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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第三章 MOB男の人言奸計と思春期殺害報告書
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END-4 Sister Moon







「設立趣意書、事業計画書、設立認証申請書、定款、他業に関する定款、役員名簿、誓約書、役員の居住証明書……はこちらで用意しますから、団体の確認宣誓書、事業計画書、あ、言いましたね。初年度の物とその予算書。ざっと思いつく限りだとこれくらいになるでしょうか?」


 サウスギルベナの領主補佐官、治副司ちそえのつかさクレア・ホーキンスは言いながら、必要書類の作成例を書いた用紙を執務机に並べていく。


 それでなくとも、雑多になった机の上に、新たに書類がタイルのように被せられていく。

 彼女の名誉のために言うなら、この混沌は誰がやってもこうなる類のものだ。


「団体設立後は届け出書とか財産目録とか。初年度終了時には報告書も何通か必要になります」

 ズラズラと並べられていく書類のパズルに、それを目にした女司祭はいささかあっけに取られていた。

 こんな混沌とした辺境の街で、新たに団体を作るのに、何故こんなに書類がいるのか分からない。


「なんと、まぁ随分手間がかかるのですね」


 そんなビアーセ司祭の様子を見て、クレアは苦笑を浮かべた。そこには自分はこんなものではない書類仕事を毎日やっているんだという、理不尽な恨み節も混ざっている。


「帝国で新たな団体を作ろうと思えば、仕方ないですね」


 帝国は多人数の組織を形成することにはかなり煩い国だ。


 設立する団体ごとにかなり細かくルールが決められており、まずは申請して認められなければそれは犯罪者集団である盗賊ギルドと変わらない。

 単純なミスなら厳重注意で訂正、意図的なら投獄、押し通せば粛清対象だ。


 理由は勿論、国家に害をもたらす集団の形成を防ぐためである。


 例えば冒険者というほとんどアウトローに片足を突っ込んだ輩に対しても同じである。

 冒険者は荒事も含んだ何でも屋で、冒険者ギルドはその斡旋仲介業者。 

 冒険者ギルドと冒険者双方に団体組織結成に関する法が設けられている。


 この冒険者ギルドのギルド免許は地方行政府に交付権があり、都市単位だ。複数の免許を受けることは出来ない。つまり複数都市間にまたがる冒険者ギルドは存在できない。これが他の商業ギルドや魔導師ギルドなどと違う点だ。


 また冒険者が六名以上のパーティを組む場合には届け出が必要になる。メンバーの増減に関しても変更の届け出がいる。だからこの国の冒険者の多くは五人組またはそれ以下が主流だ。その人数でも冒険者としての開業許可はいる。開業許可書を持っているのがいわゆるパーティリーダーと呼ばれる冒険者。誤魔化すことができないか、というと正直言ってできるのだが、そこまでやる旨味はない。仲介を受ける冒険者ギルドの監督審査責任はギルド長と役員までの死罪も含んでいるからだ。


 多人数での依頼はどうするかというと、複数のパーティが合同依頼レギオンを受けるのが一般的だ。

 冒険者達にとって救いなのは、一度現地で冒険者登録をすれば、他都市でも活動できることだろう。ただ地方が違うと免許を取りなおさなければならないが。


 また、五名以下であったとしても、当局が影響あり、つまり、危険だと思うほどの実力者だと判断した場合には個人あったとしても六名以上の団体と同等の義務が課される。所謂S級冒険者とかいった具合にだ。それは名誉でもあるが、枷でもある。


