EX03 我が家に天使がやってきた 2
どうにかこうにか、家にたどり着いたらオーランド兄さんが待っていた。
「ウィー、その服はどうしたんだい?」
僕の服が汚れているのを確認して、兄さんが僕の顔を覗き込んでくる。
「他の組の子と喧嘩したのかい?」
「別になんでもありません」
僕がぶっきらぼうに言うと、少しだけ兄さんが眉間を寄せる。
「ウィー、子供同士の喧嘩なら僕が口を出すことじゃないけど、もし度が過ぎたことをされた時はちゃんと僕か父上に言うんだよ?」
「だから、なんでもありません!」
僕は兄さんを振り切って、屋敷の二階にある自室に入った。
兄さんだって分かっているはずだ。僕たち組同士のことは、組同士で解決しなくちゃいけない。
兄さんは中等部に入学するまでは貴族組の頭だった。だからそれぐらいのことは分かっているはずなのに。
僕は悔しいような、情けないような気持ちになった。
僕は今年、貴族組の頭になった。
7歳の僕が組の頭になって、少しだけ初等部の試験で落ちこんだ気持ちが和らいだ。
もちろん、僕の実力と言うより、公爵家の家がらや、組の人数自体が少なかったからだけど。
でも、頭になったはいいけれど、組ではあまり上手くいっていない。
別に組の子供達と仲が悪いというわけではない。僕も人のことは言えないけれど、貴族組の子供達は大人しい子が多い。それほど団結があるわけじゃないけれど、和を乱すようなこともしない。
問題はブディ組をはじめとする、貧民街の組との関係だ。
アイツらは僕らを目のカタキにしてケンカをふっかけてくる。
アイツらからしたら、僕たち貴族組はケンカが弱くて狙いやすいっていうのがあるんだと思う。
それでも兄さんが頭だった時は、それほど問題は起きていなかった。でもそれは兄さんがすごかっただけで、僕にはとても無理だ。
僕がため息をついていると、部屋がノックされた。
「なんですか?」
兄さんが部屋まで来たのかと思ったら、入ってきたのは父上だった。
「ウィー。明日、産婦施設に行くから準備しておきなさい」
父上は兄さんと同じ、透明度の高い金髪に、あおい目だけど、丸々と太っていてなぜがあまり似ているとは思わない。そんな父上は妹の事ばかり口にする。
「嫌です。僕は忙しいから父上だけ行ってください」
先ほどのこともあったから、僕は自分でもビックリするくらいつっけんどんな声が出た。
いつもは穏やかな父上の顔がこわばるのを見て、僕はいけないことを言ってしまったんだと、ハッとなった。
「ウェントアース。口答えしないで、黙って父さんの言うことを聞くんだ」
父上の声は怯んでしまうくらい冷たかった。
思わず言うことを聞いてしまいそうだったけれど、僕はぐっとこらえて父上に抵抗した。
「僕が何をしてたって気にもかけてなかったくせに! 妹の方が大切なんでしょ、僕のことはほっといてください!」
「なにっ!」
父上が僕の言葉に目を鋭くさせたかと思うと、右腕を振り上げた。
なぐられる!
