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第2部第8話:黒幕の店の裏側

※この回では、

はっきりした答えは出ません。


代わりに、

「こちらを見ている何か」が現れます。


それはまだ、

名前も、正体も、完全には分かりません。


でも、

もう無視できない距離まで来ています。

境界市の朝は、嘘みたいに穏やかだった。


夜明けの光が屋根をなぞり、

昨日の混乱が最初からなかったみたいに、

人々はパンを焼き、店を開け、笑っている。


それが、いちばん怖かった。


私は外套の中で、空気を嗅いだ。

朝の匂い。

焼きたてのパン。

濡れた石畳。

それに混じる、ほんのわずかな違和感。


——残っている。


笑顔の奥に、昨日の“跳ね”が薄く貼り付いている。

誰も気づいていない。

気づいていないから、消えない。


「……いる」


私が呟くと、グレイが歩調を落とした。

彼は街を見る。

私は、街の**裏**を見る。


「……どこだ」


「……した」


下。

地面の下。

境界市の裏側の、さらに裏。


セラが静かに頷いた。

「下水路。

 昨日の鈴の音、反響が不自然だった」


不自然。

仕組まれた反響。


私たちは、表通りを避け、

人目の少ない路地へ入った。


路地は、昼でも薄暗い。

音が吸われ、匂いが溜まる。

ここは、感情が“落ちる”場所だ。


私は、胸の奥が少しずつ忙しくなるのを感じた。

でも、数えない。

代わりに、**選ぶ**。


「……ここ」


足が止まった。

石壁に埋め込まれた、古い鉄の蓋。

下水路への入口。


匂いが、確かにここから来ている。


——待っている匂い。

——期待している匂い。


セラが小声で言う。

「歓迎されてるね」


歓迎。

その言葉に、背中がぞくりとした。


グレイは剣に手をかけない。

代わりに、外套の位置を調整する。

私を中心に、風の流れを作る配置。


「……短く」


確認。

私は頷いた。


蓋を開けると、冷たい空気が吹き上がってきた。

湿り気。

金属。

そして——


甘い。


甘すぎる感情の匂い。


「……だめ」


思わず言葉が漏れた。

甘い匂いは、警戒心を溶かす。


下水路は意外と広かった。

石造りの通路が続き、

ところどころに古い灯りが残っている。


誰かが、**手入れしている**。


「……生活してる」


グレイが低く言う。

「……人の気配だ」


足音を殺し、進む。


私は、匂いを辿った。

期待。

安心。

そして——**欲**。


欲は、跳ねる前の匂いだ。


通路の先、

半開きの扉があった。


中から、声がする。


「大丈夫だよ。

 怖くない。

 君は、ちゃんと選ばれた」


低く、優しい声。

押し付けがましくない。

だからこそ、危険。


私は、息を止めた。

止めると跳ねる。

でも、止めた。


扉の隙間から、中を覗く。


そこは、小さな広間だった。

簡素な机。

棚。

そして——人。


大人が数人。

子どもが三人。


子どもたちは椅子に座り、

手に、小さな布袋を持っている。


布袋の中身は、わからなくても匂いでわかる。


——鈴。


声の主は、背を向けていた。

黒い外套。

痩せた肩。

落ち着いた動き。


「君たちはね、

 特別な感情を持っている」


子どもたちの匂いが、揺れる。

期待が膨らむ。


「楽しいでしょ?

 胸が、軽くなるでしょ?」


軽くなる。

それは、跳ねの前兆。


私は、胸の奥がひりつくのを感じた。


「……あれ」


声を出さずに、セラに伝える。

セラの目が、鋭くなる。


「あの男……

 直接、触ってない」


触らない。

言葉だけで、感情を動かしている。


グレイが、私の前に立つ。

視界を少し遮る。


「……行くか」


問い。

選択。


私は、子どもたちを見た。

笑っている。

でも、笑いが浅い。


——怖い。

——でも、期待している。


「……いく」


短く。

でも、確かに。


その瞬間、

中の男が、**こちらを見た**。


扉越し。

でも、目が合った。


合った瞬間、

私の胸が、強く跳ねた。


——見られた。

——選ばれた。


男は、微笑んだ。


「……やっと来た」


声は、はっきりとこちらに向けられている。


扉が、ゆっくり開いた。


子どもたちが、振り向く。

大人たちが、緊張する。


男は、私をまっすぐ見た。


「君だね。

 匂いが、一番きれいだ」


きれい。

その言葉に、嫌悪が走る。


私は、一歩前に出た。

外套の中で、胸が忙しい。


「……やめて」


言葉は、小さい。

でも、はっきり。


男は、首を傾げる。

まるで、本当に不思議そうに。


「どうして?

