05 お姫様は赤くないけど三倍です。だって金色だもの
「そういえば、お嬢様はどちらに?」
その言葉は、宰相から公爵家の長女についての素行調査を命じられていたことを思い出したわけではない。単にこの場にオヴリガン公爵家の邸宅に住んでいる四人の内三人が揃っており、残りの一人の姿がないことに気がついただけの話だ。
「クレオリア? 自分の部屋にいるんじゃないかな」
「お嬢様はシクロップのご姉弟とお庭に出られたようです」
マヨイがスコットの言葉を訂正する。
「ああ、お友達が来られているんですか? じゃあ遠慮した方がいいですね」
「うん?」
「お嬢様にもご挨拶をしておこうかと思って」
そう言ったクレアに、ニレーナ夫人が微笑む。
「ああ、それなら今の方がいいかもしれないわ。あの子はお部屋で本を呼んでいる時は声をかけても気がつかないから」
「サウスギルベナの神童の話は帝都でも噂になっています。クレオリア様は一歳の時に本を読めるようになったという話を聞いたのですが?」
クレアの言葉にニレーナとスコット夫妻が楽しげに笑い声を上げる。
「さすがにそれはないわ。あの子が専門書を読みだしたのはここ数年の話だもの」
「やっぱり専門書を読めるんですね。まだ六歳ですよね?」
「ええ、我が家では唯一魔術師の才能がある子だそうだし、勉強も運動も得意な多才な子だとは思うけれどいたって普通の子供よ」
「ワシとしても無事に育ってくれるだけで満足なんだよ」
「帝都へやるおつもりはないんですか?」
「うーん、本人が望めばね。社交界へは出すつもりなんて全くないけど、学園学院へは本人の希望次第だね。あの子なら学院の特待生試験も通るだろうし、ただ私達としては上に男の子が二人いるから家督の心配もないし、クレオリア自身も生まれた時からいろいろ大変な目に会っているから無事に大きくなってくれればそれで十分だよ」
「ああ、六年前の……」
クレオリア嬢が生まれた直後に誘拐されたことは引き継ぎの際に報告書を読んでクレアも知っている。
「うん、それに生まれた時は体も弱かったからね。三年前の疫病騒ぎの時には肝を冷やしたもんさ」
「聞いています。街の子供達にも随分被害があったとか」
三年前にギルベナ地方で流行した疫病。その事のほうが治副司であるクレアには関心があった。
三年前。
このギルベナで流行った疫病は魔病の一種である。
魔病とは魔素、魔力が原因で発生する病気なのだが、三年前にギルベナで流行ったのはその一つ。原因は瘴土化した土地で育った食物を食べたことが原因で発症するタイプのものだ。
ギルベナで流行したものは大豆が原因だった。
元々荒地でも育ちやすいためにギルベナではよく食べられている食物だったが、それが汚染されたために一気に被害が広がり、しかも感染症でもあったために歯止めが効かなかった。結局抵抗力が弱い高齢者と子供に死者が多数出る結果となった。確か報告書では百人近い死者が出たはずだ。
もちろんこれは把握できている住民だけで、貧民街での被害は正確な数字がない。しかし衛生環境がより劣悪な貧民街の被害は推して知るべしだろう。
「だからねぇ、ワシとしては少々ヤンチャでも元気に育ってくれたらそれでいいんだよ」
少ししんみりした声のスコットの様子に、クレアは自分の両親のことを思い出した。
落ち着いたら手紙でも書いてみようと思う。
しかし、つくづく呪われた土地だと思う。
帝国がこの土地に三百年間無関心だったのも人が住むにはあまりにも過酷な土地だからだ。
三年前の疫病流行の時には街道が封鎖され、人と物の流れが止められた。
税も取らない代わりに助けもしない。それが帝国のギルベナ統治だった。
「えっと、それじゃあお嬢様に挨拶させていただけますか?」
「そうする? 裏庭へはそこの廊下まっすぐ行けば厨房があって、そこの扉からいけるから」
「先にお部屋にご案内いたしましょう」
マヨイの言葉にクレアは手を軽く振って断った。
「あ、いえ。一言挨拶するだけですから」
クレアの言葉にスコットも頷く。
