15 さよならの準備
烏帽子姿の平安貴族のいでたち。
それが僕の師匠、セドリック・アルベルト。
西洋風な名前で中性的なIKEMEN! な風貌だが、紛れも無い日本人らしい。
師匠は千年前の日本から三百年前の建国直後の王国に召喚された。
現在は土地神の様な存在になって、帝国西にある大山脈の庵に住んでいる。
灰魔術、積道の呪文が日本語なのも、このセドリック・アルベルトという日本人が開発した魔術だからである。この辺りは十八年間前世で日本人をやっていた僕には有利に働いた点だろう。
僕はこの師匠の後継者候補として、積道の開祖から灰魔術の手ほどきを受けているわけだ。
「お師匠様、突然お呼びして申し訳ありません」
手を膝に置いたまま深々と頭を下げる。一応弟子なので礼儀は気をつけなくては。
こういう礼儀作法もこちらの世界に来てから、師匠に教えてもらった。
「一週間ぶりかな」
こうして会うのは言うように一週間ぶりだった。
以前と違い、そう自由に会うことができないからだ。
理由は僕の、魔力耐性値のパラメータが予想外に成長して、遠方にいる師匠では僕の精神に干渉することができなくなったから。つまり今は僕が自分の夢の中に『箱庭』を作成、そこから術を行使して西の深山にいる師匠に連絡。師匠の意識の蔦を側まで伸ばしてもらい、それを僕が受け入れ許可するという、なんとも面倒くさいことになったのだ。
魔力耐性の高さは灰魔術師の重要な要素だから、喜ばしいことなんだろうけど、それに伴って色々と不都合な点も出てきた。いくつかは致命的でさえある。
「定時連絡までもう少しあると思ったが、なにかあったのかな?」
師匠に僕は頷く。そして今僕の現世で置かれている状態を話した。
「緑柱草から抽出したという麻酔剤だね」
師匠の言っている緑柱草というのは、ギルベナの荒野に自生している草、というのか木というのか。わかりやすく言えば、サボテンである。ただし、七支刀みたいな形ではなく、トーテムポールみたいにズドーンとしている緑色の木くらい茎が太い草である。
僕は、この緑柱草から麻痺剤を精製した。原材料は家の裏が山と海でそこで一本手に入れた。まだ町の外に出ることはさすがに許して貰えない。元の知識はいつも通りジガ様の蔵書である。だから黒魔術の薬学知識なんだが、精製の方法なんかは詳しく載っていなかったので、師匠の灰魔術分野の製造方法を元にしている。
僕の話を聞いた師匠が口を開いた。
「体調に異変は?」
「ええっと、そうですね。気を失う前に気分が高揚しました、それもかなり強く」
「ふむ、それは改良の余地ありですねぇ」
「はい。別のモノに使えそうですけど、体に害があるかは経過をみないと分かりませんね」
「しかし、あなたまで麻痺してしまった原因はなんです?」
少し呆れているのがわかって、気恥ずかしかった。
「噴霧器の作りが甘かったみたいです。僕の自作ですからね。そこから漏れた煙を吸ったのが原因みたいです。思ったより麻酔剤の効果が高かったのもあるかと。本当なら少し痛覚が鈍る程度のはずですから、そういう意味では錠剤に凝縮したり血管に直接注入するより、よかったと思いますよ。改善点としては噴霧口を患者の口元につけられるようにして、噴霧器自体もやっぱり職人に作ってもらったほうがいいですね。たとえば水煙草のパイプを口元だけ広げる感じで」
「となると……」
師匠がトレードマークの扇を顎に当てる。
「やはり協力者を見つける必要がありますねぇ」
師匠とは以前から灰魔術師の修行と、異世界の知識隠匿のためにもう一人仲間を探そうという話はしていたのである。
いや、今でも実は師匠以外にも、というか師匠のお付きみたいな人の魔族に体術と魔術師修行を見てもらっている。つまり今でもメインのセドリック師匠とアシスタント二人って感じなのだ。だから数は十分すぎるほど十分。
しかし、今言っているのは、現地スタッフみたいな人のことだ。
現実世界での師匠というのか、資金面でのパトロンというのか、カモフラージュのための張り子の師匠というのか。特にここ一年ほどは気軽に『箱庭』による連絡もできない。
だがセドリック師匠も、その魔族の二人も会えるのはこの『箱庭』の世界だけだし、秘密にしなければならない存在だ。
というのも、僕の家があるのはアーガンソン商会の敷地内で、僕はそこの見習いという話は先の通りなのだが、その敷地内は黒魔術師であるジガ様の結界が貼ってある。効果は呪いの防御と魔力探知。また従業員の中には只者でないのも沢山いるというのも同じだ。
この世界に来て六年。
僕の灰魔術師としての修業の成果は、もう隠しておくには限界に来ていたのだ。知識にしてもジガ様の本を読んで、六歳の子供が作ってみたというには説明がつかなくなっている。
