67 混沌無形 完形
気がついたら今回で実質100話でした。
おめでとう自分。
しかし、これだけ書いて物語中描写されたのがほんの数日って……
「そいつは俺も聞きたいな」
俺と自分を呼ぶ女が屋根の上に立っていた。
そこにいる全員を舐るように見下ろしている。
その肌は一級品の陶器のように白かった。
金の長髪に、白い肌。体つきは細く、幼いとさえ言える。
その神々しいまでの造形の中で唯一つ、禍々しく光る二つの眼孔。瞳の色は赤。赤と黒の混ざり回転する強膜に、金の輪を重ねた虹彩。
その神の芸術品を白い筒型衣服で包んでいる。ラインを強調するようにピッタリとしているが、慎ましやかで薄い体つきはあくまで品を失わない。筒型衣服はなぜかスカート部分が膝上で切られており、そこから無骨な黒革のズボンとブーツが見えた。
それが恐ろしいまでの美貌と瞳以外に、人と違う部分があるとしたら、口元から二本の異常に長い犬歯が覗いていることだろう。
誰も動けない。動かないのではない。動けない。
人と違うところ、それはハッキリと形に現れるものではないが、相対する者達はハッキリと感じ取っていた。
これは人ではない。
これは人の上にある者。
これは人など塵に等しく、これは人などが見ていいものではない。
絶対的に人の上位に存在する者。
オルガ。
少し前まで『南瓜の魔女』との戯事に興じていた吸血鬼。
それがこの場に現れたのだ。
絶対の強者として、命を握る狂者として。
それをこの場にいる殆どの者が理解した。全員でないのは、例外が二人だけいたからだ。
一人は殺人鬼の生き残り。彼はもうそれを理解するほど理性が残っていなかった。ちょうど自分の頭の上にある、屋根の上に立っている者など気にしていないようだった。
もう一人は金の長髪を持つ、空から降ってきた幼女だ。
彼女は明らかに人より格上の存在に向かって、殆ど中傷に近い目を向けていた。
「誰?」
そこにいる全員が思ったことを、少女は代弁して、しかし、明らかに邪魔者であると認識した声色で話す。
現れた女は、その少女の言葉に目を向ける。そしてその美しい美貌を歪ませた。
笑ったのだとジャックなどは時間差を置いて理解した。
「おお! おうおう! お前が妹か! 初にお目にかかるが、俺がオルガ姉さんだ。特別にオル姉とか呼んでもよいぞ」
「頭オカシイんじゃないの?」
「カカカカカっ、照れんなよ」
オルガは屋根から飛び降りると、目の前に立ちふさがり、ズイッと妹と呼んだ幼女の顔を覗きこんだ。
「何よ?」
クレオリアは睨み返す。
「なるほど、確かに威血族だわ」
「はあ?」
「いや、その辺のことは、後でゆっくり。それよりも今はもう一人の行方を探そうぜ」
「そうだわ!」
クレオリアは自分の目的を思い出し、いきなり現れた闖入者を無視して(そういうことなら自分もそうなのだが)、ジャックの方に顔を向けた。
「エドをどこにやったの」
「そうそう、陰気ン答えろ」
クレオリアだけでなく、オルガの視線を受けて、この黒魔術にしては珍しく動揺したような表情を浮かべた。インキン呼ばわりされたから動揺したわけではない。内部からくる震えからだ。
「いや、それが……」
答えられないジャックにオルガが苛立った表情を浮かべる。
「なんだよおい、ハッキリしねぇな。何なら血に聞いてもいいんだぜ」
オルガがジャックの首に手をのばそうとした。
「後ろだ!」
大音響が響き渡る。その声は遠く離れて様子を見ていた巨人族の騎士ベイトマンだった。
この男はオルガという次元外の生物の畏怖の効果が薄かった。
そしてもう既に生物として終わりを迎えつつあったグルーエフという殺人鬼も同じだ。
彼はとにかくその性質に従って、目の前に立つ生き物をバラバラにしようと手に持ったナタを振るう。そこに生物間の格差など考慮する余地はない。
「でっけぇ声してんなぁ」
警告を受けた当のオルガはジャックに伸ばした手を止めて感心したように髭面の巨人族を眺めている。
