2部第4話:残響――跳ねた心が残すもの
※この回は、
前話で選んだことの「結果」が、
静かに、しかし確実に現れる話です。
派手な出来事は多くありません。
けれど、
心の奥に残る重さは、これまでで一番かもしれません。
それでも物語は、
ここから先へ進みます。
世界は、すぐには壊れなかった。
倉の空気が薄まり、鈴の音が消え、
あれほど濃く溜まっていた感情の匂いが、風に溶けていく。
それを見届けたとき、私は思った。
——大丈夫だった。
——ちゃんと、できた。
その考えが、間違いだったことに気づくのは、少し後だった。
私は外套の中で、息を整えていた。
胸はまだ忙しい。
とく、とく、と心臓が言う。
跳ねている。
でも壊れてはいない。
「……立てるか」
グレイの声。
低く、短く、いつも通り。
その“いつも通り”が、今は少しだけ遠く感じた。
「……だいじょうぶ」
そう言おうとして、言葉が喉で止まった。
大丈夫、という言葉は、
自分を誤魔化すときにも使える。
私は今、誤魔化したくなかった。
「……すこし、ふらつく」
正直に言うと、グレイはすぐに一歩近づいた。
触れない距離。
でも、外套の重みが私の重心を支える。
倉の外へ出ると、境界市の裏側は静かだった。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいに、音が落ちている。
音が落ちると、匂いが目立つ。
そして——違和感。
私は、鼻先をひくつかせた。
「……におい、へん」
セラが振り向く。
「どんな?」
「……さっきの、のこり。
でも、ちがう」
違う。
倉の中の感情とは違う。
あれは“溜めた匂い”だった。
今感じるのは、“引きずる匂い”。
残っている。
薄く、長く。
私は歩きながら、無意識に匂いを追っていた。
追うつもりはなかったのに、足が向く。
「……ルナ」
グレイが呼ぶ。
確認。
私は返事をしようとして、気づいた。
返事が、遅れる。
「……いる」
言えたけれど、
いつもより、ほんの一拍遅れた。
その遅れが、胸を小さく叩いた。
——残響。
セラが、低く言った。
「……来てるね」
「なにが」
「代償」
その言葉で、世界が少しだけ冷えた。
代償。
それは、私がずっと避けてきた言葉だ。
跳ねた回数の代わりに、消える。
あれも、代償だった。
「……なに、くる」
私の声は、かすれていた。
セラは答えなかった。
代わりに、歩調を落とす。
私の歩幅に合わせる。
合わせることで、先を急がない。
裏路地を抜け、少し開けた場所に出た。
そこは、古い噴水のある小さな広場。
水は止まっている。
底に、枯れ葉と石。
私は、そこで足を止めた。
「……ここ」
理由は、すぐにわかった。
広場の中央。
噴水の縁に、感情の影が滲んでいる。
色は薄い。
でも形がはっきりしている。
——怒り。
——後悔。
——責める声。
胸が、きゅっと締まった。
「……これは」
「倉から流れた“残り”」
セラが言う。
「溜めたものを逃がした。
でも、全部が外へ散るわけじゃない」
「……ひとに、つく?」
私の問いに、セラは少しだけ目を伏せた。
「場所にも、人にも」
人。
その言葉で、胸が跳ねた。
私は思い出してしまった。
倒れていた子ども。
鈴を鳴らした若者。
怒鳴っていた大人。
彼らは今、どうなっている?
