015 真犯人とグルバの一計
「よし! よし! やったぜ!」
グルバはアジトにしている倉庫に入ると興奮して、握り拳を作って叫んだ。
サウスギルベナの港湾地区。深夜の倉庫街に人影はなく、グルバの声が誰かに聞きとがめられる心配はない。
「ボス。声がでけえですよ。赤ん坊が起きちまいます」
グルバに続いて、数人の男たちが倉庫の中に入ってくる。
「ああ、すまねぇ、そうだな」
部下の言葉に、グルバは心を落ち着けるために大きく息を吐いた。
それから、配下の男達が抱きかかえている二人の赤ん坊に目を向けた。赤ん坊が起きると言われたが、連れ出す時に嗅がせた薬が効いているはずだから、起きることはないだろう。
「それより、大丈夫だろうな? 赤ん坊が死んじまうなんてことは……」
男は配下の一人に尋ねた。ハイツは冒険者崩れの魔術師で、この中では一番学のある男だ。グルバが尋ねた理由は、赤ん坊達を眠らせたのは警備の人間を眠らせたものと同じ薬だったからだ。大人をも眠らせる薬を赤ん坊に嗅がせて命に別状はなかったのか不安になったのだ。
魔術師の男はグルバの言葉に「大丈夫だ」と答える。
「使ったのは白魔術の治療にも使われる高級品だ。命に別状のあるもんじゃない」
その言葉に、別の配下の男が反応した。
「でも、ボス。そんなものを用意できるなんて、あの男何者なんでしょうかね?」
それだけではない。グルバたちに今回の誘拐を依頼した男は、警備の厳しい産院特別室へ、グルバ達が侵入できるように手配してくれた。そして、グルバ達に支払われた報酬も、公爵家令嬢を誘拐を決心させるには十分な額だった。部下たちが依頼人の素性を疑うのも無理はなかった。
だが、グルバはその問いを一蹴した。
「どうでもいいことをいまさら気にすんじゃねぇ! あの男が誰だろうと、もう後には引けねぇんだ!」
そう。公爵家の娘の誘拐を実行した時点で、依頼人の男が誰だろうと実行犯となったグルバ達に関係はなかった。どのような失敗をしようが待っているのは死だ。そして、成功したとしても一生追われる身となる。それも含めた上での高額の報酬だ。
「おい。それであの男はいつ来るって?」
「印は出しておきましたから、もうすぐやって来るとは思いますが……」
「くそっ。念入りなこったぜ!」
グルバは思わず悪態をついた。依頼人の男は仕事の成功の確認を直にすることも条件に入れていた。依頼人の男にとっても、この場に来ると言うことは低くはない危険の可能性があるはずだ。
それでも、成否の確認にくるとは、一体どういう裏があるのか。気にしないといったグルバだったが訝しくは思う。
「しかし、仕事は仕事だ」
誘拐は成功したが、依頼はまだ完遂していない。もうすぐ男がやってくると言うなら、今やっておく方が良いだろう。男がグルバ達に依頼してきたのは、誘拐だけではなかった。
グルバはテーブルの上に置かれた籠に入っている二人の赤ん坊を見た。
「胸糞悪いがしかたねぇ。悪いが恨まねぇでくれよ」
依頼主は、誘拐してから公爵令嬢を殺せと言って来た。
何故殺す前にわざわざ誘拐する必要があるのかという疑問もあるが、薄々予想の付くことではあった。がそう言った予想を口にせず、罪悪感を押さえ込む程度に、得られる報酬は魅力的だったのだ。
赤ん坊の前に立ち、ゴクリと喉を鳴らした。
ちくしょう! そうは言っても後味わりぃな!
目の前では、赤ん坊が二人眠っている。一人は何の変哲もない赤ん坊。もう一人は生まれたばかりなのに高貴な生まれなのが分かるほど美しい。
せめて、こっちの赤ん坊ならまだやりやすいんだが……他のやつにやらせるか?
