006 ダメ公爵様と若手官僚、心配事は平行線を辿る。
辺境の地、ギルベナ。
この地を治めている帝国貴族。それがオヴリガン公爵家である。
元々の興りは300年前、皇帝の後継者争いに負け、臣籍降下させられたあげくに、この地に封じられたのがこの家の起こりだ。
流刑王子オヴリガン。
初代オヴリガン公爵は、次期皇帝の座を狙っていこともあり、歴史家の評価も低くはなく、英雄と呼ぶに相応しい人物の一人だったそうだ。王国との第一次異人戦争での活躍は今も英雄譚として伝わっている。
彼がこの地に流された時に、異世界人の英雄や、工人十二家のシクロップ家が付き従っていたことからもその英雄性が垣間見れる。
では、現オヴリガン公爵はどうであろうか。
悪い人間ではない。
それが補佐官であり、監視役でもあるラウールの評価だ。
治副司であるラウールからすれば仕事に熱心ではないことは問題ではあるが、私利私欲に走るタイプでも、帝都から離れていることを利用して謀反を企む様なタイプでもない。
もちろんここは流刑地ギルベナである。もとより私利私欲に走れるほど豊かでもないし、この地でどんなにがんばっても謀反など起こせるわけもない。そもそもそんな害悪領主であったなら十年前にソルヴ・アーガソン率いるアーガソン商会によって排除されたに違いない。
現オヴリガン公爵スコット・オヴリガンは今、その丸々と太った体を震わせ、顔面は喜びに満ち溢れていた。
三十男が体をくねらせているのは、あまり見た目気持ちのいいものではないが、帝都のエリート役人でもあるラウールはそんなことで表情を変えたりはしない。ただ眉を一瞬動かしただけだ。
「おお! ラウール! 見てくれ。可愛いじゃろ? 可愛いじゃろ? うちのクレオリアちゃん、可愛いじゃろぉぉ!」
「ああ、そうですね」
もう何十回も聞かれた問いなので、ラウールの返事も愛想がない。が、スコットはまったく気にした様子はなく、うんうんと頷いた。気にするくらいなら何十回も同じことを言ったりしない。
「じゃろ~!」
と、これまた何十回もくりかえしたリアクション。
「スコット卿、あまり騒いでいるとまた怒られますよ」
貧乏貴族なので、出産は自宅ではなく大地母神教団の運営する産婦施設で行われた。その為他の赤ん坊も、一人だがいるし、保育係のシスターも数人いる。
「おお、そうじゃな!」
言いながらも返事がでかいことが彼の興奮の度合いを表しているし、騒いでいれば怒られるということが、彼の立場も表している。
先日、公爵スコット・オヴリガンの第三子、長女としてクレオリアが生まれた。
それが目の前で眠る赤ん坊だ。
生まれたばかりの時は泣き止まず、乳を口にしなかったことから随分心配されていた。漸く口にしたかと思えば、今度は泣き声もあげず、ぐったりとしているか、今のように眠っているかという有様。そういうこともあってますますスコットが溺愛しているのは、まあしょうがないことかもしれない。
そんなスコットは騒ぎすぎだとは思うが、ラウールもすやすやと眠る寝顔を見れば、確かに美しい赤ん坊だとは思う。
母親が帝都社交界の花と呼ばれた女性であることが、もちろん大きい。
そんな女性を貧乏、肥満、田舎者の三重苦貴族スコットが妻に迎えられたのはちょっとした奇跡と呼ぶに相応しいが、そういえばスコットも痩せれば整った顔をしているし、清潔感のある顔立ちだから、その子供が美しいのも納得できる。しかし、ラウールの目を引いたのは、このクレオリアから感じる潜在魔力だ。生きて成人になれるか分からない儚い生命力とは真逆の、魔術師としての素養がないラウールが感じるほど強い魔力があるようだ。司祭たちが騒いでいたほどだから、もしかしたら、『恩恵』持ちの可能性もある。
「スコット卿、クレオリア様の検査はなされましたか?」
「んん? あたりまえだ! 五体どこにも問題はない。珠のような女の子じゃないか!」
「いえ、健康面ではなく保有魔力や『恩恵』保持者かどうかの検査のことです」
「……まあ、お主の言うこともわかる」
その答えにラウールはスコットを少し見直した。ラウールがスコットの補佐役として派遣されて4年。まったく仕事に関心を持たず、『ギルベナの引篭もり』などと陰口が叩かれるような男だが、腐っても公爵。見るべきところは見ていたと言うことか。
「こんなに可愛いんじゃ『恩恵』持ちには違いない」
ん?