僕はそう思って思わず目をつむった。
でもいっこうに僕のほっぺに痛みは走らなかった。
「?」
不思議に思ってそっと目を開ける。
「兄さん……」
兄さんが父上の振り上げた腕を後ろから掴んでいた。
「父さん、何をやってるんですか。ウィーだってちゃんと話せばわかりますよ」
兄さんの言葉に、父上は小さくうめいていたが、やがて肩を落とした。
兄さんは、父上の怒りが急速にしぼんだのを見て、掴んでいた手を離した。
それから、いつものやさしい目じゃなくて、真剣で少しこわい目で僕を見た。
「ウィー、父さんに酷い言葉を使ったことを謝るんだ」
「だ、だって」
でも僕の言葉は、兄さんの目がさらにきびしい色を宿したのをみて、それ以上を口に出すことができなくなった。
かわりに涙が溢れてくる。
なんとか声を上げて泣くのを我慢していたけど、涙を止めることはできなかった。
「ウィー、さあ」
兄さんが、いつもの優しい言葉に戻っていた。
「……も、もう…しわけあり…ヒッ、グッ…ませ……」
でも、口を開くと大声を上げて泣いてしまいそうだったから、ちゃんと謝罪の言葉がでてこない。
それでも、兄さんはそれでいいと思ったのか、僕の頭をくしゃりとなでてくれた。
「いや、わしもカッとなってすまなかった」
父上は先ほどまでの怒りを少しも感じさせない声で僕に謝った。
「オーランド、ウェントアース。お前達の妹のことで話しておかなければいけないことがある」
妹はもしかしたら、長いこと生きられないかもしれない。
父上が僕たちに話したことは、まだ会った事のない妹は、生まれつき病弱で、日に日に弱っているということだった。だから、父上は妹がまだ元気なうちに会って欲しいと言った。
僕はしょうげきをうけた。
自分のわがままな言葉のひどさに。
僕がどれだけ自分の事しか考えていない人間ということに。
「父さん、治療の方法はあるんですか?」
兄さんは、少し青ざめて見えたけれど、声色は冷静だった。
でも、兄さんの問いに父さんは首を降った。
「わからん。大地母神教団の医師達にも、ジガ様にも見てもらったが皆目見当もつかんそうだ」
父上はその言葉を、搾り出すように言ったが、次の瞬間には決意にみちた顔をしていた。
「だからワシは明日、クレオリアの見舞いを済ませた後に治療法を探すために旅に出る」
「どういうことですか? なにか当てでもあるんですか?」
父上の言葉が予想しなかった答えだったんだと思う。兄さんは父上の言葉の意味を掴むために頭を働かせているようだったけれど、僕は先ほどのしょうげきから立ち直っていなかったから、父上が何を言っているのか正直よくわからなかった。
「初代様の家来衆にいたセドリック・アルベルトという人物を知っているか?」
ますます父上の考えが分からなくなったのか、兄さんの眉間のしわが深くなっている。
「ええ。灰魔術の開祖と言われている人物ですよね」
「そうだ。そしてこれは殆ど知られていないが、そのセドリック大人が初代様の死後、移り住んだといわれる場所が西方の深山にあるという。その場所は灰魔術師たちにとって聖地なんだそうだ」
「つまりそこに行けば治療法かなにかがあるのですか?」
「わからん。だが黒魔術でも白魔術でも原因が分からなければ灰魔術に頼るしかない。聖地と呼ばれるほどの場所なら何か手がかりがあるかもしれん」
「しかしそれは……」
兄さんは、何かを言いかけて、途中で言葉を止めてしまった。そしてすぐに変わりの言葉を選んだのが空気で分かった。
「僅かな可能性であって当たってみるということは分かります。しかし西の大山脈は帝国でも有数の魔境。失礼ですが、父さんがそこまで行けるとは思えません。少なくともラウールさんに手配して貰って、街の兵を動員すればどうですか?」
僕は二人の話をぼんやりと聞いていたが、今の兄さんの話はすんなりと、それがいいと思った。父上はお世辞にも体を動かすことが得意なように見えない。もっとはっきり言えば太っているからきっと苦手だと思う。その西の大山脈がどういう場所かは分からないけれど、兄さんの言うとおりにしたほうがいいだろうと思う。
でも、父上は首を横に振った。
「確証もない身内のことに帝国の兵を動かすことはできんよ。それに西の深山に向かうとなれば皆命を惜しむだろう。他人に任せることはできん。なに心配するな、タンガンもついて来てくれるそうだ」
