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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第三章 MOB男の人言奸計と思春期殺害報告書
103/132

58 魔女は咲う 前編





「あらあら」


 呟いたのは、一人のメイド。


 ウェーブのかかった絹糸の束のような艶やかな金の長髪。

 女性らしい柔らかでほっそりとした曲線と輪郭を描く長身。

 潤んだ大きな瞳は蒼玉スターサファイアの青さと光。

 メイドの服装でなければ由緒正しき貴族の細君とも見える二十代半ばの女性。


 グウィネスである。


 場所は、貧民街南地区。 

 眺めているのは、地下道から溢れ出してくる黒い鼠の大群。瘴気生物、魔物、軍隊鼠(MGR)だ。


 グウィネスはゾロゾロと流れ出てくる黒い流れを、上から見ていた。

 それから視線を貧民街全体へと移す。

 この場所からは貧民街の惨状がよく見えた。


 場所というより、位置といったほうがいいだろうか。

 グウィネスが『立っている』のは、貧民街の地下道、その上空。紛れも無い、足場もない空中だった。

 魔力による重力の無視によって、まるで地面に立っているのと同じように、メイド服姿の女が平然と立っていた。


 貧民街の遠くへ見れば、煙の線が幾条か立っているのが見えるが、近くにはまったくもって声さえも聞こえない。

 軍隊鼠(MGR)の特性は、生物と名の付くものであれば、どんなものでも貪り尽くすことだ。

 地下道から貧民街へ漏れでてから、今は一時間以上経過している。


 おそらく、放置していれば貧民街だけではなく、街は滅びるだろう。

 街の支配者であるオブリガン公爵家は貧民街と市街地の境にある用水路に防衛戦を張って食い止めるつもりらしいが、この軍隊鼠(MGR)の規模と、動員できる守備兵の規模を考えると防ぐことはできまい。


 軍隊鼠(MGR)が貧民街の南地区から西に向かうことも考えられる。市街地の方に向かうとは限らない。もしかしたら西にある広大な荒野に自由を求めて動き出すかもしれない?


 そんなことはない。

 魔物というのは、そういうものではない。

 絶対に、ない。


 あれらが『飢餓』という因子が組み込まれている限り、知性だか、自我だか、そういうものがあったとしても、それらを全く無視して、『飢餓』を癒やすことのみにしか生きられないのが、魔物、というより、魔力を根源とする生き物の理なのだ。とくに生まれたばかりの魔物では、それ以外の可能性など絶対零を断言できる。


 グウィネスは再び地下道に視線を下げた。

 溢れ出てくる鼠の数は少し落ち着いている。黒い染みのような中に、茶色い土の地面とヘドロの灰色も辛うじてだが見える。けれど、周辺に生きている生物はいないだろう。魔力感知を使う必要もない。生きている人間が一人でもいれば、軍隊鼠(MGR)が放ってはいないはずだ。


