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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第一章 MOB男な新生児は他業無得の零才子
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EX01 私は2番目。いつもどおりのサンライト





 八歳の誕生日を前にわたしに弟が二人できた。

 わたしの家族は、今までお父さんと、マーサおばさん、それにわたしと同い年のバカ、3つ年下の妹の5人家族だった。そこに1月ほど前に生まれた弟が増えて、今度、うちに来る弟は生まれたばかりだから、一番下の兄弟で、これで7人家族になる。


 わたしの今の家族はみんないい人だ。ただし、一人バカがいるけど。


 マーサさんのことをマーサさんというと、マーサさんはとっても怒る。

 よくお父さんが怒られているけど、その時とは違って、とっても怖い目をする。

 だから、わたしはマーサさんを、マーサさんの前ではお母さんと呼んでいる。

 でもマーサさんは私のお母さんでないことを知っている。

 わたしの本当のお母さんは、お父さんとの『ふりん』で私を生んだ。

 マーサさんは、お父さんが『ふりん』をしたらとても怒っていたから、『ふりん』はとてもよくない事だと分かっている。わたしはその『ふりん』から生まれた。


 わたしの目つきが悪いのも、わたしの髪の毛が一人だけ赤毛なのも、目の色が真っ黒なのも、わたしがこの家の本当のこどもじゃないから。


「ミラ、準備はできたかい?」

 マーサさんがいつものように言った。

 午前6時。わたし達はいつものように家を出る。


 家の外は、もうすぐお日様が上がりそうで、でもまだすごく暗い。

「それじゃあ、わたしはイネージェ達を託児所に預けてくるから、お前は先に行っておいておくれ」

 マーサさんの言葉に頷く。

「こらっ! ちゃんと口で返事しな」

 マーサさんが怒った。わたしはあまり、お喋りするのが好きじゃないけど、マーサさんは怒る。


「ちゃんと、頷いてるんだからいいじゃねぇか」

 お父さんがニッコリと私に笑いかけてくれた。でもマーサさんはお父さんに怒った。

「なに言ってんだい。ちゃんと声に出して返事できなきゃ、この子が困るんだから。いいかい、ミラ、何度も言ってるけど、あんたはアーガンソン家の女中見習いなんだ。何かを言われたらちゃんと丁寧な言葉で返事しなきゃだめだよ」

「はい」

 今度はちゃんと返事ができた。マーサさんがよし、と頷いて、わたしの頭を撫でてくれた。


「とーちゃん! 早く行こうぜ!」

 騒ぎ出したのは、わたしと同じ歳のバカ。鍛冶見習いとしてお父さんと一緒に働いている。今までは他の場所で仕事をしていたから、お父さんと一緒に働けるようになってバカは張り切っている。

 4歳のイーネ、生まれたばかりのヴィとエドたちはお屋敷の中にある託児施設でわたし達の仕事が終わるまでお留守番をする。


 いつもどおり、大きく息を吸ってみる。

 寒い空気がぴゃっと鼻の中を通りすぎていく。

 わたしは言われたとおり、お屋敷の中にある仕事場に向かった。

 

「……おはようございます」

「おう!」

 私が挨拶すると、いつもどおりとても大きな声が返ってきた。

 料理長のドラ……ミニク、ドラミクニさんという大きなおじさんだ。ドラミクニさんはいつ私が厨房に行っても、いつもいて、「塩がねぇ、塩がねぇ」っていつも言っている。そんなにお塩が無かったら、お金もちなんだから買えばいいのにって思うけど、もしかしたら本当は貧乏なのかも。わたしの前の家でも、本当のお母さんはいつも綺麗な格好をしていたけれど、私には何も食べさせてくれないほど、貧乏だった。


「ミラ! 水!」

 ドラミクニさんはいつだって大きな声で、いつだって片言。でもわたしも今ではドラミクニさんが何を言いたいのか、いつものことだからわかる。

 わたしは置いてあった木のバケツを持って、外の井戸へと走る。大きなバケツに一杯水を入れると、すごく重くなるけれど、これがわたしの最初の仕事。

 

 厨房で、水や食材をドラミクニさんに届けた後は、わたしは次の仕事に取り掛かる。

 屋敷の廊下を全て磨いて廻るのだ。昼からはお勉強教室にいかなくてはならないし、そこから帰ってきて、屋敷中の廊下をピカピカにするにはお日様がいなくなるまでかかるから、まだ、家具を磨かせては貰えない。


