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悪辣王女は反省しない

作者: 名紗すいか
掲載日:2026/04/04



 ヴェロニカは国王のひとり娘だ。


 唯一の王女としてわがまま放題に育ち、周りが逆らえないのをいいことに立場を利用し好き放題した結果、たった十七年間のうちにそれはもう数えきれないほどの悪行を重ねてきた。


 気に入らない者はとことん痛めつけ、気に入った者は本人の意思などお構いなしにそばに侍らせる。自分以外の人間など、愛玩動物か、使える駒か、ゴミでしかないと、本気でそう信じていた。


 人生なにもかもがヴェロニカの思い通り。


 なにせ勉強することなく遊んでばかりでも王位が転がり込んで来るのだ。


(だってわたしはこの国唯一の王女)


 ヴェロニカの立場が揺らぐことはない。


 父である国王も、そんなヴェロニカを叱るどころか、それこそが正しいとばかりに放置し続けた。


 そのことをおかしいと気づけていたら、更生の機会があったのかもしれない。


 だがヴェロニカはすでに、手の施しようのないほどの稀代の悪女となっていた。





「――今、わざとわたしの髪を引っ張ったでしょう!」


 ヴェロニカは立ち上がって振り返ると、髪を結っていた侍女の頬を、手袋をした手で思い切り引っ叩いた。


 せっかくの舞踏会なのに、未だ髪が結い終わっていないのはこの侍女が愚鈍なせいだ。ヴェロニカはちらっと鏡を見やる。結い上げたブロンドの髪を彩る赤い薔薇がどことなく野暮ったく映った。


(まったく、センスのかけらもないのね!)


 床に倒れ込んだ侍女は顔面蒼白となりながらも、ヴェロニカの足元に跪いて許しを乞う。


「姫様、申し訳ございませんっ! お許しください! お許しください……!」


「なあに? 謝れば許されると思っているの? あなたの謝罪にどれほどの価値があって?」


 甚振るように侍女の肩を靴の先端で蹴りつけると、その場に尻餅をつきながらも許してくださいと必死に懇願してくる侍女の姿に興醒めしたヴェロニカは、手近にあった水差しの水をその顔へとぶちまけた。


「もういいわ。あなた、クビよ。どっか行ってちょうだい」


 頭から水を滴らせた侍女が泣きながら退出して行くのを、ヴェロニカはイライラしながら見送った。


「お父様の選んだ侍女は、本当にどいつもこいつも役立たずばかりね!」


 ほかの侍女に髪を直してもらいながら、ヴェロニカは改めて鏡の中の自分へと目を向けた。


 アーモンド型の薔薇色の瞳に映るのは、華やかな顔立ちの美人だ。胸元の大きく開いた紅いドレスはもちろん特注品であり、プロポーションの優れたヴェロニカにしか似合わない仕様となっている。


 そのままお気に入りの侍女たちを鏡越しに眺めて、ヴェロニカはゆっくりと唇の端を持ち上げた。


 ここにいるヴェロニカの侍女たちはみな美しく、そして、ヴェロニカがどれほど横暴でも、誰にも泣きつくことができない憐れな者たちばかりだ。


 この娘がほしいと強請って手に入れたもの。


 王女が望むのだ。素直に差し出した者は別として、楯突いた者は容赦なく甚振って家ごと潰した。


 娘を、妻を、ヴェロニカに連れ去られた男たちのその後は知らないし、興味もない。


 下働きには、貧民窟でただ同然で手に入れた少年少女たちもいる。


 子供はいい。順応性が高いから。


 ともにいた大人たちは半殺しにして山に捨てた。獣に襲われていなければ、生きてはいるだろう。どうでもいいが。


 護衛騎士である近衛は目に見える傷を負った者ばかりなので、ヴェロニカの気に障ることをして傷をつけられたのだともっぱらの噂となっている。


 ヴェロニカは美しいものが好きだ。


 しかしそれ以上に、美しくて傷ついたものが大好きだった。


 完璧な美しさに影を落とす傷、宝石の中のインクルージョン、そんなものをヴェロニカはたまらなく愛している。


「姫様。リオネル公子がお越しになられました」


 そう侍女に声をかけられて、ヴェロニカは、ぱっと顔を輝かせて部屋を飛び出した。扉の外で待っていたのは公爵子息のリオネル。ヴェロニカのふたつ歳上の幼馴染だった。


 艶のある金髪に切れ長の桔梗色の瞳を持った貴公子らしい完璧な容姿を持つ彼は、ヴェロニカの婚約者候補であり、ゆくゆくは王配となる予定で教育されている。勉強嫌いなヴェロニカは早々に学ぶことを投げ出したので、実質彼が次期国王のようなものである。