 今日、この昼休みが終わった直後に、このサウスギルベナ行政府公庁、という名の平屋の小さな建物の行政出張所にやって来たのは、ビアーセ司祭だった。


 この大地母神教団の若き司祭と会うのは魔物騒動以来だ。


「作るのは大地母神教団の慈善団体ということですから、人員も少ないですしそれに関する書類審査は大した問題はなさそうですけど、問題は収益部分ですよねぇ」


 クレアは司祭から受け取った事業概要を眺めた。


 茶けた質の悪い紙が何枚もあった。そこに書かれていたのは主に組織図に関することである。

 アイディアを走り書きしたようなものなのだが、これを読んでクレアが思ったことは、まず。


「これって司祭が書かれたんですか?」


 ということだった。字もなんだかこの女性司祭のイメージと違う、ハッキリ言ってしまえば汚い字だ。それにそこに書かれていることもイメージに合わない。


「いえ、それは提案者のこ……方から受け取ったものです。今日来たのはそのような組織が設立可能かどうかをまず伺おうと思って」


 ああ、と、クレアは司祭を一瞥してから書類に目を戻した。

 やはり本人が書いたものではなかったか。


 そこに書かれていたのは、書体から考え方まで伺えるのはなんだがコっスいというのか、ゴリっとしているのか、印象でしかまだ判断できないのでこんな表現になるが、聖職者の考えた事業計画だとは思えなかったのだ。


「その提案者というのは?」


「ええっと、それはまだちょっと」

 話せないということらしい。折衝の初期ではよくあることだ。だから気にしない。クレアとしても監禁同然の処置をしたこともあるのだし、この司祭からの信用があるとは言い難い。こうやって和やかな感じで会話が成立しているだけでも十分だろう。


 誰が後ろにいるのか、なんてことはこの先書類の申請が進んでいけば自ずと見えてくることでもある。今日はまず設立の意思を見せるため、そして行政官として可能かどうかの印象を尋ねに来ただけのようだからそれでいいだろう。


「それで、この団体の職員として、教会から人が派遣されてくるのでしょうか?」


 三年前の疫病騒ぎ以来、この街に派遣されている大地母神教団の人数も随分と減ったらしい。

 教団が経営している産院施設の従業員もあるから、新たな組織にまで人を割ける余裕は無いはずだ。


 だが、ビアーセ司祭は首を横に振った。


「いえ、この組織に関しては貧民街の人たちを中心に運営することになるでしょう。私達はその自立を助けるために見守る形が理想なのだと考えています」


 その返答から見ると、大地母神教団が後ろ盾に、中心は貧民街の組織ということだ。


 うーん。

 とクレアは悩んだ。


 クレアは『一応』官僚だが、政治的な動きについては疎いと思っている。

 だから貧民街に公的な登録をした組織を作ることに、盗賊ギルドがどういう影響をもたらすのかが今ひとつよくわからない。


「当然、代表者と役員は目星がついているんですよね?」


 貧民街の住民は、帝国民だとは認められていない棄民であるので、公的組織をそれだけで作ることはできない。組織の運営部分、少なくとも代表者には市民権を持っている人間がいる必要がある。だが教団から人を割り振るつもりがないのなら、この街の市民から探す必要がある。だが街の市民だって暇ではない筈だ。


 ビアーセ司祭は、心配いりませんと答えているから、こちらの気にすることではないが、やはり盗賊ギルドとの対立だけは執政官として避けて欲しいところだ。それも続けて尋ねると、


「そのために我々が見守るのです」

 との事だった。


 ビアーセ司祭が持ってきた事業計画というのは寄場と一時宿泊施設を組み合わせたようなものだ。

 つまり貧民街の住民に仕事を斡旋しながら、食事や短期間の寝る場所も提供する。


 この街ではやっていないが一時的に寝るための場所を提供することは大地母神教団にかぎらず教会を持つ宗教組織ではよくある行為だ。


 問題となるのはやはり寄場としての部分である。それはまさに盗賊ギルドの権益に手を突っ込む行為だ。


 ビアーセが言うように大地母神教団が後ろ盾になるのなら、おいそれと盗賊ギルドは手が出せないがそれは彼女自身であって、貧民街の住民の事ではない。この組織を潰そうと思えばいくらでもやり方はある。


 ビアーセに害はないだろう。いくら盗賊ギルドと言っても、この国で大地母神教団はある部分で政府以上の権力を持った組織である。それは政治的な『暴』を含めれば、あのアーガンソン商会でさえ、この教団に比べれば豆粒のような存在になる。事故死や病死ならともかく、暗殺などすればその後の『神罰』という名の報復が、それも死よりも過酷な運命が待っている。