「タンガンおじさんが?」
兄さんが言った「タンガンおじさん」というのは、サウスギルベナに住んでいる人で、工人なんとかというすごい鍛冶師であるシクロップ家の当主。父上のおさななじみの人で、僕たちとも家族ぐるみの付き合いがある。たしかにタンガンおじさんならケンカも強そうだし、旅にでるなら頼りになりそうな気がする。
「わかりました」
兄さんもそう思ったのか、頷いたが、すぐに顔を上げて父上の目を見て話し出した。
「しかし、少しだけ待って貰えませんか。僕のほうでも心当たりを当たって見ます」
「心当たり?」
「ええ、学園や帝都の知り合いの中に五帝家の子息子女や魔道科の先生もいますから、そちらを当たってみます。飛伝便か、ジガ様に頼んで念話をつないでもらえばすぐに調べられると思います」
「なるほど、大したものだね。ワシには帝都にツテなどないから考え付かなかったが、その方が確実だろう」
「では、その灰魔術師の聖地に行くのは待ってもらえますね?」
しかし、兄さんの考えに納得しているように見えた父上は首を横に振った。
「お前はその帝都の友達に尋ねてくれ。……しかしもし、その帝都のツテが駄目だったら間に合わないかもしれない。ワシはワシで治療法を探る。……それから、ワシが戻るまでこのことは母さんには秘密だぞ」
「なぜですか?」
僕は妹の命が危ないのなら、母上に知らせるべきじゃないかと思ったから口をはさんでしまった。
「母さんに心配をかけるわけにはいかん。クレオリアは今、新生児室にいるし、寝ている時はそれほど衰弱しているのも分からないからばれないだろう。お前達もくれぐれも母さんにクレオリアの具合のことを話すんじゃないぞ」
父上はそこまで話すと、タンガンおじさんと打ち合わせていくと言って、足早に出て行った。
残された僕らを、沈黙が包む。
僕は言われたことの衝撃に頭が真っ白になっていた。
「ウィー」
そんな沈黙を破ったのはやはり兄さんだ。
「僕は今からジガ様のところに行って、帝都の知り合いにクレオリアの治療法を調べてくれるように頼んでくる」
「に、兄さん僕はどうしたら?」
「ウィーは戸締りをして、ここで待っているんだ。僕も父さんも家にいないから気をつけるんだよ」
「で、でも」
父上も、兄さんも、妹のためになんとかしようとしているのに、ここでも僕は自分がどうすればわからなかった。
「ウィー。とにかく明日まで待って、それからクレオリアに会いに行こう。帝都には頭の良い人がたくさんいるから、きっと治療法を知っている人がいるよ。父さんの方は僕がおじさんに言って麓の村で足止めするように頼んでおく。大丈夫、きっと上手くいくさ」
「兄さん……もしかしたらクレオリアが病気になっちゃったのは、僕がクレオリアのことを……」
「違うよ、ウィー」
兄さんは僕の言葉をふさいで、最後まで言わせなかった。
「それは絶対にない。人はそんなことで病気になったりしない」
兄さんは僕の前で膝をついて、目線を僕に合わせて、顔を覗き込んできた。
「ウィー、もし妹のことが心配なら明日から毎日会いに行って、それから良くなる様にお祈りしよう。いいね?」
頷いた僕を見て、兄さんが立ち上がる。
「それじゃあ、行ってくる。さっき行ったとおり戸締りには気をつけて、外に出ないようにね」
兄さんも部屋を出て行った。
ポツンと残された僕はぼうぜんと立っていた。
兄さんは毎日お見舞いしようって言ったけれど、そんなことで妹の病気がよくなるはずがないことを僕は知っていた。
僕は何もできない。
それは僕が子供だからなのか、僕が僕だからなのか。
でも、何かしなくちゃいけない。
その思いだけが、心の奥で渦をまいて、外にはじけ飛びそうな気がした。
数時間後、兄さんが戻ってきて、夜遅くに父上も戻ってきた。
でも、事態はちっともよくならなかった。
それどころか、もっと悪いことが起きてしまった。
夜中。
眠れない僕は偶然その知らせを立ち聞きしてしまったんだ。
妹が誘拐されたということを。
予想より長引いているので番外編第三話は次回まで引っぱります。
読んで貰えれば分かりますが、時系列的には番外編第三話は前回までの番外編より前の話です。
番外編を引っぱってもしょうがないのでできるだけ早く次話を投稿できるようにがんばります。




