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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第三章 MOB男の人言奸計と思春期殺害報告書
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最終(独)話 ひとつでありながら位置に無く、ふたつとないので似ていない、三死が無くて誤でもないのに互にあるものなぁんだ(彼女)

執筆BGMは何故かFLiPのCHERRY BOMB、ナガイキス、ライラをエンドレス。

ちぇりちぇりちぇりちぇりぃぼぉむぅ!






 暗くなった天井を眺める。ベッドに入って上を見上げる。

 六年間眺めていた天井だ。

 それほど意識して天井を眺めたことなど彼女は無い。

 寝付きはいい方なので、いつもなら目を閉じればすぐに眠りに落ちた。


 だからこの夜、クレオリアは初めてと言っていいほど、じっくりとこの天井を眺めた。

 日が落ちて闇に染まった天井などに何の答えも無いはずだ。

 今日は色々あったし、気分の悪いこともあったから、人生最悪の日を早々に終わらせるためにも一刻も早く眠りにつきたいと生理的な欲求はあった。


 なのに、じっと天井を眺めていた。

 そこに答えがあるように。


 人である彼女の、自称姉である吸血鬼は、こちらの都合などお構いなしに言いたいことだけ言って、自分の治める国へと帰っていった。

 両親にはその後、先程まで、コンコンと説教された。正座でだ。

 声を荒らげたわけではないけれど、これほど長時間じっくりと説教されたのも初めてだった。

 おかげでこの世界に来て初めて足がしびれるという経験をした。


 だけど、両親には申し訳ないが、クレオリアの頭の中を埋めていたのはただ一つのこと。

 オルガの言葉を思い出す。


「奴はたしかに威血族ハイファミリアだが、異罪アノマリーでもある。

 どういうことかって? 奴は助からん。生きていられない。存在できない。物理的にも世界的にも」


 異物というわけだ。だったらクレオリアだってそうなっていてもおかしくはなかったはずだ。

 しかし日本に帰る気満々のクレオリアはこの世界に辛うじて受け入れられたが、

 逆にこの世界で死ぬことを決めたエドは、この世界に拒否されたからだと言うわけだ。


 まだ怒っている。エドに対してだ。


 理由があるとか、ないとかは関係ない。理由があるなら話せばいいし、頼ればいい。相談されてもどうしようもない事はどうしようもないし、頼られて迷惑なことはきっと自分はそうと言うだろう。事実は今回みたいなことを打ち明けられたからと言ってどうしようもないとは言わないし、迷惑だとも思わない。


 彼のために、少しくらいリスクを増やして、時間を費やしてあげても、それはそれほどやぶさかでない。

 なのにエドは自分に相談しなかった。あんな酷い嘘まで吐いた。それがもし善意だったからといって許されるものではない。そんなものは厚意ではない。

 自分で勝手に判断して、こちらの気持ちを傷つけて、まさにダメ人間の見本みたいな有り様だ。


 そんな駄目なエドと自分の関係を冷静に考えてみる必要がある。

 元クラスメイトだとか、同じ異世界転生人だとか、神人類ハイヒューマン同士だとか。

 そういった『付属的』なことはどうでもいいこととして、排除して、どうしたいのかを考えてみる。







 人生の主人公になりたい。


 上郡美姫であった時も、

 クレオリア・オヴリガンであった時も、

 それは共通の意識であり、大げさだが大げさでなく彼女の矜持である。


 しかし、逆にこうも思う。


 誰もが自分という物語を生きているというが、本当にそうだろうか?

 たとえそうだとして、それはそんなに価値のあることだろうか?

 客観的に見て、他人から見たら、ゴミみたいな人生だったとして、それで主人公だから価値のある人生なのですと言えるだろうか?


 そもそも客観的に価値のあることなどあるのか?

 いや、これはきっと違う方向の考え方なのでやめておこう。

 そういうことを考えだすと人生はとたんに行き先のない袋小路にぽつんと立つことになりそうだ。







 人生の主人公として生きる。


 自分がいい、と思った物語を生きる。

 生きられるかどうかは、現時点で問題ではない。


 他人が見てもいい、と思った人生を生きる。

 虚栄心だろうがなんだろうが、浅ましかろうがどうであろうが。


 だったら主観的でいい。

 主観的に価値のあるという人生でいいではないか。

 自分という主観も所詮は社会という客観から作られた、主観と言う名の客観なのだから。逆もまた真なり。


 自分が世界の一つの存在である以上、自分に価値ある主観とは、他人に価値ある客観なのだ。二律背反などという必要もない。

 後はそれは誤差の話だ。


 どんな人生でも価値があるですって?

