第2部第10話:選ばれた席、戻れない視線
※この回では、
大きな事件は起きません。
代わりに、
視線の向きが変わります。
見る側から、
見られる側へ。
評価されることが、
こんなにも息苦しいのだと、
静かに分かっていく話です。
椅子は、思っていたより硬かった。
背もたれは直線的で、
体を預けても、どこか浮いている感じがする。
座らせるための椅子じゃない。
**座っていることを意識させる椅子**だ。
私は外套の中で、背筋を伸ばした。
背筋を伸ばすと、心も少し緊張する。
緊張は跳ねる前の静けさだ。
公会堂の中は、明るすぎなかった。
暗すぎもしない。
影ができないよう、計算された灯り。
見られている。
でも、誰に見られているのかは分からない。
それが、一番落ち着かない。
「……静かだ」
私が小さく言うと、
外にいるはずのグレイの気配が、ほんのわずかに動いた。
見えないけれど、分かる。
——いる。
——見ている。
それだけで、胸の奥が少し落ち着いた。
壇上にいた女性が、一歩前に出る。
第9話で見た、穏やかな顔。
「皆さん、ありがとうございます」
声は柔らかい。
張り上げない。
命令しない。
それでも、空気が引き締まる。
「ここでは、能力の優劣は測りません」
測らない。
その言葉に、会場の匂いが揺れた。
——安心。
——油断。
私は、息を吐いた。
測られない、というのは、優しい言葉だ。
でも、優しさは形を変える。
「ただ、
“どう感じるか”を知りたいだけです」
知りたい。
それは、収集の言葉。
女性が、紙を一枚、掲げた。
「最初は簡単です」
係の人が、参加者一人ひとりに、白い布を配る。
布は、目隠し用だった。
胸が、きゅっと締まった。
「……目を、隠す?」
私が呟くと、
隣の席の男性が、少し笑った。
「大丈夫だよ。
見えない方が、集中できる」
集中。
集中は、外界を切る。
私は布を受け取り、
すぐには付けなかった。
——選択。
女性は、それを咎めない。
咎めないことで、
「付けない自分」が目立つようにする。
「では、
付けられる方から、どうぞ」
周囲の人たちが、次々と布を目に当てる。
白が、会場に増える。
視界が、少しずつ閉じていく。
私は、最後に布を当てた。
闇。
でも、完全な闇じゃない。
灯りが、布を透かしている。
音が、急に近くなる。
呼吸。
衣擦れ。
椅子のきしみ。
そして——
**他人の感情**。
——緊張。
——期待。
——比べられる不安。
私は、胸が忙しくなるのを感じた。
でも、数えない。
選ぶ。
「……深呼吸してください」
女性の声が、すぐ近くに感じられる。
距離感が、狂う。
皆が息を吸い、吐く。
会場全体が、同じリズムになる。
それは、危険な状態だ。
「今から、
いくつかの言葉を読み上げます」
声が、ゆっくりと続く。
「その言葉を聞いて、
何かを感じたら、
布を外してください」
布を外す。
それは、**選ばれた合図**。
胸が、跳ねた。
「言葉は、正解でも不正解でもありません」
また、優しい言い方。
「感じた、という事実だけが大切です」
大切。
価値づけ。
最初の言葉が、落ちてくる。
「——期待されるのは、嫌いですか?」
空気が、ぴんと張った。
私の胸が、小さく跳ねる。
嫌いかどうか、
即答できない。
——期待は、重い。
——でも、嫌いじゃない。
隣の席で、布が外れる音がした。
一人。
「いいですね」
女性の声が、すぐ近くで響く。
「素直です」
素直。
評価の言葉。
次の言葉。
「——誰かに必要とされると、
安心しますか?」
胸が、強く跳ねた。
安心。
それは、私の核心に近い。
私は、動かなかった。
動けば、ここで“印”が付く。
でも、他の何人かが布を外した。
音が、複数。
女性は、一人ひとりに、
短く声をかける。
「いいですね」
「大切な感覚です」
「覚えておいてください」
覚えておく。
それは、刷り込み。
私は、息を整えた。
——これは、選別じゃない。
——**自己申告による囲い込み**だ。
次の言葉。
「——人から理解されないと、
悲しいですか?」
胸が、跳ねた。
理解されない。
第8話の男の言葉が蘇る。
