76 晴天をほめるには日没を待て
「僕の人生に先がない理由? うーん」
とっさに何かいい嘘はないかと思う辺りに、自分の小ささ加減が現れているとエドは、自分のことながら感心することでもないのに感心してしまった。
夕方近い田舎道を家路に向かって、魔女とともに歩く六歳のエド。
言ってもいいものかなあ、と思う。
クレオリアには間違っても言えないことだったし、もう話すこともない。
グウィネスは年上で、凄腕の黒魔術師だ。正直に話してその知識に頼るのも悪くない。
しかし、灰魔術師の開祖にして、天才魔導師であるセドリックでさえも解決策を提示はしてくれなかった。彼女がそれ以上の知識があるかどうかは疑わしい。灰と黒の違いはあるが。
もちろん何よりも信用できるのかという確信はどちらの天秤にしてもない。
「にゃんと言いますか」
つらつらと誤魔化す言葉を探している。このことに関しては、自分やクレオリアの正体とは違い、自分だけの問題で、話したところで問題もなさそうな気もする。
あるとすれば、魔神召喚のための生贄にでもされる可能性があるかもしれないことだろうか。
「正直に、ね」
と頭を撫でられた。この辺りは年の功かもしれない。怖いのでそうは口に出さないが。
「大した話でもないですけどね」
と、エドは結局話しだした。今かかっている疑いを話すのは、自分の『このコト』について話すのが一番だと思ったからだ。これを話して、それを信じてもらえれば、エドが転生者だとか、そういう話はどうでもいい話になるだろう。つまり気にするほどの問題ではないと分かるだろう。
「僕の魔力耐性って高いですよね?」
「そうね?」
グウィネスも、ジャックも、ジガも、魔術師でないソルヴもそれは知っている。
「魔力耐性値が高いって、言ってみれば魔力の浸透度が低いってことです」
魔力耐性値とはその物体に対する魔力の効果の抵抗値のことである。
これが低い人間ほど魔力効果に対する影響が高く、魔法効果の影響を受ける。
勿論魔力によって具現化された炎の抵抗値などは、物理的な法則に従うから、いくら魔力耐性値が高くとも、魔術によって具現化された炎による火傷、氷による凍傷、雷による感電などは防ぐことは出来ない。
オルガのように極めて強い炎耐性を持つ者もいるが、あれは何も自分の保有魔力に関係しているのではない。物理現象に対する耐性というのは精霊力とか物理的な抵抗力に依存するから魔力耐性値とは関係がない。とは言え、魔力耐性値だけが高いという存在自体が珍しいのだが。少なくともエドに言われなくともグウィネス魔力耐性値が何なのかは釈迦に説法だ。
エドの魔力耐性値がどの程度なのかというと、炎などの物理現象を除けば、その抵抗値はジャックだけでなく、ジガやグウィネスでもその耐性値を魔力のみで貫通することは中々骨が折れる。
年々その耐性値の異常値は上がっているから、この先もその値が成長していくと仮定すれば数年後には不可能になるだろう。
「魔力耐性値が高い、低いというと、どっちが良いと思います」
それは当然、魔力耐性値の特徴を考えれば、
「高いほうがいいでしょうね」
「そうです。普通は」
グウィネスの言うとおり、魔力耐性値が高くて困るということはあまりない。
物理現象は防げないといってもそれ以外の魔法効果に対しては全てこの能力が高いか低いかで抵抗値が変わる。
呪いや、眠りの魔術などの状態異常系魔術や、魔力をそのまま打ち出す無属性打撃魔術の『気撃』などは、魔力耐性値が高いか低いかで防御力が決まる。もちろん、根性で眠りや打撃に耐えることはできるが、それはあくまで『根性』の問題であって、及ぼす効果が十であったのを、五にしたり、一にしたりできるわけではない。逆に根性がなければ例え効果を一にしても、抵抗できないと言う話にもなるのだが。
「しかし、ギニー姉さんが言っているのはあくまで普通の、通常の範囲の話です。魔力耐性値が高いことの欠点もありますよね?」
グウィネスは少し考え込んだ。経験も知識もあるグウィネスが少し考えるほどには、魔力耐性値が高いことでの欠点は殆ど無い。
魔力耐性値が魔法効果に対する抵抗値だからと言って、何もその能力が高くなれば魔術師としての能力がなくなるわけでも、低くなるわけでもない。
魔力耐性値はあくまで殻や鎧のようなものだ。そこを貫通しさえすれば魔法は効果がある。
