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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第三章 MOB男の人言奸計と思春期殺害報告書
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61 風の参道






「構いません。矢の準備を!」


 戸惑う兵士たちに呼びかける。そこに指示を一つ追加する。

「あの男がこれ以上近づいてきたなら、後ろに控えている貧民街の住民たちに向かって打ちなさい」


 クレアの言葉に、ベイトマンが目をさらに見開いた。

「なんという非道な考えを。後ろにいる者達がわからないのか!」


 わかっている。

 老人に子供、女達。貧民街でも更に弱者である者達だ。

 そんなことは見ればわかる。


「さきほど言ったとおりです。その者達も貴方も、私が守るべき民の中には入っていない。もしこれ以上この街の住民を危険にさらすような事をするのであれば、魔物と同様の存在として矢を射掛けます。矢で不十分であれば、油を撒いて、貧民街ごと焼き払いますよ」


 できる限り感情を抑えてベイトマンに告げる。

 ベイトマンの方はクレアの言葉が信じられないのか、怒りを抑えようとしているのか、表情からはわからないが、矛を力いっぱい握りしめて何やら低く唸っていた。


 クレアとベイトマンは、堤防の上と下で睨み合う。


 誰も声を発さず成り行きを見守る時間が続く。

 緊張感は高まり、弓を構えた兵士がクレアの指示を待たずに矢を放ったとしてもおかしくはなかった。


 正直言って、クレアからすればこれはハッタリだった。


 別にそんな非道な行いをするつもりなどない。というわけではまったくない。

 必要であればするつもりだし、そうするべきだと本心で思っている。


 ただし、実際は油を撒いて貧民街ごと焼き払うなどできるはずもない。

 あそこは盗賊ギルドの『領土』である。その構成員の数は二百名、ギルドの構成員以外も含めると都市の正式な人口数よりも多いのだ。できるはずがない。


 そもそもこの油は軍隊鼠(MGR)という魔物に対して、クレアが独自に持っているただ一つの対抗手段なのだ。アーガンソン商会の精鋭に鼠の駆除を依頼しているが、他人だけを当てにする訳にはいかない。当事者として一度しか使えない武器をそんなことのために無駄にはできない。


 矢を老人や子供たちに射掛けると言っても、これも現実的ではない。

 それをやったところで、もたらすものは、ベイトマンとの明らかな敵対行為であり、その後にあるこの巨人族の騎士、少なくとも矢を撃ち落とすほどの腕前の戦士との戦闘行為である。

