010 オラは無実でござる、と彼は言ったが。日頃の行いが大事と言う話。
「日樫のやんまにぃ~光があがりゃ~♪っと」
鼻歌でリズムを取りながら、片手槌を振り下ろす。金槌が真っ赤に熱された金属に振り下ろされる。
ウォルボルトは、もう一方の手で押さえていた鋏を持ち上げて、小さな金属片を自分の顔の高さまで持ってくる。
ここは、ソルヴ・アーガンソンの邸宅内にある工房。
ウォルボルトは、3人いる専属鍛冶師のうちの一人。
ウォルボルトは少しの間眺めていたが、
「ま、いいか」
と呟いて、蹄鉄を水に放り込む。水蒸気が微かに上がり、水から引き上げると、何の変哲もない黒い蹄鉄が姿を現す。
「さてと」
ウォルボルトは軽く伸びをすると、三等分にされた作業スペースで働いている他の二人の作業状況をみる。どうやら、二人とも作業がひと段落しそうな気配だったので、声をかけた。
「おーい、じいさん、エッツ。そろそろ昼飯喰おうやぁ」
二人が了解の声を返してきたので、ウォルボルトは一足先に工房から出て、置きっ放しにしてある腰掛に座った。
大きく息を吐き出す。口に咥えた煙管から、白煙が大きく漏れる。先ほど出る前に炉の火を頂いたものだ。さすがに鼻歌まじりで仕事をしても問題ないが、煙管を吸いながらというのは許されない。
いい加減な性格だが、枠からはみ出すような度胸も、非常識さもウォルボルトは持ち合わせていない。
待つほどもなく残りの二人が出てくる。じいさん、と呼ばれたのはドワーフ族の老人で、エッツはまだ十代の少年。ウォルボルトはちょうどその二人の間。三十代後半。
ウォルボルトが鍛冶師になったのは、実はソルヴが10年前にこの町にやって、彼に雇われるようになってからのことである。つまりウォルボルトの鍛冶師としての経歴は10年。おそらく十代半ばになるかならないかのエッツとそれほど修行した期間は変わらないだろう。
アーガンソン家では鍛冶生産は行っておらず、修理と保全が主だ。万年物不足のサウスギルベナでは物を長く使うことに重点が置かれるし、商人であるアーガンソン商会なので新品は自給ではなく、他地方の高品質なものを輸入している。もちろん自分達で生産することもあるが、それは使用人たちの日用品などちょっとしたものだ。
ちなみに今座っている長椅子もウォルボルトが作ったものだが、精々がその程度のものだ。修行として来ているエッツは、何やら自分で作っていることもあるが、あくまでもそれは個人として行っているのであり、仕事ではない。
三人そろったので、食堂に向かう。アーガンソン家では、使用人にも食事が支給される。もちろん、外に食べに行ってもいいのだが、時間とお金がもったいないので、誰もが昼食は使用人用の食堂で済ませた。ウォルボルトも夜には飲みに出かけることもあるが、昼食は何か用事がない限り食堂で済ませる。
「マーサぁ、飯くれ、飯!」
食堂に入るなり、大テーブルを片している給仕服の女性に声をかける。
食堂には商営部の人間の姿が何人も見えた。食事の時間もバラバラなので、どの時間も食堂に人がいないということはあまりない。
ちなみに、商営部というのはアーガンソン家の商売人たち、つまりアーガンソン商会の人間達のことだ。商営部というのは内部組織での区分なので、ウォルボルト達以外にそう呼ぶ人間はいないが。ウォルボルト達も組織区分的には工産部などというご大層な名前の部門に所属していることになっているが、たった三人なのでこちらは「鍛冶の○○」という呼ばれ方しかしない。
バンバンとテーブルを叩いて催促し、口に咥えた煙管をピコピコと動かす。
マーサと呼ばれた女性が振り返った。
歳は、ウォルボルトと同年代。ふくよかというか小柄だが逞しい体つきの女性だ。彼女はウォルボルトの嫁で、このアーガンソン家で女中長を務めている。
そのマーサはウォルボルトの顔を見ると、一瞬で眉間に皺を寄せた。
「アンタ! タバコ!!」