エドが浸透性と言ったように、その肉体を通すかどうかの違いで、魔力自体が無くなるわけでも低くなるわけでもない。さらに言えば、魔力の体内発生量とも無関係だ。
「あまりに高いと、白魔術などの治癒魔法も、効果が薄まると言うわね」
敢えてデメリットと言われて上げたのがそれくらいのことだ。だが、グウィネスの経験ではそれは多くて体感で二割ほど。しかも魔力耐性値の低い者として一般人を、そして高い者として大魔導師や聖者などを比較対象として比べた場合の話だ。さらにその場合は対象者が抵抗の意思があったり、逆に意識を失っているなど条件を更に加味して、だ。
「そうですね。まさにその点です」
エドの魔力耐性値の場合は、試したことはないが、神聖魔術による治癒は特殊な処置をしなければ効果を表さないだろう。例えばセドリックが使う夢見系統の灰魔術、『夢凪』や『箱庭』など仲間との通信魔術といった(黒魔術などでもある『念話』の同系魔術だ)無害なものでさえ、エドはその効果を発現させるのに、自身の内部から受信のための魔術を発動しなければならない。
「僕の魔力耐性値は恐らく、神聖魔術の治癒を意識のある状態で、それを受け入れるつもりでかけても九割以上が無効化されます。もちろん今でさえですよ」
「そ、んなこと……」
グウィネスは不可能だと言おうとした。先程も例に上げたとおり、大魔導師や聖者でさえ二割ほど。しかも治癒魔術の効果を拒否しようという意志がある特殊な場合にだ。
「ま、あくまでも仮定の話で、白魔術の治癒なんて見たこともないですけど」
恐らくこの街で使える人間がいるとしたらビアーセ司祭だが、エドは彼女が使っているのを見たことはないし、幸運な事に自身がそれを目撃する状況に陥ったこともなかった。
パッと手を翳して傷を治す等というのは確かに可能である。それらは大体が白魔術などと言われてるが、ほとんど『奇跡』の領域で軽々しく使えるものではない。そうやって大怪我を治すとなると魔術でなく魔法の領域だ。
だから大体が、神殿関係者が傷を治すのに使うのは魔力による純化で効能を高めた薬草の類である。こういった効果を高めた薬草の類はエドにも効果があった。それ以外では切り傷くらいなら魔力の具現化によって治癒力を高めることで回復を早めることはできる。グウィネスほどでなくともエドくらいのセンスがあれば。
「その仮定を正しいとして、魔力耐性値が異常に高いことがどういう関係があるの?」
「まあまあ、話はそう急がないで。じゃあ次は、魔力ってなんでしょう」
魔力は万物を生み出す力だ。この世界には物理法則がありながら、それを歪めて無効化して、省略して、作り変える力もまた存在する。
魔力は創造主の力といえる。何でもできる力で、何でも生み出す力だ。創造主以外の存在が、創造主ほどに容量があり、知識があり、技術があり、有能であればその座を取って代わることができるはずだ。それを成したものはいないし、それを成そうとした者の記録もないだけで。
「つまり、魔力は生命力そのものだとも言えます」
全ての人間は魔力を持っている。魔力を持たない物はない。
魔力は物理法則を歪める力だが、同時に物質がこの世界に存在するための碇でもある。
『魔力切れ』という症状がある。症状と言っても病気ではない。
魔術師が魔力の使いすぎで陥る状態だ。動悸や身体機能の低下にはじまり、吐き気や頭痛を伴い、重度になると意識を失う。
「このことは、魔力がまさに僕達の生命力そのものだということを表しています」
「そうね。そして重度の魔力低下によって意識を失うのも、防衛本能の一部と言われているわね」
意識の喪失は体が、魔力の低下によって、体の機能の一部を停止してその消費量を抑えるためだと言われている。体の機能を保つための魔力消費など極ほんの微量であるはずだから、この状態になることがどれほど危険か分かる。
そしてエドがグウィネスに魔力がなんたるかを問うなど、馬鹿にしているようなものだが、魔女は素直に話を聞いている。
「つまり、魔力が無くなることは生命として亡くなることと同じです。魔力は魂と肉体と記憶という『生命の三元素』をつなぎとめるための必要不可欠なもので、この辺りのことは魔術師なら誰でも知っていることですが」
「六歳児では知っている子はいないと思うわ」
「魔導書を読めば知ってますよ」
読める六歳児がいるかは別の話だが、今は関係がないし、関係があってもエドは認める気はない。
「だったら、その大切な魔力って僕たちはどうやって供給しているんでしょう?」
