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2部第3話:感情の残る場所

※この回は、

この物語が「戻れない場所」に足を踏み入れる話です。


派手な戦闘も、分かりやすい悪役もありません。

けれど、

心が揺れたまま進むことを選ぶ瞬間があります。


もし読みながら、

「続きが怖いのに、目を離せない」

そんな感覚があったら、

それはこの物語の正しい読み方です。

境界市の裏側は、音が少なかった。


少ない、というより——削られている。

表通りにあった笑い声や呼び込みの声は、石壁に吸い込まれ、残るのは足音と、布が擦れる音だけ。

それでも匂いは消えない。

むしろ、ここでは匂いの方が強くなる。


湿った石。古い木。油。灰。

そして、感情の匂い。


私は外套の中で、喉の奥がひりつくのを感じた。

跳ねそうになる胸を、息で押さえる。


——落ち着け。

——ここは、見る場所。


「……先は、静かだ」


グレイが言う。

声は低く、短い。

静かだと言われると、逆に心が構える。

静けさは、感情が濃く残る場所の合図だから。


セラが私たちの少し前を歩く。

足取りは一定。急がない。

急ぐと周りの空気が跳ねることを、彼女は知っている。


「この辺りは、“残りやすい”」


セラが、独り言みたいに言った。

誰に説明するでもなく、でも確かに、私に向けた言葉。


「人が集まらない場所。

 でも、何かが起きる場所」


私は外套の口から顔を出し、路地の壁を見た。

壁は黒ずんでいる。

煤だけじゃない。

指でなぞれば、ざらりとした感触が残る。


そして——見える。


見える、というより、浮かぶ。


壁の一部に、淡い色の揺らぎがあった。

光でも影でもない。

でも確かに、そこだけ空気が違う。


私は、息を止めた。


止めると跳ねる。

だから、すぐに吐いた。


「……ここ」


声が、勝手に出た。

小さく、震えた声。


グレイが止まる。

セラも、ぴたりと止まる。


「見える?」


セラが、振り向かずに聞く。

振り向かないのは、私を見て跳ねさせないため。


「……ある」


私は前脚で、揺らぎの中心を示した。

触れなくても、わかる。

そこに——感情が染みついている。


——怖かった。

——逃げたかった。

——でも、逃げられなかった。


胸の奥が、じん、と熱を持つ。

熱は跳ねる入口だ。


私は息を、数えないで整えた。


「……だれ」


「……子ども」


言った瞬間、別の匂いが重なる。

甘い。

表通りの菓子の匂いに似ている。

でも、その奥に、強い焦りがある。


「……鈴?」


私が言うと、セラが初めてこちらを見た。

目が、細くなる。


「正解。……ここは最初の場所だ」


最初。

その言葉で、胸が少し跳ねた。

始まりの場所。

始まりは、いつも跳ねる。


セラが壁の前に膝をついた。

薬草袋を下ろし、布を広げる。

そこには、細い粉と、小さな瓶。


「治療じゃない。……記録」


記録。

その言葉に、私は少し安心した。

治す、ではなく、残す。

残すのは、私たちの物語のやり方だ。


セラが粉を、壁に軽く振りかける。

粉は光らない。

でも匂いが、変わる。


——ひらく。


そんな感覚が、胸を撫でた。


私は、見てしまった。


壁の向こうに、一瞬の情景が浮かぶ。


細い路地。

小さな影。

子どもが、鈴を握っている。


鈴は鳴る。

ころん。

からん。


子どもの顔が、ぱっと明るくなる。

嬉しい。

楽しい。

走り出したい。


——そして。


足がもつれる。

視界が回る。

胸が、急に跳ね上がる。


「……っ!」


私は思わず、声を上げた。

声を上げると、胸が跳ねる。


グレイの外套が、すぐに寄る。

触れない。

でも重みが、私を包む。


私は、映像から目を逸らした。

逸らしたのに、匂いは残る。


「……見すぎない」


セラが言う。

優しさではない。

警告でもない。

事実。


「最初は、短く」


最初は。

ということは、次がある。


私は頷いた。

頷く動作は小さい。

でも、その動作で、心が少し揺れる。


セラが瓶に、壁から採った粉を入れる。

瓶の中で、粉が落ち着く。


「ここは“入口”。

 鈴を手に入れた子が、最初に跳ねた場所」


「……ひとり?」


私が聞くと、セラは首を横に振る。


「ひとりじゃない。

 でも、最初はひとり」


最初のひとり。

それは、いつも責任を背負わされる。


グレイが、低く言った。


「……誰が、鈴を渡した」


セラは、少し考えてから答えた。


「直接じゃない。

 “置かれていた”」


置かれていた。

その言葉に、ぞくりとした。


誰かが、鈴を拾わせた。

拾うのは、選択だ。

選択は、跳ねる。


「……選ばせた」


私の声は、かすれていた。

でも確かだった。


セラが、頷く。


「そう。

 罪悪感が残らないやり方」


罪悪感。

その言葉は、胸を締める。


私は、知っている。

罪悪感は、あとから一番強く跳ねる。


路地の奥から、風が吹いた。

冷たい。

でも嫌な冷たさじゃない。


風に乗って、別の匂いが来る。


——泣いた。

——怒った。

——叫んだ。


別の場所。

別の“残り”。


私は、自然とそちらを向いた。


「……あっち」


言った瞬間、胸が跳ねた。

自分から“行きたい”と言ったから。


グレイが、一瞬だけ迷う。

迷いは短い。

彼は私を見る——見ない。

視線は外套の縁。


「……行けるか」


問い。

答えを押し付けない問い。


私は、息を吸って、吐いて、答える。


「……いける。

 でも、ながくは、むり」


グレイは頷いた。

その頷きは、信頼だった。


次の場所は、小さな空き地だった。

表通りから見えない、壁に囲まれた空間。

地面は踏み荒らされ、ところどころに白い粉。