 そうなれば、対魔物、対貧民街の住民、そのために引いた防衛線が破られる、少なくとも混乱する可能性が高い。


 だから、クレアとしては、ベイトマンとしても、ここで引いてくれるのがお互いにとって一番の結果なのだ。


「父さん!」


 ジリジリとした時間は、その若々しい声で打ち破られた。


 一瞬クレアはなにか別の問題が起こったのかとヒヤリとした。

 現実世界では問題事は同時発生して、こちらの気構えなど待ってはくれない。

 魔物がこちらまでやってきたのか、それとも貧民街の住民たちが押し寄せてきたのか。


 やってきたのは一人の少女だった。

 クレアよりも幾つか若いようだ。

 帯剣しており、他の貧民街の住民よりも身なりがいい。

 『父さん』と呼ぶからには、ベイトマンの娘だろうか。しかしどう見ても巨人族の血が入っているとは見えない。


「父さん! こんなところでなにしてんのよ!」

 娘の罵声がベイトマンに飛ぶ。娘は堤防の上に並び、矢を構える兵士たちにも、ベイトマン自身の怒気がもたらす雰囲気にも、お構いなしにズカズカと間に入ってきた。


 バシッと筋肉で膨れ上がった腕を叩く。


「こんなところで油を売ってる場合じゃないでしょ!」

 娘の言葉が堤防の上まで響き渡った。


 油を売っている呼ばわりされたベイトマンも、クレアたちも何故か居心地が悪くなった。

 だが、娘はそんな白けた雰囲気などお構いなしに父親を怒鳴り続ける。


「しかしケイ。彼女らを説得してどうにか避難をさせなければ……」

「バカ!」


 容赦がない。


「騒ぎが起こったらどうするかエドから言われてたでしょうが」

「うん? そうであったか? あの小僧何か言っていたかな?」


 父親の言葉にケイと呼ばれた少女は「ああもう!」と苛立った声を上げた。


「そんなことより大変なの! 今子供たちが盗賊ギルドに襲われているって知らせが……」


 少女が言葉を言い終わるよりも、父親の行動は早かった。


「ここは任せたぞ!」


 先ほどまで堤防の上を睨みつけていた巨人族の男は風のようになってその場を走り去っていった。

 クレアはもちろんのこと、娘も声をかける間もない。あの巨体でどうしてあんなに速く動けるのかというほどの動きだった。


 あっという間に、巨人族の男、ベイトマンは用水路から路地の間に消えていった。


「ちょっ、父さん場所わかってるの!?」


 娘はそういうが、すでに言ったとおり父親の姿はない。

 不満の言葉を漏らしてから、彼女はその場に残された貧民街の住民たちの肩を叩いてその場から離れるように指示をだしていた。


「……」

 クレアは堤防の上からそれを静観していた。


 貧民街の住民たちはゾロゾロとその場を離れていく。

 その際こちらにくれた一瞥は、子供たちは恐怖を、老人たちは諦めを、女達は憎しみを込めていた。


 致し方無いだろう。帝国の庇護下ではないとはいえ、知性と感情を持つ生き物なら当然の反応だ。


「あなたは間違っていませんよ、補佐官様」

 そういったのは近くにいた兵士の一人だった。


 当たり前だ。とクレアは怒鳴り返したい気分だった。

 間違っていると思っていたら、あんな命令は出せやしない。

 そこまで図太い神経などない。


「もう一度、異常がないか各々確認しなさい!」


 自身の猛りを隠すように、クレアは声色を冷静に抑えながら再び兵士たちに指示を出していく。

 のどが痛い。乾いている。

 水が飲みたかった。休みたい。


 だがその前にクレアはもう一度馬に乗って、各配置場所を確認して回った。

 どうやら魔物の姿は市民街の方まできていない。

 貧民街の住民も同様だった。彼らはあの巨人族の騎士とは違い、クレアたちがとる対処をわかっていたからだろう。


 それでもクレアは動揺している兵士たちを宥めるために、馬を走らせなければならなかった。


 動揺の原因は、魔物でも、貧民街の住民でもない。何者も防衛線のところまでは、あの巨人族の騎士以外にはやってこなかったのだから。


 兵士たちの原因は、突然貧民街の空に見えた爆炎と、その後に続いた地揺れだった。

 天変地異とも言えるその光景に、寄せ集めの兵士たちは浮足立って、もう少しで恐慌状態になるところだった。


 それを押しとどめたのはクレアが必死に声をかけ続けたこともあるが、もう一つの要因は各所に配置したアーガンソン商会からの人員だった。

 クレアも彼らも、先ほどの爆炎の原因を何となく予想していたからだ。


 もちろんそれがたった一人の魔女によるものだとは考えていなかったし、

 それが鼠の駆除というよりも、腹立ちまぎれに行われたものでしかなかったなどとは、誰一人想像もしていなかったのだが。


 それでも、正確に予測出来た者はいなかったが、充分に混乱の沈静化を行うには十分だった。

 あの爆炎が何か良からぬものではなく、魔物の掃討のために行われた、人智を超える力を、アーガンソン商会の人間が行ったらしいということさえ感じていれば、同じアーガンソン商会の人間にはそれで充分だった。


 落ち着くように、ただし、油断はしないように。


 相反するような指示を出して、端から端まで馬を走らせていたクレアはようやく、再び拠点をおいた娼館の近くまで戻ってきていた。


 乗っていた馬を預けて無言で娼館の中に入る。

 階段を三階まで昇るのは、今はかなりきつかった。

 最上階にある、急拵えの対策本部にとして借り受けた部屋に入る。

 入り口の扉は開けたままにしておいた。中にいることを知らせる意味もあるが、単純にそれすらも面倒だった。ベッドはあるが寝るわけにもいかない。


 貧しいサウスギルベナには不似合いな豪華な内装の部屋だ。

 朱を基調に揃えられた調度品、天井には金のシャンデリアが吊り下がっている。本物かどうかはしらない。どちらにせよ豪華ではあるが下品でチグハグな印象を受けた。

 ここはこの娼館の中では最も高い部屋で、利用できるのは盗賊ギルドの高級幹部たちだけらしい。


 クレアには金があっても関係はないし、泊まりたいとも思わない。アーガンソン商会の上級幹部の人間なら娼館など利用しないだろう。そもそも盗賊ギルドに『高級』と言っても糞しかあるまい。