 ピカピカになるように廊下にモップをかける。

 モップは子供のわたしには大きくて、扱うのが大変。でも一秒でも早く廊下を磨けるようにウンウンと唸りながらモップをかける。冬が近づいてくると石の廊下は立っているだけで痛くなるほど寒い。だからもっと一生懸命にモップをかける。それに一生懸命モップをかけると体がポカポカするのを発見した。


 午前中のお仕事が終了。食堂へ向かう。

 食堂にはお父さんがいた。バカもいた。

「んだよ! ミラ。おせぇよ! いつまでかかってんだよ!」

 バカがまた騒ぎ出した。こいつは同い年なのになんでこんなに煩いんだろう。ガサツだし大嫌い! この前はわたしの赤毛の髪を引っ張った。痛くて涙が出そうだったけれど、わたしは涙を我慢して思いっきりぶん殴ってやった。

「うっせ! 黙って喰え」

 お父さんがバカの頭をはたいてくれた。まったくだ。いつもこのバカは無駄に騒がしい。騒がしい奴はバカ。だからコイツはバカに違いない。わたしは騒がしい奴はバカだって知っている。


 グウィネスさんも、ジガさまも、だんな様も、ドラミニ……ドラミクニさんも、すごい人は少しだけ話す。でも少なくてもお声がすんなりとこころのなかに入ってくる。バカは騒がしいけどちっとも何を言っているのか分からない。お父さんは騒がしいってマーサさんは言うけれど、ホントはお父さんはとっても優しくて、わたしと話すときはとっても優しい声で話してくれる。


「でも遅かったな。一人で大丈夫か?」

 お父さんが少し心配そうにわたしの顔を覗き込んで言った。

「なんだよ! 一人でやってんのかよ! 仲間はずれにされてんのか!?」

 せっかくお父さんと話しているのに、バカが身を乗り出して騒ぎ出した。

 ふざけんな! 仲間はずれなんかじゃない! わたしは一人前だから一人でやってるんだ!

 わたしはそう怒鳴りたいのを我慢してバカを睨みつけた。騒いだりしたらわたしもバカになる。

「食堂で騒ぐんじゃないよ!」

 食事を運んできたマーサさんがバカの頭をゲンコツで殴った。

 ざまあみろ。


 マーサさんはわたしの前にパンとスープを置いてくれた。そして自分もわたしの前に座ると、両手を合わして目を閉じた。わたしも慌ててそれをマネする。マーサさんが静かにお祈りの言葉を口にする。神様に感謝するっていう意味があるらしい。確かにこんなにおいしいゴハンをくれる神様ならいくら祈ってもいいと思う。でも、この料理を作っているのはドラミクニさんじゃないんだろうか? マーサさんが最後に口にした言葉だけ、わたしも一緒にとなえる。お祈りの言葉はむつかしいけれど、この言葉だけは言わなくちゃいけないと言われた。


「よし、じゃあ頂きましょう」

 マーサさんが笑って言ったので、わたしはホッとしてパンをちぎって口に運ぶ。お仕事は大変だけど、この時間があるからわたしは平気だ。こんなにおいしい食事を貰えるなんて。ドラミクニさんはほんとうにすごい人だと思う。ゆっくりと、食べるのに時間をかけながら、わたしはがそんなことを考えていた。いつもわたしはみじかい休み時間をいっぱいつかって、あじわって食べる。

 そのうちバカがまた騒ぎ出した。


「はらへったー! はぁらへった!」

「お前ちゃんと喰ってたじゃねぇか。ほら仕事に戻るぞ!」

 お父さんとマーサさんが食事を終えて立ち上がったが、バカはますますわめきだす。

「もっとくいたいぃ!」

 バカがわけの分からないことを言い出した。あれだけ食べさして貰っておいてコイツは何を言っているんだ。わたしの幸せな時間をじゃましないでほしい。


「あ! ミラ喰ってないじゃん。くれ!」

 バカが机のむこうがわから身をのりだして、わたしの食べかけのパンに手を伸ばした。

 やめろ!