 だが同時に、その権力を過信しているなら、この事業は上手くいかないだろう。


 ただ、今日この場でそれを議論してもしょうがない。それはこの先、この馬鹿げた量の書類手続きを進めていく内にビアーセにもクレアにも可能かどうかわかることだ。それが行政組織の認可手続きというものである。


 ビアーセも今日は挨拶程度の訪問だったらしく、退出する空気を匂わせている。

「それでは、具体的に話を進めていく際にはまた相談してください」

 と、クレアが事務的な言葉を口にして、今回の面会を終了させた。


 司祭が立ちさり、一人になった執務室で、クレアは出していた申請書類の記入例の書かれた書類を再びフォルダにしまっていく。それでもそれを片付けてもまだ執務机の上には書類が積み上げられていた。

 クレアもまだ魔物騒動の事後処理が残っている。お互いに暇だといえる立場でないのは確かだ。


 騒動自体は市民街に被害を出すこと無く、沈静化した。


 軍隊鼠(MGR)という瘴気生物の大群が現れ、暴れまわったのも貧民街の中だ。そして恐らくアーガンソン商会の人間によって退治されたのもその中の話である。


 しかしこの街の運営は、かなりの部分で貧民街の住民に頼っている。特に港湾荷役や鉱山労働などは露骨に影響を受けて、現在は閉鎖されている。それをクレアは早急に再開されるように要望されているし、自身でもその重要性は分かっている。


 だが、被害が一番大きかった貧民街の南地区は、その労働力を管理する盗賊ギルドの本拠地だった場所だ。組織の構成員にも被害は出ただろうし、もしかしたらそこにはギルドの長を含めた幹部たちも犠牲になっているかもしれない。だが何分貧民街の、しかも公式には認められていない非合法組織の情報はなかなかクレアの耳にも入ってこなかった。


 確実に言えるのは現在盗賊ギルドの機能は止まっている。


 統治者、その代理、その実務責任者であるクレアからすれば、ビアーセの申し出はこちらにも旨味がある話だ。都市経済の少なくない部分を非合法の組織に頼っている現状は、それが三百年続いたことであろうと正しい形ではない。


 盗賊ギルドと大地母神教団のどちらがそれに相応しいかを考えれば、いや、考えるまでもない。

 もしそれができれば、という功名心も無いわけではない。それは理想と殆ど同義なほどの行いで誰からも後ろ指を指されることはないだろう。


 だが、できるのか。ということが重要になってくる。それでもそれはクレアの問題ではない。

 クレアはお役所仕事を杓子定規にして、上手くいくならその恩恵に預かればいいだけだ。


 あの巨人の騎士には、偉そうなことをうそぶいてみたが、この街の貧民街の住民の問題は執政官として軽んじることの出来ない。ただ単に命の質量に致命的に差があるだけのことだ。


「さて」


 考えてもしょうがない。そういうことはこれまでにして、机の上を占領するイレギュラーの仕事、本来の仕事、それを成す書類の山を片付けなればならない。考えてもしょうがない、のではなく、この山を見たくなかったのだとは、それは彼女も分かっていたのだ。