 腰の剣を外して置くと、替わりに隣に置いてあった陶器ピッチャーを掴んだ。

 クレアは水差しから直接水をがぶ飲みしてから、バルコニーの方へと向かう。

 この不愉快な部屋と、不愉快な事態の中で、水差しの水とこのバルコニーからの眺めだけが必要で価値が有るように思える。


 水差しの水は体を癒やすためのものだが、三階バルコニーからの眺めは別に気持ちを癒すためのものではない。

 貧民街の様子を眺める。


 先ほどの爆炎で巻き起こった土煙はここからではすでに見えない。

 あれほどの炎にも関わらず火災が起きている様子はない。


 まあ、魔法の炎でしょう。


 そう結論づけた。そしてそれならアーガンソン商会がやったに違いないし、市民街に被害が出ることもないだろう。貧民街の方はどうだか知らないし、クレアにはあまり関係がない。ベイトマンに言ったことが全てだ。


 貧民街の景色に異常がないかを探しながら、そうでないことを祈りながらも、頭の中で考えをまとめる。


 大地母神教団のあのビアーセ司祭は教会に帰してある。人をつけて半ば監禁するようなものだが、それ自体にはあまり意味は無い。彼女は二十歳くらいの可憐な女性だが、それでも司祭になれるほどの才能。しかもギルベナに来るくらいなら、神聖魔法の一つや二つ使えるだろう。そうなればこの街の兵士一人を監視につけていても、その気になれば無理やりでも押し通せる。


 先ほどの爆炎にしても、神聖魔法についても、クレアがそこに万能の、単純化した結論をつけるのは、彼女が魔術について無知だったからだ。しかし結果としてその判断に間違いがなければ、それに気がつくこともない。


 『そういったこと』が、どれくらいのことなのか、クレアにはわからない。

 魔法なんだからと、全てのことを理由づけできた。


 とにかく、

 ビアーセ司祭のほうは後々浄化のための切り札として考えていたが、先ほどの爆炎を見ると発生源の『除染』はできたかもしれない。後は貧民街に流れ出た軍隊鼠(MGR)を市民街に入らないようにすればいいだけだ。


 問題は、

 軍隊鼠(MGR)がどれくらい残っているのか、それが市民街の方に来るのか。

 先ほどの巨人族のような存在、または多数の貧民街の住民が用水路に押し寄せてこないか。

 バルコニーの柵に手をかけて、眼下に広がる用水路を左右に眺める。

 特にやはり、誰か、または何かが押し寄せているような気配はない。もちろん全体を、いくら高所でも全体までは見渡せないが、先ほどの爆炎が昇った以降、街は妙に静かになっていた。


 実はこの時、用水路の向こう側ではエド達が、殺人鬼たちが、アーガンソン商会の面々が、ベイトマン親子が、まさに殺し合いという異常事態を起こしていた。

 だが貧民街の建物の影に隠れ、距離が離れていたために、姿は見えなかったし音も聞こえなかった。

 もしかしたら、耳を澄ませば聞こえたかもしれないが、それが殺し合いのものであるかどうかなど判断できるほどクレアは武芸者ではないし、やはり所詮は『川の向こう側』の話だ。


 だからクレアは、目は凝らしても、耳を澄ませることなく、今後のことまで考えを続ける。


 あのベイトマンとかいう巨人族の娘は、用水路以外に避難する場所があるようなことを言っていた。

 単純に考えれば、南から魔物が発生したのだから北に逃げればいいだけの話だ。ただしそれには事態の情報を正確に把握して置かなければならない。誰もがクレアのように情報が得られる立場にあるわけではない。