事実、ソルヴ総帥やジガ様達、アーガンソン商会首脳陣は僕に『何か秘密がある』と思い始めているのは間違いない。今は屋敷内での修行や研究をやめて、この貧民街と『箱庭』で行なっているが、近いうちに尾行なり調査なりが始まるだろう。それにやはり現実社会で自由に修行や研究ができないのはかなり不便だった。貧民街での『治療』だけでは不十分だ。というか、それ自体がかなり異常なことだし。その証拠に僕は頭のおかしいような二つ名が六歳で付いているみたいだ。
「やはりクレオリアさんに話してみるのが一番だと思いますが、決心はつきましたか?」
師匠が言うとおり、姫様をその協力者の一人にするのも有効な手である。
公爵邸は師匠が三百年前に積道による防御結界を張った屋敷で、秘密の保持にはぴったりだ。
おまけにクレオリア・オヴリガンは上郡美姫という名前を持っていることからもわかるとおり、僕と同じ日本人で、僕と同じ転生者で、僕と同じ歳だった。学校も、クラスも同じだった。人気者とモブという違いだけで。
つまり協力者として彼女以上の適任者はいないと考えていたわけだ。
「あ、そうそう、師匠そのことで適任者を見つけたんです」
僕は師匠の投げかけた言葉をごまかすように、師匠を呼び出した用件、出会った灰魔術師について話す。
「シングウ? の地位を持つ積道師ですか?」
「ええ、その真宮というのは教師としての資格もあるそうですよ」
言っているのは現実世界の僕の足元で気を失っているナイジェルさんのことである。
「真宮ですか。今はそんなに地位が細分化されるほど発展しているのですかね」
少し嬉しそうな師匠の言葉を伺いながら、話が逸れたと思い、そのままの流れで進めることにした。
師匠は二百五十年前からは西の深山で霊体となっているので、今の灰魔術師業界の情報には疎い。
「詳しくは分かりませんけどね。で、そのナイジェルさんを僕の師匠としてアーガンソン商会に紹介しようと思っているんです」
「なるほど。しかしエド、上手くいきますか?」
「ええ、目算はあります。彼は盗賊ギルドに借金がありましが、うちの総帥は顔が利きますし、お金持ちですから、肩代わりするのは簡単です。そしてソルヴ総帥はやり手の商人ですから、金貨十枚程度で、積道師を囲い込めるなら安い買い物と考えるでしょう」
「しかし、借金をして盗賊ギルドから追われているような人間が信用できますか?」
その言葉に僕は肩をすくめてみせた。
「その人物評価は総帥様がやってくれますよ。ナイジェルさんも失敗すれば盗賊ギルドに引き渡されるわけですから一生懸命頑張るでしょうし。僕はナイジェルさんを総帥に紹介するだけ。その後に、無事従業員になったら、僕は彼に師事するという形で灰魔術師見習いとしての社会的証明を得ると。まあ、でも……ちょっと話した感じではいい加減だけど、悪い人ではないかと思いますよ。だらしなさそうですけどね。灰魔術師としての手際もそれなりみたいですし」
「そうですね。言ってみるのはタダですからねぇ」
師匠は納得いったのか頷いた。しかし、
「ただし」
片目を細め、もう一方の眉をキュッと上げる。そして手の扇で僕をズイッと指してきた。
「クレオリアさんにはすぐにでも話すべきですよ」
逸らしたと思った話が戻って来た。
「えー、あー、うん、わかってます」
口ごもる僕に、
「遅くなればなるほど、話はこじれるのですからね」
と、僕にだって分かっていることを言ってくる。
師匠の言っているのはクレオリア、つまりは上郡美姫との約束のことだ。
六年前姫様は、僕に迎えに来るように言った。
そして僕たちは日本に帰るために共に行動を開始すると。
約束の六年が経って、数ヶ月。
僕はまだ彼女に会いに行っていない。
迎えに来てね、と言われたにもかかわらずだ。
彼女のことを忘れたわけじゃない。
ギルベナの美しき神童、クレオリア姫の噂はよく耳にする。
約束を忘れたわけでもない。
それでも僕は会いに行っていない。
それは決心がつかないからだ。
会う決心ではなく、話す決心。
彼女に『嘘』をつく、という覚悟。
「師匠は、僕にどうして、まだ……」
はっきりと言葉にするのが怖くなって、語尾が尻すぼみになる。
それでも言いたいことがわかったらしい師匠は、瞳を細めて僕を睨んだ。
「私は考えを変えてはいませんよ。そして現状がどうであれ、あなたの成すべきことが変わるわけではありません」
その目が怖くて、僕は顔を伏せた。
分かってる。
やらなきゃいけないことは変わっていない。
師匠の灰魔術の技術を今の人に伝えること。
上郡美姫を日本に帰すこと。
僕は、この世界で唯一、僕が日本人であった時のことを覚えている人に、嘘を吐いて、隠さなければいけない。
それは確定していない、しかし確実にあるだろう未来についてだ。
僕はきっとセドリック・アルベルトの後継者になれなくなる、ということ。
そして、
僕は一緒に日本には帰れない、ということ。
つまり、
僕はもうすぐ死んでしまうだろうということを。




