木剣もどきというべき棍棒は実際の長剣と比べれば、長さの点では同じでも重さの点ではかなり軽い。材質が木材であるかぎり長さと太さを金属剣に似せれば、軽くなるのは当然だ。
しかし、それでも今持っている長さと重さの木剣は素人、というより六歳児が振り回せるものではないし、『撃ち』振るうことは尚更できるシロモノではないはずなのだが。
「あの、クレオリア様は……人間ですよね?」
ちょっと馬鹿みたいな聞き方になったなと思っていたら、案の定クレオリアがそういう者を見る顔でクレアを見上げていた。
「え~とつまり、獣人とかドワーフとかではなくて人間の六歳ですよね?」
馬鹿にされようが、疑わしいので素直に確認してみる。
「似てないって言われるけれど、お父様がドワーフだとか、お母様が妖精族だとかでもなければ純血の人族よ。不貞でも働いてなければね」
となると、神童のなせる業か?
クレアが考え込んでいる間に、金髪の幼女は裏庭の真ん中。開けている場所に立った。そして掌に二三度木剣で拍子を打つ。
「あと、型の稽古はいらないから、実戦形式でお願いね」
その言葉に、クレアは少女の顔を見つめた。どうやら本気のようだが、
「それは駄目ですクレオリア様」
こればかりはきっぱりと言った。
最初にきちんとしておいたほうがいい。クレアはまずそう思った。
相手は六歳児で、クレア自身は今は文官といえど騎士科を卒業し、軍事訓練を受けた人間である。怪我をしない程度に手を抜くことは自分ならできる筈だ。しかし、
「この重い剣じゃ私は絶対に相掛かりも、打ち込みもしませんし、他の人が相手でも絶対に駄目です」
剣を修行した者として、剣を扱う危険についても説かねばなるまい。それを最初に教えなければなまじ才能がありそうなだけに大変なことになる。
六歳で、しかも自己流で覚えたというなら、理解できなくてもしょうがないのだが、なにか起こってからでは遅い。特に先ほどの振りの速さを見ればクレオリアというより、相手。時にそれが子供同士であるかもしれない。その相手を大怪我させてしまうかもしれないのだ。
「こんな重い剣を相手に向かって振るっちゃ駄目です。死んでしまうかもしれませんからね」
精一杯厳しい顔で言ったつもりだが、どうもクレオリアには伝わっていないようだ。
「何言ってるの、相手を見てやるに決まってるじゃない。ちゃんと扱える人を選んでするわよ」
おもいっきり馬鹿にしたような目で見られた。だがクレアは子供の言う「ちゃんとする」くらい当てにならないものはないと分かっている。それが神童と呼ばれているクレオリアでも同じだ。
「と、に、か、く。こんな重いのを人に向けちゃダメですから。眠気覚ましなら型だけでも十分ですよ」
絶対に引く気はないと語気を強めると、クレオリアが口を尖らす。その仕草は意外なほど子供っぽかった。それが普通なのだが、普段の言動を聞いているとまだ六歳ということを忘れそうになる。
「型なんて本で何冊か読んだからどうでもいいわよ。せっかく人間相手なんだから実践形式やらせなさい」
「でも騎士を目指すなら、ちゃんとした型を習ったほうがいいですよ。私もそれほど大した腕じゃないですけど、型ならちゃんと覚えてますから教えられますし」
宥めるように言ったがクレオリアは苦いものを食べた時のような顔になった。
「誰がいつ、騎士になりたいって言ったのよ。型なんて知らなくても戦いなんて勝てばいいのよ」
意外な答えに、クレアはポカンと口を開いた。
「えー、じゃあクレオリア様はなんで剣を習いたいんです?」
「強くなりたいからよ、当たり前じゃない。あと別に鍛えているのは剣だけじゃないわよ。組撃ちや魔力も鍛えてるしね。勝てるなら槍でも弓でもなんでもいいわ。今、剣が習いたいって言ったのはクレアができそうなのが剣だと思ったからよ。剣以外が得意ならそれでもいいけどね」
「強くなってどうするんです?」
公爵令嬢であるクレオリアがいくら個人として強くなってもあまり意味が無いような気がするのだが、これは子供特有の英雄願望というやつだろうか?
