EX03 我が家に天使がやってきた 4
そこに立っていたのは、昼間僕を痛めつけたブディ率いるブディ組にいた、あのヘドニクスだった。
何かが、ポタポタと落ちて来ているのに気が付いて顔を上げる。
ヘドニクスがわき腹を押さえていた。
良く見えないが、手で押さえている部分が黒く変色しているように見える。
「ケガしてるのか?」
「刺された」
僕の言葉に平然と答えているが、落ちてくる血の量を考えると、かなりひどい傷なのがわかる。
「さっきなんで正直に言わなかったんだ」
ヘドニクスが僕に聞いてきた。僕は何のことか分からなかったから、黙って彼を見上げていた。まだ腰に力が入らなくて、両手を地面につけたままなのが格好悪いけれどしかたがない。
「俺が路地に隠れているのに気がついていただろう。なんで言わなかった」
ああ、そういう意味か。
「別に理由なんてないよ。それにだれか気がついていたら、こんなに驚くわけないだろ」
「そうか……」
ヘドニクスは僕のそばに腰を下ろした。いや、ほとんど倒れるように、壁に背を預けた。
やはり、そうとう傷は酷いみたいだ。
「いったいどうしたんだ」
「それはこっちのセリフだよ。貴族の坊ちゃんがこんな夜中に何してるんだよ。たしか名前は……」
「ウェントアース、ウェントアース・オヴリガン。何をしていたかはさっきの話きいていただろ?」
「ああ、妹が……」
「うん。それで……君のほうは?」
ヘドニクスは空を見上げた。吐く息がだいぶ荒くなっている。足を投げ出して、ぐったりとしていた。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫そうに、見えるか?」
「組の仲間は? ブディ達はどこに?」
ヘドニクスは力なく首を横に振った。
「もういない」
逃げたという意味なのか、それとも……。僕もそれ以上聞きたくなかったから聞かなかった。
僕は立ち上がった。
幸いなことに、立ち上がれるようにはなっていた。
「とにかく、誰か呼んで来る」
「やめろ、ほっといてくれ」
「いいから! とにかくじっとしてろよ」
僕は路地を飛び出した。
街中を兵士達がうろついているけど、ヘドニクスの身の上を考えたら、彼らを呼ぶわけにはいかない。
ここからなら、タンガンおじさんの家が近くにあったよな……。
僕はシクロップ家までの道を思い出しながら、夜の闇の中を全力で走った。
……三日後。
今、僕は自分の部屋の中にいる。
事態は一夜あけると、すべて解決していた。
クレオリアは無事、帰ってきた。
それどころか、病気も治っていたらしい。
僕にはなにがなんだか分からなかった。それを僕に話してくれた兄さんにも分からないみたいだったけど。
父上はずっと外に出かけていて家にはいない。母上と妹が地元の有力商人の私邸に移されたからずっとそこに張り付いている。僕たちもそのうち行くことになるだろう。
結局、僕のやったことも、心配も、すべて無駄だったみたいだ。
ヘドニクスは助かったから、すべてが無駄だったというのも違うかもしれない。
いま彼はタンガンおじさんの家で治療を受けている。まだ目は覚めてはいないけれど命に別状はないんだってさ。
そのおかげで、というのもどうかと思うけど、僕はこうして部屋の中で外出禁止の罰を受けているんだけど。夜が明けて僕の姿がなかったんだから、大騒ぎになるのも無理はないし、それが原因で兄さんにこっぴどく怒られたのもしょうがない。
「まあ、いいや」
妹の病気も治ったし、ヘドニクスも助かったし。
僕が妹のためにできたことはない。ヘドニクスも特に知り合いでもない。
それでもよかったと僕は自然に思っていたんだ。なぜかはわからないけどね。
コンコン。
僕は音が聞こえて、そちらに顔を向けた。
「!!」
僕は窓の外を見て、ギョッとした。
二階の僕の部屋の窓の外に人がいる。
ヘドニクスだ。
僕は大慌てで、窓を開けた。
「何してるんだよ!」
「シッ」
ヘドニクスは木の上で、人差し指を唇にあてた。それから僕に窓から離れるように合図を送ってきた。僕が後ろに下がると、ヘドニクスはその大きな体からは想像もつかないほど、身軽に部屋の中に飛び移ってきた。
「よう」
「やあ」
ヘドニクスに僕があいさつを返す。なんか変な感じだ。それは向こうも同じらしい。なにか頬を指でかいて居心地悪そうにしている。いつもは怖くて近寄りがたい雰囲気だけど、今の彼は少しだけ愛嬌があった。もちろん少しだけだ。
「えっと、傷はもういいの? 寝込んでたって聞いたけど」
僕はなんとか言葉をしぼりだして、コミュニケーションを図る。
「え? ああ、このとおり」
彼はシャツを開けて包帯の巻いてある腹を見せてくれた。
「まだ動くと痛いけどな」
「なら窓から入ってくるのやめなよ」
「異民族出身の元盗賊ギルド員じゃ、門からは入れねぇよ」
「元?」
僕はヘドニクスの言葉に引っかかって、彼にたずねる。ヘドニクスはしばらく僕の顔を見ていたが、やがて頷いた。
「ああ、俺ギルドを抜けたんだ。正確には逃げ出したんだけど」
「逃げ出した?」
「ブディが仕事でヘマをして、俺も消されかけたからな」
「え?」
「気にすんな。それで妹は助かったみたいだな」
ヘドニクスは強引に話を変えた。僕はかなり気になったけれど、それは僕が聞くことじゃないのかもしれない。
僕は、気を取り直して、ヘドニクスに妹のことを話した。
僕が彼を助けた夜に無事に帰ってきたことや、病気が治っていたこと。
「不思議な話だな」
それが、僕の話を聞いたヘドニクスの感想だった。
僕もそう思う。
「ところで」
「うん?」
「今日は助けてくれた礼と、別れの挨拶を言いにきたんだ」
ヘドニクスが突然切り出した言葉に、僕はすこしだけ目を大きくして彼を見た。
「別れ?」
「ああ、俺、この街を出て行く」
僕はヘドニクスの言葉を考えた。
盗賊ギルドを裏切ったなら、逃げ出すしかないのかもしれない。
「どこに行くんだい?」
正直に言ってくれるかどうかはわからないけど、一応聞いてみる。
「生まれた部族のところに帰るよ。あそこならギルドの連中も追ってこれないだろうし」
「部族? そこは遠いの?」
いくら彼が年のわりに体が大きくても、まだ僕と変わらない年齢のはずだ。そんなところに一人でいけるんだろうか?
