END-0 Just the way you are. ( 'Cause you're amazing )(完)
二年間ご愛読ありがとうございました。
最後のBGMはたむらぱんの『ココ』をチョイスしたい。
「……さんま、やいてるの」
あの日、校舎の屋上で会話したのが事の始まり。
秋刀魚の油の匂い。七輪の炎の匂い。酢橘の酸っぱい匂い。シナモンとアッサムの微かな香り。
「あー、空たかーい」
あの日、初めて君の寝顔を見た。
ほとんど何もない、日本人としての記憶。
もっと、一生懸命生きりゃよかったな。
「そうでもないよ」
そう言われて始まった、二度目の人生。
「君のことはエドと呼ぼう」
師匠に教えてもらった僕の名前。
夢から始まった、剣と魔法の世界。
僕の名前は母さんがつけた。
母さんの名前はエリス。
何処の誰だか知らないけど、姓はビスマルク。
僕を産んで、息絶えた、僕の母さん。
今度の母さんがどんな人だったかは、僕は知らない。
貞淑だったのか、だらしなかったのか。そんなことは知りたくもない。
知る必要もなく、彼女は僕を生むために命をかけた。
こんな世界に受け入れられない僕を。
元々『望んで生まれた』わけではないことを知っている僕を。
そんなの困る。そんな重いものを母親なら負わせないでくれと、
実は母親だという実感が無い人に想う。
命がけで救ってくれたエミリさんという名のシリィさん。
マーサ、ウォルボルト、僕の育ての父ちゃんと母ちゃん。
血の繋がらない僕の兄。血の繋がらない僕の姉。
死んだ姉と、殺された兄。
みんな僕に、つぎつぎと僕の肩に荷物を積んでいく。
別に何も言ったわけでも言われたわけでもないけど、僕はこの荷物を煩わしくて、降ろしたくて。
構ってほしくなくて、放っておいてほしくて。
僕は一人で生きているわけじゃないから、そんことは分かっているから、
そんなことを言うつもりはないけれど、
一人で生きてはいなくても、独りにはなりたい。
草食系でも、ユトリでも、それがなんだっていいけど。
うんざりするほど、この世界は僕の肩に荷物を載せたがる。
一度載せられたこの荷物を放り出す強さは僕にはなくて、だから最初から載せないで欲しい。
もちろんこんなにたくさんの荷物を抱えて歩くなんて、僕には不可能だと分かっている。
もしもそんなことをしないでくれたなら、僕はこの世界でも良かったのに。
あの日僕は決めたのです。
この世界のこと。この街のこと。
納得のこと。
十年と決まったから。
僕の余生について。
僕は今日から変わることも、今から変わることも、できない人間だけど。
あと十年だけだと思ったなら、もしかしたら頑張れるかもしれないから。
この荷物を、たったそれだけの時間なら背負えるかもしれないから。
だから、決めた。
だから、だから、だから、だから、と今まで繰り返してきたように。
だから、決めた。
「だから僕には、無理だ」
六年間の話の最後にそう付け加える。
もう一度、今度はしっかりと、けれど泣き言ではなく、彼女に対して、誠意を持って答えた。
朝が来た。いつのまにやら。
そう言えば、正座したままだったので脚がめっちゃ痛い。
気が付かなかった。
まだ起きて二時間たってはいないだろう。けれどまるで朝陽が徹夜明けのように目に痛い。
それでも六年間をギュッと凝縮して話してみせたなら、こんな疲れで済んだなら、それは上手くやったというべきだ。
彼女は黙って聞いていた。
相槌の一つも、疑問の一つも、ついに挟まなかった。
聞いているのかも疑わしい。
聞いていなくても、もう構わないけど。これは僕にとっての戒告のようになっていたから。
話し終えてみると、やっぱり僕の気持ちや決定に間違いは無い気がする。不安が消えないだけで。
なんとまあ、薄っぺらい人生なんだろう。もうちょっとこうドラマチックとは言わないが大仰な動機でもあればいいのだろうけど、話せば話すほど誰かに話す価値のないことだと分かった。
今なら、そんな僕は物語の外にいられる。
僕が登場人物なら、それはきっと君を悲しませる役割がせいぜいだ。
どれだけ自惚れても、それが僕の精一杯の跳躍力だ。
今なら僕らは、単なる元クラスメートで、単なる元同一民族で、単なる同じ異世界人だ。
六年前と、あの日までと同じように、お互い接点もありえない、僕のことなんて知るはずもない、興味もわかない、そういう関係に要られるはずだ。
それが自然で、そうあるべきだ。
僕は君が、僕のような無価値な人間のせいで、立ち止まるのが我慢ならない。