 その一人が、万が一でも、六歳児の少年である可能性はない。


 だったら、さっそく掃除に取り掛かろう。

 準備は整った。


 先程から視線を動かしながら、しかし指先と口元は細かに一つの意味ある動作を続けていた。

 それがいよいよ完成する。

 グウィネスは重力操作により、浮かんでいる位置を低くする。

 地下下水道の中が見える角度まで降下した。


 それに反応して、軍隊鼠(MGR)の濁流が一瞬止まる。

「あらあら、さすがにこの距離だと気がつくわね」

 グウィネスの言うとおり、彼女が軍隊鼠(MGR)の生物感知範囲内に侵入したために、群体としての意志が、その性質に正確に従う。


 生きとし生けるもの全てを喰らえ、という。


 黒の濁流が、一つ一つは尻尾をいれても三十センチに満たない。しかし一つの目的をもったそれは一つの生物であるかのように、行動する。

 黒い大蛇のように、黒い濁流が鎌首をもたげるように、空中にいるグウィネスを見下ろす位置まで頭を持ち上げた。


 グウィネスは、空中にいるにも関わらず、自分を見下ろす濁流の黒蛇の顔、のような部分を見ようとはしなかった。

 視線はその『胴体』に定まっており、その先の地下下水道の入り口から動いてはいない。

 黒い固まりが彼女に襲いかかるよりも先に、先手が打たれる。


 グウィネスの青い瞳に、十字の白い光が輝く。

 そして、彼女の頭上に巨大な火球が生まれる。

 そして、また彼女の立っている空中、その下にも巨大な火球が生まれる。

 頭上の火球は一メートル近く、足元の火球はその半分ほどの大きさだ。


 グウィネスは呟く。力ある詞を。

 それはこの国の公用語でも、黒魔術の呪詞ルーンでも、灰魔術師の咒詞ミーンでも、白魔術の祝詞ワードでもない。

 誰も知らない、古い詞だった。

 ゆっくりと掲げた腕の、たおやかに伸ばされた細い指先を、すぐに今度は少しだけ早く下ろす。


 頭上の火球は、その指先の動きとはまるで別の意志であるかのように、高速で飛んだ。

 小さな太陽のようなそれは、黒の大蛇の腹を突き破って、一瞬で消し飛ばした。

 そしてそのまま地下下水道に飛び込む。


 そして爆発した。しかし、光ったとしか思えなかった。

 一瞬の間を置いて、周辺の土地自体が揺れる。


 すさまじい熱量が、あっというまにヘドロごと地下下水道の黒く暗い狭い通路をなめ尽くし、壁面を突き破って炎の柱が地上に吹き出す。


 爆心地より発生した爆風は灰を巻き上げ、視界を防ぐ。

 その灰が、自身の元にやってきて、メイド服を汚す前に、グウィネスは次の行動に移る。

 先程とは反対側の腕、その指先をクルリと下に向けて振るった。


 足元の火球が、こちらは静かに、まるで水滴が落ちるように、堕ちる。

 そして、それがもたらすものもまた静寂だった。一瞬のことではあったが。

 落ちた火球は、水面を揺らす水滴のように、黒く染まった地面に染みこむように、消えた。


 一瞬の静寂。


 黒く、または汚れた灰の地面が、赤く染まる。見渡す限り赤に染め上げられた。

 そしてまた、一帯が地面ごと揺れ、火柱が天を舐める。

 視界の全てを包むように、真っ赤に灼熱した地面から空に向かって炎が拭きあげた。術者であるグウィネスさえも包み込んで。


 振動が収まると、先ほどまで視界を覆っていた炎も、巻き上がっていた噴煙さえも、消えていた。

 ブスブスとした細い煙が、黒い地面からあがるのみ。先ほどまでは何万という軍隊鼠(MGR)が覆い尽くしていた故の黒は、今は消し炭の黒に変わっていた。


 魔力の発動を終えた炎は、それゆえに燃やすものを失ったために、全てを浄化したゆえに、軍隊鼠(MGR)がそうであるのと同じく、存在する意味を失い、消えてなくなった。

 先ほどまでの地獄のような風景とはまったくちがった静寂と虚無。物語の途中の頁を破いてしまったかのように唐突に、完全に、数分前の光景とは違っていた。


 生きているものはいない。

 相変わらず宙に浮かんでいたグウィネスを除いて。

 彼女はゆっくりと重力操作を解除して浄化された地面に降りる。


 これで粗方掃除は終わったはずだ。

 まだ貧民街の南地区、視界の外には軍隊鼠(MGR)が大量にいるだろうが、それはあまり問題ではない。

 自分はこれから街の斜めに広がっている貧民街を北西方向に進みながら、エドがいないことを確認しながら、今度はもう少し大人しく掃除をしながら進めばいい。


 おそらく、すぐにエドの身柄は補足されるだろう。その連絡が入れば、そのままここから立ち去ればいい。そうなればそこで掃除は終了である。

 その外見の通り、あまり貧民街は自分にお似合いの場所でもないし、居たいだなんてもちろん思っていない場所だ。軍隊鼠(MGR)が発生した通り、醜い人間の業を圧縮したような場所でグウィネス自身は口にこそ出さないが、部下でもある同じメイドのアンジェあたりなら『人の糞溜め』と表現するだろうことをまったくもって否定しない場所なのだから。