 わたしはとっさにパンを遠くにやろうと、引っぱるように後ろに隠した。

「あっ!」

 でも、そのわたしの手が、スープの入った皿に当たって、勢い良く床へ飛んでいった。


 皿の中にのこっていた野菜スープが床にハデに飛び散った。

「何やってんだい!」

 マーサさんのゲンコツがバカの頭に落とされたけど、わたしはそんなことよりも、飛び散ったスープに目を奪われていた。


 反射的に床にこぼれたスープの前にひざをついた。そして落ちたジャガイモのかたまりに手を伸ばす。そこで、はっとなって腕がとまった。

「ミラ? 大丈夫か?」

 お父さんの声が聞こえた気がしたけれど、わたしはこぼれたスープの水たまりに呆然と目を向けていた。


 この光景を見たことがある。

 わたしは、思い出した。思い出したらお腹の奥がケイレンした気がする。それは喉をあっというまに駆け上がってきた。

 わたしは床に、勢い良くさっきまでお腹に入っていたものをぶちまけた。

 わたしの意識が遠くなって、目の前が真っ暗になった。





 

 また、お母さんが怒っている。

 お母さんは私と同じ赤い髪をして、すらりとしていて、とてもキレイ。

 でも、お母さんはわたしに大声でさけんで、殴る。

 わたしのせいで、お母さんが一人ぼっちになっちゃったからだ。


 わたしは、お母さんにほめてもらいたくて、ゆるしてもらいたくて。

 食事を用意して、家をおそうじして、洗濯をした。

 わたしはもうずっとゴハンを食べてなくて、体がフラフラ、フワフワした。

 でも、わたしはゆるしてほしくて頑張った。

 でも、お母さんはわたしを殴る。

「お前なんて生まなきゃよかった」

 お母さんはいつもわたしを叱る。

 わたしが生まれたせいで、お父さんが出て行ったから。


 ウチは貧乏だったからほとんど食事は出てこない。

 お母さんは毎日食べていたけれど、わたしの分まではないらしい。

 ウチは貧乏だったから、二日に一度の食事は床で食べる。

 お母さんは毎日テーブルで食べていたけれど、わたしの分の食器まではないらしい。

 だからお母さんはわたしの食事を床にばらまいた。

 わたしはそれを手で拾って食べる。床を汚すと殴られるから、最後に床をなめてキレイにした。


 その日わたしはまた殴られた。ちからいっぱい殴られて、わたしは床に転がった。

 涙は出たけれど、声はでなかった。おなかが減っていて力が入らなかったから。

 床に転がったわたしに、お母さんが大きなナベを掴んでやってきた。

 ゴハンを食べさせてくれるのかしら?

 そんなことはないと、6歳のわたしには分かっていた。

 お母さんはとてもこわい顔をしていたから。


 ナベからは湯気がもうもうと出ていた。

「死んでしまえ!」

 お母さんは、とってもこわい顔をしていた。


 シんだらお母さんは、ゆるしてくれるかな?


 なべの中の熱湯はとってもアツいだろうけど、わたしはじっとして動かなかった。

 その時、男の人が家に来た。

 男の人はナベを持ったお母さんを後ろから捕まえると、手に持ったナベをうばっていた。


 男の人と何かを言い争っていたけれど、しばらくするとお母さんは何かを大声で叫びながら家を出て行ってしまった。

 それが、わたしがお母さんを見た最後の日。

 それが、わたしがお父さんを見た最初の日。


 それが、今から一年前のとても寒い日。







 わたしは目を覚ました。

 フカフカのソファーに寝かされていたわたしの上に、真っ白な毛布がかけてある。

「あら、目が覚めた?」

 とても、キレイな声が聞こえた。

 グウィネスさんが、ゆりかごの前に立っているのが見える。

 ここはおじょうさまや、ヴィやイーネたちがお留守番している託児部屋みたい。


「もう少し休んでいた方がいいわ」

 グウィネスさんはとてもキレイな人で、とてもやさしい。わたしの憧れの人。マーサさんやわたしといっしょにこの屋敷で働いている人だ。貴族様でもないのにとってもキレイな金色の髪と、とってもやさしい言葉を持っている、不思議な人。