クレオリアはオルガの背後にいる殺人鬼をちらりと見たが、こちらも動かなかった。殺人鬼の狙いが自分ではなかったからだ。
ガインっ。
とは鳴らなかったが、鈍い音がした。それはナタが頭部に当たった音では確実にない。
だが、見た目には確実に当たっていた。
「いってぇなっ」
オルガがジャックに伸ばしていた手を後頭部にやって、確かめている。確かに当たったようだ。しかし本人の言葉以外にそれを証明するものはなかった。血の一滴足りとも流れてはいない。
オルガの目つきが凶悪なものに変わる。
「誰の頭叩いてんだよ、木偶コラ」
ゆっくりと後ろを振り向く。
グルーエフは手に残った感触と映る結果に、不思議そうに首を捻り、その手の中の刃物を見る。
分厚いナタが握りの部分からグニャリと曲がっていた。
グルーエフはそれが意味するものを考えることも、理解することもなく、使えなくなった道具を捨てた。そして、そのまま手を伸ばす。
オルガの右腕だけが見えない速度で動いた。
パン! と音がした。
その瞬間、グルーエフの巨漢が目の前から消えていた。この世からも消えていた。
代わりに薄汚れた建物の壁に大きな赤い液体がぶち撒けられていた。まるで水の入った風船を壁にぶつけたように。これが人工殺人鬼、殺氏家結末の家族の一人のあっという間の最期だった。
「くっせぇ手で触ろうとしてんじゃねぇよ」
オルガはそれだけ言って、もう興味をなくしたように、他の人間にも興味を無くしたように、クレオリアだけを見る。
「しかし、どうすっかぁ。なにかエドの持ち物でもありゃ跡を追えるんだが」
その言葉にクレオリアは食いつく。クレオリアも他の人間など興味が無いように、目の前の妖女にそれを向ける。人外以外の何物でもない力を目にしてもそこに恐れなど無い。まるで自然の事のように受け入れている自身のことを幼女は気がついていなかった。
「追える? 本当に?」
「ああ、こう見えても究血姫だからな。血か汗の染みついたものがあったら追えるぜ。距離にもよるが消えたのがそう前じゃないならいけるはずさ」
「あっ」
声を上げたのは幼女ではなく、痩身の灰魔術師だった。その声に幼女と吸血鬼が顔を向ける。
「なんだヒョロ長。発言を許可する」
オルガの言葉を真に受けたわけではないだろうが、何とか地面に落ちている肩掛けバッグを指さす。
「喋れっつってんだろアル中」
「! エドの持ち物なのね」
クレオリアが駆け寄って、肩掛けバッグを拾う。そしてそのままオルガに突き出した。
「いける?」
「ああ、臭いが変わるからベルトの部分には触んなよ。どれ」
オルガは受け取って、クンクンと肩当ての部分の臭いを嗅いでいる。
「よっしゃ。記憶した」
それから周りを見渡すように四方に顔を向ける。その動作だけでクレオリア以外の面々に緊張が走った。
「あった。なんか他の臭いと混じってるな。おそらくコイツがエドを連れ去ったんだな。子供の臭いだが」
「子供?」
意外な犯人の姿にクレオリアが尋ねた。何故か目の前の怪物に警戒心が湧いていないことにやはり本人も気がついていない。
「ま、跡を追ってみようや。心配すんな。便りを感じないなら無事な証拠よ」
そう言って、オルガはクレオリアの襟首を掴むと、ハンドバックを肩に担ぐようにその体を持ち上げた。百二十センチちょいのクレオリアよりは高いと言っても、オルガ自身もそれほど長身ではない。とは言え、先ほどまでの一撃を見れば何の不思議もない。
「ちょっと!」
ネコのようにブランと釣り上げられたクレオリアが抗議の声を上げるが、オルガはその体勢を止めなかった。
「ええい、動くんじゃねぇ。お姉ちゃんのいうことを聞きなさい」
「あなたそれを言いたいだけじゃないの!?」
「それもあるがお前の足に付き合うよりこの方が速い」
クレオリアの了承は聞かずに、そのまま再び二メートル弱の屋根の上に飛び移る。
そしてそのまま立ち去っていった。
残された者の耳には抗議の声をあげる幼女の声が徐々に小さくなりながら聞こえるだけだった。