保有する魔力は体内で作られている。
その魔力の素となっているのが魔素という存在だ。
これはそれ自身では何の力も持っていない。
白魔術、つまり神聖魔術の使い手たちに言わせれば、それはあるべきものがあるように導く力、精霊力とも呼ばれる力だというが、エドはあまり理解できていない。
人はこの魔素を取り込んで、魔力に変換する。その魔力を使って色のついた残滓が魔粒子であり、灰魔術師はその魔粒子を利用するスペシャリストというわけだ。
「……」
エドは黙ってしまった。
この後に言うべき言葉を考えてだ。
もしかしたら、グウィネスほどの魔術師なら、もうこれだけで話の結論に達したかもしれない。
それでももし、この女性が気がついていないのなら、それを言うべきではないかもしれないと思う。
どうせどうにもならないのなら、そんなことで他人の時間や感情を奪うこともない。
それが自分に好意的な人であれば尚更だ。
こんなことは自分だけが抱えて、猫みたいに最期は消えればいいだけだ。エドは猫を飼ったことなんて無いから、本当に猫がそうするのかは、知らないがそれこそどうでもいい。
「エド、頑張って」
そう言って、いつまでも二十代半ばにしか見えないメイドはエドの頭をまた撫でてくれた。エドはこの世界に血の繋がった存在はいない。少なくとも今のところは。しかしウォルコット家の面々や、自分が嘘を吐いて、その信頼を裏切った公爵令嬢と同じように、隣に歩く女性は同じものを六年間エドに示してくれた。
もしそれが、何か陰謀めいた理由で自分を欺いていたのだとしても、それはその六年間を否定するものではない。それは人にとって必要不可欠でなく、奢侈品の類なのだから。
そういった人に、こういった話をするのはどうだろうと思う。
それはできれば何かを成す時の暗い側面に、長身痩躯の灰魔術師や巨人族の父娘を巻き込むことに躊躇したのと同じことだった。
そういった感情を、この女性は、少なくともオルガよりは姉らしい存在の女性は、『頑張って』と促す。それは少し狡いと思わないでもないが、やはり好意から発した言葉だと受け止めている。
しかたないと、考えることを止めて、エドはまた流されるまま話し始める。
「……魔力耐性値の高い、控え目に言っても異常に高い僕は、その魔力の素となる魔素の取り込む能力もやはり、異常に低いです」
エドの保有魔力量が低いのもそれが理由だ。体内の魔力生産量がどうという以前に、その材料となる魔素を体に取り込む能力が異常に低い。
「けれど、低いというだけで、まったく取り込めないわけでもないのでしょう」
グウィネスの言うとおりだ。
エドは呼吸で言うところの皮膚呼吸では殆ど魔素を取り入れることはできない。しかし経口による供給方法ではまだ有効に働いている。つまり食物を食べることで、それが宿す魔力を頂くという方法だ。魔法薬などがまだエドに効果があるのもその一例だ。
人体を機能させるための魔力量など極少量。エドの感触だと体が欲する酸素の供給ほどには必要としない。
だから皮膚呼吸が出来ないからといって、呼吸ができず命を失うという危険は魔力供給ではそれほどない。
もちろん魔力の生産量と回復量は低く、魔術師としては致命的だ。以前ナイジェルが言ったように外界に存在する魔粒子を自身の魔力として利用できる灰魔術師は、そんなエドにピッタリの魔術だったといえる。
「ただし、それも今の時点です」
そう。それは今の時点での話だ。
エドの魔力耐性値は、現時点でさえ異常な値だが、それはまだ成長の途中にある。
「将来的に、おそらく成人する歳には、つまりあと十年も絶たずに、僕の魔力耐性値は『閉じ』ます」
それはもう、値が高いか低いかという問題ではなく、零になる。
「そ…んな」
馬鹿なと言いたいのだろう。それはそうだろう。そんな人間はいない。エド以前には。いや、いたかもしれないが、少なくとも生き残った人間も記録に残った人間もいない。
二人は当然その言葉を耳にしていないが、究血姫オルガがクレオリアに、
エドは人の最上級種『神人類』でありながら、種族の突然変異である『異罪』だ。
と、言ったのはそういう理由からだ。
セドリックの言葉を借りるならばエドの存在は、この世界にありながら、一個の別の世界が出現するようなものだ。
そんなものはありえない。一つの場所に存在する世界はいつだって『一個』だ。