単語だけだったが、ウォルボルトは一瞬で意を汲み、慌てて煙管の火を消した。その様子を見たマーサはフンと鼻を鳴らすと、「ちょっと待ってな」と厨房の方へと歩いていった。他の女中たちがクスクスと笑っていたのがバツが悪く、ウォルボルトはポリポリと額をかいている。
すぐにマーサが若い女中を伴って、厨房から戻ってきた。二人はスープと黒麺麭の入った籠を持っていた。三人の真ん中に麺麭の入った籠を置くと、スープを配る。ウォルボルトは自分に配膳してくれた、若い美女の女中にニッコリと笑いかけるとお礼の言葉を述べる。女中の方もウォルボルトに笑み向け「どういたしまして」と返してきた。別に二人が恋仲にあるわけではない。が、その様子を見たマーサが再び眉間に皺を寄せた。
「アンタ! 仕事はちゃんとしてるんでしょうね!」
「やってるよ! なあ?」
マーサに怒鳴り返して、他の二人に同意を求める。が、ドワーフの老人とエッツは我関せずと何も答えてはくれなかった。
裏切り者!
と内心で、叫び、マーサのほうに何度も「ちゃんとやってるって」と繰り返した。
「ふーん」
完全には信用していないのが丸分かりの態度だったが、マーサはそれ以上何も言わずに厨房へ戻っていった。若い女中もその後ろに付いて行く。ウォルボルトは美女女中のプリプリとしたお尻の動きを眺めながら安堵のため息をついた。
だいたい、あいつは何を心配しているんだ。
ウォルボルトは自他共に認めるだらしのない男だが、アーガンソン家の女中に手を出すわけがない。いくら美人でも下手したらソルヴのお手つき。そうでなかったとしても、アーガンソン家の使用人である。どんな過去のある人物、いや今だって裏では何をしているのかわからんような女なのだ。
そんなのに手を出すわけないだろうが。
と、思ってはいても、今までの素行を考えると、口に出せないのだが。
「あのー」
しばらくすると、一人の女中が食堂に入ってきた。ウォルボルトの姿を見つけると声をかけて来た。彼女はまだ、この家に勤めるようになって一年になっていない新人だったはずだ。
「女中長とウォルボルトさんをジガ様が呼んでるんですけどぉ」
「バアさんが?」
ウォルボルトが首を捻っていると、後ろから突然殴られた。
「ジガ様とちゃんと言いな!」
いつの間に背後に回りこんでいたのか、拳を固めたマーサが立っていた。
「で、ジガ様が何だって?」
「ええーとぉ、とにかく二人にお話があるので、来てくださいっておっしゃってますぅ」
「分かった、すぐ行くよ。あんたは代わりにここをお願い」
「はーい」
ウォルボルトは二人の会話を黙って聞きながら、スープを口に運ぶ。
「アンタ! さっさと行くよ」
「食事中なんだが」
耳を、もげるほど引っ張られました。
ソルヴ・アーガソンの片腕。アーガンソン商会の相談役。
そういう立場の老婆ジガであるが、公的な身分は魔道士ギルドのギルベナ支部長という肩書きである。
魔道士ギルド。
帝国の魔術、魔法研究をしている魔道士達の援助と研究成果の管理を行っている団体である。
魔術教育というものは、高度な知識と、希少性の高い技術であるため、魔術師ギルドのような団体がないと、廃れていってしまうのである。
単純な区分けだけでも、兵器利用されることの多い黒魔術。聖職者達の使う白魔術。政治や冒険者達の間では厚遇で迎えられる灰魔術など、特色の大きく違う魔術系統を一まとめにした魔道士ギルドなどという団体がなりたっているのも、その目的が魔道士達の援助と研究成果を検討、発表などということに限っているためだ。
もちろん、白魔術師達にとっては魔道士ギルドよりも、各人が信仰する神の教団のほうが大きな存在だし、灰魔術師達にとっては宗家の意向が全てである。黒魔術を学ぼうとする者は、ほとんど魔道士ギルドに所属するしか道はないが、研究者である魔道士達は唯我独尊な人物も少なくない。
しかし、魔術学校や、研究発表の場、他分野魔道士達との交流の場などを提供してくれる魔道士ギルドは学術者である魔道士達にとって貴重な存在であることは確かだ。
