018 夢見る人々2
シリィは夢を見ていた。
最初は自分の故郷の夢。
冬の吹雪に晒されるあばら家の姿。
そして、その中で、生まれて間もない自分の赤ん坊の顔に、濡れて冷えた布切れを被せる夢。
これは、夢だと分かっていた。
もう、あの村も、あの子も、この世には存在しないから。
今まで何度も、どれだけ強く、あの時をやり直せたらと願い、適わぬ事と知っていたから。
今度は産婦施設で働く自分を、俯瞰で眺める夢。
クレオリア様を世話する自分の姿。
司祭様の恩に報い、失われ逝く小さい命の為に、懸命に悩む無知な自分。
ズキリ、と頭が痛んだ。
俯瞰で眺める夢が、歪む。
グリャリと歪んだ映像に溶け込むように、別の声が混ざってくる。
『クレオリアは帝国に仇なす呪われた子だ』
神殿騎士の声がする。
『赤ん坊を誘拐してから殺すって依頼だったんだよ』
グルバの声が聞こえた。
涙を流す歪んだ自分の顔。若い魔術師が手を伸ばす姿。微笑を浮かべる司祭様。公爵様。リガリオ。盗賊の鍵師。公爵夫人。様々な人が歪み渦のように回っていた。
歪みの渦は速度を速め、やがてそこに映っている者がなんなのか判別が付かないほど混ざり合うと、突然に消えた。
目の前にはただ、暗闇が広がっていた。
シリィは自分が妙に静かに涙を流しているのがわかった。
「神様」
シリィは何もない暗闇に語りかけた。
「神様。あなたは私にどうしろとおっしゃっているのですか?」
涙が静かに頬を伝い続ける。
「神様。私の命を救ってくれた司祭様の恩に報いればよいのですか? 呪われた子であるクレオリア様を助ければよいのですか?」
シリィが語りかけても闇は闇のままだ。
「生命を司る大地母神マーゼよ。何故許されぬ命の誕生があるのですか? なぜ私のリィーナは貧しい村に生まれたというだけで、母親に殺されなければならなかったのですか? なぜクレオリア様が『太陽神の恩恵』を受けたというだけで、殺されなければいけないのですか? 生命の……出産を祝福する神であるはずのあなたが……なぜ、なぜ、存在の許されぬ生命など生み出すのですか……神よ、答えてください……」
シリィはうずくまり、神へと答えを願った。頭を擦り付けるように下げ、手だけを天にかかげ、ただただ祈った。
『シリィ』
誰かに声をかけられた気がして、シリィは涙に濡れた顔を上げた。
『シリィ』
頭上から光の塊が舞い降りてくるのが見える。
「ああ!」
その光に包まれた姿には見覚えがあった。
礼拝堂に祭られている青銅の姿と瓜二つのその女性は、今は神々しい光に包まれて、シリィの頭上にあった。
『シリィ。よく聞くのです。二人の赤子を救う事。それこそが我が意思』
「え?」
『シリィ。神殿騎士の言うことを聞いてはいけません。クレオリアとエドゥアルドの二人を連れて逃げるのです。そのためにあなたに奇跡を授けましょう』
大地母神がそう言うと、シリィの体を光が包む。
「まって下さい! マーゼよ! 司祭様の恩を……」
シリィが言い終わる前に、光は爆発し、シリィの意識は光の濁流に飲み込まれていった。
「う、ううん」
シリィが呻き声を小さくあげた。
眉間に数度皺を寄せたあと、シリィはその目を開けた。
見覚えのある作りの天井が見える。
気だるい体を起こすと、麻袋の上に寝かされたいた。どうやら、グルバ達の隠れ家である倉庫の中だった。つまりシリィが魔術師ハイツの眠りの魔術で意識を奪われた場所。シリィは意識を失った時と同じ倉庫の中。倉庫に詰まれた麻袋の上で目を覚ましたようだ。多分グルバ達の誰かが意識を失ったシリィを運んだのだろう。
「……あの夢は?」
シリィは先ほど見た夢を思い返していた。
しかし、辺りが妙に静かなことに気が付く。
あの時は自分以外にグルバ達やリガリオがいたが、今はまったく話し声が聞こえない。寝ているのか、倉庫を空けているのか。
シリィは麻袋の山から身を乗り出すと、上から倉庫を眺めた。
「こ、これは……これが、奇跡?」
グルバ達の姿はあった。しかし、全員が床に転がり、何故か寝息を立てて眠っている。あまりに唐突な光景にシリィは暫くポカンとなっていたが、やがて気が付いて我に返る。
「そうだ! あの子達は」
シリィはテーブルの上に置かれていた籠のあった方に目を向ける。籠は置かれていたが、中が見えない。シリィはそっと麻袋から降りると、グルバ達を踏んで起こさぬように気をつけながら籠に忍び寄った。近くまで来ると、クレオリアとエドゥアルドの二人が穏やかな寝息を立てているのがわかって、ほっと息をついた。
「え?」
しかし、シリィはクレオリアの寝顔を見て、赤ん坊の変化に気が付いた。あの衰弱しきった弱々しさがどこにも見当たらない。今のクレオリアは頬に赤みが差し、まさに生命力に溢れ、神々しく輝いていた。
「これも大地母神の奇跡?」
思わずクレオリアに手を伸ばしたが、すぐに引っ込める。
「これが大地母神の御意思なら」
それならば、当然クレオリアたちを連れて逃げるべきだ。しかし、クレオリア達が助かったとしても司祭の立場が不味くなる。しかも、今回の誘拐犯はリガリオとシリィという教団関係者なのである。事の真相が明らかになればサウスギルベナ大地母神教団の責任者である司祭様にも誄が及ぶだろう。
ここは、リガリオを起こし、大地母神の啓示を話すべきだろうか。
「いえ、大地母神は神殿騎士の言うことを聞いてはいけないと仰ったわ」
やはり、リガリオは信用できないと考えた方がいいだろう。
「……神殿騎士の言うことを聞いてはいけない?」
シリィは啓示の言葉を思い出して、はたと気が付いた。大地母神の言葉は、果たして今の現状のみを言ったことだったのだろうか? そして寝息を立てる神殿騎士リガリオを見た。
「そう言えば、クレオリア様が呪われた子だと言ったのは、リガリオ。そうよ!」
シリィは大地母神の言葉に自分の愚鈍さを呪った。
「リガリオが言っただけで、本当にそうなのか分からない!」
クレオリアが呪われているのかどうか、シリィは検査をした医師達にも、司祭にも確認したわけではなかった。ただ、リガリオの言葉を鵜呑みにしていたのだ。なのにシリィは公爵家の赤ん坊を誘拐するなどという凶行に手を貸してしまった。それが露見すれば司祭様がさらに不味い立場になるにも拘らず。
生命力を取り戻したクレオリアを見る。
果たしてクレオリアが本当に呪われた子供だったなら、大地母神はその命を救うだろうか。この危機を脱するための奇跡を施すだろうか。
答えは否だ。
シリィはギリリと歯を食いしばり、自分を騙した男を睨みつけた。
しかし、今は大地母神の言葉に従うしかない。
シリィはクレオリアとエドゥアルドを入れた籠を持ち上げる。
籠を両手でその胸に抱え込み、愛おしそうに頬を寄せた。
すぐに顔を上げると、シリィは倉庫の扉へと向かい、そのまま夜の闇へと姿を消した。