 わたしはなんだか恥ずかしくなって、毛布を頭からかぶった。


 まっかになった顔を隠していると、毛布を引っぱられてしまった。

 なんだろうと顔を覗かせると、すぐ近くにイーネの顔があった。

 三歳下の我が家の天使。丸いほほは赤みをさして、大きな目がうるんでキラキラしてる。髪はクセっ毛で色素の薄い麻色。


「……どうしたの?」

 あんまりにもじっとイーネが見つめてくるので、わたしは聞かずにいられなかった。

 イーネはギュッとわたしの体に抱きついてきた。

「だいじょうぶだよ」

 わたしは体を起こすと、イーネをソファに抱え上げる。毛布を肩から掛けて、そのままイーネごと両手で抱きしめる。


 イーネがやっとキャッキャと笑い声をあげてくれた。

 きっとやさしいイーネはわたしを心配してくれたんだと思う。

 イーネはまだ小さいから、わたしが何を言いたいかわかってやらないといけない。

 4歳のイーネはあと1年ほどで働きに出なければならないからとっても心配。

 みんな5歳でミナライとして働き始める。わたしもこの家に来る前からそうだったし、バカも5歳からデッチとして働いていると言っていた。イーネもこの家で、わたしと同じ仕事をするようになるだろう。


「んにゃー!」

 へんな叫び声がして、わたしは目を向ける。

 顔を真っ白に染めたアンジェさんがエドを抱えて騒いでいた。アンジェさんの丸いメガネも、三つ編みもミルクで真っ白に染まり、ポタポタとしずくが垂れている。

 アンジェさんの叫び声にヴィが目を覚ましたらしく、泣き声を上げ始めた。

「あらあら、ヴェルンドちゃんが起きちゃったじゃない。アンジェ、もう少し静かにしなさい」

 グウィネスさんがヴィに駆け寄って、抱きかかえてあやし始める。


「だって、エドくんが、わたしの顔にミルクをぉぉ」

 アンジェさんが言い訳をしてた。どうやらエドの吐き出したミルクを顔面に吹きかけられたらしい。

「よしよし、何も怖いモノはないからね。アンジェ、ほら、私と代わって」

 ヴィをベッドに戻し、グウィネスさんがアンジェさんからエドを受け取る。


「はい、いい子ですねぇ。ミルクを飲みましょう」

 グウィネスさんが、胸元にエドを抱えながら、哺乳瓶の細い管を口元にそっと近づけると、エドは上手にミルクを飲み始めた。ヴィは哺乳瓶の金属が嫌いなのか飲ませるのが大変だけど、エドはとても上手に飲む。ただ、食事はあんまり好きな子じゃないらしくて、いつも沈んだ顔でミルクを飲んでいる。


 そんな食事が好きじゃないエドもグウィネスさんだけには懐いていて、今もとても幸せそうな顔でニコニコしながらミルクを飲んでいる。この顔をどこかで見たことがあるなと思っていたけど、最近何か分かった。お父さんが若い女の人と話すときの顔とそっくりだ。

「エドくん、ひどいですぅ!」

 ヴィをあやしながら、アンジェさんが幸せそうにミルクを飲むエドに文句を言い始めた。さわがしい人だなぁもう。アンジェさんもやっぱり騒がしいので、バカと同じニオイがします。でもアンジェさんはとっても子供達に人気がある。きっと子供達と同じ位置にいるからだと思う。


「アンジェ、声」

 グウィネスさんが軽く睨むと、アンジェさんはグムムと唸りながら、声を落とす。

「だってぇ、エドくんわたしがミルクを飲ませてもちっともうれしそうじゃないいですもん。ギニー先輩にばっかり愛想振りまいてずるいですぅ」

 それでも、ブツブツと文句を言っている。


「赤ちゃん相手になにを言っているの。エドゥアルドちゃんが嫌な顔をするのは、あなたのやり方が悪いからよ」

 わたしもそう思います。


「ああ、ミラ。これを舐めておきなさいね」

 グウィネスさんが、丸い小さな固まりを掌に載せて、差し出してきた。

「あ! 飴玉ですかぁ? わたしも欲しいですぅ!」

 わたしの受け取ったものを見て、アンジェさんが側に寄ってきた。これが飴玉? そんな高級なお菓子は今まで一度も食べたことが無い。とても甘いお菓子だと聞いたことがあるけれど、てのひらの上にあるものは黒くて、薬草のニオイがして甘そうな感じはまったくない。