「リオネル! 今日はあなたがエスコートしてくれるのね? 嬉しい!」


 彼の胸に飛び込むように抱きつくと、両手で肩を掴まれ、べりっと音がしそうな勢いで引き剥がされた。


「仕方なくだ」


「仕方なくでもいいわ。わたしはあなたを愛しているもの」


「……」


「それになにより、あなたを連れているときの周りの目と言ったら!」


 完璧な貴公子である彼にエスコートされるヴェロニカへと向けられる令嬢たちからの嫉妬と羨望の眼差し。あの視線がたまらなく気持ちがいい。


「もっと目立つように、頰に傷でもつけようか?」


 リオネルは片頰を皮肉げに歪ませる。


 ただ美しいものを愛でたいだけなら全力で止めただろう。だがヴェロニカにとってはご褒美でしかなかった。


「傷つけるときはわたしにやらせてね? もっとかっこよく、素敵にしてあげるわ!」


 子供の頃にリオネルの顔に木の枝で傷をつけようとしたときは、周りの大人たちに必死の形相で止められた。あのときの雪辱をいつか果たしたいと思っていたのだ。


 ヴェロニカが身を乗り出すと、ふっ、と彼は笑ったような気がした。だが、気のせいだろう。リオネルはヴェロニカの前では笑わない。


「行こうか、お姫様」


 差し出されてその手に、ヴェロニカは笑顔でそっと手を載せた。





「そういえば、今日ってなんで急に舞踏会が開かれることになったの?」


「知らないのか? なにか発表があるという噂だが……」


「わたしとリオネルの婚約発表かも?」


「そんな話は聞いてないが……」


 リオネルが眉根を寄せて考えるようにだんまりを決め込んでしまった。そういう話は来ていないらしい。ヴェロニカとしては早く結婚したいのに、父が渋っているらしいのだ。


 ヴェロニカは考え込んで隙のできたリオネルのその腕に抱きつく。


「ねぇ。あなたはわたしのものなのよ? 今さら逃げられると思わないでね?」


 リオネルはマナーについてうるさく言いたそうな顔をしてヴェロニカを見下ろしていたが、振り払われることなく会場入りした。


 壇上にはすでに国王陛下と王妃の姿がある。


 ヴェロニカは国王の娘であるが、母親はすでに鬼籍に入っているため、今の王妃との血の繋がりはない。


 ヴェロニカの実母は隣接する帝国の姫であり、たかだか伯爵令嬢でしかない現王妃のことは常に見下していたのだが、今日はどこか雰囲気が違っている。怪訝に思っていたところで、早々に国王が宣言した。


「今日はみなに重大な知らせがある。――こちらへ」


 国王に呼ばれて壇上に現れたのは、ヴェロニカと同じ年頃の娘。桃色の可憐なドレスを身にまとって、楚々と国王陛下と王妃の間に立つ。


 みなすぐに気づいた。王妃とその娘の姿がよく似ていることに。


 あれではまるで、親子のようだ――と、そうつぶやいたのは誰だったのか。


「彼女は私と王妃の間に生まれた娘であり、第一王女(・・・・)のステラだ!」


 ヴェロニカだけでなく、大半の貴族たちがどよめいた。普段から冷静沈着なリオネルですらわずかに目を見開いて、壇上の娘を呆然と凝視している。


「訳あって領地で暮らしていたが、この度城へと戻って来ることと相なった」


 訳あって、などと言ってはいるが、帝国の姫を迎える前に別の女に娘を産ませていたことが露見すると困るから、隠していたのだろう。ヴェロニカは勉強が大嫌いだが、事情を察せないほど愚かではない。


 そして今こうして発表したのは、おそらく帝国の皇帝が代替わりしたからにほかならない。ヴェロニカの母の異母兄が現在の皇帝であり、ヴェロニカとはほとんど没交渉の伯父だった。


 だから国王はそのときを待っていたのだろう。ヴェロニカは否応なしに理解した。


「諸君らも知っての通り、第二王女(・・・・)のヴェロニカはこれまで悪行の限りを尽くしてきた! 女王となるのにふさわしくないと判断したため、このステラを王太女として任ずる!」


 そして国王はヴェロニカの隣にいるリオネルへと視線を移す。


「そして公爵令息であるリオネルをこのステラの婚約者とすることを決定した!」


「へぇ……?」


 そこではじめてヴェロニカは声を発した。聞き捨てならず、軽く眉を上げてリオネルを見上げたが、表面を取り繕うのがうまいせいで、なにを考えているのかは読めなかった。


「そして第二王女ヴェロニカを、数々の悪行を理由に幽閉と処する!」


 血の繋がった娘を容赦なく切り捨てた国王を、ヴェロニカはただただ冷めた目で睥睨していた。


 悪辣な王女ではあるが、腐っても王族。


 衆目の前で感情のままに、苛烈な怒りを撒き散らすような振る舞いができるほど、矜持は錆びていない。


 それにヴェロニカは、なにも悪いことなどしていないのだ。


 気に障った貴族に鞭打ったり、結婚間近の令嬢を無理やり侍女にして破談させたり、横暴の限りを尽くしてきた自覚はあるが、すべては国王の容認があってこそ。


 だからわがまま放題生きてきた。欲望のままに他人を踏みつけ生きてきた。


 それなのに今さら手のひらを返すとは。


(……あーあ。もういらないわね、アレ)


 ヴェロニカが女王となった暁には、真っ先に切り捨てることが、たった今決定づけられた。


 ヴェロニカに親子の情などというものは存在しない。そんなものがあるのなら、もっとまともな人間に育っている。


 ヴェロニカの愛とは執着と同義。


 そこに家族愛は含まれてはいない。手元に置いた愛玩動物たちの方がよほど愛らしくて有用だ。


 愛玩動物でも、使える駒でも、ゴミでもない存在――。


 ヴェロニカが心から愛しているのは、リオネルただひとりだった。


「わたしのリオネルを、その貧相な女の婚約者に……ねぇ?」


 ヴェロニカのつぶやきは、静まりかえった会場の隅まで、思いのほかよく響いた。


「黙れヴェロニカ! おまえの姉だぞ! その貧相な女とはどういう口の利き方だ!」


「ハッ! 姉? 姉ですって? 結局は、帝国の姫を王妃として迎え入れることが決まっていながら、よそで子供を作っていたっていう話でしょう? ……ねぇ、お父様? それを世間では、浮気だとか不貞だとか契約違反だとか言うのですよ? お・わ・か・り・か・し・らぁ?」


 言い返されると思っていたなかったらしい国王が、ぐぅ、と唸るような声を漏らす。


 これまでヴェロニカは国王に対して攻撃的な言葉も行動も取ったことがなかった。別に親だからというわけではない。特に必要なかったからだ。


 泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。


 いや、怒り散らして暴れると思っていたに違いない。


 ヴェロニカは鼻で嗤った。


 そんな普通の娘のような反応をしてほしかったのなら、普通の娘のような感性が養われるように、もっとまともな情操教育をしておけばよかったのに。


 手のひらを返されたときの絶望を想像しながら、少しずつあまい毒を与え続けて手懐けていればよかったのに。


 あの男は初手から間違えたのだ。


 犬だって躾をしなければ飼い主を噛む。


 これまでずっとわがままを通して生きてきた相手を前に、なぜ自分だけは噛みつかれないと思えるのか。


 ヴェロニカはほしいものを手に入れるまで決して諦めないし、自分のものを他人に取り上げられるのがなによりも嫌いだ。立ち塞がる者は誰であれ徹底的に叩き潰す気概もある。


 それがたとえ血の繋がった親だろうが関係ない。


 おいしい餌を与え続けた人間が、その餌を出さなくなったら――?