だから、今度はしっかりと、僕の想いを君に、僕の欲望を君に、伝えよう。
「君は一人で日本に帰れ」
それこそが僕の望みだ。君が日本に帰れたなら、僕のどうでもいい人生が、格好悪い人生が、素晴らしく素晴らしい物に変わる。他力で小判鮫で、僕らしいハッピーエンドだ。
だから、僕は一人でこの世界で、死んでいく。
だから、君は一人で元の世界に、帰ってください。
なのに、だ。
「いっしょにいこうよ」
彼女が静かに、けれどはっきりと、言う。
「途中まででも良いから、送ってよ。男の子らしく」
朝陽を背後に、可愛らしいことを、金髪碧眼のこの人が言う。
自信満々に彼女は続ける。
「十年後の結末なんて、信じるに値しないわ」
僕は苦笑いを浮かべた。
「それは、随分と無駄で、非効率じゃないかな」
すでに確定的な出来事に労力を使う必要はない。問題の先送りも僕のような人間にこそ相応しい生き方だ。そしてもし僕の十年後のその先に希望があるのなら、僕が一人で彼女に迷惑をかけずにやるべきだ。
「私はいるわ」
彼女は、微笑んだ。
「私はいるじゃない。私が見た君はいるじゃない。十年後のその時も。私の目に十年後のその先のために頑張った君が映っているじゃない」
彼女はなぜだが、甘ったるいクリームケーキでも食べるように、幸せそうに笑う。
「君の運命も、私の運命も、決まっていたとしても、あがいてみせて、いっしょに歩いたら、それはもう価値ある未来じゃないかしら」
彼女は言う。
けれど、僕は知っていた。それこそが何よりも重い荷物になるんだって。
君はそれを分かっていながら容赦なく、僕の肩に積み上げるんだって。
けれど僕は決定的な事実を突きつけられていた。
ああ、僕はガックリと頭を下げてうなだれた。
なんて格好悪いのだろう。
僕はこの数年間、文字通り死ぬ気で悩んできた事柄が、
彼女の、こんないい加減な予測により、ガーリィな希望の言葉に打ち倒されかき消されてしまった。
もしかしたらこの荷物を担いで歩いていけるんじゃないかって、誤解して受け入れる。
なんつーいい加減な人間だ。
どんなに理不尽な事実でも、これほど説得力のある現実感はない。
それでも僕は抵抗する。
「僕は汚い人間だよ」
貧民街の、糞溜めに暮らしていなくとも、僕は彼女が気に留める価値がある人間だと思えない。
兄弟を愛して死んだ兄のように、兄弟に愛されて死んだ姉のように、命がけで産んでくれた母のように、命がけで救ってくれたあの女の人のように、育て、共にいてくれたあの人達のように、最後の麺麭を施した彼女のように、手を取り合って微笑っていたあの兄妹のように、義憤に満ちたあの父娘のように、義理堅い灰魔術師のように、肉親のように悲しんでくれたあの人のように、
なにより、輝き眩しい君のように、
僕はなれない。
僕は殺すより、殺されることに恐怖を感じる人間で、
僕は殺人者で、この先はきっと大量殺人者に違いない。
「僕はそんな価値のある人間じゃない」
そう言葉に出してみて、裏腹に、自分の気持に気がついていた。
僕はどうやら僕の歩こうとしている僕の選んだ道が、知られたくないほどに恥ずかしかったらしい。
君にはできれば知られたくないらしい。
カッコつけてる割に、なんてかっこ悪い奴だ。
「そして君にとって日本に帰ることは、なによりも心から願うことだろう? 僕にとってはそうじゃないんだ。僕はどの世界で生きていても、そんなに価値の変わる人間じゃない。僕はこの世界で生きていくよ」
そして、死んでいく。
「そう」
ゆっくりと君が口を開いた。
「君は無価値な人間なのね」
僕は自分の確信とは裏腹に頷いてみせる。
「そう、僕は君が気に留める必要なんてない、些細な存在さ」
「なら、私が拾ってあげる。私が決めてあげる。価値ある私のモノにしてあげる」
ああ、彼女の言葉は、重みもないくせに僕の心に居座り続ける。
確信しながらも、不安で堪らない。
理屈になってないのに、安心してしまう。
むちゃくちゃだ。僕の心の中も、
「むちゃくちゃな言い草だよ」
彼女の存在も。
これは、まさにカルチャーショックだ。
「何よ。君が価値がないなんてウジウジいじけてるから私が決めてあげるんでしょ」
彼女は腕を組んで、プイッとそっぽを向いた。
うあぁ、めっちゃかわいい。
こんなに綺麗な色が僕にはあるんだと思えば、悲劇に浸ることも許されない。
僕の重い悩みなど、彼女にとってはやっぱり、取るに足らない軽い言動のようだ。
いや、理屈には合ってるけどさ。理不尽だよ。