「まぁ、でも短期助手アルバイトも来るし少しは楽になる……かしら?」


 クレアの言葉通り、日々の書類手続きの山を処理するために臨時事務員を雇うことになっていた。


 クレアとしては助手を雇うことは以前から希望していたのだ。

 しかも新しい助手は公爵家推薦で、アーガンソン商会が保証人になっている。


 だが、そうでなければクレアは雇うことはなかっただろう。

 面談した結果も、少し試験テストしてみた結果も悪いわけではない。

 それどころかこんなド田舎で、なんでこんな事務処理能力が高い人間がいるのかと思ったくらいだ。


「でも、さすがに……ねぇ?」


 人柄も能力も問題がなかった上に紹介者や日々の仕事量を考えると断ることはできなかったのだが。クレアのどちらかと言えば常識的な発想ではありえない人材だった。


「ま、たった一月だけの短期だし、使ってみるか」

 また溜息を吐いて、今日の仕事にとりかかる。


 溜息の原因が助手のことを思ったのか、目の前の書類の山を見たからなのかは、今度は彼女にだって分かっていなかった。







「司祭様、お帰りなさいませ」


 太った、彼女の名誉のためにいうなら、加齢と体質による豊満な女性職員に、ビアーセは笑顔で返事をする。


「問題はありませんでしたか?」


 自分が留守だった間の様子を尋ねると、職員からは大分落ち着いてきたと返事があった。

 主語がないが、ビアーセにもそれがここ数日の忙しさのことだと分かっていた。


 魔物騒ぎが収まり、しかしその後教会には魔物に襲われた怪我人と死体が大量に運ばれてきた。

 軍隊鼠(MGR)に襲われた人間は殆ど助からなかったし、その死体も大半はまるごと貪り喰らわれ、魔粒子エーテルに分解されて、今頃大地に戻っているはずだ。


 それでも教会に大人数の怪我人と、死体が運ばれて生きたことが被害の大きさを物語っている。


 あの補佐官に言わせれば、貧民街の住民は被害の内に入らないから、まったく大きな問題とは考えていないだろうが。


 ビアーセはギルベナ教区の責任者として、怪我人の受け入れと、一時宿泊のために教会の礼拝堂を開放した。

 これは特例措置であり、普段は施しも含めて行っていない。理由は簡単でそれだけの余裕が無いからだ。


「あと、イザベラが出て行きました」

 付け加えるように言った言葉に、ビアーセは顔を曇らせる。


 イザベラというのは運び込まれていた怪我人の一人である幼女だ。

「……」

 少しの間沈黙を、その後短く「わかりました」と返し、自室に戻った。


「まったく、上手くいかない事ばかりね」

 いつも温和な笑みを浮かべている表情を、スッと消した。そこに浮かんでいるのは冷たくすら感じる理知。


 ビアーセはまだ十代前半の頃にこの街に派遣されてきた。

 原因は六年前に死んだ当時の司祭の後任としてである。派遣された頃はまだ助祭だった。

 ビアーセは前任者と違い、この地に望んできた。


 大地母神教団は巨大な組織である。まず間違いなく現在大陸で、国家を除いた最大規模の組織だ。その国家も、帝国以外には比肩しうる組織はないだろう。つまり大陸第二位の国家とも言える。仕えているのが神と人であるから同時に存在しても、今のところ致命的な関係にはない。


 そのため、残念なことだが、組織の中で腐る部分も出てくる。

 宗教組織でありながら、世俗、俗権に溺れる者もいる。前任者が良い事例だろう。


 ビアーセは逆に高踏的な部類の人間だ。


 大地母神教団は生命の運行を司る女神で、農耕の神である。そのため元から生活宗教ともいうべき色合いが強く、他宗教ほど禁欲的ではない。


 ビアーセの普段の仕事の殆どは、説教でも、儀式祭典を執り行うことでもない。

 学校の先生であったり、医師であったり、技術指導者であったり、だ。


 そしてこの世界に宗教が複数ある限り、そして神の法以外に、人の法がある限り、権の世界を無視して生きることもできない。


 だから世俗的な聖職者がいても、俗権的な聖職者がいても、それはしょうがないことだと分かっている。しかしそれが自分である必要はまったくない。


 ビアーセは聖職者という者は自分を律し、巡行を行い、書と実践によって自分を高めることで信者たちに大地母神の教えを解く教えるのが仕事だと思っている。彼女にとっては信仰の確かさなどは問題ですら無い。


 だから、ビアーセは六年前に、この町に派遣されることになった大地母神教団の信徒の中で、唯一自分から名乗りをあげた。


 西方への異端審問官の任も、東方への伝道の任も、それなりに希望者がいて、それこそ希望を叶えるには『権力』が必要だった。組織の中で『優秀でしかない』子供としか見られていなかったビアーセは、それならばと希望者のいないこの地を自身の修行の地と決めた。