 犬はその人間を餌の代わりに喰らうことだろう。


(自分を犬に例えるのは業腹だけど)


「ねぇ、お父様? 本当に、そのわたしの姉とやらに、王位を継がせられるとお思いなの? 帝国が黙っていないとは思わないのかしら?」


「現皇帝陛下もこれまでのおまえの悪行を知れば、きっと――」


「アッハッハ、お父様ったら、やぁだ! それ、本気で言っているの?」


 生温いことを宣う国王に、ヴェロニカはのけぞるようにして高笑いした。これが笑わずにいられるだろうか。


「ふふっ、ふふふ……嫌だわ、お父様。自分で自分の首を絞めるだなんて! わたしには到底真似できないわぁ! このわたしという子育てに失敗した実例があるのに、もうひとりの娘はまともに育てましたー、なんて言ったところで、誰が信じるのかしらぁ?」


 頰に手を当て嫌みたらしく笑うヴェロニカに、父の方が感情を逆撫でされていく。


「なっ、ステラはおまえとは違う!!」


「なにが違うのかしら? 世間知らずのお嬢様がのうのうと生きていけるほど、あまい世界ではありませんのよ、お父様」


「だからリオネルを王配にするんだ! リオネルこそ、おまえの一番の被害者だろう!」


 リオネルへと周囲の目が集中した。しばらく無言で状況を静観していた彼は、小さく嘆息すると、動揺もなく軽く片手を挙げた。


「陛下。発言をよろしいでしょうか?」


 ヴェロニカの無茶振りに慣れているせいか、リオネルの肝の据わり具合は同世代の令息たちの比ではない。


「いきなり王女がもうひとりいるとおっしゃられても、疑っているわけではございませんが、正直なところ、我々臣下も非常に困惑しております」


 まったく動揺を見せずにそう言うリオネルだが、会場の多くが彼に同意するかのように目配せをしている。


 総意をまとめたリオネルが、発言ひとつでこの場の大多数の支持を集めた。


 なんにせよ、決まっていることがひとつある。


 どちらの王女が女王になるにしても、王配がリオネルになることだけは変わらない。ならばどちらの王女につくかではなく、リオネルにつくのが正解なのだ。


 ヴェロニカは口角を上げた。


 素性の怪しい娘をいきなり婚約者などと言われ、リオネルが認めるはずがない。


 だから――。


「どちらの姫が王となるに相応しいか、民意を問うたらいかがでしょうか?」


 そう言ったリオネルを、ヴェロニカは困惑したまま小首を傾げながら見上げた。


 民意。そんなもの、なにが関係あるというのか。王になるのに必要なものは、正当な血筋と強力な後ろ盾。民が王を選ぶのではない。


 ヴェロニカが言葉を失っている間に、その提案は国王陛下の名の下に許可される。


 すでに悪評が広まり尽くしたヴェロニカに不利でしかない提案だからこそ、考えることもなく即決した。


「わかった。では三ヶ月後、国民の意思を問う。王となるに相応しいのがどちらということを」


 すでに勝負はあったとばかりに勝ち誇る国王。


 だけどヴェロニカが見ていたのは、リオネルの涼しげな横顔だけだった。



**



 ステラが街に出て慈善活動に勤しんでいるらしい。


 と、ヴェロニカが聞いたのは、軟禁されている部屋でのことだった。


 ソファにしどけなく座り、侍女に爪を整えてもらいながら、ふうん、と外の情報を話半分に聞き流し、足を組み替える。


 するとオットマン代わりの下男が呻いたので、動くなと容赦なく踵を落とした。


 ヴェロニカつきの侍女や使用人は軟禁されているわけではないので、外から情報を仕入れてはヴェロニカの元へと運んで来るが、これは父からのわずかばかりの慈悲……などではなく、ステラが精力的に活動している様子を聞くことしかできないヴェロニカを苛立たせ、絶望させるためのつまらない嫌がらせだ。


(嫌がらせですら、凡庸な王ね)


 ヴェロニカを絶望の底へと叩き落とせる者など、世界広しといえどリオネルくらいなものだろう。


「姫様は、このままなにもせず、期限までこちらでお過ごしになるおつもりですか……?」


「はぁ? この高貴なわたしに、薄汚い野良犬どもに媚を売れと?」


「そ、それは……」


 侍女の顎を掴んでぐいっと引き寄せた。ひ、と息を呑む彼女の表情に満足して、にんまりと口角を上げながらその耳へ口づけてからねっとりと囁いた。


「なぁんにもしなくてもね、わたしが女王になることは決まっているの」


 こんな状況でも、わずかすらもそれを疑ってはいなかった。


 もとより王座はヴェロニカのものだ。もし反発する民などいたら、その場で叩き切ってしまえばいい。それを見せしめにしておけば、誰も逆らおうとは思わなくなるだろう。


 ヴェロニカが次期女王だからこそ、帝国はこの国に手を出さずにいる。国王のくだらない妄言によってステラを支持する愚か者たちのせいで、ほかの知性ある民が巻き添えを食うことなど到底許せるものではない。