 本当なら、ここを全て消し去ったほうがいいのでしょうけど。

 と、グウィネスはそれまでの人生と同じように、思うようにはならない事柄に溜息をつく。


 広域高位魔術を、儀式に頼らず、印と呪文だけで、しかも多重行使しておきながら、それ以上のこともできたと、自然に思考することができる。それがグウィネスという存在だった。

 当たり前のことに疑問に思わないように、賛美も抱かずに、メイド姿の彼女は少しだけ、その綺麗な眉を寄せて歪めた。


 魔力探知系統の、それはグウィネスのような魔女が行使する魔術でさえ、エドの存在を捉えることはできない。その原因はすでに判明しているとおりその魔力耐性値のためだが、対策をとれているわけではない。本当ならエド本体には魔術は効かなくとも、位置情報を得るだけなら方法はある。例えば、魔力信号を発する小物を忍ばせておけば、それを感知することで位置は掴める。


 だが、あの六歳でしかないはずの少年は、自身に魔術が効かないにも関わらず、優れた魔力探知の『目』を持っている。つまり自身に知らない魔力装置が付けられていたら、すぐに付ける前に気が付かれるだろう。


 ジガは、そして、ソルヴも、エドの事を疑っている。


 転生者ではないか、ということを。


 魔術師であるかぎり、その目に見えた姿にそれほど意味は無い。もちろん高位の魔術師に限った話だ。だが、少なくとも、ジガくらいの魔術師なら、一般的な『死』という概念さえ無効にできる。グウィネス自身になるとそれは呪いとも言える。


 エドはソルヴの屋敷の馬小屋で生まれた。ジガ自身が取り上げたし、そのころは今ほど超絶たる魔力耐性値のない故に調べることはでき、その結果普通の子供だった、とこれもジガ自身が確認していたことだ。それ以降も生まれゆえに注視して育てられてきた。

 つまり、変化した魔術師が入れ替わったということも、もちろん初めから赤ん坊に姿を変えて屋敷に入り込んでいたということもない。


 後はエドが転生者であるという可能性のみだった。


 その疑いの原因は、彼自身の才能にあった。

 ウォルコット兄弟。

 それは今現在、血の繋がりはない三人の姉弟の内、同い年の男の子二人のことを指す。


 天才児の兄ヴェルンドと気狂いの弟エドゥアルド。


 どちらも同じ年頃の子供達より、遥かに早く言葉を話すようになり、文字を書けるようになり、高い知能を持っていた。


 しかし、兄のヴェルンドは天才児と言われているが、転生者であるということを疑われたてなどいない。なぜなら、彼の才能は説明のつく、納得の行くものだからだ。

 ヴェルンドの才能は、周りが見えなくなるほどの集中力を有していることだ。そんな存在は、天才児などと呼ばれていてもそれほど珍しいものではない。成長していけば結局は凡人だったということもよくある。今はまだ幼いゆえに、その集中力でなせることが、同年代の子供達とかけ離れているだけのことだ。


 エドは違う。


 エドは勉強の成績では数字上ヴェルンドに劣る。ふらふらといなくなり、他のことにすぐ気を取られ、集中力では他の子供達よりも劣る。

 言動も行動も変わっていて、それゆえに気狂いなどと呼ばれている。


 だが、ジガたちの見方は違う。

 エドはたしかに天才児ではないだろう。

 そのかわりに転生者ではないかと疑われている。


 それはこの少年が異質だからだ。ちぐはぐだし、唐突で、説明のつかない存在だからだ。

 その存在故の行動であり、言動だからこそ、わからないからこそ気狂いなどと呼ばれているのだ。

 そして、なによりも疑いの原因になっているのはそれを隠そうとしているからだ。


 隠すからには理由があるのだろう。

 優れていることを隠す理由も、そんな存在の子供もいない。それは子供の考え方ではない。

 理由もないのに、本当ならそうすべき行動をとらない子供などいない。見たこともない。


 自慢だったり、吹聴だったり、誇示だったり。

 それは子供らしい、子供のうちにのみ許される、その時代なら微笑ましいとも言える行為だ。

 もし彼が、ヴェルンドと同じく、自身以外に、行為自体に、賛美や賞賛を得ることを求めることもない淡白な、謙虚な性格、つまり無関心だったとしても、隠すのはやはりおかしい。