その魔道士ギルドのギルベナ支部長がジガという、老婆である。
ジガは元々帝都の魔道士ギルド本部の幹部であったらしいのだが、10年前にソルヴがサウスギルベナに拠点を移した際に、共にこの街にやってきて、ギルベナの魔道士ギルド支部長となった。
とは言え、辺境中の辺境。流刑地ギルベナである。魔道士も殆どおらず、魔術師学校などというものもない。サウスギルベナで魔術を学ぼうと思ったら、ジガが主催する私塾で学ぶのみだが、それもアーガンソン商会の関係者しか入塾することはできないし、そこで学べるのも魔術の基礎程度だ。
そんなギルベナの魔道士ギルドの役割と言ったら、冒険者である魔術士達の情報管理か、環境、生態系、薬学の研究に訪れた魔道士達の中継基地の役割くらいのものだ。
なので、帝国本部や他支部から見れば、ギルベナ支部は本部の元幹部ジガの隠居地という位置づけだった。
そんなジガが、アーガンソン家にある自身の執務室にいた。
ウォルボルトとマーサの前の机に座っているのだが、机が高すぎるために、椅子に座っているジガの頭だけがピョコンと出ている状態だ。これでは執務などできそうにないが、ジガが事務仕事などをするわけでもないので、ほとんど使われることもない。
「ん。よう来た。忙しい時にすまんな」
「いいえ、いいんですよジガ様。この人、どうせ碌に仕事なんかしてないんだから」
何を根拠に!?
と、ウォルボルトは思ったが、どういう返事が返ってくるかは分かりきっていたので黙っていた。
「特に急ぐこともないのじゃが、早く知らせてやった方がいいと思っての」
「知らせ?」
魔術師で、ソルヴの腹心であるジガが、ウォルボルトとマーサの二人に何を知らせることがあるというのか。いやな予感しかしない。
「そう言えば、おんし達にも子供が生まれたそうじゃの?」
「ええ、そうです。4人目です。」
マーサが嬉しそうに返した。しかし、ウォルボルトは一つ引っかかることに気が付いた。
「お前達にも?」
そう言ったウォルボルトにジガはニヤリとした。いや、皺だらけなのでニヤリとしたように見えた気がする。
「まさか、婆さんも……?」
馬鹿なことを言ったなとウォルボルトも自分で思ったが、案の定マーサに殴られた。
「四人目か、それは目出度いの。そう言えば二人目の子は確か……」
ジガの言葉に、ウォルボルトは青ざめた。
それに触れるんじゃねぇよ!
「……もうすぐ8歳になります」
マーサが答えているが、何が「確か」なのかには答えていない。ウォルボルトは恐ろしくて女房の顔が見れなかった。
「そうかい。実は今、産院施設の方にうちが後見人になっておる赤子が一人おっての」
ジガは「フェフェ」と笑い声を漏らした。
「名前がの、エドゥアルドという」
「?」
なんだ? だからなんだ?
「苗字はウォルコットと言うのじゃ」
「は?」
ウォルボルトとマーサ、二人から同時に理解不能の声が漏れた。
ウォルボルトの姓はウォルコットといい。当然マーサもウォルコット姓である。
赤ん坊の名前はエドゥアルド・ウォルコットというらしい。
それからジガはなんでもない事のように、とんでもない事をウォルボルトに告げた。
「お主の子供じゃ」
「アンタぁ!!!」
雷のような大音が、執務室に響き渡った。見れば鬼女の如き顔になったマーサが飛び掛ってきた。
「ぎゃー!」
叫び声をあげて、逃げ出すウォルボルト。
「アンタ、また他所に子供を作ったね!!」
「ノー!! しらん! 無実だ!!」
その爪でウォルボルトの顔を引き裂こうとしたマーサの両腕を掴みながら、必死に弁明する。
「じゃあ、その子はなんなのよ!」
「だから、知らねぇよ!!」
「ああ、マーサ。別にウォルボルトがまた他所で浮気をしたわけではないぞ」
しばらく二人の様子を眺めていたジガがのんびりと言った。
「はよ、言えや!」
あと、「また」ってなんだ!