こうして、空から現れた幼女と吸血鬼は、再び空の向こうに消えていった。
突然現れあっと言う間に消え去って、混乱した状況を強引に置いてきぼりに未完に終了させて。
やがて、その場をシンとした空気が流れる。
その途端それまでその場を支配していた圧力が消える。非戦闘員のアヴリルはその場にへたり込んでいた。脂汗が額を濡らし、普段の威勢の良さはすっかり消えて青ざめている。
脂汗を流して、蒼白になっているのは一番近くにいたジャックとナイジェルの両魔術師も同じだった。こちらはへたり込んでいないがそれは体の筋肉が未だに硬直から解放されていなかったからだ。
「な、んだ、アレ……」
ナイジェルが全員の思いを代弁するかのように、言葉を絞り出した。
人として、または人外と恐れられるアーガンソン商会の面々でさえ、あれほどの人とは次元を異にする存在を間近に見たことはなかった。まるで遥か彼方に距離を取る太陽が、間違ってすぐ目の前に存在していたかのように異様な重力が発生していた。
ナイジェルの呟きは答えを期待したものではなかった。しかし、答える声があった。
「あれは常闇の国の女王だ」
それは意外にも、巨人族の騎士だった。実はベイトマンがあの吸血鬼を前にしても比較的動けたのは、あの存在に対する知識と経験があったからだ。
「常闇の国。東方の未開地にあるというヴァンパイアの闇都のことか……」
ジャックは自身の知識を引っ張りだして、髭面巨人族の言葉を反芻する。
「ヴァンパイアの女王? 東方の化け物がなんで南方にいるんだよ」
そのナイジェルの言葉に答えられるものはいない。ベイトマンもだ。
「ただなぜ儂らが動けなくなったのかは分かる。あの吸血鬼の女王は古代竜と同じ能力を持っておるからな」
「そうか、あれが『位怖』と言うやつか」
ジャックの言う『位怖』はベイトマンの言うように能力と表現するには少し誤解を生むかもしれない。なぜなら『位怖』は効果、結果であって、本人にもどうすることも出来ないからだ。それは生物が持つ上位存在に対する根源的な恐怖心とそれがもたらす所謂、足が竦むというものだ。
しかし古代竜の場合はその咆哮に『位怖』の効果があると聞いたことがあるが、あの吸血鬼のように立っているだけであれほどの効果があるとはジャックも知らなかった。そしてそれが特別なことなのかどうかも判断できない。
「なんで、知ってたんだ?」
というナイジェルの問いには「東方軍にいた時に見た」とだけ答えた。
そしてベイトマンはアーガンソン商会の面々から離れる。
それは娘のケイトも同じだった。
「どうだ?」
気を失った二人の子供の様子を娘に尋ねる。命に別条はないようだ。あくまでも肉体的な部分でだが。特にアレルの方は意識を失っていないのに呼びかけても反応がない。
ベイトマンは二人の介抱をケイトに任せると、首のない小さな死体の傍にしゃがみこんだ。その大きな手の中には恐らくこの幼子のもので、恐らくレアナという名の少女のものの頭部があった。それは頭髪が纏わりついているだけの血だらけの肉塊にしか見えなかった。
ナイジェルはその様子を目の端に捉えていたが、あえて無視するように集まっているアーガンソン商会の面々の話に加わった。
「とにかく、エドを保護するという目的が達成できたわけではない」
ジャックが言わずもがなな事を口にする。
「だけど、アレがいるぜ」
アヴリルの言うアレとは当然あの常識外れの吸血鬼のことだ。
「とりあえず、グウィネスとジガ老に連絡をとる」
「だな」
アヴリルが頷く。確かにアーガンソン商会の人間の中でもアレに対抗できそうなのはグウィネスくらいしか思い浮かばなかった。
ジャックは血の海に足を踏み入れる。
血の海はそこら中にあるが、向かったのはメイド少女のバラバラ死体が浮かんでいるところだ。
「どうだ?」
ナイジェルが背中に尋ねる。あまりナイジェルに悲しいと言った感情はない。どちらかと言えば凄惨な現場を目にした忌避感の方が強い。他の面々も表面上仲間の一人が殺されたというのにあまり悲壮感がない。これは何も冷徹さばかりではないだろう。少なくともナイジェルはそうだ。