「アンジェ、声。あと飴玉じゃないわよ。お薬」

「あ、じゃあいらないですぅ」

 あっというまに、アンジェさんが離れていった。このひとはいったい何なんだろう。


「お腹と喉が荒れているから、それを舐めておいてね。苦くても一気に飲み込んだり、噛み砕いちゃだめよ」

 グウィネスさんがやさしく言ってくれた。確かにお腹とのどになんだかザラザラした感じがある。

 あんまり美味しそうな感じはまったくしない。けれどグウィネスさんのくれたものだから、わたしは勇気をだしてその丸いものを口に入れた。


 うわぁ、苦い。

 思わず顔をしかめる。口の中で薬くさい汁が広がって、どろりとお腹へ落ちていくのが分かった。

「苦かった? でも体を治してくれるものだから少しだけ我慢してね?」

 わたしの顔を覗き込んできた、グウィネスさんに頷き返す。

「わたし、しごとに戻ります」

 グウィネスさんに、ぺこりと頭をさげる。


「あらあら、もう少し休んでいた方がいいわ」

「でも、まだ仕事が残ってますから」

 グウィネスさんはその言葉にアンジェさんのほうを見た。

「あなたもミラを少しは見習いなさいな」

 言われたアンジェさんはキョトンとした顔をしている。

「元気ですよ?」

「でしょうね」




 託児室を出て、掃除道具を取りに行くために、用具室へ向かう。その途中でお父さんと出会った。

「あ、ミラ! もう起きても大丈夫なのか?」

 お父さんがわたしの姿を見るなり駆け寄ってくる。わたしの顔を大きな手で挟むと、ゴシゴシと頬を親指で擦りながら、顔を覗いて来た。


「お父さんここで何してるの?」

「ん? いや、ちょっと様子を見に行く途中だったんだが、気分はどうだ?」

「うん、大丈夫」

「そうか」

 お父さんは、わたしの顔から手を離すと、後ろを振り返った。つられて見ると、後ろの方にバカが立っているのが見える。


「おい、言うことあんだろ?」

 お父さんがバカの背中を突く様に押して、わたしのほうに押し出す。

「……」

 わたしの前に立ったバカは珍しく黙ったままで、俯いている


「ミラ、ごめん!」

 顔をまっ赤にしながら、バカがすごい勢いで頭を下げてきた。

「?」

 いきなりゴメンと言われても、わたしには何のことかわからないから黙っていた。

 するとバカはわたしが許していないと思ったのか、もう一度頭を下げてきた。

「ゴメン! あんなことになるなんてオレ思ってなくて……」

 言葉をつまらせているが、くわしく言ってくれないから何のことか分からない。わたしはお父さんの方を見た。


「ミラ、ラグのやつがお昼ゴハンのことを謝りたいってさ」

 ああ、わたしのパンを盗もうとしたことか。たしかに許せない。けれど気を失ってたりしたからすっかり忘れていた。

 でも、お父さんがバカの頭をガシガシとわしづかみにして、髪をクシャクシャにしているのを見て、すごく嫌な気分になった。

 でも、そんな気分になっていることを、お父さんに知られたくなくて。

「しごとにもどる」

 それだけ、なんとか告げてわたしは二人を置いて、駆け出した。



 日が暮れる。

 やらなきゃいけない仕事が終わらない。

 今日はお昼からのお勉強教室も休んでしまったし、気分も沈んで、サイテイな日だ。

 泣きそうになっているけれど、泣いても仕事はすすまないから、いっしょうけんめいモップを動かす。


 日が落ちてきて、また寒さが染みこんで来た。

 いっしょうけんめいモップを動かしているのにちっとも体が温かくならない。サイテイな日だ。

「ミラ、帰るよ」

 マーサさんが、お仕事しゅうりょうを知らせてきた。

 わたしは、その声を聞いて、思わず叫びだしそうになった。


 やらなきゃいけない仕事がちっとも終わってない!


