第2部第11話:名前を呼ばれない部屋
※この回では、
誰も怒鳴りません。
誰も傷つけません。
それでも、
**「自分が削られていく感覚」**だけが、
静かに残ります。
名前を呼ばれないということは、
存在を否定されることではありません。
もっと、
曖昧で、
もっと、
逃げにくい形で――
人を縛ります。
扉が閉まったとき、
音はほとんどしなかった。
だからこそ、
「閉じた」という事実だけが、
やけに強く残った。
鍵の音もない。
鈴の音もない。
ただ、空気の流れが止まる。
それだけで、
胸の奥が少し重くなる。
部屋は広かった。
だが、広さに意味はない。
壁は淡い色で、
目に刺激を与えない。
床はきれいで、
埃一つ落ちていない。
ここは、
暴れる場所ではない。
怯える場所でもない。
考えさせるための部屋だ。
椅子が三つ。
机はない。
中央には、
あの女性が立っていた。
第10話と同じ顔。
同じ声。
同じ距離感。
変わらないことが、
こんなにも不安を生む。
「こちらへ」
名前は呼ばれない。
番号もない。
ただ、手のひらで空間を示される。
私は、
一番端の椅子に座った。
外套の中で、
背筋を伸ばす。
姿勢を崩すと、
“弱い反応”として記録される。
そう理解してしまう自分が、
もう管理され始めている。
隣には年配の男性。
反対側には若い女性。
三人とも、
視線を合わせない。
合わせれば、
「共通点」が生まれる。
共通点は、
分類しやすい。
女性が口を開いた。
「ここでは、
名前を使いません」
予告のない宣言。
でも、強制ではない。
「番号も、
肩書きも、
使いません」
彼女は、
私たちを順番に見ない。
全体を見る。
「代わりに、
“反応”だけを見ます」
反応。
私の胸が、
小さく跳ねた。
それは、
私の能力の領域。
そして同時に、
一番知られたくない部分。
「答える必要はありません」
また、
優しい言葉。
「ただ、
反応した方から、
次に進みます」
次。
どこへ。
説明は、ない。
最初の問い。
「——あなたは、
誰かの代わりになったことがありますか?」
空気が、
一段沈んだ。
胸が、
確実に跳ねる。
私は、動かない。
代わりに、
年配の男性が、
小さく頷いた。
それだけで、
女性の視線が、
彼に定まる。
「……ありがとうございます」
礼を言われた瞬間、
彼は“反応した人”になった。
名前はない。
でも、役割は与えられた。
次の問い。
「——自分がいなければ、
誰かが楽になると思ったことは?」
若い女性の呼吸が、
一瞬、乱れた。
——反応。
「……あります」
声は、
思ったより静かだった。
その静けさが、
どれほど重いか。
女性は、
何も言わない。
肯定もしない。
否定もしない。
ただ、
記録する目をしている。
そして、
三つ目の問い。
「——“必要だ”と言われたとき、
断れますか?」
胸が、
強く締まった。
これは、
私への問いだ。
私は、
答えない。
でも、
心臓は嘘をつけない。
とく。
とく。
女性の視線が、
私の位置で止まる。
「……なるほど」
その一言で、
私は“反応した人”になった。
言葉を発していなくても。
「次は、
少し形を変えます」
女性は、
小さな箱を三つ、
床に置いた。
同じ大きさ。
同じ色。
「この中には、
あなたに関係するものが入っています」
関係。
その言葉だけで、
胸がざわつく。
「開けても、
開けなくても構いません」
自由。
また、自由。
「ただし、
開けなかった場合も、
反応は記録されます」
ここで、
私は理解した。
——もう、逃げ場はない。
年配の男性は、
迷わず箱を開けた。
中には、
古い写真。
彼の若い頃。
誰かと並んで写っている。
匂いが、
一気に広がる。
後悔。
喪失。
「戻れなかった時間」。
若い女性は、
少し迷ってから、
箱を開けた。
中には、
小さな手紙。
未送信。
謝罪。
彼女は、
声を出さずに、
涙を落とした。
残るのは、
私。
箱は、
私の足元にある。
外套の中で、
胸が、
強く締まる。
——春。
——消えるはずだった夜。
開ければ、
引きずり出される。
開けなければ、
「向き合わない人」として扱われる。
私は、
箱に触れなかった。
代わりに、
一歩、下がる。
女性が、
わずかに目を細める。
「……開けないのですね」
「……はい」
「理由は?」
私は、
短く答えた。
「……まだ」
まだ。
未来を残す言葉。
部屋が、
静まり返る。
その沈黙の質で、
私は分かった。
——想定外。
女性は、
ゆっくり頷いた。
「分かりました」
肯定ではない。
評価でもない。
「今日は、
ここまでです」
今日は。
続きがある。
「次に進む方には、
後ほど連絡します」
名前も番号もないのに、
連絡は来る。
つまり、
もう特定されている。
扉が開く。
廊下の空気が、
少しだけ軽い。
でもそれは、
錯覚だ。
外に出ると、
グレイの気配が、
一気に近づいた。
近すぎない。
でも、確かにそこにある。
「……終わったか」
「……うん」
短い言葉。
でも、
それだけで、
私は崩れなかった。
私は振り返る。
公会堂の扉は、
もう閉じている。
中で、
誰かが、
私の“反応”を
整理している。
——名前のないまま。
私は、
外套の中で息を吸った。
心臓は、
まだ跳ねている。
でも、
壊れてはいない。
壊れていないからこそ、
次は――
向こうが、私を壊しに来る。
(第12話へ)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この回で描いたのは、
暴力ではありません。
悪意でもありません。
**「理解されている顔をした管理」**です。
名前を呼ばれない。
番号も付けられない。
それは一見、
平等に見えます。
でも実際には、
“反応だけ”が切り取られ、
人は少しずつ
役割に変えられていく。
ルナは、
正解を選びませんでした。
強さも、弱さも、
見せませんでした。
それでも、
見つけられてしまった。
それは、
能力があるからではありません。
考え続けてしまう人だからです。
もしこの回を読んで、
・評価される場に座った記憶
・「何もしていないのに疲れた」感覚
・自分の一部だけを見られた経験
そんなものが胸に浮かんだなら、
この物語は、あなたの感情と繋がっています。
次話では、
選ばれなかった者、
呼ばれなかった名前の行き先が描かれます。
ここから先は、
もう戻れません。




