022 初めての裏切り、初めての死
エミリさんは何故か私達を連れて、教会の司祭さんのところに逃げ込んだ。
「これは上手く行った、と考えていいのかしら?」
私は5メートルくらいある巨大な『液晶画面』を見ながら、隣にいるエドに尋ねた。
エドはボーとした顔で画面を見ている。
なんだその腑抜けた面は。
命のかかっている場面だって事がこの子は分かっているのかしら?
よし、ここは一つ気合を入れてやろう。
そんなことを内心考えて、拳に力をこめていると、エドの師匠であるセドリックさんが先に声をかけた。
ああ、ちなみにここは私の夢の世界で、考えていることが駄々漏れになるという乙女には些か酷なシチュだった。けど今は心を読ませない方法を教わっているので心配ない。簡単に言えばフィルターを被せるようなものだったが、感覚的なことだから説明が難しい。感覚でできたことをセドリックさんは感心していたが、私にとってそれが難しいことではないことは、それこそ感覚でわかっていた。
話を戻そう。
「やはり初めて鬼門術を発動したせいでかなり消耗していますね」
あら、そうだったの? 拳から力を抜く。キモン術というのは初めて聞いたが、多分灰魔術の一種なんだろうということは、推測できた。
「でもセドリックさん。今回はエドの血の力を使ったんでしょ。そんなに消耗するものなの?」
しかも、今回そのキモン術とかいう灰魔術を使うに当たってエドが使うことになった血と言うのは指先を切って流れ出た一、二滴のほんの僅かなものだった。
「今回は私が術式を書いていますが、発動制御させたのはエドですからね。まあ、いくら才能があるといっても初めての時はこうなるものですよ。しかもエドの場合は貴方と違って魔力の保有量は極普通の赤ん坊と代わりがありませんからね」
そう、エドの血を使って、灰魔術の発動は成功した。
使ったのは灰魔術の召喚魔術。その中でも一番簡単な『小鬼』。わたしが見たところ鬼というより15センチに満たないくらいの小人だった。見た目はかなり醜悪。召喚術とは言っているが、私が聞いた感じだと『小鬼』は魔素を固めた擬似生命体らしい。だから知能や力は殆ど無い代わりに、術者の思い通りに動く。
その『小鬼』に眠りの香を盗み出させ、私が雷の力を使って火花を起こして、香に火をつけ、誘拐犯達を眠らせた。
そしてエミリさんに倉庫から連れ出してもらったのだ。
「しかし、上手く説得……というか騙せちゃいましたね」
私の言葉にセドリックさんは頷く。エミリさんに盗賊達を裏切らせたのはエドのアイデアだった。
エドはセドリックさんの魔術で夢を見せたのだ。
大地母神の啓示、という夢を。
目を覚ました彼女は、それを信じたようだ。
セドリックさんの夢を見させるという灰魔術は、言葉とイメージを伝える魔術。そこで重要なのは言葉はそのまま伝えることができるが、イメージの方は術者が『設定』していない事柄は全て、対象者が『曲解して補足』するという点だ。だから指示を与えるにはイメージより、言葉を伝えるほうが誤解が無く正確に伝えることができる。しかし、今回の場合は信仰心の厚い彼女を騙さなければならなかった。そこでエドはあえてイメージを伝えることを選択して、嘘の綻びを取り繕ったのである。
うーん、エドは将来りっぱな詐欺師になれそうだ。結婚詐欺師は無理だろうけど。いや、意外とあんな感じのほうがリアルで騙しやすいのかもしれない。気をつけよう。
でも、そのエドの細かい仕事が実際に効果を上げていた。
エミリさんの見た夢を、こちらでも見ていたのだが、そこで初めて彼女の本名がシリィというのだと知った。こういう細かいところは確かに言葉ではフォローできない。エドはこのイメージを夢で見させる魔術は尋問に応用できるかもしれないと言っていた。つまり、こちらから特定のイメージを与えて、それに対象者がどういう『曲解して捕捉』をするかで情報を引き出すというわけだ。
エド、ますます悪者適正がアップしているぞ。
でも結果、わたし達は色んなことを知った。彼女の本名だけでなく、彼女が貧しい農村部の生まれで、子供を間引かなくてはならなかったことも、その後悔も、神父さんへの感謝も、わたしに対する気持ちも。
だから、彼女を憎む気持ちはない。最初は誘拐犯の一味だとしか思わなかったから、彼女を騙すことにためらいも無かった。でも今は、少し罪悪感を感じている。そうは言っても選択肢なんてなかったんだけど。
「エドがこんな様子でこの夢の世界は維持できるんですか?」
感傷に浸っている場合でもないので、私は気持ちを切り替えてセドリックさんに向かって言った。
「『夢凪』も『箱庭』も起点はエドですが、使っているのは私ですから問題はありません。とは言えもうエドは積道を使うことはできないでしょうから、クレオリアさんの『電撃』だけがわたし達の武器ですよ、魔力の残存量はどうですか? 気分は悪くありませんか?」
「まだ火花とそよ風を作ったくらいですから、大丈夫です」
私がそういうとセドリックさんはちょっと呆れた様な顔になっている。
「さすが『恩恵』持ちと言えばいいのか……。赤ん坊の魔力量なら火花くらいであろうと、昏倒しかねないんですが。そもそも素人では魔力制御自体できないんですけどね」
そう言われても、できるものはしょうがない。感覚的には魔力や体力に疲労感はないし、『電撃』の魔術も間違いなく発動できるのが感覚として分かるのだ。
「でも、もう心配ないですよね? エミリさんは無事に逃げられたし、後は司祭さんが匿って、お役人さんを呼んでもらえれば万事解決よね?」
最初の疑問に戻ったが、エミリさんがなぜ衛兵のところに駆け込まなかったのかは分からないが、後は司祭さんが上手くやってくれるだろう。エミリさんのことを考えればこれが一番いい選択かもしれない。
彼女は司祭さんに迷惑がかかることを気にしていた。でも司祭さまが私達を助けたとなれば、責任を不問にされるかもしれない。エミリさんの方は処罰されるの免れないだろう。でも、エドとセドリックさんならなんとか彼女に恩情が下されるように、公爵らしい私の父親の夢に働きかけることができるかも。
「そうだといいけど」
エドが口を開いたと思ったら、ネガティブな発言をする。前世からこんな性格だったのだろうか、それとも転生の影響?