それというのもあのメイド少女が只の人間どころか、人間ですら無いのはここにいる六人の人間には分かっていることだったからだ。人形が無残な有り様にされたら、酷く不気味で不快に思うことはあっても、少なくとも大人なら悲しんだりはしないだろう。それを直せるものだと知っていたなら尚更。
新参者であるナイジェルは、詳しいことを知っているわけではなかったが、灰魔術師としておおよそのことはその『目』で見てわかっていた。
ジャックは肉片の中に手を突っ込む。少しだけ粘着質な水音がして、肉塊の中から小さな、掌の中にすっぽりと収まるほどの玉を取り出した。血に濡れたそれを取り出した布で拭い、少し観察した後、懐に仕舞いこむ。そして五人の方に向いた。
「アンジェは記憶の保存も含めて、問題ないようだ。だが、数日は復活できない。となるとエドの奪還は今の人間でやることになる」
その言葉に口を開いたのは、当事者である黒服の一人だった。
「我々三人がかりでも、時間稼ぎできる自信はありませんが?」
「『位怖』の竦みの効果は慣れることでなんとかなりそうだが」
「慣れとかで何とかなんのかよ」とはナイジェル。
「知識だけでしかないが。『位怖』の効果は保持者毎によって違うらしいが、あの巨人族が動けたことから見て、経験があれば耐性ができてくるのかもしれん。『位怖』は能力というより生物がより高い生物に持つ恐れが原因らしいからな」
「確証はねぇか」
「まぁな」
「でもよ」
門外漢のことにアヴリルが口を挟んだ。
「とりあえず次会った時に慣れてるか分かんねぇだろ。というかそのクリなんとかをどうにかしても、どうにかなる存在か?」
「だよなぁ」
鴉のような倉庫番の言葉に、痩せた犬のような灰魔術師が頷く。
あの吸血鬼と対峙して、生き残ったのはそれこそ確実にあのオルガという女王がアーガンソン商会の人間を脅威とも、敵とも思っていなかったからだ。不機嫌さが優っていたら、蚊を叩き潰すように殺されていただろう。
魔術師として高位吸血鬼の持つ魔力耐性値と属性抵抗を突き破る術を行使して、肉弾戦においては殺し屋をまさに蚊を叩くようにシミに変えた力を相手にしなければならない。そんなことができる人間はここにはいない。例え全員の力を倍がけにしても無理だ。
「繋がった」
その言葉を発したジャックに視線が集まる。そのまま少し黙っていたが、やがて口を開く。繋がったというのは『念話』の魔術でジガやグウィネスと連絡を取ったということだろう。
「アヴリル、それにお前たち三人はここを綺麗にしたら、そこの堤防まで行って後始末を手伝え」
「後始末?」
「魔物の発生源はグウィネスが浄化したそうだ。今こちらに向かっている。鼠退治は盗賊ギルドがやるそうだから、お前たちはその焼却を手伝ってくれ」
「了解だ。一応聞いとくけどよ、どうする?」
アヴリルが親指で背後を指す。ジャックは少し考えた。あくまで方法をだ。
「アヴリル、油はあるか?」
「三人分はねぇな、さすがによ」
「じゃあ、堤防まで行って油を貰ってくれ、それでここも火で消毒しておこう。一応二人は意識がないだけだから首を刎ねてからいけよ」
「それはこっちで上手いことやっておくさ」
アヴリルは黒服三人に顔を向ける。
「お前とお前はここに残れ。首でも足でもいいから適当に切っとけ。アタシたち二人は油をとりにいく」
そう言って早速動いたアヴリル達を見送ってから、ジャックは残っている灰魔術師を見た。
「それから」
と、ジャックはため息をつく。
「グウィネスがあの吸血鬼とやり合ったそうだ。時間的に俺たちの前にな。アレの狙いはエドらしい」
「はぁ!?」
ナイジェルが驚いた声を上げるが、もうそんなことばかりだった。しかし、それでもそんなおかしなことには驚きの声をあげてしまう。
「なんであんなのに追われてんだよ」