 そして大地母神教団がこんな誰も来たくもない、各ギルドも無いような街に神殿を作ったのかと言えば、それはアーガンソン商会と関係がある。つまり、神殿が作られたのはアーガンソン商会が敵国である王国ニーグランドとの貿易路を開拓したためだ。


 王国はその歴史的な経緯から、大地母神教団の宿敵とも言える存在、血で血を洗う間柄の太陽神教団の国だ。

 大地母神教団がここに神殿を作ったのは、王国から太陽神教団の信徒が入国するのを防ぐためだ。


「……」


 ビアーセは物思いに耽りながら、胸元に下げられている聖印を、それを隠している衣服の上から無意識に掴んでいた。


 それは取り出すと小さな細長い黒石のように見えるものだ。


 誰にも見せられるというものではなく、ビアーセが『今の格好』でいる時はこうして見えないように服の下から下げている。服の上には当然、一般的な聖印が別にある。


 大地母神教団にとって太陽神教団は忌むべき存在だが、帝国政府にとってはそうではない。


 そもそもこの国最大の宗教とは三百年前までは太陽神教団で、建国の始皇帝も、この街の開拓者である英雄も、その『恩恵』を持つ者だ。


 三百年前の内戦で力を失い、帝国では小規模な宗教団体に過ぎないが、それでも神殿もあれば、信者もいる。


 大地母神教団としては、少なくともこの帝国領土からはその存在自体を消し去りたいが、神の法だけでなく、人の法にも従わなければならない。


 帝国政府、とりわけ、帝室派と呼ばれる貴族たちは逆にこの太陽神教団という存在を使って大地母神教団への抑止力として利用している。


 だから、ビアーセの希望は通り、この地に来ることが出来た。


 もちろんビアーセ自身は信仰の面でも、知と武の能力の面でも、自分が教団内で他者に劣っているとは思ってもいない。

 だからこそ今の『職責』にもあるし、表としての司祭の立場にもあると自負している。


 ビアーセの仕事、本来の仕事は、異教徒の発見と滅殺にある。

 そのためのギルベナ教区担当司祭なのだ。


 だが、である。


 『本来の職責』があろうとも、表としての司祭の仕事も疎かにしてよいものではないし、自身もそれを軽んじてはない。単なる優先順位の問題である。


 ここでの司祭の仕事はほとんどが助言者としてのものであるが、本来は大地母神教団の教えを広めることだ。そして間違った教えは正してやらなければならない。


 この街には盗賊ギルドという存在がある。


 労働者を搾取し、盗み、女達の性を生業とすることで三百年間続いてきた組織だ。


 不当に労働者を奴隷化するのも、得た恵みを掠め盗ることも、性を快楽のために売買することも、大地母神の教えからは著しく反する行為だ。それはルールや倫理や法から逸脱している云々の話ではなく、神に唾する行為に等しい。