つまり、どちらかが消える。どちらが消えるかは『固定観念』の強い世界が残り、弱い世界は雑因として消え去るだろうということだそうだ。
どっちがより強いかなど比べるまでもないし、万が一があったとしても今の世界の代わりに自分だけが生き残ろうなどと醜いエドでも思わない。どのみち物理的な肉体も持つエドは生き残れないし。
「僕がこの世界に存在するには、この魔力耐性値に風穴を開けて、この世界と繋がることだけみたいです」
「そんなこと……」
言いかけてやめる。可能なのかといいたいのだろう。その答えも明らかだ。
そう。そんなことは不可能だろう。二つの世界を繋げて融解させるようなものだ。
「でも、そんなに悲観することはないですよ」
グウィネスには哀れみの目を向けている自分に対しての慰めのように、そして完全な嘘の様に聞こえた。
しかし、だ。
エドにとって、今日という、最悪で糞長い日に何か一つ良いことが、希望があったとするなら、それはこのことについてだ。
もしかしたら、本当にどうにか出来るかもしれないとエドが思えたことだ。それは口にするにもおこがましいほど細い道ではあるけれど。
エドは異常な魔力耐性値という殻を持つ精神体だが、同時にこの世界に物理的な肉体を持って存在する生物でもある。
魔力という精神世界の存在であると同時に、肉体という物理現象でもある。
そのことがエドの最期の希望だった。
死の塊であるようなあの殺し屋が自分にとっての生への希望などというのは皮肉なものだが、そういった感じは嫌いじゃない。好き嫌いなんて言ってられる問題じゃないが、素敵だと感性で思う。今は関係無いけど。
けれどそれは、やはりほとんど消えかけた蝋燭の炎のような希望。
それにあの子を付き合わせる気はサラサラ無い。
エドはこれから自身が生き残る方法を探して足掻くつもりだが、同時にそんなにうまくいくことは無いと諦めてもいた。
つまり、それはエドの寿命が、セドリックの見立てによると、長くても成人するまでの残り九年間にすぎないということだ。
だから、エドのという少年はその九年をどうするかを決めたのだ。
あるかどうかわからない。恐らく無いだろう十年後を考慮するのを止めて。
九年以内にクレオリアと日本に帰ることはできないだろう。
だけれど、この街をちょっと良くするくらいにはできるかもしれない。
それは自分の兄や姉が死んだことが、『とても不幸な出来事』だと自分以外の人が認識できるほどには。
「諦めたわけじゃないですから」
それは単純にグウィネスに対する気遣いの言葉だった。
エドは自分のことを楽観的な人間だとは思っていない。しかし絶望して足を止めた人間でもない。
可能性が零ではないのなら、片手間にそこにチップを置くことに価値を感じない人間でもない。
けれど、『できそうなこと』に主眼を置くほどには、エドは自分が凡人であることを知っていた。
それでいいと思っている。それができなくともいいと思っている。
それに向かって行動できただけで、自分という勇気も行動力もない人間には上出来だと分かっているからだ。だから周りの人達によりも悲観しない自信があった。格好悪いので誰にも言わないが、その程度の人間だと思っていた。
「だから、そんな顔しないでください」
こんな自分のことで、姉のような人を悲しませるのは、悲しいというほどでなくとも気を使うから。
そう言ったらギュッと抱きしめられた。柔らかい体の感触に寝てしまいそうになる。
しばらく、グウィネスが抱きしめてくれたその感触を楽しんで、離してくれるまで楽しんだ後、両手で顔を挟まれ、覗きこまれたので口を開いた。本当はこのままキスでもしてくれるのかと期待したが、そんなことはなさそうだったので口を開いた。
「ギニー姉さんの試験は合格ですか?」
そう尋ねると、
「家族を試すようなことはしないわ」
と返ってきて、やっぱりこの人は狡いし、よくわからないとエドは思ったがあまり気にしないで受け入れた。
「総帥やお婆様には上手く言っておくわ」
エドは前々から感じていたこともでもあるが、どうやらこの女性は単純にジガやソルヴの配下というわけでもないらしい。ジガとソルヴとの関係も謎だが、そこまでは九年間で知ることは出来ないだろうし、どうでもいい。
「とりあえず」
両手で顔を挟まれたまま、グウィネスの白い光を伴った蒼い瞳を見つめて言った。
チューぐらいしてくれないのだろうかと、往生際悪く希望しながら、
「とりあえずソルヴ総帥に直談判してみます」
と。