「昔、俺たちの部族が帝国兵に襲われたときに、俺は奴隷として捕まえられたけど、逃げ出してこの街までやってきたんだ。まだ集落があるかどうかわからないけど、なんとなく道は覚えてる」
彼の言葉に、帝国貴族の子供である僕は何も言えなかった。帝国ではもう何百年も幾度となく蛮族征伐のために軍が派遣されている。僕は帝国貴族としてそれを悪いことだとは思わないけれど、彼を目の前にして、それを言うことはできなかった。
「ああ、それじゃあ」
僕はあることを思い出して、自分の机に行くと、引き出しから小袋を取り出して、彼の方に放り投げた。受け取った彼の手のひらで、硬貨が音をたてる。
「おい」
ヘドニクスが困ったような、怒ったような声をあげた。
「いいから受け取りなよ。旅をするなら必要だろ。それに大した金額でもないし」
その言葉に嘘はなかった。そのお金はお小遣いのあまりを貯めていたもので、お店で一回ご飯を食べるくらいにしかならない。
ヘドニクスはしばらく何か言いたそうな顔をしていたが、やがて小袋を開けることなくポケットに突っ込んだ。
「ありがとう。命も救ってもらったし、大きな借りができた」
「ああ、そうだね。じゃあ大人になったら返してくれよ」
冗談めかした僕の言葉に、ヘドニクスは真剣に頷いた。
「ああ、必ず。部族の誇りにかけて」
「冗談だよ、べつに大したことしていない」
「お前が嫌だと言っても借りはかえす」
「なんだいそれ。部族の決まり?」
「そんな感じだ」
ヘドニクスは頷くと、それから大きく深呼吸をした。
「じゃあ、俺はそろそろ行く。お前のおじさんとやらにもお礼を行っておいてくれ。それからお前と妹にナバホの加護があらんことを」
ナバホがなにか良く分からないけどきっと彼の部族の神様か何かだろう。
「うん。ありがとう」
僕は握手をするため右手を差し出した。
「それじゃあ、元気で」
ヘドニクスはそれを見て、ニヤリと笑った。そして大きく手を広げて僕を抱きしめてきた。
「部族の戦士達がこうやって勇気をたたえあっていた」
「あ、ああ。そうなんだ。でも傷がいたくないの?」
「正直言って少し痛いな」
ヘドニクスは顔を少ししかめながら、体を離す。僕はそれを見て少し笑ってしまった。
「じゃあな」
ヘドニクスも怖い顔に笑顔を浮かべると、来た時と同じように、窓の外へ飛び出した。
僕は窓の側によると、外に目を向けた。
ヘドニクスはすでに、木からも飛び降りていた。もう背中しか見えない。
「階段を使えばいいのに」
僕がつぶやく間に、彼の姿は塀の向こうに行って、完全に見えなくなった。
実は彼には言わなかったけれど、僕は嬉しかったんだ。
何がって、彼が最後に僕と抱き合っていってくれた言葉。
『部族の戦士達がこうやって勇気をたたえあっていた』
この街の子供の中で一番ケンカが強い、あのヘドニクスがそう言ってくれたんだ。
僕はしばらく外を眺めてから、窓を閉めた。
それから、迷うことなく部屋の外に向かった。
まずはもう一度兄さんに謝ろう。
それから妹に、クレオリアに会わせて欲しいとお願いするんだ。
そして僕は妹にも謝ろうと思う。
嫌ってごめんなさいと。
そして僕は妹を一生懸命愛するように努力しよう。
まだ見たことのない妹を好きになれるか少し不安だけれど。
まずは、僕のほうから好きになれるように努力しようと思う。
僕は勢い良く、ドアを開けて、兄さんのいる部屋へと向かった。
数日後、僕はクレオリアと出会う。
そしてまた、僕の心配は無駄に終わった。
なぜなら、スヤスヤと眠る妹は、いままで見た中で一番美しくて、
それ以上に、愛おしくてたまらなかったからだ。