 ヴェロニカにとっての民とは、使える駒だ。


 なんの役にも立たない愚鈍な貴族らよりも、よほど立派な、価値ある働き蟻たちである。


 ヴェロニカとて、便利な道具をむざむざと失うことをよしとはしない。


 とはいえだ。悠然と構えてはいるが、苛立っていないわけでもないわけで。


 軟禁された日から、衝動的な怒りをぶつける先がオットマン代わりのフットマンである下男しかないのは、なかなか深刻な問題だった。


 軟禁直前に騎士の隙をつき、国王夫妻の肖像画を松明の火で燃やしてやったのが最後の悪行らしい悪行だろうか。


 危うく城ごと消し炭になりかけたが、ヴェロニカの知ったことではない。


 自分ものにならない城など、燃えろ。


 慌てふためき火消しを行う騎士たちを見ても、なかなか溜飲は下がらない。国王夫妻の足元に火をつけて踊らせたらさすがに気分も晴れそうだが、人の焼ける匂いは好ましくないので想像するに留めておいた。


 正直なところ、ヴェロニカはステラがどこでなにをしていても、わりとどうでもいいと思っていた。そもそもあの女に対しての興味がないのだ。女王の座がほしいのなら勝手に足掻けばいい。無駄なことだが、無駄とわかって足掻く人の姿は一興である。


 ヴェロニカは元々、外に出るのが好きな人間ではない。国王の命令というのが腹立たしいが、部屋の中でお気に入りを愛でていること自体に苦はなかった。


 この軟禁による一番の苦痛は、たったひとつ。リオネルに会えないことだけだ。


 聡明なリオネルがなぜあのようなくだらない提案をしたのか。


 それを訊く前に騎士に拘束され部屋に軟禁されたので、その真意は掴めぬまま。


 ヴェロニカには賢い人間の考えなどわからない。


 リオネルと言葉を交わすことも、顔を見ることすら叶わないせいで、今なにを思っているのか、汲み取るには情報が少な過ぎた。


(……面会にすら来ないのね)


 ひと言説明してくれたら。


 それが裏切りの言葉であったのだとしても。


 例えナイフの切先を憎悪とともに向けられようとも。


 ヴェロニカは寛大な心でリオネルを許すというのに。


(こんなにも、愛しているのに)


 リオネルのすべてを、愛している。


 リオネルならば裏切りすらも愛おしい。


(……あーあ、さっさとリオネルの顔に傷でもつけておけばよかったわ)


 ヴェロニカのものであるという証があれば、誰も奪おうとは思わなかっただろうに。


「……それにしても退屈ね。なにかおもしろい話はないの?」


「おもしろい話ですか……」


「あの貧相な女が、どんな偽善をあくせく振り撒いているのかをもっと聞きたいわ」


 ヴェロニカが気を悪くするのではと黙っていたステラの善行と、それによる世間での評価を聞き出した。民に寄り添い、惜しみない支援をしているらしい。


「その姿はまるで、聖女のようだと」


「……へぇ?」


 そこではじめて、ヴェロニカが気のないこれまでの返事とは違い、声に興味の色を乗せたので、侍女たちは地雷を踏んでしまったかと不安げに目配せし合った。


「特別に気に障ることを言っても、あなたたちには八つ当たりしないであげる。だから、知っていることは全部吐き出しなさい」


 八つ当たりはまた国王の肖像や王妃のお気に入りの品を燃やすことで済ませるからと言って続きを促すと、彼女たちはぽつりぽつりと知っている情報を語りはじめた。


「リオネル公子が……その、仲睦まじい様子で、ステラ様に寄り添い行動をともにしている、と……」


「……ふぅん?」


「リオネル公子は奉仕活動に励むステラ様を、優しく微笑みながら見守っているそうで……」


「……へぇ?」


 リオネルがステラの社会的地位をさらに底上げしている。


 ここにヴェロニカという悪見本があるのだから、評判などさぞ上げやすいことだろう。


(……ああ、そう。そうよね、それがあなたのやり方だものね)


 だったら――。


「……姫様?」


「……なんか、ちょっと楽しくなってきたかも?」


 そうつぶやいたとき、部屋の外から招かざる客の訪れを見張りの騎士が告げた。


「国王陛下がいらっしゃいました」


「はぁ? 追い返して」


 ヴェロニカは部屋にゴミを入れる趣味などない。


 しかしそこにいるのはヴェロニカの近衛ではないので意見が通るはずもなく。


 ヴェロニカの近衛たちは護衛任務から外されているので仕方がない。逃すとでも思われているのだろう。崇高なはずの騎士が、悪辣な王女の忠義者と思われているところがおかしい。


 自らの近衛たちを連れて我が物顔で入室してきた国王は、ゴミの分際で優雅にくつろぐヴェロニカを見て眉を顰めた。そして目線を下げ、ヴェロニカの足の下にうずくまる下男を物言いたげに見やる。


「普段の行いを反省したということなら、幽閉ではなく療養という形にしてやってもいいかとも思ったが……」


 ヴェロニカが足を乗せているオットマンについては、説明するのも面倒だ。普通と違って生きてはいるが、そういう種類なだけだ。


 フットマンでもオットマンでも、今はそんなことどうでもいい。


 ヴェロニカは常に欲望のままに生きてきたが、これまでの自分の行いを恥じたことがない。恥じるくらいならはじめからしなければいいのだ。


 たかだか待遇が変わる程度の条件で自分を折れというのなら、ヴェロニカという人間はもはや死んだも同然。


「反省? 反省すべきは陛下、あなたの方ではないかしら? わたしの悪行など、その足元にも到底及びませんわぁ」


「なんだと!?」


「不実の証であるあのステラとか言う女……よほど頭がお花畑なんでしょうね? わたしがその立場だったら、恥ずかしくて恥ずかしくて、外など出歩けないわぁ」


 頰に手を当ててわざとらしく嘆息すると、わかりやすく激昂した。


「おまえごときが、ステラを侮辱するな!」


「図星を突かれたからって、そんなに感情的になるなんて……王族として失格なのではなくて?」


 こてんと首を傾げながら、さらに煽る。


「き、貴様……!」


 国王が腕を振り上げると、間髪をいれず足の下にいた下男が立ち上がり、その平手を自らが代わりに受け止めた。本当に躾の行き届いた便利なオットマンだ。


「あっは」


 国王は震える手を握りながら、呻きながら倒れる下男を呆然と見下ろしていたが、すぐにこの場にいた者たちへの箝口令を敷いた。


 ヴェロニカに虐げられ、オットマン代わりにさせれている下男――なんの瑕疵もない民を、怒りに任せて殴ったのだ。噂が広まればヴェロニカと同じ位置にまで評判は落ちる。


 国王は動揺して逃げるように部屋を出て行った。最初から最後まで、小物感満載で失笑しか出てこない。


 人を殴ったとかもなさそうな国王の平手など大して痛くもないだろうに、下男がうずくまったまま震えていたので、ヴェロニカはその脇腹を軽く蹴飛ばしてから背中を踏みつけた。