「……いかなきゃ」
言葉が、勝手に出た。
“行く”という選択。
選択は、跳ねる。
グレイが、私の前に出る。
遮るように、でも止めるほど強くはない。
「……短く」
短く。
第3話で交わした合言葉。
私は頷いた。
広場の端で、ひとりの男が立ち尽くしていた。
年は若い。
倉で見た影と、似ている。
男は、噴水を見つめている。
拳を、強く握りしめて。
私は、匂いを嗅いだ。
怒り。
でもその奥に、はっきりとある。
——後悔。
「……あのひと」
私が言うと、セラが小さく頷く。
「鈴を鳴らした。
最初に“楽しい”と思った人」
最初に。
またその言葉。
男が、呻くように言った。
「……俺が、悪いのか」
声は、震えている。
誰に向けた言葉でもない。
私は、外套の中で、胸が忙しくなるのを感じた。
この感情は、危険だ。
でも、目を逸らしたら、もっと残る。
私は、一歩だけ前に出た。
外套の縁が、少し揺れる。
「……ちがう」
声は、小さい。
でも、届いた。
男が振り向く。
目が合う。
その瞬間、匂いが跳ねた。
怒りが、悲しみに変わる。
悲しみが、怖さに変わる。
私は息を吸って、吐いて、言葉を続けた。
「……でも、しらなかった、じゃ、すまない」
胸が、強く跳ねた。
怖い。
嫌われるかもしれない。
でも、言わないと残る。
男の顔が歪む。
唇が震える。
「俺は……楽しかっただけだ。
みんなも笑ってた」
「……うん」
私は頷いた。
肯定でも、否定でもない。
「……たのしい、は、ほんとう。
でも、そのあとも、ほんとう」
その言葉で、男の肩が落ちた。
「……じゃあ、どうすりゃいい」
問い。
本当の問い。
私は、噴水の縁に残る感情を嗅いだ。
怒りと後悔が、絡まっている。
「……ここ、あらう」
「は?」
「……みず、ながす」
男は戸惑った顔をする。
でも、私は続ける。
「……きえない。
でも、うすくなる」
消すことはできない。
でも、残し方は選べる。
セラが、噴水の底の栓を見つける。
古いが、動く。
「……手伝える?」
男は、少し迷ってから頷いた。
「……やる」
彼が栓を引く。
溜まっていた水が、ゆっくり流れ出す。
水は濁っている。
匂いが、動く。
怒りが、薄まる。
後悔が、形を失う。
胸の中で、何かがほどけた。
でも同時に——
私の視界が、少し揺れた。
「……っ」
世界が、一瞬だけ遠のく。
跳ねた。
大きく。
私は、膝から力が抜けた。
すぐに、外套の重みが寄る。
グレイだ。
触れない。
でも、完全に支える位置。
「……ルナ」
声が近い。
近いのに、触れない。
私は、息を探した。
息を吸うと、胸が痛い。
セラがすぐに来る。
薬草袋を開ける。
「……代償だね。
“残り”を動かした分」
「……どれくらい」
グレイの問いに、セラは首を横に振る。
「数じゃない。
質」
質。
その言葉で、私は理解した。
私は、感情を逃がした。
薄めた。
その分、自分の中に残った。
「……ごめ」
言おうとして、言えなかった。
謝ると、また跳ねる。
セラが言う。
「謝らない。
代償は、罰じゃない」
「……なに」
「生きてる証拠」
その言葉が、胸を打った。
痛いけど、温かい。
男が、少し離れたところで頭を下げた。
深く。
「……ありがとう」
私は、首を振った。
「……わたしも、のこる」
何が、とは言わなかった。
でも伝わった。
広場を離れるとき、私は歩けた。
ふらつきはある。
でも、前に進める。
「……これから」
私が言うと、グレイが答える。
「……選び続ける」
選び続ける。
それは、怖い。
でも、もう知ってしまった。
残響は、消えない。
跳ねた心は、必ず何かを残す。
だから私は、残し方を選ぶ。
外套の中で、私は小さく息を吸った。
とく。
とく。
心臓は、まだ跳ねている。
でも私は、ここにいる。
(次話へ:第5話「跳ねる力、数えない生き方」)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第4話で描いたのは、
力の代償ではなく、
選択の余韻です。
ルナは何かを「救った」かもしれません。
でも同時に、
その場に残るはずだった感情を、
自分の中へ引き受けました。
それは正義でも、自己犠牲でもありません。
ただ、
「そうしてしまった」という事実です。
そしてグレイは、
守ることをやめたわけでも、
任せきったわけでもない。
ただ、
一緒に“耐える位置”を選びました。
もしこの回で、
・胸が少し重くなった
・誰かの後悔が他人事に思えなかった
・「正しいことって何だろう」と考えてしまった
そんな瞬間があったなら、
それはこの物語が、あなたの中で生きた証です。
よければ感想で、
・一番残った言葉
・ルナの選択をどう感じたか
・「代償」という言葉への印象
どれか一つだけでも教えてください。
次話では、
この“残響”を抱えたまま進む生き方が描かれます。