グルバが後ろを振り返ると、意図を察したのか仲間達は首を懸命に振って拒否の意を示している。
「ちっ! 分け前は増やしてもらうぜ」
そう宣言してから、手を赤子に伸ばした。
「おい、グルバ」
いきなり声をかけられて、グルバは飛び上がる。
「何だよ、ちくしょう!」
振り向くと、魔術師のハイツだった。
「令嬢を殺すのは、依頼主の男が来てからでいいんじゃないか?」
「なんだと? どういう意味があるんだ?」
「依頼主が金をちゃんと持ってきているかぐらいは確認できるまで待った方がいいんじゃないかと言っているんだ。金を確認してから殺っても遅くはないだろう」
「それは……そうだな」
グルバはハイツの言葉に従うことにして、赤ん坊をそのままにして側を離れた。
グルバも依頼主が裏切るということは考えてはいたのだ。その為の方法も考えていた。だから公爵の赤ん坊を今殺しても問題はなさそうだが、ハイツの言うとおり、男から金を受け取ってから殺しても遅くはない。多分にその判断には後味の悪さが原因であったが、冷静に考えても納得できるものだった。
「よし、男を待とうぜ。それからあの女もな」
「貴様……どういうつもりだ」
リガリオが、グルバ達の隠れ家である倉庫に入ってきた、その第一声だ。
黒ローブの男。神殿騎士リガリオは計画の大きな歪みに苛立ちを隠せなかった。
リガリオがスラム街で見つけた流れ者達はクレオリアの誘拐には成功していた。が、リガリオの耳に入ってきたのはクレオリアと共に、エドゥアルドという赤ん坊まで一緒に誘拐されたと言う一報だった。しかも、グルバ達は誘拐した後に、エミリにも倉庫まで来るように彼女に計画の段階で伝えていた。エミリと名乗らせたのは、特別室の世話人シリィであるが、シリィもなぜ呼ばれたのかは教えて貰っていないらしい。しかし、このことはどうでもいい。いやそれどころかリガリオ達にとっては都合がよかった。だからシリィにはグルバ達の言うとおりに倉庫に行かせた。だからそれはいい。
しかし、エドゥアルドの誘拐は看過できない。あの赤ん坊はソルヴの隠し子と言われている赤ん坊なのだ。少なくともこの街の実質的支配者であるアーガンソン商会が特別室に入れた赤ん坊である。彼らにとって何らかの意味で重要な存在であるには違いない。その赤ん坊を一緒に誘拐したと言うのだ。アーガンソン商会やその支配下にある盗賊ギルドが捜索に動き出すに違いなかった。
だから、リガリオの声は低く、殺気で満ちていた。
ローブの下でカチャリと音がした。恐らく腰に挿している剣に手をかけたのだろう。
グルバの仲間達とエミリが殺気に怯んで男から一歩離れた。が、グルバは腕を組んだまま引かなかった。
「落ち着けよ旦那。何をかっかしてるんだよ」
「何をだと! 貴様、標的は公爵の赤ん坊だと言った筈だな。なぜ余計な赤ん坊まで連れてきた。この赤ん坊がどういう子供かわかっているのか!」
「誰にも傷をつけないってだけで、もう一人誘拐するな、なんて言われてないぜ。こっちの赤ん坊は俺達の保険だよ」
「一体なんの話だ?」
「こっちのガキはあのソルヴの隠し子かなんかなんだろ? 俺たちが逃げ切るまでギルドの連中とアンタに対する切り札になる」
「どういうことだ?」
リガリオではなく、後ろにいた仲間の一人が疑問を口にする。
「まずアンタの方だが、公爵のガキを殺った後に罪を全てなすりつけて俺達を殺すなんてことを考えないようにこの子供を人質に使うのさ。このガキに何かあればアーガンソン商会が黙っちゃいねぇ。背後関係まで徹底的に洗うだろうよ」
下衆が!
リガリオは心の中でグルバを激しく罵っていたが、グルバの言ったことは正に当たっていた。リガリオはこの後グルバ達を皆殺しにするつもりだったのだ。しかし、グルバがエドゥアルドを誘拐したせいで全てが狂ってきている。まず、グルバ達を始末するために用意していた人員がアーガンソン商会への対策に動かさなければならなくなった。
今、この倉庫に向かえたのはリガリオ一人だった。
リガリオとて教団最強の武装集団である神殿騎士の一人である。腕には自信があった。
俺一人で殺るか?
