EX05 夜刀神と幼子 伍
そうして、一月ほどがたった頃だ。
この頃になると、色々と我の境遇にも変化が出てきた。
まずこの『箱庭』という仮想世界の中で自我を確立、つまりエドの言う表層意識がこの世界と混同するのを防ぐ、簡単にいえば思っていることがエドに筒抜けになることはなくなった。まあ、隠すことのない我には小さなことだが。
次に我はエドの師という人物に会うことが出来た。
これが最も大きな驚きであり、我にとって喜悦な出来事であったかもしれない。
なんとこの師という人物。セドリック・アルベルトとかいう人の灰魔術師。この雄は三百年前に我が生まれた時にいた、あの海岸線の街で、金の人の側にいた灰魔術師であった。
まさか、泡沫の寿命でしかない人でありながら、三百年後に再び会うことができるとは。
エドには彼らと同じ匂いがすると思っていたが、なるほどこの灰魔術師の系譜の者であったのか。
さすがにあの金の人はもうこの世には存在しないということが分かったが、それが普通であって、セドリックとこの三百年後に再会出来たことが僥倖なのだ。
哀しいことという程ではないが、セドリックと再会してあることが確定した。
それは我のギルベナの闇、滅びと再生を司るという存在意義はもう失われたということだ。
セドリックが言うには、我は『司神』という進化をする魔族である。その我があの盗賊どもに破れ、力の大半を失った時に、我の役目も失われたのだという。対である、本来ならば決して交わることのないこの海岸の街に我が来ることができたのがその証拠なんだそうだ。
半ばというかほとんど諦めていたことなので悲しみや苦しさはない。
正確には最早我には悲しむだけの存在意義も無くなっていた。我はエドの雫を啜るだけの存在。
代わりにセドリックは、エドの体から出ても生きられる方法を教えてくれた。
それは依代となる生き物の体を用意して、その体を乗っ取るという方法だ。
その生き物の内在魔力と外界魔素を吸い取りながら、力を取り戻すというのだ。
ただ、この方法は適正が合わなければならないし、依代となる生き物自体に力がなければ我を受け入れることはできない。そもそも新しい『存在意義』も必要だ。
一時であれば問題は無いのだそうだが、長時間、それこそ復活できるほどの期間、我が魔力を生み出し続けると、力なき者は内部から破裂するのだという。おまけにその依代は死体であっては意味が変わってしまうらしく、なかなか適正のある依代を見つけるのは難しそうだった。
その意味では、エドと我の相性はよい。またエドの依代としての器はとてつもなく大きい。これでもまだ成長段階というのだから、将来的にはどれほどの器になるのか。
セドリックからは
「ですので、壺の中に水滴を垂らすようなものです」
と言われた。これは警告の意味だ。我がエドを依代として乗っ取ろうとしても無駄だと言っているのだろう。
不快な話である。
もちろん我にそんなつもりはない。おそらく理性を持たぬ動物かなにかを依代にするとかそんなことになるだろう。果たして我を受け入れるだけの器を持っている生き物がエド以外に現れる幸運に出会えるのかはわからないが、気長に待つしかないだろう。
それに存在意義の失われた我が肉体を得て現実の世界を歩けるようになったとして、もう帰る場所はないのだ。存在意義こそがすべての根幹にある魔族にとって、今の我は生ける屍だ。いつしか、早晩に、自我を失い単なる魔物として次の生を終えるだろう。
だいたいが、エドにとって害があるというなら、このセドリックという灰魔術師のほうが疑わしい。
なにせ不可解な存在すぎるのだ。弟子のエドもおおよそ不思議な思考の持ち主だが、性根はのん気で害のない童だ。
しかしこのセドリックという師匠の方は、人でありながら寿命と肉体という縛めを抜け出し、隔絶の力を持ちながら人の世界と離れ山奥で暮らしているという。
この者の魂面という存在にも出会ったが、その力は我がギルベナの闇の王であった時よりも強力な魔族であった。しかもそれを二匹も従えている。
その智慧と力には恐れを感じずにはいられない。そんな灰魔術師がエドを自身の後継者として育てているということだが、何か思惑を感じられてならない。危険なものを感じた。
我はセドリックにも、エドに我の力を取り込むことを話したが、師匠であるセドリックは賛意を示した。しかしそれも何か肥え太らして平らげようと考えているのではと疑ってしまう。
こういうと、なにやらセドリックよりもエドの方に肩入れしていると思われるかもしれないが、それは事実だ。
我はこの一月ですっかりこの童を気に入っていた。我と対の存在、海岸線の人であったセドリックよりもである。
魔族の他者との関係にとって大切なモノは、相性と因果応報である。
今となっては魔力供給のほぼ全てをエドに頼っている。つまりそれは我という存在のほとんどがエドと混ざり合っているという意味でもある。
我を救ってくれたエドには恩を感じているのはもちろんだが、これほど相性の良い存在にであったことはない。肉体を持っていた頃ならばつがいとして子をなしてもよいと思えるほどだ。普通の『司神』には子は成せぬが、我は自分の眷属を生み出す能力があった。まぁ、子と言えるかというと正確には違うのだが、つがうことはできる。そのことをエドに話すとまた『ぎゅっ』とされた。
とにかく、存在意義を失った我にとっては、海岸線の街の人であったセドリックよりも、相性の良いエドに味方するのは当然だった。
願わくば、早くエドが我を受け入れる気になって、この力を引き継いでくれればいいのだが。
もうひとつセドリックから教えてもらったことと言えば、我が何という魔族と呼ばれているかである。
我のような人の営みの対として生まれた自然に暮らす魔族、滅びと再生を司る魔族のことを夜刀徴というらしい。とはいえ、自分以外の夜刀徴と出会ったこともないし、もはや力も失ったのだからどうでもいい話なのだが。




