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第3話:幸福――湯気のするスープと半分のパン

朝は静かだった。

詰所の窓は小さく、外の森が切り取られている。

鳥の声は遠い。


私は“跳ねないように”起きる訓練をした。

急に立ち上がらない。

伸びをしすぎない。

心拍が上がりそうなことを、ひとつずつ避ける。


でも、避けるだけでは腹が減る。

腹が減ると不安になって、心が揺れる。


矛盾だ。


火鉢の前で丸くなっていると、グレイが台所へ行った。

金属の鍋が鳴る。

水が注がれる。

乾いた何かが砕ける音。


しばらくして、匂いが来た。

野菜と骨の匂い。

塩の匂い。

湯気の匂い。


グレイは器を二つ置いた。

大きい器と、小さい器。


——私は気づいた。

彼は最初から“分ける”つもりで作っている。


「……食べる」


短い命令のようで、実際は確認の言葉。


私は器を覗き込んだ。

湯気がゆっくり立つ。

熱すぎない。

私が驚かない温度。


小さい器には、柔らかく煮た根菜が細かく潰されていた。

大きい器は、同じスープでも具が大きい。


「……同じ?」


「同じ」


「……おいしい?」


グレイは一瞬黙った。

そして、少しだけ首を傾ける。


「……腹は落ち着く」


それが彼の“おいしい”なんだろう。

私はくすり、と笑いそうになって——すぐにやめた。

笑うと跳ねるかもしれない。


でも、口の端は勝手に上がった。

その程度は、許される。


私はスープを舐めた。

温かい。

塩が優しい。

喉がほどける。


心が、じんわりと落ち着いた。

跳ねるのとは逆の方向へ。


食べ終わったころ、グレイがパンを出した。

硬い、素朴なパン。


彼はそれを半分に割った。

迷いなく。

大きい方を私の前に置くのではなく、同じ大きさに割り直し、片方を私へ。


「……半分」


「お前の体は小さい。……でも、足りないと揺れる」


揺れる。

彼は“跳ねる”と言わなかった。

跳ねるのは危険。

揺れるのは、調整できる。


そういう言葉の選び方が、私の心を守る。


食後、私は火鉢のそばで丸くなった。

外はまだ冷たいのに、ここは温かい。


グレイは剣を磨いている。

金属の擦れる音が規則的で、安心する。

同じ音が続くと、心は慣れていく。


治療師の言葉がふと浮かぶ。

“情は跳ねる回数を増やす”。


でも、これは情なのだろうか。

それとも、管理と契約の延長?


私が考え込んでいると、グレイが手を止めた。


「……ルナ」


私は顔を上げた。

声は昨日と同じ。

距離も同じ。

時間も、たぶん同じくらい。


“今日の分”。


「……うん」


「外に出る。……危ないものは避ける。

跳ねそうなら、合図しろ」


合図。

私は首をかしげる。


グレイは机の上に、小さな木片を置いた。

白い。札と同じ木。


「これを落とせ。音でわかる。……俺が止まる」


言葉が少ないのに、準備は多い。

それが彼の愛し方。


私は木片を前脚で押した。

ころん、と小さく鳴った。


グレイがすぐ止まった。

完璧な反応だった。


——この人なら、大丈夫。


心がそう言いそうになって、私は息を整えた。

跳ねない。

でも、安心はしていい。


(次話へ:第4話「正論:治療師の冷たい正しさ」)

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― 新着の感想 ―
小さな日常の丁寧さが胸に染みる回でした。 スープやパン、音や距離まで計算されたグレイの配慮が、無言の優しさとして伝わってくる。 ルナの心が少しずつ“跳ねずに安心できる”瞬間が描かれていて、静かな幸福感…
派手なイベントはないのに、読むほど満たされる回。半分に分けられたスープとパンが、確かな“共に生きる”証になっていて胸がじんとします。
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