「なにしてんだい、さっさと道具をしまってきな。今日はお昼ゴハン食べられなかったんだから、早く晩御飯の準備をしなきゃね」

 マーサさんの言葉に、わたしは首を横にふった。

「ミラ?」

「しごと、終わってない」

 我慢しようとしていたのに、涙がぼろぼろと出てきて止められない。


「ミラ、今日の分の仕事ができなかったのは残念だけど、明日頑張ればいいのさ」

 マーサさんの言葉にわたしはまた首を横にふった。涙だけじゃなくて、鼻水も出てきたけれど止められない。

「お仕事、終わらなきゃ……」

 殴られる。その言葉をかろうじて喉の奥で止めた。マーサさんはお母さんと違う。そんなことで殴ったりしない。

 でも……。


「わたじ、きっとまた捨てられちゃう」

「……なにを馬鹿なことをいってるのさ」

「だって……」

 マーサさんは本当のお母さんじゃないし、それに……

「わたし、お父さんのホントウのこどもじゃないもん!」

 そう。お父さんはお母さんと『ふりん』してわたしを生んだってマーサーさんに嘘をついたけれど、お父さんがホントウのお父さんじゃないことをわたしは知っていた。でもそれを言ったらわたしのいる場所がなくなっちゃう。そう思ったら本当のことをマーサさんに言えなかった。


 次の瞬間、わたしは大声を出していた。

 大声で泣いていた。

 本当のことをマーサさんに言ってしまって、わたしはもうどこにも自分の場所がないんだと思って大声で泣いた。


「馬鹿だねぇ! ホントに!」

 いきなりマーサさんが抱きしめてきた。ぶ厚い体に顔が埋まって泣き声が出せなくなった。

「ミラはウチの子供さ。とっても自慢のウチの子供だよ!」

「でも、わたし、ホンドウのこどもじゃ……」

「誰が産んだなんか関係ないさ。あんたはわたし達夫婦が育てたいと思って、うちの子供になって欲しいと思って家族になったんだ。いまさらミラが嫌がったて、仕事が終わらなかったからって、お前がうちの家族なことは一生変わらないよ」

「いっしょう?」

「ああ、一生だ。あんたが良い事をすれば、わたし達家族はみんなうれしい。あんたが悪いことをすれば、みんなが悲しむ。家族に悲しいことがあれば、みんなで助け合うのさ。それが家族さ」


「わたし、いてもいいの?」

「ああ、勿論だよ! というか家族が勝手にいなくなって貰っちゃこっちが困っちまうよ。いいかいミラ。あんたは何をしても、何をしなくてもウチの子供だ。でもね、しなくちゃいけないこともある、やっちゃいけないこともある。それは家族になりたいからとか、お金が沢山もらえるからとかじゃない。ミラがミラでいるためにやらなきゃいけないことから逃げちゃいけないよ。賢いあんたなら心配はないだろうけど」

「わたしがわたしでいるため?」

 マーサさんは頷いただけでそれ以上教えてはくれなかった。マーサさんはわたしをかしこいと言ってくれたけれど、ホントウはわたしはマーサさんの言ったことをどういうことかわかっていなかった。


 でも、わたしはこの場所にいていいみたいだという事はわかった。

 そして、やらなきゃいけないこともあるみたいだ。いいえ、そうじゃない、わたしは家族のためになにかをしてあげたいんだ。何もしなくても、家族にしてくれるとマーサさんはいったけれど、わたしは何かをしなくちゃいけない気がした。


「ミラ、だからもう二度と自分のことを家族じゃないなんて言っちゃいけないよ」

 マーサさんの、ううん、新しいお母さんの言葉にわたしは頷いた。


「お母さん、わたし、仕事をぜんぶやってから帰りたい」

 ホントウにしなくちゃいけないことがなんなのか、わたしはわからない。だから自分に与えられた仕事をぜんぶきれいに片付けることから始めることにした。

「……そうだね。わかった。二人で一緒にやればすぐに終わるだろうさ」

「え?」

 まさかお母さんが手伝ってくれるとは思わなかった。わたしが一人残ってやるつもりだったのだ。


「言ったろ、家族は助け合うもんだって。それに娘と一緒に働くのも悪い気分じゃないしね」

 そう言って、お母さんはニッカリと笑った。わたしも釣られて笑った。涙とはなみずで汚くなった顔でも笑うことができた。

「それじゃあ、ミラ。あんたはこっちからそのままモップを掛けておくれ。わたしは反対からやっていくからね」

「はい!」


 その日はいつもよりとっても遅くなって、晩御飯もとっても遅くなった。

 でもお父さんも、バカも、なにも文句は言わなかった。






 朝が来た。

 八歳の誕生日まであと少し。

 わたしはいつもどおり、お母さんが起こしに来る前に起きる。

 昨日までは捨てられるのが怖かったからそうしていたけれど、今日からは『しなくちゃいけないこと』だからわたしは早く目を覚ます。寝坊して、だらしない格好のお父さんやバカがいつもお母さんに怒られているから、わたしは言われる前に目を覚まして、仕事着に着替え始めた。