 太陽神教団と、盗賊ギルド。その存在のどちらがこの世界にとって害悪かを天秤にかけた際に、どちらに力を注がなければならないかという、もう一度言うが優先順位の問題だ。


 上手くいかない、と思っていたのは今回の魔物騒動だ。


 これは好機であったはずだ。あの時、ビアーセが情にとらわれて問題の優先順位を間違わなければ。

 ビアーセがあの補佐官に監禁当然に、監視つきで教会に押し込められることがなければ、ビアーセは単身、魔物が大量発生していた貧民街の南地区に潜入できていただろう。


 黒のローブで姿を覆い、秘密裏に『こと』を済ませていただろう。


 結局自由に動けるようになってから、貧民街に行ってみたが、盗賊ギルドの長はおろか、重要幹部の一人も見つけることは出来なかった。

 鼠に食われていればいいだろうが、それはあまりにも楽観的すぎる。







 この教会に運び込まれた怪我人の中に二人の子供がいた。


 イザベラとアレルという、女の子と男の子だ。

 結局今日、イザベラが出て行ったことで、その二人も、ここから姿を消した。


 無力な信心ほど、彼女を苦しめるものはない。

 結局あの子達も、ビアーセが表立って動けないことを理解しているのだ。

 物分かりがいいが、庇護する者としては悲しさを感じる。


 イザベラは娼館に買われた子供で、アレルは妹を盗賊ギルドの殺し屋に殺された。

 どちらも許しがたい。酷い運命だということとは別に、許しがたい。


 だが、ならどうする、という解答が出せない以上、それ以上のことはできない。


 澱のように溜まる心の濁りを感じる。


 あくまでも彼女の最優先事項は異教徒の監視と消去である。そして個人の能力等で貧困は救えない。特にビアーセにはどれだけ情熱があったとしても不可能だろう。それはまさに世俗的な才能が必要だからだ。


 そこに降って湧いたような社会福祉事業体の話だ。


 ビアーセが補佐官に見せた素案の紙は、彼女が書いた物ではない。

 信憑性も失われるので、それが誰の手によるものかも言わなかった。


 ビアーセはその素案よりももう少し細かい計画を当事者から聞いている。

 率直な感想は上手く考えられている、ということだ。


 現在の貧民街の無法状態も、この計画には追い風になるだろう。


 上手いというのは、なにも事業が斬新だということではない。ビアーセには門外漢のことだが、商人の間ではそれほど珍しいことではないのだと思う。


 この計画のミソは、誰も損しない(ように見える)ことだ。


 それぞれの権益については詳しいことを言わなかったが、ビアーセとしては問題ない。


 大地母神教団の名義を貸すだけで、ビアーセ達に損はない。得るものは人的資源とこの街での基盤である。名義だけ貸すということ、それは同時に、ビアーセ個人の基盤となるということだ。


 貧民街における人的資源は盗賊ギルドの既得権益であり、それを一部差し出す代わりに、彼らも当然得る物がある。この辺りは微妙なところだが、ビアーセが巧いと思ったところでもある。


 説明は受けなかったが、誰も損しないように見えて、実は盗賊ギルドたちにとってやはり人的権益を差し出すことは後々、彼らを滅ぼす毒となるだろう。それを埋め込むところも絶妙だ。


 それはビアーセにとって、内心では笑いが止まらないほどに痛快な計画でもある。彼らにはお似合いの末路、勧善懲悪の結末だと思える。


 上手くいかなくても損はしない。上手く行けば大地母神教団と彼女は大きな地盤を得られる。それは彼女の本来の『職責』にも大きく役立つだろう。


 今日も貧民街では命は生まれ、命は失われる。


 それは大地母神の司るものに見えて、まったくの紛い物。御意思の紛い物など、許しがたい罪深き存在だ。

 それを彼女は、優先順位の問題で手をつけずにいるが、決して目を閉じているわけではないのだ。


 そこまで、考えて。

「……」

 ふと、ひっかかりを覚える。どこというわけではなく。

 あまりにも上手い話に、人は生理的に違和感を覚えるから。


「まさか、ね」

 何度考えても、これが自分にとっての毒になるとは思えなかった。


 そもそもこの計画の発案者のことを思い出せば、このことに何か裏があるとは思えない。

 この発案者が発案者であること自体が異常だけれど、それ以上の異常などあまりにも荒唐無稽で在り得ないはずだ。


 もしそんな存在がいるのだとしたら、それは出来損ないの悪魔に違いない。


 考えを遮るように、ドアがノックされた。

 ビアーセはほんの数瞬の内に、彼女の昼の仮面を表情に宿す。


「どうぞ」


「司祭様」

 豊満な体つきの、中年職員が入ってきた。

「戻ったばかりなのにすみません」


「いいえ、貴女もご苦労様。それで要件は?」


 職員の目に写ったのは、いつも柔らかな笑顔を浮かべる、いつもの司祭だった。







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