 クレオリアは鼻で哂う。


 そんなところで妥協している人間など、何の意味もないではないか。

 それは只の甘えではないか。


 どんなに醜くとも世界に一つだけの花は素晴らしいが、どんなに役に立とうが世界に無数にある無限に作り出せるネジの一本であることに、本当に価値がある人生だと言えるだろうか。


 いや、価値があろうがなかろうが、そんな人生に納得がいくだろうか。

 そんな人生だったということと、そんな人生でいい、ということは全く違う。絶対に違う。


 もちろん、誰もが世界で唯一の花になれるわけではない。美しい花ならなおさらに。

 だが、要は、なれるかなれないかなどという、そういうのは大抵いいわけであって、大抵はしないためのいいわけなのだ。


 彼女は信じていることがある。


 果たして、心の底から花であることを願って、花であろうとした人間が、はたしてネジになどなるだろうか、なれるのだろうか?


 彼女は信じているのだ。


 その時こそ、世界中の誰もがこれは単なるネジだと言っても、自分だけは花だと自信を持っていえると。

 頭の具合を疑われるかもしれないが、その時は世界中のすべてを殴って目を覚まさせればいい。


 このプロセスこそが、人を人生の主人公にするのだし、花に変えて、客観を主観に変える。

 同じ結果という事実を、違う真実に変えるのは、まさにこういうプロセスを踏むかどうかだ。


 つまり過程は結果を変える。過程の違う限り結果も違う。

 世界が個々の固まりである以上、他人に価値ある客観は、自分の価値ある主観なのだ。二律背反などという必要もない。


 彼女はそう信じて疑わない。


 過程を軽んじる者は怠惰であって、結果が同じなら、過程も同じであったはずなのだ。

 そう信じて、行動すればいいだけの話だ。簡単すぎて議論の余地もない。


 ここが分岐点だ。


 そんなのどうだってイイじゃん。といえる人間に対して、なるほどそうですかと答えるしか無い。

 どうだっていいと思える人間は、どうでもいい人間であって、どうあっても自分にとって意味ある人間ではないはずだ。


 寝ている人間と起きている人間は、別の世界を生きているのだから。








 然らば彼はどうだろう。


 彼女という点の位置から控えめに言ってもかなり離れた存在ではある。


 その分岐点の彼女は此方側におり、彼は向こう側にいる。

 おそらくそうだ。

 いや。彼は自分がネジであるかどうかも気にはしていないだろう。

 彼は平凡なネジではあるが、けっしてネジ穴に入ろうとしない、そんな人間だろう。


 つまり、良いとか悪いとかの判断以前に、彼は違う。独自であり、平凡であり、異変であり、普遍であり、有りであり、無い。考えれば考えるほど不可解な人物ではあるが、そもそも考えることがない人物でもある。


 彼女が、人生のあらゆる意味での主人公でありたいとするならば、

 彼は、人生のあらゆる意味で脇役でしか無い。


 それは努力だとか、性格だとか、運だとか、そういう事と根本的に違う、どちらかと言えば、二次元と三次元の違い。水たまりに映ったこの世とそっくりの別の世界の住人。


 だからこそ、二人はぴったりと、かちりと、いい塩梅にはまり合う。混ざるのではなく、だ。美しいコントラストとは混ざり合ってはいけないが、隣り合っていなくてはならない。

 二人はそんな感じだ。


 携帯電話のチャームのように、

 車の助手席から操作する音楽のように、

 魔女が箒で飛ぶように、

 パスタにハーブがあしらわれるように、


 なくても生きていけるんだろう。

 あったらきっと美味しくなる。

 そういうもんなのである。彼というやつは。


 ここまで考えて、そうかと納得できたことがある。


 本来なら、本当なら、彼なんて、彼みたいな奴なんて、放っておいてもいいのだ。

 違う人間ですね。ああそうですか、勝手にしてくださいって。


 でも、そうではないのだ。そうではないと思っているのだ。

 だから彼は只のネジではないし、花の価値を誰よりも認めている。筈である。


 なんだ、何か前提から導き出された真理でなく、違うと感じているという事実を積み重ねた推論ではないかと思うかもしれない。

 だが、論理的にどうであろうが、実際のところは事実の積み重ねた永久に続く可能性が、前提の強固でどん詰まりの真理よりも、真実を映しだすのだ。なぜなら現実世界では、絶対に正しいという前提こそ絶対にないのだから。