 君は、理解しているはずだ」


理解。

その言葉は、罠だ。


「感情は、流すものだよ。

 溜めるから、壊れる」


正論。

でも、全部じゃない。


「……売るな」


私の声が、震えた。

怒りの震え。


男は、少しだけ笑みを深くした。


「売ってない。

 分けているだけだ」


分ける。

都合のいい言葉。


「欲しい人に、渡して。

 苦しい人から、軽くしてもらう」


軽くする。

それは、一見、救いだ。


でも私は、匂いを嗅いだ。


——奪っている。

——残りを、捨てている。


「……のこり」


私が言うと、男の目が細くなる。


「残り?」


「……あとで、くる。

 おもい」


男は、一瞬だけ黙った。

その沈黙の匂いで、私は確信した。


——知っている。

——でも、気にしていない。


「後で来るものは、

 後で処理すればいい」


処理。

人の感情を、処理。


胸が、強く跳ねた。

でも、怒りで跳ねるのは、止まれる。


「……このこたち」


私は子どもたちを見る。

子どもたちは、こちらと男を交互に見ている。


「……えらばせるな」


選ばせる。

それが、一番残る。


男は、初めてため息をついた。


「君は、優しすぎる」


その言葉で、空気が冷えた。


「優しさは、

 世界を壊すこともある」


瞬間、

下水路の奥で、**鈴の音**が重なった。


からん。

からん。

からん。


一つじゃない。

複数。


男の背後の棚が、ゆっくり開く。

中には、無数の布袋。


仕組みの中心。

ここだ。


グレイが低く唸る。

戦う気配。


セラが、私を見る。

「選べる?」


問い。

逃げない問い。


私は、息を吸って、吐いて、答えた。


「……ここでは、こわす」


短く。

でも、決めた。


男が、初めて目を見開いた。


「壊す?

 君が?」


その瞬間、

空気が跳ねた。


子どもたちの期待。

大人たちの恐怖。

男の焦り。


全部が、私に向かってくる。


——吸いすぎる。


私は、歯を食いしばった。


「……グレイ」


名前を呼ぶ。

合図。


グレイは、一歩前に出た。

剣は抜かない。

でも、存在だけで空気が変わる。


男が、ゆっくり後退する。


「君は、まだ選びきれていない」


その言葉は、核心だった。


私は、答えなかった。

代わりに、一歩、前に出た。


胸が跳ねる。

でも、止まらない。


「……わたしは」


言葉を探し、

見つけた。


「……のこる」


残る。

壊さず、逃げず、残る。


男の笑みが、完全に消えた。


「面白い」


その一言と同時に、

奥の棚が、**一斉に鳴った**。


からん、からん、からん。


世界が、跳ねる。


——危険。


セラが叫ぶ。

「引いて!」


私は、半歩下がった。

短く。


でも、そのとき——

子どもの一人が、立ち上がった。


「……こわい」


小さな声。

でも、確か。


輪が、揺れる。

仕組みが、崩れ始める。


男が舌打ちした。


「——チッ」


次の瞬間、

奥の通路に**影**が走った。


逃げる。

準備していた。


「……逃がすな!」


グレイが動く。

でも、男は速い。


闇に溶ける直前、

男が私を振り返った。


「また来るよ。

 今度は、君が選ばれる番だ」


その言葉が、胸に刺さる。


影が消え、

鈴の音が止まった。


広間には、

泣き出した子どもたちと、

崩れた大人たちだけが残った。


私は、その場に立ち尽くした。


息が、浅い。

でも、吸える。


「……終わってない」


私の言葉に、セラが頷く。


「始まったね」


グレイが、私の前に立つ。

触れない距離。

でも、昨日より近い。


「……戻る」


約束。


私は、外套の中で、小さく頷いた。


胸は、まだ跳ねている。


でも私は、逃げなかった。


黒幕は、姿を見せた。

完全じゃない。

だからこそ、怖い。


次は、

向こうが仕掛けてくる。


私は、そう確信していた。


(次話へ:第9話「選ばれる側の罠」)



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


第8話で描いたのは、

悪意そのものではありません。


悪意が、

「優しい言葉の形」をして

人の前に現れる瞬間です。


黒幕の男は、

叫びません。

脅しません。

急かしません。


だからこそ、

一番危険です。


ルナが感じ取ったのは、

“奪われる恐怖”よりも、

選ばされる恐怖でした。


選ばせることは、

自由に見えて、

一番深く心に残ります。


そしてこの回で、

はっきりしたことがあります。


敵は、

倒せば終わる存在ではない。


仕組みは、

壊せば消えるものでもない。


それでもルナは、

逃げませんでした。

残ることを選びました。


もしこの回を読んで、

・優しい言葉ほど怖いと感じた

・「理解している」と言われて苦しくなった

・知らないうちに選ばされていた記憶が蘇った


そんな感覚が少しでもあったなら、

この物語は、あなたの感情に触れています。


次は、

“選ばれる側”が仕掛けられる番です。

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― 新着の感想 ―
「黒幕の店の裏側」 初めて、明確な「敵の顔」が見える回。 ただし悪意は叫ばず、脅さず、優しい言葉の形をして現れる。 「選ばせること」の怖さが、これほど静かに描かれるのは珍しい。 奪うよりも、選ばせる…
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