粉は、感情の欠片だ。


ここは——溜まり場。


胸が、忙しくなる。

忙しさは、跳ねに近い。


私は、見る。

短く。

深く。


浮かぶ情景。


若い男。

鈴を鳴らす。

笑う。

周りも笑う。


次に、誰かが倒れる。

笑いが止まる。

誰かが怒る。

誰かが逃げる。


感情が、渦を巻く。


——楽しい。

——怖い。

——やばい。

——でも、やめられない。


「……ここ、だめ」


私は言った。

言葉が、震えた。


セラが、静かに言う。


「ここで“慣れた”。

 跳ねる感情に」


慣れ。

その言葉は、私の胸を強く叩いた。


慣れは、怖い。

慣れると、止まらなくなる。


グレイが、白い粉を踏まないように一歩下がる。

その動きが、慎重で、優しい。


「……元は、どこだ」


セラが、空き地の端を見る。

そこには、排水溝の蓋。


「下。

 市の下水に近い倉」


倉。

閉じた場所。

感情は、閉じると濃くなる。


私は、喉が渇いた。

乾きは、跳ねる前兆。


セラが、小さな水筒を差し出す。

触れない距離で、置く。


「一口だけ」


私は、少しだけ飲んだ。

水は冷たい。

冷たさが、胸を落ち着かせる。


「……ありがとう」


言ってしまった。

“ありがとう”は、跳ねる言葉。


胸が、きゅっと動く。


でもセラは、何も言わない。

言葉を返さないことで、揺れを増やさない。


倉の前に着くと、空気が変わった。

重い。

湿っている。

感情が、逃げ場を失っている匂い。


私は、思わず外套を強く握った。


「……ルナ」


グレイの声。確認。


「……いる」


返事をするたび、私は自分をここに繋ぎ止める。


倉の扉は、半分開いていた。

中は暗い。

でも——見える。


見えすぎる。


瓶。

棚。

布。

そして、鈴。


たくさんの鈴。


それぞれが、違う匂いを持っている。

喜び。

恐怖。

興奮。

絶望。


胸が、一気に跳ねそうになる。


——だめ。


私は、目を閉じた。


閉じると、匂いが強くなる。

閉じるのも、危険。


私は、半分だけ目を開けた。


「……ここ、ぜんぶ、だめ」


言葉が、涙を含む。


セラが、低く言う。


「ここが“元”。

 でも、潰すだけじゃ終わらない」


「……なぜ」


私の問いに、セラは答えた。


「人は、跳ねたい。

 あなたも、私も」


その言葉で、胸が揺れた。

否定できない。

否定すると、もっと跳ねる。


グレイが、静かに言う。


「……なら、選ぶ」


選ぶ。

この物語の、一番怖い言葉。


セラが頷く。


「壊すか。

 奪うか。

 “変える”か」


変える。

その言葉は、希望の形をしている。

希望は、跳ねる。


私は、息を整えて、言った。


「……のこす。

 でも、つかえなくする」


二人が、私を見る。

初めて、私をちゃんと見る。


「……どうやって」


私は、倉の空気を嗅いだ。

感情が、重なっている。

重なりすぎて、鈴が必要なくなっている。


「……ここ、すでに、ある。

 なら、においを、にがす」


逃がす。

溜めない。

閉じない。


セラの目が、少しだけ見開かれる。


「……できる?」


問い。

試す問い。


私は、胸に手を当てた。

心臓の音を聞く。

とく。

とく。


跳ねている。

でも、壊れていない。


「……やる」


言った瞬間、胸が大きく跳ねた。

でも——怖くなかった。


グレイが、一歩、私の前に出る。

守る位置。


「……短く」


短く。

その言葉が、私を現実に引き戻す。


私は、息を吸って、吐いて、匂いを動かした。


感情が、揺れる。

倉の中の空気が、ゆっくりと流れ始める。

鈴が、かすかに鳴る。

からん。


音は、小さい。

でも確か。


胸が、跳ねる。

跳ねながら、私は思った。


——これは、力だ。

——でも、管理じゃない。

——選択だ。


外の風が、倉に入り込む。

匂いが、薄くなる。

感情が、散る。


私は、膝から力が抜けた。

抜ける前に、グレイの外套が寄る。


触れない。

でも、支える。


セラが、静かに言った。


「……成功」


成功。

その言葉は、跳ねる。

でも今は、少しだけ、許した。


私は、外套の中で、息を整えた。


冒険は、もう戻れない場所に来ている。

でも私は、ここにいる。


「……いる」


自分に、そう言った。


(次話へ:第4話「残響――跳ねた心が残すもの」)

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


第3話で描いたのは、

「力を得る瞬間」ではありません。


選んでしまった瞬間です。


ルナは、

感情を“見る”だけの存在ではいられなくなりました。

流れを変え、残し方を選び、

その結果に責任を持つ位置に立ってしまった。


それは、

守られる側から一歩だけ前に出る、ということでもあります。


そしてグレイは、

止めることよりも

「短く許す」ことを選びました。


この選択が、

正しかったのか、間違っていたのか。

答えは、まだ出ません。


もしよければ感想で、

・一番胸に残った場面

・ルナの選択をどう感じたか

・「自分だったらどうしたか」

どれか一つだけでも教えてください。


次話では、

この選択の反動が、必ず現れます。


跳ねた心は、

何かを残していくから。

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― 新着の感想 ―
とても静かで、でも一番緊張感のある回。 「見るだけ」「触れない」という選択が、実はどれほど難しいかを突きつけられる。 ルナが初めて“選んでしまった”感覚があり、力を得たのではなく、 責任を引き受けた瞬…
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