 では、彼は彼女にとってなんなのだ。


 同じ日本人だ。なるほど、それはそうだが、それはそんなに考慮することだろうか。

 彼は同じ高校の元クラスメイトだ。

 同じ大学に通う予定だった。

 けれど、それだけの存在だ。名前も知らない存在だった。

 同じ日本人は一億人以上いるし、クラスメイトは三年生の時だけで三十一人、同じ大学だが学部は違う。


 彼は姉弟ではない。

 彼は良人ではない。

 親でもないし、祖父でもないし、家族の何者でもない。

 友達でもなかったし、知り合いであるかどうかも疑わしい。

 これまで濃い交わりであったとは言えないし、あのままあの先にそれがあったとも思えない。


 ならば立ち止まる必要も、一緒に帰る必要も、声をかける必要も、ないのかもしれない。

 彼は彼で勝手にやって、彼女は彼女で勝手にやって、勝手に日本に帰るか、勝手に日本に帰らないかを勝手に決めればいいだけの話じゃないだろうか。


 それは違う。と、なのに彼女は自分に自信を持って言える。


 それがこの問題の難しいところだ。天邪鬼なところだ。

 積み重なった事実はネジ山のネジだと示しているのに、直感は変わってはいるが、確実にマニアックな、だが花に違いないと言っている。


 そんなもんだ。とかあと十六年もすれば思えるようになるのかもしれないが、そんなものなんて本当にあるのだろうかと思い悩んでいるフリをしてみる。いいや、無駄なことはしまい。そう無駄なことだ。


 ネジなのだか、ナジなのだか。

 日本人だろうが、ハンガリー人だろうが、異世界人だろうが、異星人だろうが。

 結局のところ、そういう話になるんだろう。


 乙女だろうが、幼女だろうが、金髪だろうが、黒髪だろうが。

 彼女は彼女という、以前と変わらぬ線であって、延長であって、

 それと同様、彼は幼児であっても、幼稚であっても、点であって不動であって。

 つまり、理解してもらうには微妙すぎて、わからないだろうけど、そういう意味で二人は同じ概念の同じ組み分けになるんだろう。


 ここが人生の分岐点。

 右に進むか、左に進むか。


 当然ここは自分が道の右に進むというのに、彼は来た道を後ろ歩きで進んでいこうと言うならば、それはよく考えて見れば、なるほどいかにも彼らしい判断なのだけど、自分の進みたい道と、彼の進みたい道のどちらを選ぶべきかと言うのなら、それは当然彼女の道だ。正解とか不正解とかそういうのではなく、それが彼女のあり方のまっとうな姿で、そして当然彼のあるべき姿勢なのだ。


 その時二人は、その道の先で、きっと笑っているだろう。

 ハッピーエンドでも、バッドエンドでも、自分が選んだ道だから彼女が笑っているのは当然だが、選択をしないという選択をした筈の彼も確信的に笑っているだろう。または苦笑いを浮かべているだろう。


 ほら、彼はやっぱり花だったという結論になるでしょう?

 だったら、ネジはネジ穴に、花は花壇に、あるものがあるらしくあるべきでしょう。


 そういう選択が正しい。選択をするのは彼女で、ついてくるのが彼の役目だ。

 誕生日ケーキのロウソクを吹くのは、誕生日会の主役でなければマナー違反で笑えないし、レストランに行って主役だからと手酌でワインを注ぐのも同じことだ。


 正しい選択をすれば、人生は楽しいし、美味しいし、それは実は、苦しい、苦い、と相反しない。

 残酷と幸福は隣り合うことはあっても、相反しはしない。

 

 さてと。


 色々と若者な女子らしく結果の出ていることを、クドクドと考えてしまったが、分かりきったことも、整理のつかないことも、色々と言ってみるのが生理的に女子の、女子たる、女子らしい決断の仕方だろう。


 さてさてそれでは、あとは行動あるのみです。


 晴れ晴れとした気持ちで、健やかに。


 六歳の、白髪の、赤目の、坊主頭の、チビで、寝ぼけたことを呟き、フラフラとたゆたう、あの自分の花を、殴って、蹴って、怒鳴って、なじって、罵倒し、脅して、張り飛ばし、褒めて、愛でて、撫でて、癒して、導いてやろうではないか。


 正しい選択を直ぐ様行動に変えて、

 そうと決まればやることをやろう。


 正解は導き出され、筋道は正道に動き出す。


 それはまさに、彼女の有り様そのもので、彼女を点とする世界の正常な姿だから。








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