「よくは分からんが、追っているというより保護しようとしているらしい。俺達もエドを別々に探す。『念話』系統の魔術は?」
「あ、ああ、使えるぜ」
「なら、三人で連絡を取りながら探す。お前は何かあったら俺に『念話』してくれ。使用条件があるなら今のうちに満たしておけよ」
そこまで言ったところでジャックは言葉を切って、ナイジェルの背後に視線を向けた。相変わらず陰気な目で。
後ろに立っていたのは巨人族の騎士と娘だった。
「行くのか?」
ナイジェルは何となく雰囲気で父娘の行動を悟る。二人の手には三人分の体が抱えられていた。
そのうち一人の首から上には赤く濡れた布が何重にも巻かれていた。抱えているのはケイトの方だった。布で巻きつけただけの頭部が落ちないように支えている。
巨人族の騎士、ベイトマンは頷いた。いつものように雷声を発したりはしない。
「一応言っておくが、この子を殺した奴らは生きてるぜ」
そう言ってナイジェルは倒れている殺し屋二人を指さした。側にいた黒服二人がその言葉に視線を向けてくる。ナイジェルが言っているのは、ベイトマンに『止めを自分で刺すか』ということだ。殺すこと自体は避けられないし、それ以外をナイジェルも望んでいない。
ベイトマンは首を横に振った。
「今はこの子たちや、他の者を連れて逃げねばならん」
その言葉に答えたのは意外にもジャックだった。
「なら、このまま北に行くといい。街からでなくとももう少し北なら魔物が来る心配もないだろう。あの化け物がいるかもしれんがな」
「アレは弱き者には興味など持たんよ」
「弱き者には? ならあの吸血鬼が追っているのは強き者だとでも言うのか?」
ジャックの言葉は独り言のようだったが、ベイトマンは答えた。
「だろうな。少なくとも儂らよりは狂者であろうよ、常闇の国からこのような地の果てまでやってくる程度にはな」
そして、二人の親子は、二人の魔術師の前から去っていった。
あまり多くのことを語り合いたい場でもなかったし、時でない。それでいいだろう。
「さて、俺達も行くか?」
そう促したナイジェルにジャックは答えなかった。残っている黒服たち二人も視線を投げかける。
ジャックは巨人族の言葉を考えているようだった。
「エドゥアルドか……」
「エドといやよ、今回の騒動もあいつは気づいてたみたいだな」
ナイジェルの言葉に少し意外そうな顔を向ける。それをナイジェルは黒魔術師なら不思議に思うかもな、と納得する程度だった。灰魔術師として優れた才能があるエドがこの貧民街を歩き回っていたなら、ここで起こっていた瘴気の異常にも気がついていたとしても不思議はない。ナイジェルがアンジェのことを気がついていたのと同様にだ。
しかしジャックが気に留めたのはそんなことではなかった。
「なんでもかんでもエドだな」
「あん?」
「今回のことも前回の事も、全てはエドが関わっている」
「なにそれ?」
「六年前、お前は何をしていた」
「六年前? まぁ、まだ宗家で修行してたな。なに六年前って?」
「いや。行こうか」
ジャックは会話を止めた。
六年前、ジャックが関わったエドとクレオリアの誘拐事件。その救出に影から手をかしていた正体不明の灰魔術師の姿があった。あのまま誰だったかは不明だが、まさかそれがナイジェルということはなさそうだ。
ジャックは作業を止めて見ていた黒服二人に頷く。
そして二人の魔術師もまたその場から立ち去っていった。北と西に分かれて。
そして作業は再開された。再開されたと言っても、黒服二人が手に持った剣をそれぞれ振り下ろしただけで終了したが。
二人の魔術師もそれを確認もしなかった。興味もなかった。意味がなかったからだ。
殺氏家結末。
彼ら家族の物語は、もし物語と言うほどの価値が有るのなら、こうして静かにその名の通り結末を向かえた。
悲劇でもないし、喜劇にすらならない。哀れでもないが滑稽ではあったろう。
こうしてある家族がこの世から消えた。それは珍しいことでもなかったし、家族であったことを知っている人間も、もういない。