第6話:予感――心拍の数を数える夜
春が近づくほど、森は騒がしくなった。
鳥が増え、匂いが増え、光が増える。
増えるものは、心を揺らす。
私はそれが怖かった。
夜、私は眠れずにいた。
火鉢の炭が小さく鳴るたび、心臓がそれに合わせて動く気がする。
“百回”。
私は数えたくなかった。
数えると不安で跳ねる。
でも数えないと、もっと不安で跳ねる。
矛盾は、私の中でぐるぐる回った。
グレイは黙って起きていた。
私が眠れない夜は、彼も火を見ている。
剣を磨かない。音を立てない。
ただ、そこにいる。
「……眠れないか」
私は頷いた。
「数えたくないのに、数えちゃう」
グレイは少しだけ視線を落とした。
「なら、俺が数える」
「……え?」
「お前の心じゃない。
“お前が怖がった回数”を俺が覚える。
——怖がったら、合図しろ」
私は木片を見る。
ころん。
合図。
私は小さく言った。
「怖いって言うと……跳ねる?」
「言わなくていい。
落とせ」
合理的で、優しい。
私は木片をそっと押した。
ころん。
グレイが火鉢の炭を少しずらす。
火が穏やかになる。
部屋の温度が一定になる。
「……これで揺れは落ちる」
私は呼吸が深くなった。
少しずつ、戻る。
「ルナ」
今日の分。
声も距離も同じ。
私は返事をする。
「……うん」
その瞬間、私の胸の奥が、ほんの少しだけ痛くなった。
慣れたからじゃない。
“もっと”を欲しがったからだ。
もっと呼ばれたい。
もっと近くにいたい。
もっと——。
それは危険。
でも、気づいてしまった以上、知らなかったふりはできない。
私は静かに言った。
「グレイ……私、欲張りになってる」
グレイは答えなかった。
ただ、外套を少しだけ寄せた。
触れない距離のまま、温度だけを近づけた。
「欲張りは、生きたい証拠だ」
それは慰めじゃなく、事実の宣言だった。
私はその言葉に、涙が出そうになった。
涙は跳ねる。
だから、まばたきをゆっくりした。
(次話へ:第7話「喪失:札がほどけ、名前が消える」)