「しかし、検査せんでもわかるじゃろ、これだけ可愛いんじゃから。クレオリアちゃんの可愛らしさは検査要らずじゃね~」
感心して損したよ!
内心で悪態をついたラウールだったが、意外と悪くない選択だとも思える。臣籍降下したオヴリガン家ではあるが、皇室の血筋をひく公爵家でもある。美貌の面で将来有望そうなクレオリアだ。それだけでなく優れた才能の持ち主なら皇室に食い込む良い手札となりえる。『恩恵』持ちならなおさらだ。スコットが後宮に入れるつもりがなくとも、中央の狸貴族どもが聞きつければ、勢力拡大に利用しようとすることは間違いない。将来帝都官庁に帰るラウールにとって政局の火種になりそうなクレオリアは、やっかいな存在であるのは間違いない。それをスコットが我が子可愛さで飼い殺してくれればそれが一番に思えた。それに加えてラウールはこの辺境貴族であるオヴリガン家が、中央の汚い世界に引きずり込まれて欲しくはないという思いも、少しあった。
まぁ、少しだが。
ラウールは、心中で一言付け加えてから、クレオリアの寝ているベッドから視線を移した。
そこにはもう一つのベッドと、赤ん坊が寝ているのが見えた。
ここは大地母神の教団が運営する治療院にある産婦施設。その特別保育室である。
皇室や裕福な者達は普通自宅で子を生む。保安の意味でもそうだし、出産スタッフの質の面でもその方が安心できるからだ。この時代でも死亡率が一番高いのが乳幼児であることは変わらない。なので彼らは大金を払ってでも出産の環境を整える。事実、ソルヴ・アーガンソンの一人娘は帝都から招かれた産婦人専門医が取り上げている。
しかし、中流以上ではあるが、専門家を個人で雇えない場合はどうすればいいかというと、オヴリガン家の様に大地母神教団が運営する産婦施設で出産することになる。ここならば、産婆経験豊富者もそろっているし、万が一の場合の医療従事者も勿論いる。
それなりお金がある家庭ならば大体が教団の産婦施設で出産するのが一般的だ。もちろん山村の農耕階層となると、村のおばあさんが出産を取り仕切っている。
さて、このサウスギルベナの産婦施設。その特別保育室は個室ではない。
さすがに、公爵家のような身分の家と、他の一般家庭を一緒くたにするのは保安上問題があるので分けてはいるが、個室にするほどの余裕はない。
つまり、この部屋にいるということはギルベナの有力者、身元が確かな家であるということだ。
「スコット卿、こっちの赤ん坊が誰の子かわかってますか?」
「いんや」
興味なさそうに、スコットが答える。視線はクレオリアに向いたままだ。
ラウールもスコットが関心を持つことを期待していたわけではないが、一応調べておいたことをスコットに教えておいた。
「こっちの赤ん坊の産院手続はアーガンソン商会が行ったそうですよ」
「ふーん、女の子?」
「いえ、男児ですね」
「じゃあ、駄目じゃな。クレオリアちゃんの乳姉弟にはできないのぉ」
どこまでも親ばかなスコットは放っておいて、ラウールは思案にふける。
アーガンソン商会が手続や支払いを行ったということから、ラウールはこの赤ん坊の素性を自分なりに調べてみたが、両親がわからない。母親らしき人物が入院しているという形跡もない。
分かったのはエドゥアルド・ウォルコットという名前のみ。
が、推測するに総帥ソルヴの隠し子か、妾の子供。そんなところだろう。アーガンソン商会がワザワザ特別室を取って生ませた子供である。使用人の子供ということもあるまい。ソルヴの側近というならそれなりの重要人物だが、それなら両親の名前を隠す意味がない。正式な子供なら商会名義である必要はないし、そもそもアーガンソン家なら自宅で出産となるだろう。