僕はガックリと頭を項垂れた。代わりに足に力を入れる。
なんのために? ともう分かっているくせに誤魔化した。
「君はむちゃくちゃだ」
もう一度言う、やっぱり苦笑いを浮かべながら。しかし納得して。
彼女が日本に帰ること。
僕が十年後のその後に生きていること。
この世界で後腐れなく、後始末にやっておきたいこと。
「そんなこと同時にできたら、それは奇跡だよ」
なぜだが、笑い出しそうになるのを我慢して僕が言う。
「あら、じゃあその奇跡ってヤツを私が起こしてあげる」
ソッポを向いたまま、拗ねたようなポーズで君が言う。
「もちろん、君と一緒に」
ああ、これが会心の一撃か。トドメの一言だ。
「だからつきあってよ。男の子だったらさ」
彼女は正しい。彼女は太陽。彼女は美しい。彼女は勇敢だ。
「君はズルい」
僕は嘘つき。僕は日陰。僕は汚泥。僕は臆病だ。
それでも二度も言われたらしょうがないじゃないか。
僕の言葉に彼女がへそを曲げるのを眺めた後に、僕は自分の手のひらを見つめた。
行動に移す前に、最後のためらいという奴を、感じてもいないのにしてみた。
上郡美姫、クレオリア・オヴリガン。つまり君。
エドこと、エドゥアルド・ウォルコットまたはビスマルク。つまり僕。
「名前を教える」と言った日から、
「会いに行く」と言った日から、
これは僕が彼女に関わった、彼女にとっては、ほんの些細なはずの物語。
六年ぶりの再会をして再開する。
僕にとっては人生最大の大仕事。
これが僕のエピローグだ。
森羅万象、一億秒には少し足りない中から、僕が曲解して、誰かが誤解して、世界が歪曲したお話。
そして、彼女の、稀代の英雄のプロローグでもある。
割愛されるかどうかは知らないが、こうして彼女の物語は真の意味で幕を開けた。
それに少しばかりでも登場できたのなら、それを僕は誇るべきなのだと思う。
それがただ、幼女が帝都へ向かう決意をしただけのエピソードだとしても。
MOB男にはそれでも少しばかり身に過ぎる役割だとしても。
こちらの事情はまったく解決もせず、それでも時間と同様、彼女も進む。ただ前に。
結構なことだ。
いつだって僕のような人間に必要なことは、疾く前に進むことであり。
いつだって僕のような人間に不可能なことは、疾く前に進むことだ。
そんな詰みきった状況を打破するには、彼女の嵐みたいな個性が必要かもね。
だから、
彼女のやり方がいかに乱暴だろうが、少しばかり自分勝手な言い草だろうが、
行動を決めるのはいつだって主人公であり、
それを彩るのはいつだってMOBの役割だ。
僕の苦悩なんて、彼女の欲望に比べれば、おウンコ召し上がれってなもんだ。
MOB男の死なんて、主人公の生に比べれば、書割でしか無いのと同様に。
だから、僕は考えるのを止めた。少なくとも今は。
この時も僕らしく、直感とも呼べない、無責任な強引さによってその身を任せることにした。
だから、
だからもう一度言おう。
これが僕のエピローグだ。
これが彼女のプロローグだ。
論理的で、非の打ち所のないエピソードの終わり。
そう、これにてお仕舞い。
だから、
僕がもしこの街を変えているなら、
彼女がもし日本に帰っていたのなら、
僕がもし十年後も生きているなら、
彼女がもしこの世界で英雄として生きていたのなら、
それはもう別の物語だ。この事とはまったく別の物語。
「やれやれだけど、付き合ってあげるよ。男の子だから、さ」
あっさりと前言を撤回してやった。言ってみればなんでもないことだった。
それは非常識に早朝の、
まだまだ肌寒い早春の、
度が過ぎるくらいに眩しい朝陽の中で。
僕は仁王立ちする彼女に向かって、六年前よりその小さくなった手を伸ばした。
彼女は腕を組んだまま、差し出された小さな手を見つめる。
少し顔を斜めにしながら、かなり不満げに。
非十八歳の、非高校生で、もちろん非日本人の手を。
僕は焦らずジッと待つ。
生来のノンビリとした気持ちでもって。
彼女がギュッと乱暴に、許しと不納得を表現してくれるのを。
六年前より大きくなった手。
それがゆっくりとしぶしぶと僕に差し出されてくる。
非新生児の、普遍的勝ち組で、もちろん恒久的姫様の、白い美しい手がやってくる。
ああ、眩しいな。
僕は僕らが光っている気がした。
きっとそれは朝陽のせいだろうけど。
なんだか、光の洪水の中に包まれているようだ。
僕は待った。光に埋没して見失わないように。
焦らずに、たった数十センチの距離を楽しむように。
僕と彼女の手が、繋がる瞬間を。
僕は待った。