 バカは相変わらずバカな顔で寝ていた。コイツはちょっとやそっとじゃ起きないけれど、イーネや二人の弟達が寝ているのを起こすのはかわいそうだから、わたしは音を立てないよう着替える。

 着替え終わってそっとゆりかごの中を見ると、エドが目を覚ましていた。


 わが家にやってきた新しい家族。

 同じ年のヴィに比べると手もかからないし、泣かない弟。

 そのかわり、いつも寝ていて、目を覚ましていてもどこかだるそうにしているのんびりやさんの弟。

 今日はめずらしく早起きみたい。


 わたしは、そっとエドの頬を撫でた。

 エドもわたしと同じ、ほんとうは『チ』のつながっていない弟。

 エドはわたしが話しかけるといつもマネをしようとアーとかウーとか言ってカワイイ。


 わたしはわたしもバカだなって思った。


 『チ』がつながっていないからって、エドがホントウの家族じゃないなんて嫌だ。

 イーネとヴィと兄弟じゃないなんて嫌だ。

 バカはどうでもいいけど。

 新しいお母さんは、家族になりたいって思えば、家族になれるんだと教えてくれた。

 だから、この妹と弟達とずっと兄弟でいたい。








「ミラ、準備はできたかい?」

 マーサさんがいつものように言った。

 午前6時。

 わたし達はいつものように家を出る。


 もうすぐ、冬がくるからとても外が寒い。

 家の外は、もうすぐお日様が上がりそうで、でもまだすごく暗い。

 朝ごはんにスープを飲んだけど、やっぱり外に出ると寒い。

 

 はやく、お仕事始めたいな。

 お仕事をいっしょうけんめいすれば、体がポカポカするのをわたしは発見した。


 そう言えば、バカが妙におとなしい。朝ごはんのスープを飲んでいる時もおとなしかった。

 さっきからチラチラとこっちを見ていたから、またイタズラを考えているのかもしれない。

 そう思ったら、バカがこっちによって来た。

「ミラ、ほんとにゴメン。このとおり!」

 いきなりバカがいきおい良く頭を下げてきた。


 ああなんだ、まだ昨日のことを言っているのか。

 頭を下げたままでそのまま黙ってしまったバカを見て、わたしはちょっとバカがかわいそうになった。

 バカは騒がしくて嫌いだけれど、バカがバカらしくないのもかわいそうだ。

 だから、わたしはバカを許してやることにした。


「いいわ、ゆるしてあげる」

「ほんとか!」

 バカが顔を上げて、表情をかがやかせている。べつにバカのことなんか気にしていなかったからゆるすもなにもないんだけど。

「あ、でも」

 そう言えば、許せないことがあったのを思い出す。


「食べ物そまつにしてんじゃないわよ!」

 わたしは思いっきりバカのほっぺを引っぱたいてやった。でもバカはバカらしくあんまり利いていないみたいだった。くそー。でもそのかわりに呆然とした顔でわたしを見ていた。

「……あ、うん、すいません」

 フンだ!


「……間違いなく、ウォルコット家の女だわ」

 その様子を見ていたお父さんがポツリと言ったけれど、一体どういう意味なんだろう。


「それじゃあ、わたしは託児所に行ってから、お前達は先に行っとくれ」

 いつもどうり、お母さんの号令がかかる。

「お母さん、わたしがイーネ達を連れて行くわ。だからお母さんは仕事に行って」

 わたしはお母さんがいつもすごく忙しいのを知っている。だからわたしがイーネ達を託児室へつれていくことにした。


 お母さんがお父さんと顔を見合わせていた。

「それは、助かるけれど、ちゃんとできるかい?」

「大丈夫!」

 元気良くお返事して、お母さんに弟達を背負わしてもらう。

 ずっしりと二人の重さが引っぱってきて、ちょっとフラフラしたけど大丈夫。


 家族は助け合わなきゃね!


 わたしはぐっと足に力を入れて、左手でそっとイーネと手をつないだ。

 わたしは、大きく息を吸う。

 寒い空気がぴゃっと鼻の中を通りすぎていった。


 顔を上げると、遠くに光の筋が見える。


 今日もいつもどおり、街に朝日がやってきた。






  

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