 隠して、それこそ生まれた直後から隠して、近づいてきたのならそこには目的があるはずだ。

 そしてその目的は、隠されている方からすれば、良からぬことである可能性のほうが高い。

 だから、ジガ達は疑っているのだ。


 だけれど、グウィネスは、それこそ考え過ぎではないかと思っている。

 ソルヴはもちろん、ジガさえも、そこに理由を求めすぎていると思っている。


 グウィネスは、その外見に反して、今まで色々な人間を見てきた。起こったことを見てきた。

 それによると、この世界に起こることの一つ一つはかなりいい加減で、単純で、理由らしい理由もないことでできている。それらを積み重ねれば大きな意味があったり、グウィネス自身はその事例に当てはまらないとしても、物事はあるように、ある。


 エドが本当に転生者であったとしても、そこにある理由はきっとそれほど珍しくも大層なものではないだろう。

 エドが隠し事をしていたとしても、そこにある理由もまた、きっとくだらない子供らしい、単純で短慮なものに違いない。


 なぜなら、逆説的に、エドは自分が隠しているということを、隠し通せていないからだ。それをグウィネスがはっきりと感づける程度のものだからだ。きっとそれは今まで育てて、ずっと少年を見ていたウォルコット夫妻も同じだろう。


 いや、彼を、彼の行動や言動を、見てきた全ての人達がそれに気がついている。だからこその違和感なのだ。だからこそ『気狂い』と呼ばれるのだ。本当に彼が悪意の存在であったなら、そんな違和感は感じなかったに違いない。それが、この世の悪や正義などと名乗り呼ばれる存在を、自身の意志とは関係なく見せられてきたグウィネスの判断だった。


 そして、その違和感を感じてなお、彼のことを『気狂い』などと呼ばないウォルボルトやマーサやミラと同じように、グウィネスも彼を愛している。


 彼の姉だった桃色の髪の少女もそうだったし、彼の兄だった明るい男の子も、彼の姉である面倒見の良いミラも、彼の兄である無関心と関心の際立ったヴェルンドも、グウィネスは愛していた。

 彼ら兄弟だけではない。ナタリーやプラムやアルトナやジャックやアヴリルといった、アーガンソン商会という屋根の下に、たまたま宿った子どもたちを、彼女は心の底から愛しているのだ。


 だからこそグウィネスは怒っていた。

 この貧民街に蔓延る、三年前に子どもたちの命を奪った存在から発生したこの魔物に対して。


 だからこそグウィネスは不満に思っていた。

 違っているという違和感のみを理由にして、そんな子どもたちの一人であるエドを疑っているジガやソルヴに対して。


 だからこそグウィネスは反応できなかった。

 いや、そんな思いに囚われていなかったとしても、防ぎ、せめて躱すことのできた人間がどれだけいただろう。


 グウィネスの身体が突然、吹き飛んだ。


 バンと冗談みたいな音とともに、それが小さな球体であったなら豪速球と呼ぶのも生ぬるいほどのスピードで、グウィネスの身体にぶち当たり吹き飛ばした。

 ただし、飛んできたのは小さな球などではなく、グウィネスの身体よりも大きな岩の塊だった。


 その岩の塊が、投じられた場所からその直線上に立っていたグウィネスの身体を何もなかったかのように、その体ごとその場から消し飛ばした。

 岩はしばらくグウィネスの身体をその岩盤に貼り付けたまま飛び、地面に当たって大きな音と共に砕け、それとともに同じようにグウィネスの身体も離れ、何度も地面にたたきつけられた。


「おっと、悪い悪い当たっちまったか?」


 軽い調子の声が、岩の飛んできた方からした。

 そこは先程まで地下下水道のあった辺りで、今は崩れて入り口はふさがり瓦礫の山になっていた場所だ。


 ガラガラとその一部分が音をたて、瓦礫の下から声の主が姿を現した。







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