——君は理解しているはずだ。
私は、歯を食いしばった。
布を外したくなる衝動。
それ自体が、罠だ。
私は、外さなかった。
そのとき——
女性の声が、私の真正面で止まった。
「……あなたは、外さないのですね」
声が、近い。
近すぎる。
私は布の下で、目を閉じた。
閉じると、匂いが強くなる。
——興味。
——警戒。
——そして、**確信**。
「どうしてですか?」
問い。
全員に聞こえる問い。
会場が、静まり返る。
呼吸の音だけが残る。
私は、答えを選んだ。
「……感じてない、わけじゃない」
声は、震えなかった。
「……でも、
ここで出すと、
あとで、しんどい」
一瞬、沈黙。
その沈黙の匂いで、
私は分かった。
——正解じゃない。
——でも、想定外だ。
女性は、少しだけ笑った。
「……面白いですね」
面白い。
評価。
「では、
あなたは、そのままで」
その言葉が、
**一番危険**だった。
そのままで。
変わらなくていい。
ここに居続けていい。
布を外す音が、また一つ。
誰かが、私を真似たのかもしれない。
でも、私は布を付けたままだ。
次の言葉が、落ちる。
「——誰かの代わりになりたい、
と思ったことはありますか?」
胸が、痛んだ。
代わり。
消えそうだった春。
代わりに消えればよかった、と思った夜。
私は、息が詰まった。
——危ない。
その瞬間、
外から、微かな気配が走った。
グレイだ。
扉の向こうで、位置が変わった。
——見ている。
——ここにいる。
それだけで、
私は踏みとどまれた。
布を外さない。
会場のあちこちで、
布が外れる音が続く。
残っているのは、
数人だけ。
そして——
**私**。
女性の声が、満足そうに言った。
「今日は、ここまでです」
ほっとした空気が、流れる。
でも、それは、安心じゃない。
「布を外してください」
私は、ゆっくり外した。
光が、目に刺さる。
周囲を見ると、
外さなかった人は、私を含めて三人。
女性が、私たちを見て言う。
「今日は、
別室へ案内します」
別室。
その言葉で、
胸が、はっきりと跳ねた。
——選ばれた。
選ばれたくなかったのに。
「……拒否は?」
誰かが聞いた。
女性は、微笑んだまま答える。
「もちろん、自由です」
自由。
でも、拒否した人の匂いが、
すでに変わっている。
——逃げた。
——失った。
私は、立ち上がった。
立たなければ、
ここで終わる。
廊下を歩く。
三人だけ。
背後の視線が、重い。
扉の前で、
女性が立ち止まり、振り返る。
「あなた」
私を見て、言った。
「あなたは、
“残る人”ですね」
残る。
第8話で、私が言った言葉。
私は、答えなかった。
答えたら、
この言葉に意味を与えてしまう。
扉が、静かに閉まる。
——ここからが、本番だ。
私は、胸に手を当てた。
とく。
とく。
心臓は跳ねている。
でも、まだ、壊れていない。
私は、
選ばれた席に座った。
もう、
外からは見えない。
(次話へ:第11話「名前を呼ばれない部屋」)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第10話で描いたのは、
暴力でも、脅迫でもありません。
**“安全な顔をした観察”**です。
誰も傷つけていない。
誰も怒鳴っていない。
それでも、
人は少しずつ動けなくなる。
「自由です」と言われながら、
拒否したあとの視線を想像してしまう。
それだけで、
選択肢は一つ減ります。
ルナは、
選ばれないために動きました。
目立たないために、
あえて何もしませんでした。
それでも、
“残る人”として見つけられてしまった。
これは、
能力があるから起きたことではありません。
考えてしまう人だから起きたことです。
もしこの回を読んで、
・評価される場に座った記憶
・「何もしていないのに疲れた」感覚
・断れるはずなのに、断れなかった経験
そんなものが胸に浮かんだなら、
この物語は、あなたの現実と重なっています。
次話では、
名前を呼ばれない場所で、
さらに深い“選別”が始まります。
ここから先は、
もう人数の話ではありません。