 ただ火事から逃げるように反射的に反対方向へ逃げれば、今回の場合は逃げられるだろう。

 街の最北には防御壁が設けてあるが、貧民街のところにあるのは土嚢を積み上げただけのもので、簡単に乗り越えてこの街から出て行くことができる。

 火事の場合は反射的に反対へ(上へ)逃げても逃げられない場合もあるが、今回は間違っていないだろう。


 街の外は安全な場所とは言えないが、それでも緊急避難場所としては十分だ。

 別にクレアが心配してやることでもない。

 それより行政実務者として考えなければならないのは、北から街の外に逃げ出した貧民街の住民が、今度は街の正門から市街地に入ってくるのを防がなければならない。


 行政官として、すぐに解決策を導き出す。

 都市の居住民に関しては、住民証明をさせればいいだろう。

 ここの人口は全て合わせても千人に届かない。市街地の人間かどうかはすぐに判別できる。

 

 問題は新規にこの街に来る者だ。

 行政官としては感染の疑いのある者を入れるわけには行かないが、新規移住者は喉から手が出るほど好ましい存在でもある。


 こちらに関しては、門兵たちが『お小遣い稼ぎ』に使っている「入都税」を一時期公式なものとすればいいだろう。貧民街の人間には払えないだろうからそれで峻別できるはずだ。新規移住者が含まれる可能性はあるが、その程度の金も払えないようなら貧民街の住民になるのだろうし、問題はないはずだ。


 そんな方法で貧民街の勢力が減らせるのなら普段から採用していてもいいようなものだが、それはまさにそういう結果を生むために取ることは出来ない。盗賊ギルドとの対立を生むし、貧民街の住民が安価な労働力になっていることも間違いはない。だからあくまでも事態が沈静化するまでの一時的な対処である。


 まだ終わってもいない事態の後のことまで考えていたのは、クレアが疲れて、嫌気が差して、焦っていたこともあるだろう。注意も散漫になっていた。


 だから、クレアは異変に暫く気が付かなかった。

 目の前の景色に異変があったわけではない。

 異変は後方からすでに聞こえていた。


 何か階下で騒ぐ声が聞こえたはずだ。

 廊下を乱暴に昇る音も聞こえたし、その足音が近づいてくるのも聞こえたはずだ。

 だがクレアは気が付かなかった。

 先程も述べたとおり、目は前方の景色に凝らしていたが、耳は澄ましていなかった。



「?」

 ようやくクレアはその足音が部屋に入ってきたところで彼女は振り返った。


 だが、クレアはその入ってきた人影がなんだかよく理解できていなかった。

 それはとても小さかったし、あっと言う間に目の前を通り過ぎていったからだ。

 バルコニーの手摺を背にして、振り返った筈のクレアの目の前を、クレアの背中の方に。


「は?」

 思わずまた後ろ、三階のバルコニーから広がる貧民街の景色に目を向けた。


 そこにやっぱり一見しても理解できない物体が、跳んでいた。

 飛んでいたのかもしれないし、浮かんでいたのかもしれない。

 その光景が理解が出来ないクレアには、一枚の絵を眺めるようにしか見えていなかった。


 時間にして一秒にも満たなかったその一瞬に、理解できない物の姿をその目にしっかりと捉えた。

 理解できない物は、信じられない者になった。


 あの巨人族の声は大きかったが、それは常識外れな者だった。

 先ほどの爆炎はその力の規模が信じられない天変地異だった。

 しかし、今度見たそれは、あまりにも状況にそぐわないチグハグでいきなり脈略もない光景だった。


 ヘトヘトに気疲れしていたクレアの目に。

 陽光に少し細めたその緑の瞳に、

 それは見えた。


 理解は出来たが、信じられないものなので説明できない。

 だから見たままに伝える。


 人が飛んでいた。


 娼館の三階部分からバルコニーの外側に足を踏み出して、明らかに重力に逆らうように、空を飛んでいた。


 それは金髪だった。まるで天の河のような金の長髪が風にたなびいていた。


 それはまだ幼い少女だった。まだ十歳にもなっていないくらいの。


 それはそっくりだった。クレアが知っている姫君に。


 でもそれはまだ信じられないから、クレアの見間違いかもしれなかった。

 できればそう思いたかったし、そうでなければ説明がつかなかった。


 六歳の公爵令嬢。クレオリア・オブリガンがクレアの後ろから走ってきて、五メートルほどの堤防の上にある娼館の三階から飛び出して、貧民街の方へ跳んでいった。


 そんなものは見間違い以外にありえない。







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