そう考えると、一番しっくりくるのがソルヴの正式でない子供だ。そして火遊びの末にできた子供と言うならそれはアーガンソン家だけの問題である。ラウールの知ったことではない。
しかし、とラウールは顎に手をやってもう一つの可能性を考えていた。
それは、それはソルヴの血筋ではないが、アーガンソン商会が出産させた場合である。
そうなると随分きな臭い話になってくるし、ラウールの領分となってくる。
治副司。
それがラウールの役職であり、もう少し言うと、治副上司というのがその身分だ。『上』は官僚内の地位であるので、普通は治副司と名乗る。
治副司とは、帝国中央官庁から地方領主達に派遣される役人で、その役目は領主達の補佐、中央との連絡などを行う。
が、最も大切な役割は、地方領主達の監視である。広大な領土を持つ帝国。その遠方で領主たちが勝手をしないように監視するのが治副司である。その為、税金や重要な軍事行動には彼らの承認書が必要なのである。
とはいえ、実際のところ、各地の治副司がその役割を十分に発揮しているとは言えない名ばかりの役職であった。彼らと領主達との関係はその領主の力に依存しており、治副司になるのは『上』より低位の『下』の身分にある若手役人達だ。自ずと力関係の天秤は領主達へと傾く。
ではラウールの場合はどうだろうか。
ラウールは若いながら『上』の地位にあり、3年も経てば帝都に戻る。そして直属の上司である宰相の腹心としてエリート官僚の道を歩くことになるだろう。
では、なぜ辺境の地ギルベナ、貧乏公爵オヴリガン家に派遣されたのか。
それはオヴリガン家ではなく、ソルヴ・アーガンソンを監視偵察するためだ。
10年前、突如アーガソン商会は拠点を辺境の地ギルベナに移し、ソルヴ・アーガンソンも帝都から姿を消した。政商としてあっと言う間に帝都でのし上がったアーガンソン商会が、突如として帝都からの撤退を決めたのである。誰もがその理由が分からず首を捻った。その後アーガンソン商会は王国との貿易を開拓し、帝国と王国間の貿易を独占してはいる。しかし、その利益は微々たる物だ。当時、アーガンソン商会が帝都で握っていた力に比べるまでもない。
様々な憶測が流れ、やがて人々はソルヴ・アーガンソンが辺境の地ギルベナと王国間貿易の将来性を見誤ったのだという結論に達した。
しかし、である。
4年前に宰相に就任した青年はそうは考えていなかった。
彼はソルヴ・アーガンソンとアーガンソン商会を帝国にとっての要注意人物と見て、腹心であるラウールを派遣した。
ソルヴを監視し始めて4年。
確証はない。だがラウールもソルヴ・アーガンソンを危険人物であると考えている。その財力は、帝都時代とかわりはなく、そして、食客として優秀な魔術師、軍人、冒険者などを集めて私兵団を組織している。その規模は商会の警備というにはあまりにも過剰な規模だ。
何より、ソルヴ・アーガンソンという人物を実際に見て、その考えをより固いものとした。
一言で言うなら、ソルヴは怪物だ。
その欲は底知れず、その器も底知れない。
決して、商人ではない。ラウールのような一役人には掴みきれない人物であるがそれだけは分かる。
そのアーガンソン商会に関係する赤子。
何か裏があるようにしか思えない。
「オヴリガン公爵様」
育児係のシスターが声をかけてきた。どうやら面会時間が終わったらしい。
渋って、出て行こうとしないスコットが、シスター達に引きずられていく。
ラウールもその後について部屋を出ていった。
そして、事件は起こる。
クレオリア・オヴリガン。
エドゥアルド・ウォルコット。
二人の赤ん坊が、何者かによって連れ去られたのである。