「いい飼い犬を持てて、わたし、とぉっても嬉しいわぁ」


「……ひっ、……あ、ありがとう……ござい、ます……うぅ」


 ヒールを背に捻り込まれて涙を浮かべながら呻く下男に感謝の言葉を言わせて遊んでいると、最近買ったばかりの若い侍女が怯えて震えているのが視界の端に映り、途端にヴェロニカは破顔した。侍女の顎を掴んで顔を引き寄せると、そのこめかみへとキスをする。


「震えちゃって、どうしたのかしら? わたしが怖いわけじゃないわよ……ねぇ?」


「は、はい……」


「そうよねぇ? 王が怖かったのよねぇ?」


 涙を溜めて震える侍女を胸に抱き寄せ、逃げられないようしっかりと腕で頭を固定してから、耳元に囁いた。


「まさか、家に帰りたいとか、ふざけたことを思っていたりは、しないわよねぇ……?」


 侍女ががばっと顔を上げ、泣きながら懇願する。


「っ、お、思っておりません! お許しください、姫様っ、お許しください……!」


「そーお? じゃあ、許してあげる」


「あっ、ありがとうございますっ、姫様っ……! ありがとうございます……!」


 ああ、もう、憐れでかわいくて、笑いが込み上げて仕方がない。


「……ふっ、あははっ、あはははははははっ!」


 たとえ世界中の誰もから見放され、断頭台の上に立たされたのだとしても、ヴェロニカは反省などしない。改心など反吐が出る。


 生まれ変わったとしてもヴェロニカはヴェロニカだろう。


「リオネルの思い通りにいくのか……見ものね」


 不安げな顔をする侍女の頰をひと撫でしてから、ヴェロニカは優雅にソファへとかけ直す。


「のんびりと高みの見物でも決め込みましょうか」


 悪役にふさわしい笑みを口元に浮かべて嗤った。



**



 民意を問う日が訪れた。


 三ヶ月、外出を許されずよく耐えたものだ。


 ようやく軟禁の解けたヴェロニカは、連行されるようにバルコニーへと引き摺り出された。


「女性の扱いを覚えた方がいいのではない?」


 騎士に小言をもらしなから、前を向く。


 すでに国王夫妻とステラ、リオネルがそこで待ち構えており、バルコニーの下には民衆が押し寄せ、聖女様! ステラ様! と、熱狂的な支持者の声で湧き立っている。


(あらあら。とんでもないことになっているわねぇ?)


 ちらっと見やったリオネルは、ステラのそばで控えながら、涼しげな眼差しで民衆を見下ろしていた。


(すべてリオネルの思い通りなわけね)


 リオネルが焦っている姿など見たことはないが、たまには焦っているところを見てみたいものだ。


「すでに答えは出ているようだな」


 国王が片手を挙げると、次第に民衆たちは清聴姿勢となっていく。


「みなに問う! 次期女王として相応しいのはどちらの王女であるか!」


 真紅の薔薇のような華やかな赤のドレスに扇子で口元を隠すヴェロニカと、清廉な白のドレスを着て慈愛に満ちた微笑みを浮かべるステラ。


 確かに答えなど出ている。


 人気で女王を決まるのなら、ステラの圧勝だろう。


 民衆の熱狂が一気に膨れ上がろうとした、そのとき。


「お待ちください」


 静かに声を発したのはリオネルだった。


「今日のために特別な来賓をお招きしておりますので」


 みな怪訝そうな顔をする中、民衆の最後列からざわめきが起きはじめる。


 そして民衆の間を割るように最前列へと現れたのは、白いローブに身を包んだ聖職者の集団。


 王女であるヴェロニカですら滅多にお目にかかることのできない、神聖国の高位神官たちだ。


 神聖国とは、小国ながらも独立した国家であり、この世界を創造したと言われる唯一神を信仰する聖職者ばかりが暮らす国。中央に神殿、その周囲に街があるものの、そこに住むことが許されるのは神殿関係者のみ。


 街ひとつ分の面積しか持たず、そのため領土目的で他国から侵略されることもない。なにより、信仰する神に喧嘩を売る国はないに等しい。


(よく引き摺り出してきたものね)


 信仰心が強い者ほど気づいたかもしれない。


 彼らがなぜ、ここにいるのかを。その理由を。


 国王が戸惑いながら、神官たちとリオネルを交互に見やっている。


「あなた方は……なぜ」


「この国に聖女がいると聞き及び、真偽の程を確かめるべく、ひそかに貴国に滞在しておりました。ご挨拶が遅れたこと、ここにお詫び申し上げます」


 ここまで言われて、わからないという者はいないだろう。


 この国から聖女が出るかもしれない。


 民衆たちの期待と興奮が伝わり、肌がピリピリとするほどだ。


「そしてここ数ヶ月の調査結果を神殿へと報告し、そして先ほど、神殿より正式にステラ様が聖女であるとの決定がなされました」


 誰も彼もが息を呑む。大きな喜びの前の、ひと呼吸。そして扇子の下のヴェロニカの笑み。


 事が大き過ぎてまだ誰も気づいていない。


 神聖国に聖女として招かれる彼女が、この国の女王にはなれないということを。


(人の評価はね、下げ過ぎてもダメだけど、上げ過ぎてもダメなのよ)