「なによ? 助かりたくないわけ」
思わずジト目でエドを見てしまった。いけないな。異世界に転生してから余裕がないせいか感情がイマイチ、コントロールできない。前世では当たり障りのない態度は得意だったんだけど。
「私もエドと同じ意見です。何が起こるかわかりませんからまだ気を抜いてはいけません」
「え?」
セドリックさんまでエドと同じ意見とは思わなかったので、怪訝に思って『液晶画面』に目を向けた。
『よくやりました、シリィ。それならなんとかなるでしょう』
エミリさんことシリィの言葉を聞いて司祭さんが温和な笑顔を浮かべている。
「まずいな」
エドが司祭さんの言葉に反応する。セドリックさんも険しい表情を浮かべていた。
「クレオリアさん、いつでも『電撃』の術を放てるように心積もりをしておいてください」
「どういうことよ。エド、説明して」
一人だけ分からずにいるのが嫌だったのでエドに尋ねる。
「あの司祭はエミリさんに『誰にも見られなかったか?』と尋ねて、その返事が『見られてません』ってことに『よくやった』って言ってるんだ。司祭が大地母神教団の一人だと考えれば……」
そこまで言われれば分かる。
「つまり、エドは司祭さんも誘拐犯の一味だと思ってるわけ?」
「一味というより、黒月の一人、つまりあの神殿騎士の仲間の可能性はあります」
エドのかわりに返事したのはセドリックさんだった。私の中に小さな焦りのような不安の塊ができる。
「で、でもエミリさんは行き倒れているところを司祭さんに助けられたんでしょ? だからこんなに信用しているんじゃないの?」
「別に狂信者であることと、いい事をすることは関係ないよ。それに嫌な見方をすれば、司祭がエミリさんを助けてその信頼を得たのは、こういう時に駒として使うためだったかもしれないし」
私の言葉にエドは頭を掻いて、俯きながら答える。
「もちろん、そうじゃない可能性もあるよ。でももし司祭が黒月だったら今度こそ打つ手がなくなるんだ。だから油断しないほうがいい。くそっ、偽の啓示にもっと具体的な内容を入れた方がよかったな」
『誰かが手助けしたのか? しかし、シリィの夢は? 本当に大地母神がその様な奇跡を起こされたなら……その御心は一体?』
なにやらブツブツ言っていた司祭さんが顔をやがて顔を上げた。
『なるほど、そういうことか』
司祭さんはそう言うと、机に戻って引き出しを開けると何かを取り出していた。
それからシリィさんに近づいていく。
セドリックさんの放っている『目』からは司祭さんの後姿の映像が見えた。
「!」
司祭さん、いえ、司祭の後ろに回した手に短剣が握られているのが見える。エミリさんの立ち位置からはそれが見えていない。
「逃げて!」
夢の中にいる私の声が現実世界のエミリさんに聞こえるはずはなかったけれど、思わず叫んでいた。
『司祭様?』
エミリさんは不思議そうな顔をしているだけで、警戒心は全く無い。
『よくやってくれました。あなたは大地母神の御使いに違いありません』
そう言って司祭は短剣を隠し持っているのとは反対の手を横に広げ、エミリさんを抱擁した。
『後は私がクレオリアを殺せば、マーサの御心を成し遂げることができます』
『え?』
次の瞬間、エミリさんの体が微かに揺れた。
そして、それを見ていたわたし達の時間とエミリさんの時間が止まる。
『あなたには公爵家令嬢の誘拐と殺害の罪を負ってもらいます』
そう言って司祭はエミリさんから体を離した。
『かっ、ハ』
エミリさんの口から一筋の血が流れる。
それから彼女は自分の腹に埋め込まれた短剣を見た。粗末な服にジワリと赤い染みが広がった。
エミリさんが呆然とこちらを見ているような気がした。
その顔を見た瞬間、私の口から断末魔のような絶叫が漏れた。
そして、プツンと映像が途切れるように、目の前が闇に染まった。