リガリオの見たところ、この盗賊たちの中で戦闘の腕が立ちそうなのは、グルバ一人。油断をしたところを狙えば8人相手でも殺せるかもしれない。
正直なところ、本当にできるかどうかわからなかったし、今はエドゥアルドを取られているので難しいかもしれない。
リガリオが思案していると、今まで黙っていたシリィが叫ぶように声を上げた。
「クレオリア様を殺すってどういうことよ!」
激昂したシリィの様子を見て、グルバがニヤリと笑った。
「やっぱり知らされてなかったか」
反対にリガリオは舌打ちした。シリィがクレオリアの誘拐に乗り気でなかったことは一目瞭然だったので、誘拐してからさらに殺す計画だったことは黙っていたのだ。それが完全に裏目に出てしまった。
「赤ん坊を誘拐してから殺すって依頼だったんだよ」
グルバの言葉にシリィは、双眸から涙を流してリガリオを見た。
「一体、いったいどういうことですか……? クレオリア様を誘拐するだけの話だったはず……」
「あの赤ん坊は呪われた子供だと言った筈だ。この帝国では存在すら許されぬ悪神の子。最初から生きられぬ運命だったのだ」
リガリオの言葉に、シリィはふらふらとよろめくと、まだ眠っている赤ん坊達に目を向けた。
「そ、そんな……また、この子を殺せというのですか……?」
覚束ない足取りで、赤ん坊達の方へ歩く。
「ちっ、ちょっとばかり薬が効きすぎたか?」
グルバが女を止めようと、シリィの方に向かいかけた。しかし、それより早く動いた人物がいた。
魔術師のハイツである。
ハイツは短く、グルバ達には理解できない言葉を呟くと、男にしてはほっそりとした指を振って宙に印を描いた。
呟きが終わると共に、ハイツの指先に仄かな光が灯ったかと思うと、その光がシリィへと伸び、彼女の体を包み込んだ。
「あ」
短い言葉を発したかと思うと、シリィが崩れ落ちた。
グルバが駆け寄ってシリィを抱き起こすと、彼女はゆっくりと呼吸を繰り返して目を閉じていた。
「眠りの魔術だよ。命に別状はない」
「本当かよ頼むぜ。まだ、この女にはやって貰うことがあるんだからよ」
「どういうことだ?」
「この女には男のガキの方を連れて、ギルドの拠点のひとつに行って貰う。ギルドや商会の目がこの子供に向いている間に俺達は王国へトンズラしてるってわけだ」
「上手くいくか?」
「もちろん女には俺達は街道の方から逃げたと言わせるし、そうだな。確かに時期を誤ればまずいことになるけど、こっちの旦那への保険と考えれば悪い手じゃねぇだろ?」
「女がその通りやってくれると思うか?」
ハイツの言葉にグルバは問題ないだろうと答えた。そのために女にはクレオリア殺害のことまでは話していなかったのだ。元から黒ローブの男とエミリと名乗った女は繋がりがあるだろうとは思っていたが一枚岩ではないのは、エミリと会話した感じから察していた。だからこの直前の場でクレオリア殺害を男から言わせることで、決定的な不信感がエミリに芽生えたはずだ。しかし、少し効きすぎたようなのが気がかりだが、エミリもエドゥアルドを救ったとなればアーガンソン商会から莫大な謝礼を手にすることができるはずだから、その辺りで説き伏せるしかあるまい。
「上手くいくか微妙なところだな」
ハイツの率直な意見に、グルバは顔を顰めた。
「この状況で考えられる策なんて他にあるのかよ」
「そうだな、それなら公爵令嬢の赤ん坊を殺すのは彼女が起きるまで待っていたほうがいい。彼女の意識が戻ってから目の前で赤ん坊を殺すんだ」
「は? 随分悪趣味なことを言うじゃねぇか」
「さっきの様子だと、随分と彼女はこの赤ん坊に未練があるらしい。だからそれを利用して彼女の精神に壊れるくらい強い衝撃を与えるんだ。そうなれば、私が『傀儡』の魔術を使って彼女をアンタの意のままに操れるように変えよう。そうすれば何も彼女を説得する必要はなくなるだろう?」
「そんなことできるのか?」
「まあ、意のままに操るといっても簡単な命令しかできないし、術も簡単に破られるがな。しかし、時間稼ぎならそれで十分だろう。もし『傀儡』の魔術が効かなくても、皇室の血を引く赤ん坊が生贄ならいくらでも使える魔術はあるさ」
グルバは感心するように唸った。
「おめぇ、そんな腕があってなんでこんなところに……」
グルバの言葉に、ハイツは苦笑して肩をすくめた。
黙って聞いていたリガリオも、グルバとは逆の意味で唸っていた。先ほどはいざとなったら一人でグルバ達を皆殺しにしようかとも企んでいた。しかし、ハイツという魔術師がシリィにかけた眠りの魔術の手際や、さきほどの会話を聞くと、この若い魔術師の腕は相当なものだ。さすがにこの魔術師とグルバのいる盗賊達を、リガリオ一人で始末できないだろう。
だが、まだ運に見放されたわけではない。
少なくとも、シリィが目覚めるまでは事態は進展しない。その間に仲間が駆けつけるだろう。
そうなればクレオリアとグルバ達を皆殺しにして、エドゥアルドを取り返せばいい。
逆にグルバがエドゥアルドを誘拐したこともいいほうに考えればいい。
自分がエドゥアルドを救出したと、アーガンソン商会に連れて行けばいいのだ。そうすればこの街の最大の権力者であるソルヴに恩を売ることができる。
そう思い直して、リガリオは内心の怒りを抑えた。
下衆共め。
いい気になっていられるのも今のうちだ……。