 たとえ人であろうと、神聖視してしまえばそれはもはや人にあらず。


 善良さをアピールするだけなら、聖女などと誰にも噂させてはいけなかった。


 娘を煽てられて調子に乗るから、足を掬われるのだ。


 結果としてそうなってしまったというのなら、それは仕方がないことだ。だが、多くは往々にして誰かの思惑が絡んだ結果である。


 光が強ければ闇が濃くなるように、闇が濃ければ濃いほと光は燦々と輝くものだ。


 ヴェロニカという悪辣王女がいたからこそ、ステラという善良な娘が聖女と呼ばれるまでにのし上がった。


「だがっ! ステラは我が国の王女で、次期女―――」


「もし」


 神官は国王の言葉を遮った。公の場でそれが許されるのは神官という神の遣いだからこそだ。


「聖女でないのにも関わらず、聖女と名乗っていたということであれば神のお怒りを買うことになるでしょう」


 それは信仰の篤い者にとっては、事実上の死刑判決だった。


「身分がどうであれ、聖女を詐称したとなれば、我が国の法に則れば死罪。ステラ様は同等の罰を神より賜ることになるでしょう」


 神などいないと笑い飛ばせるヴェロニカのような無神論者は少数派だ。みな神の威光を畏れている。


 聖女として神殿にその身を捧げるか、身分を偽ったとして死刑か。


 ヴェロニカとしてはどちらでも構わない。にやにやしながら国王の選択を待った。


 悩むまでもない二択。


 それでも苦悶の表情を浮かべながら国王は声を絞り出し、言った。


「ステラ、は……聖女、だ」


 この瞬間、この国から聖女が誕生した。


 聖女様! ステラ様万歳! と轟くような民衆たちの大歓喜が広がる。


(喜ばしいわぁ)


 ステラにはせいぜい、世界の平和のために輝き続けてもらいたい。


 この国とは無縁の場所で。


 国民から惜しみない歓声と拍手が送られる中、国王夫妻の顔色だけが悪かった。



**



 ステラは神殿へと送られた。


 意外だったのは、本人が自ら率先して神殿へと向かったということだ。


 彼女の善良さは本物だった。


 だからこそ聖女として相応しいと神殿が認めたのだろうが、その善良さがヴェロニカと比較するために純粋培養されたものならば、なんとも皮肉な話だ。


「リオネル! なぜ裏切った!」


 怒りの矛先が神殿から神官を連れてきたリオネルに向かうのは至極当然のことではあったが、ヴェロニカとしては笑わずにはいられないほどの愚問でもあった。


 室内にはヴェロニカとリオネル、そして国王のほかには誰もいない。場所を移したのは、外がお祭り騒ぎになっているからだ。


「裏切ったもなにも……裏切りとは、はじめに協力関係があってこそ起こりうる事象では? 私は最初からなにも聞かされておらず、陛下が協力関係を築いていたつもりだったのだと、今はじめて知ったところなのですが」


 リオネルの正論に、ぐっと国王が呻いたが、すべては公爵家への根回しを怠った結果だ。


 ぎりぎりまでステラの存在を隠しておきたかったのだろうが、リオネルをステラの王配とするのなら、なによりも先に公爵とリオネルには事情を説明し、協力を仰がなければならなかった。


 断行してしまえばどうにかなると思っていたのだろうか。だとしたら公爵のこともリオネルのことも舐め過ぎている。


「やっだ、お父様ったら! こぉんなに簡単なこと、まだわからないんですか? すでに耄碌していらっしゃるのかしらぁ?」


「な、に……?」


「リオネルは公爵家の人間で、公爵家の利益のために動くのは、当然のことではありませんか。寝耳に水の公爵が、今回の件、立腹していないわけがないでしょう? 公爵は、このわたしだからこそ、リオネルを王配に据えたかったのですよ? 今さら相手をすげ替えられて歓喜するとでも? ただ迷惑なだけでしょう」


「自分の息子が王配になることに変わりはないだろう。おまえのような娘に婿入りさせるよりよほど喜ぶ」


「嫌だわ、お父様。臣下の本意すら察することができないなんて。公爵家にとって必要だったのは、帝国との繋がりと、御しやすい無能なわたしの、このふたつ。ここまで言えばおわかりでしょう? 公爵様がお望みなのは、傀儡の女王、って・こ・と」


 ヴェロニカは嫌みたらしく立てた二本指をゆらゆらと揺らす。さすがに理解できたらしい父が息を呑んだ。


 リオネルの父である公爵が狙っているのは、血を流すことのない緩やかな王家の簒奪。


 ゆえに求めていたのは国政に余計な口を出さない、血筋だけは高貴なお飾りの女王。


 ヴェロニカが愚かであるほど、無能をひけらかすほど、リオネルの優秀さが際立つ計算。


 リオネルの父親はあの舞踏会のとき、微笑む仮面の下で思い切り舌打ちしていただろう。無能な愚王が余計なことをしやがって、と。


 さすがにショックだったのか国王は顔面を蒼白にしてよろめいた。


「だ、だが! いつもヴェロニカに振り回されて尻拭いをさせられていたおまえが、ステラの前ではあれほど笑っていたではないか!」


 現実から目を背け続ける国王に、リオネルの目がすっと冷える。


 本気でリオネルが楽しくて笑っていたとでも思っているのだろうか。だとしたら人を見る目がなさ過ぎる。


「畏れながら陛下。笑顔のひとつくらい作れない貴族が、一体どこにいるというのでしょうか?」


「……!?」


 リオネルに指摘され、驚きを隠そうともしない国王をヴェロニカは嘲笑う。このまま二度と立ち上がれないほどに致命傷を与えてやりたいが、リオネルに見せ場を譲るくらいの寛大さはあった。