と思ったがウォルボルトはその部分は言わなかった。
「疑われるようなことしか、しないからでしょうが!」
でも殴られた。
ジガの言葉と一発殴ったので落ち着いたのか、ふーと息を吐くと、マーサはジガの方へと顔を向けた。
「ジガ様、一体どういうことでしょうか?」
「うむ、実は色々と事情があって親を亡くした子供を引き取ることになっての。総帥はその子を信頼のおけるものに育てさせたいと仰せじゃ。そこで、お御主たちにその子供を一緒に育てて欲しいのじゃ」
ウォルボルトとマーサは目を合わせた。
「その子供って、馬小屋で生まれたっていう子供かい?」
「違う」
ジガが短く、しかしきっぱりと否定した。
「ええっと、しかし、私達でいいんですか? うちはお世辞にも立派な家ってわけじゃないし、学もないですけど……」
昨日、馬小屋で女が死んでいたという話はウォルボルトも聞いている。その際子供が生まれたという話も聞いていた。二人は恐らくその子供だろうと思ったが、ジガが違うと言えば、この屋敷ではそれが真実だ。
マーサが自分達でいいのか、と聞いたのはその子供が、「ソルヴの血を引く子供」であった場合や、それ以外でも、理由があって引き取ることになった「名家の子」であった場合のことを心配したからだ。身分制度が確定している帝国において、一旦、戸籍に入るとそれが後々の経歴に影響する。もちろん本人に能力があれば出自の身分を変えることもできるが、並大抵の努力では不可能である。
「お主らが気にすることはない。一人子供が増える分は給金を増やしてやるし、後々必要があればワシらが援助する。それよりその子を自分の子として普通に育ててくれればよい。そう言う意味では、お主の家が一番適任じゃ」
ウォルボルトはまた不味い話題になっていきそうな気がしたので他に話題をふる。
「お願いって、もう役所に届け出もしてるんだろ?」
「いや、産院施設への手続に必要な書類に書いただけで、公式にはまだ誰の子でもない。お主らが嫌だというなら正直にそう言ってくれてええ。このことに関しては、お主たちが育ててもいいと思うかどうかが重要じゃ」
マーサは一瞬ウォルボルトを睨んだが、今は話を進めるべきだと思ったのか、ジガに顔を向けた。
「つまり、本当のうちの子供のように育てて欲しいということですか?」
「うむ。そのとおり。理解が良くて助かる。そうじゃの、見知らぬ子供をいきなり引き取れと言うても判断が付かんか。一度その子供に会って見るか?」
「いえ、いいですよ。その子の事は私達に任せてください」
マーサはあっさりと了解した。ウォルボルトも妻の判断に異論はなかった。というより、マーサなら断りはしないことも分かっていたからだ。もし異論があっても、拒否権はないのがウォルボルトであるが。
「そうか、助かる。しかし、手続もあるしお披露目も兼ねて一度家族を連れて産婦院に会いに行ってくれ」
「分かりました」
やれやれ、また家族が増えちまったな。とウォルボルトは思ったが、存外悪い気はしていない。ウォルボルトもマーサも家族は多い方がいいという考え方だし、マーサは血のつながりを家族の絆として重要視する人間でもない。ウォルボルトに至っては、エドゥアルドに血のつながりがなかったという情報に心底安堵を漏らしていた。それは日頃の行いのせいであるが。
「うん。では以上じゃ。子供には会えるように早急に手配しておく。ウォルボルト、安心せい。なかなか可愛らしい子供じゃぞ。お主にちっとも似とらん」
やかましーわ! ありがとうございますぅ!