「私の夢を叶えるには、一人でも生きていける力をつける必要があるの。だから騎士になりたいわけでもないから型なんて必要ないわ」
「なんだかよく分かりませんけど、騎士になるつもりはなくても強くなりたいなら型をちゃんと覚えるほうがいいと思いますよ」
「それは私が必要だと思えばそうするわ。それにさっきも言ったけど本で読んで自分で練習はしているし。とにかく今は少しでも実戦的な経験を積みたいの」
「騎士を目指すわけでもないなら、私はかまいませんけど。でもさっきから言っているようにこの剣じゃ相手はしませんから」
クレオリアの話を聞いていると強くなりたいというのは、子供の夢想というものより、思ったよりも切実な願いかもしれない。とは言え、身の安全を考えないまま剣を教えることはできない。
怒るかなっと思ったが、クレアの予測とは違い
「分かった」
と、あっさりと後ろを向いて歩いて行ってしまった。
ずいぶん素直だなと思ったらすぐに物陰から戻って来た。
手にはまた棒を二本持っている。
「ほら、これならいいでしょ」
先ほどと同じように投げて渡される。
受け取ると先ほどの木剣と比べ明らかに軽かった。
枯れて変色した細い枝を数本紐で束ねて太くしている。長さは同じだ。だが、枝自体の密度が薄く、軽いのに加えて、束ねた中心部分に空洞があるために、太さが同じでも随分と軽い。
「これは?」
見たことのない種類の木剣だ。
「竹刀を参考にして自分で作ったの」
「シナイ?」
「知らないなら気にしないで。焚き付け用の乾燥して軽い枝を束ねてるだけだから。それならいくら強く打っても怪我はしないでしょ?」
確かにクレオリアの言ったとおり、この剣なら打ちどころを間違えても大事には至らないだろう。これだけ軽いとクレアが仮にクレオリアに打ち込んだとしても、コブができるかどうかも微妙なところだ。もちろん打たれれば悶絶するくらいには痛いだろうし、子供相手では気をつける必要はあるが。
「これはいいですね。こんなのがあるならなんで最初から出さなかったんですか」
「これだけ軽いと扱いが真剣とかけ離れすぎてるでしょ。それに軽すぎると逆に扱いづらいしね」
そう言って、クレオリアは距離を取った。
「じゃあ、時間も勿体ないし、さっさと始めましょ」
「あ、待ってください」
早速構えようとしたクレオリアを止める。
「なによ」
やる気を泳がされたクレオリアが睨んできた。
「やる前に帝国貴族の試合作法を教えておきます」
「いらない」
にべもなく言われた。
「簡単ですし、試合の最初と最後の礼だけですからちゃんと守ってくださいね」
クレアも別に礼儀作法に拘っているわけではない。
打ち合いの前後にきちんと作法を守らせ、区切りをつけることで少しでも理性的に稽古に望めるように、そして撃ちあった後に遺恨を残さないためだ。子供のうちは感情の制御が不安定なために、激情に囚われた行動を起こさせないためである。 クレオリアの様に負けん気の強そうな子供には必要なことだと思ったのだ。
「まず、私がやってみせますから、同じようにしてください」
「いらないんだけど」
「剣術の稽古をつけて欲しいんでしょ?」
「……やり方は本で読んだことがあるから知ってるわ」
「でしたらきちんと礼をしてから」
不満ながらも了承したのを確認してから、クレアは木剣を腰にさしたように持つ。鞘はないのであくまでも腰に納刀した体で左手で鍔元を持った。空いた右手を握りの部分にそっと当て、背筋を伸ばして、クレオリアをぐっと見つめた。
クレオリアも同じように左手で帯刀し、右手を柄にかけている。
二人は同時に木剣を抜く動作をすると、そのまま抜いた剣を片手のまま下げた。
ゆっくりと確かめるようにお互いが近づき、完全にお互いが刃圏の内にあるところまで来る。
それから下げていた剣を持ち上げると、手首を返し、剣を相手の首元、向かって左にそっとつける。そしてまた手首を返し、お互いの剣が当たらないようにゆっくりと今度は右側の首に刃を添わせた。
二人がまたゆっくりと距離を取る。そして剣を相手に向かって構えた。
クレアは両手で剣を臍の位置に正眼に構える。
クレオリアはまだ小さな体をさらに沈ませるように腰を落とし、剣は片手で握って半身になっている。それは長剣よりも、片手剣、それも細刺剣を扱うときのような構えだった。
「では」
クレアが試合開始を短く告げた。