「ここしばらく、ステラ様のそばでその行いのすべてを観察しました。そして出た結論は、彼女は王の器ではない、ということでした」


 リオネルは肩をすくめる。リオネルがそう判断したのならそうなのだろう。


「そんなはずがない! ステラが女王になれば、民の暮らしは今よりもよくなったはずだ!」


「ええ、そうかもしれませんね」


「だったら!」


 言い募る国王に、リオネルは静かに語りかけた。


「ご存知ですか、陛下。ステラ様は誰にでも平等に心を配り、ひとりひとりに労いの声をかけ、私財を投げ打つことすら厭わず、自身のことは二の次で、一日の大半を奉仕活動に充てられていました」


「それがどうした。あの子は本当に、心の優しい子なんだ」


「貧民窟の者たちだけでなく、自らを襲おうとした盗賊たちにですら、食事と清潔な衣類を与え、足りない者には自らがつけていた装飾品どころか履いていた靴すらも惜しみなくお与えになる……。これほどかと、私も驚きました」


 靴をあげて、その後は裸足で帰ったのだろうか。ヴェロニカは想像するだけでぞっとする。


「ステラ様の善良さは間違いなく本物でしょう。ですがあれは、貴族には到底受け入れられない考え方です」


 王とは本来、自らが動くことなく泰然と玉座に座っているものだ。民の暮らしを知りたいのなら、信頼のおける配下を自らの耳目として使い、情報を集める。施しをするのなら、自らの手足の代わりに臣下に行わせる。


 王座とは、気まぐれに立ったり座ったりしていいような軽い席ではないのだ。


「なにより諸外国がステラ様の善良さにつけ入り、我が国を食い物にしようとするでしょう。彼女が王座につけば、遠からぬうちにこの国は地図から消える。あれではお飾りにすらならない。善良なだけでは民を守れない。あの王女は、国にとっては害悪です」


 ヴェロニカという悪女を立てて、恐怖政治を敷くことで、リオネルは自らの動きやすい土台を作っている最中だった。


 支える人間が優秀でありさえすれば、最悪、王などそこに存在するだけで国は栄える。


 普段からそう言って憚らないリオネルにここまで言わしめたのだ。ステラが女王になれば、余計な騒乱を招きかねないと危惧してのことだろう。


 リオネルは国王よりも、よほど、国の未来のことを考えている。


 ヴェロニカが嫉妬してしまうくらいに。


 ヴェロニカは愚鈍な国王にとうとう我慢できず、パチンと扇子を閉じて現実を突きつけた。


「もしリオネルがあの女と王命で結婚でもさせられていたら、後継が生まれる前に病死させられていたかもしれませんね? ああ、もちろん、先にお亡くなりになるのはお父様、あなたですけど」


 ヴェロニカは扇子の先端で父の心臓の上を軽く突く。


「ねぇ、お父様。気づいているのかしら? わたしを女王の座に近づけたのは、ほかでもない、あなただということを」


「なに……?」


「わたしのことを侮っていてくれて、ありがとう。改心したわたしが挽回を狙って善行を積むとでも思った? それとも、ステラの足を引っ張り邪魔をするだろうって?」


 そのどちらもなのだろう。


 だから、閉じ込めた。


 それこそが一番の愚策だと気づかずに。


 どれだけ悪行が広まっていても、自分の行いを振り返り心さえ入れ替えれば挽回は不可能ではなかった。だからこそヴェロニカが民意を集められないよう、期限まで部屋から出さないようにしたのだ。


 だが残念ながら、ヴェロニカはそんなつまらない点数稼ぎをするくらいなら、死んだ方がましという人間だ。


 さらに言えば、ステラの邪魔をするつもりも毛頭なかった。


 なにせステラという女に、少しの興味も湧かないのだ。


 だってステラにはヴェロニカを惹きつけるような傷がない。なにもない。


 あれは、完璧なだけのただのお人形さん。


 お人形遊びをする年齢など、とうの昔に超えている。


 つまり、軟禁などする必要はなかったのだ。


 それだけヴェロニカのことを脅威と見做していたのだろうが、もしヴェロニカが国王の立場なら、迷わず野放しにしておいた。


「人って、そう簡単に変わらないものよ?」


 そう。人は変わらない。


 絶望に突き落とされて心を入れ替える――そんなものは絵空事だ。


 一度死んだくらいでは人は変わらない。


 ヴェロニカなど、放っておけば勝手に自滅したのだ。己の悪行に首を絞められて。


「軟禁されたからこそ、わたしは“なにもできなかった”。悪行三昧だった王女の、最新の悪行が聞こえてこない……とあらば人はどう思い、どう解釈するのか。これくらい腐っても国王ならわかるでしょう? “ああ、ヴェロニカ様は心を入れ替えて、おとなしく過ごされているのだな”と、思うのよ。ばかばかしいことにね」


「そ、そんなはず……」


「元々の評判が最低だったからこそ、“なにもしない”だけのことで、まるで善行を重ねたかのように都合よく勘違いしてくれる。わたし自身はこれまでとなにも変わっていないというのに、ねぇ?」