「ゆっくりとした話は夕食の時にでもしようか。とりあえずそれまでは自由にしていいよ」
「じゃあ、厨房に行くついでに案内するわ」
ニレーナ夫人が立ち上がった。
夫人に案内されて廊下から食堂へ、そしてそこにある裏口から外に出た。
夫人は夕食の用意があるらしく、クレアは一人でクレオリアに会うことになった。
しかしいきなり一人で会いに行って変な人間だと思われないだろうか。
第一印象から躓かないように慎重にいかなければなるまい。
ようやく分かりかけてきたが、この家のルールは自分のことは自分でやる。まさに『働かざるもの食うべからず』なんだろう。
行政区画としては最大である『地方』の領主としては聞いたことはないが、クレアも貧乏貴族の出身なのでそれに不満はない。
オヴリガン夫妻はとてもいい人に思えるし、執事のマヨイも顔つきは怖いがいかにも仕事人という感じで人当たりはそれほどわるくない。
貴族の中には差別意識や横暴な人間、それも生き死にに関わるレベルの人間も少なくないことを帝都での生活でクレアは知っている。それに比べれば随分ましだと思えた。それどころかクレアの若さは最初に二の足を踏んでいたのをすっかりと忘れたように、スコット達の『治副司の腕次第』という言葉にやる気になっていたのである。
まずは、とクレアは気合を入れた。
宰相から言われているクレオリアの人物調査である。
投げやりにするつもりはないが、こんな雑事よりも領地経営に尽力したいからさっさと片付けるつもりだった。
厨房の裏口を出ると屋敷と外壁に挟まれた細い路地で、その先に開けた場所が見えたから、そこが裏庭なのだとわかる。
小さい屋敷なのですぐに出た。
「!?」
裏庭には数人の姿が見えた。
しかし、クレアはその中の一人に目を奪われる。
百八十センチはあろうかという男が、上半身裸で、棍棒を構えて雄叫びを上げていた。
その前には同じように棍棒を構えている女子の姿が見えた。
男の方は長い頭に、頑丈そうな顎。ギョロリとした眼つきで、凶悪そうないかにも貧民街出身の野盗のたぐいに見える。体つきも脂肪のない鍛えられた筋肉を持っていた。
そんな男が殺気を帯びた雄叫びを上げているのである。
クレアは咄嗟に腰に差していた剣を引き抜いて、男から少女を庇うように前に出た。
「下がれ! 悪党!!」
出来る限り気合を込めた声で相手を威嚇する。
学院の騎士科の卒業だが、実戦は殆どなく、人間相手には初めての経験だ。
大声を出したのは自分を鼓舞する意味合いもある。
男は突然の乱入者に驚いているのか、キョトンとした顔つきに変わった。その顔は少し幼くもしかしたら実際にまだ若いのかもしれない。
「馬鹿」
それはクレアにかけられた言葉だったがその時は理解できなかった。
言ったのは襲われていたのとは別の少女だ。
年の頃は十歳位。真っ赤な髪をショートカットにしている。ニレーナ夫人のような茶色がかった赤毛ではなく、文字通り鮮血のような赤い髪。
その少女が呆れたような声で言ったのだ。
「あ」
男が間の抜けた様な声をだした。そして男と赤毛の少女の視線がクレアではなく、その背後に向けられていた。
男と少女の顔があまりにも自然に、そして殺気のない表情だったために、クレアも思わず後ろを振り返った。このあたりがクレアが騎士になれなかった原因だろう。とはいえ、振り返ろうが、咄嗟にその場から逃げようとしようが、その後の結末に違いはなかったのかもしれない。
振り返ったクレアは見た。
両手を白鳥の羽のように広げ空高くジャンプする金髪の幼女を。
「邪魔!!」
烈帛の声とともに、少女の細い脚がしなり、見事な飛び蹴りがクレアの頸動脈に決まる。
「ケプっ!」
妙な声がクレアから漏れた。
体から力が抜けて、膝をついて、そして仰向けに倒れる。
そのクレアに人影がゆっくりと歩み寄った。
太陽を背に、金髪碧眼の美しい少女が見える。
まるでそれが、後光が差してきているようだとクレアは思い、
そして意識は闇へと落ちていった。