 ヴェロニカは本当に、部屋にこもって遊んでいるだけでよかった。侍女や、下働きや、近衛や、下男が、その口を三ヶ月ほど、つぐんでくれているだけで事足りたのだ。


 ステラを聖女だと持ち上げる声をリオネルが無視している時点で、この結末は見えていた。


 公爵の息子であるリオネルらしい血を流すことのない穏当なやり方だ。


 もうなにも言葉が出てこない国王の肩を、扇子の先で、とん、と押すと、あっけなく崩れ落ちた。


 これが敗北者の顔か。


 一国の王が、ざまぁない。


「でもわたし、本当はとぉっても優しい人間だから、お父様たち家族が三人で仲良く暮らせるように、みぃぃんなまとめて神殿に入れるよう、話をつけておいてあげるわね」


 もちろん、実際話をつけるのはそこで嫌そうな顔をしているリオネルだが。


「なっ、」


 ヴェロニカは獲物を追い詰めた猫のような目を弓形に細めて、口角を上げながらひゅっと扇子をその首筋へと添えた。これが剣ならば死んでいただろう。


「適材適所。心優しい聖女サマも、ご両親がそばにいてくれるなら、これほど心強いことはないでしょうねぇ?」


 あはっ、とヴェロニカは笑いながら絶望する国王の首筋からすっと扇子を引くと、リオネルの腕へと絡みついた。


 眉根こそ寄せているが、振り払われないのをいいことに、仲の良さを見せつける。


「わたしからリオネルを奪わないでね、お父様?」


 それがこの男の犯した一番の罪だ。


 リオネルはヴェロニカのもの。


 それを奪おうとした罰を、しっかりとその身で贖え。






「あなたも、お優しい聖女様がよかったのではなくて?」


 力なくうなだれ敗北を喫した国王に背を向け、城の回廊を堂々と闊歩するヴェロニカの隣にはリオネル。


 ステラが聖女となったので、事実上ヴェロニカが次期女王となる。


 揶揄うように尋ねると、彼は思いがけないことを口にした。


「好みじゃない」


「……あら?」


 瞬いたヴェロニカは唇に指を当てて思案する。


 もしかして、好みでないからステラを排除したのだろうか。そんな俗物的な動機だったとは思っていなかっただけに、さすがのヴェロニカも意表を突かれた。


「わたしはあなたの好みなの?」


「顔が」


 驚いていると、強めに顎を掬われた。ヴェロニカは間近にあるリオネルの瞳を見つめた。そこに映る自分の顔は確かに美しい――が、棘があって、毒があって、清廉とはあまりにも程遠い。


(だけどそれがこのわたし)


 ふ、と綻んだ唇に、強引に唇が重ねられた。


 主導権を握られるのは嫌いだが、これは……悪くない。


 首に腕を回して舌を絡めようとしたら、あっさりと突き放された。つれないところは相変わらずのリオネルだ。


「王を顔で選ぶなんて、きっとあなただけよ」


「国のために一生を捧げるんだ。ひとつくらい、自分の希望を通させてもらってもバチは当たらないだろう」


「あっは! あなたってやっぱり最高ね!」


 悪辣王女の隣に立つにはこれくらいの男でなければ。


「女王になったらまずは、なにをしようかしら……?」


 ヴェロニカは遠からぬうちに、歴史に名を残す悪女となるだろう。


 それでも国は栄えるに違いない。


 リオネルが王配としてそばにいる限り、統治者が悪辣な女王でも、きっとこの国は安泰だ。




最後までお読みいただきありがとうございます!


【人物紹介】

・ヴェロニカ

王女で次期女王

気に入らなければ平気で人を傷つけられる正真正銘の悪女

ほしいものは奪ってでも手に入れる

父のことはもちろん、亡くなった母にも特に思い入れはない

勉強嫌いなのをいいことに国王からまともな教育を与えられなかったが、勉強中のリオネルにいつもくっついていたため、実は本人も知らないうちに学び終えている

リオネルはヴェロニカのもの


・リオネル

公爵令息で次期王配

人の評価は、上げるも下げるも思いのまま

老獪な貴族たちを御しやすいよう、傍若無人に振る舞うヴェロニカの王配としてふさわしい有能さを水面下で見せつけて下地を作っていた最中に王に一杯食わされたので、ステラの評価は極限まで振り切らせることにした

喜怒哀楽の喜の感情が欠けているが、嬉々として人を甚振るヴェロニカを見ていると、なくてもいい感情なのだと思えて安心する

ヴェロニカはリオネルのもの


・ステラ

すべての人は生まれながらにして善の心を持っていると信じている正真正銘の聖女

女王としてこの国の民のために尽くすつもりだったが、より多くの人のために身を捧げることのできる聖女となることに一切の迷いはなかった

この先も無償の愛をすべての人に捧げ続ける


・侍女たち

ヴェロニカの愛玩動物

全員、実家や婚家や娼館などで虐待されていた不遇の女性たち

地獄のような場所から救い出してくれたヴェロニカには深く感謝しているが、ヴェロニカに助けたつもりはまったくないので侍女としての仕事を完璧にこなすことで返還をしている

ヴェロニカに殴られることはないが、愛玩動物扱いなので機嫌がいいとキスされることはままある

帰る場所はもうないが、あったとしても帰らない


・下働きの少年少女たち

貧民窟の劣悪な環境で、多数の大人によって搾取されていた子供たち

心が壊れて話せない子も多い

生まれたときから人間の醜悪な面ばかりを見てきたので、ヴェロニカのことをわがままで悪辣な王女と陰口を言う人たちに「?」となっている

ヴェロニカは偏食のため、気に入らないとお菓子でも簡単に下げ渡してくれるので、ここは天国


・近衛

ヴェロニカの近衛は閑職ではあるが、怪我など、近衛としてなにかしら瑕疵のある者たちにとっては、最後の砦

弱者を甚振る貴族には嫌悪を抱くが、弱者を甚振る貴族を甚振るヴェロニカの悪辣っぷりには、不思議と爽快感を覚えている

目立った位置に傷があると、どの貴族にも嫌な顔をされがちだが、ヴェロニカだけは本心から素敵ねと言ってくれるため、意外と主従関係は強固


・下男(フットマン、またの名をオットマン)

被虐趣味の変態

リオネルがヴェロニカの鬱憤晴らしのためにどこからか連れてきた

win-winな関係


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― 新着の感想 ―
楽しく読ませていただきました。 本筋だけでなく、あとがきの設定に繋がる描写の加減が好みでした。 匂わせが濃すぎず薄すぎず、本筋の邪魔はしないけれどほんのりともしやと思わせるぐらいの塩梅で読み心地がとて…
ガチの馬鹿は悪女にはなれない、ってことですな。 とっくに善人たちに排除されてしまうからね。 まさに適材適所。そして有能かつ計略巧みな権力者が、 無垢な聖人と対峙してどう思うかは好みですな。 罪なき1票…
『護衛騎士の近衛が目に見える傷持ちだが、ヴェロニカに傷付けられたというのは噂でしかない』という辺りであれ?となって、ちょっと戻って読み返したら貧民窟の子供に仕事を与えてる?お気に入りの侍女たちが誰にも…
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