第四話 器用
夏目と出会って一か月が経った。高校最後のテストも直近。終えれば春休みがやってくる。もう時間が無いと、焦りを感じるには程よい時期。
俺は聞いてみることにした。このまま、良い後輩、良い先輩として関係を良好なまま高校生活を終わらせる。きっと青春の一ページとしては十分すぎるほど甘酸っぱいんだろう。
それでも、若さは玉砕覚悟でぶつかりに行く。自分は絶対に崩れないと言う、安直な思考を持っているからだ。
「夏目。」
「はい?まだ腕立て終わってませんよ。」
どのタイミングで話を切り出せばいいのか、どう質問すれば言い逃れさせずに答えを聞くことができるか。長考の末、たどり着いた答えは。
「どうして、俺に関わってくれるんだ。」
俺には器用な事なんてできないと思いだした。それなら端的に単純に聞いてしまった方が話しは早い。変な勘違いを起こさずに済む。
何故、あの一月の寒い時期から俺の筋トレに付き合い始めたのか。
俺はその理由が知りたかった。
「どうして、ですか。」
「あぁ。正直言って、ずっと不思議だった。放課後、別に友達の待ち合わせの暇つぶしに来てるわけじゃない。以前から俺たちは交流があったわけでもない。なのに、こうして近づいて来てそこに座る。もう慣れてきて日常に感じていたが…改めて考えるとおかしいだろ。」
「日常、ですか。ふふっ…そうですね。私もいつの間にか、放課後のこの少しだけの時間が日常になってます。」
夏目の返事には、どこか見覚えのある気配を帯びていた。適当に誤魔化して話を逸らす、あの時の雰囲気。
また同じ結果になる、繰り返してしまう。そう思い次の言葉を練り直そうとした瞬間。俺の勘は外れた。
「でもね、冬川先輩。私は気になってるだけなんですよ。冬川先輩の事が。」
「…!」
初日、俺の方を見るのはやりづらいからやめてくれと言ったあの時から。夏目は視線を常に窓の外へ向けてくれていた。
だがしかし、今、夏目は俺と目を合わす。久々に見えた、藍色の目。
逸らしはしなかったが、居心地は悪かった。
(気になってる?俺の事が…そんな、まさか。)
否定しようとする意志に反して、心臓の高鳴りが止まらないことは隠しきれない。
その後に、夏目が続けた言葉を聞いて尚、いやそれ以上に、俺の心臓は跳ね上がった。
「冬なのに、なんで部活してるんだろうなって。」
「……え…?」
「だっておかしいじゃないですか。高校野球はどれだけ遅くても、秋にあるのが最後の大会。それに秋の大会って一年生、二年生の新しいチーム中心のはずです。けど、先輩は三年生。」
「それ…は。」
ドキドキが止まらない。この感情、なんて言うんだったか。
知らないし、知りたくもない。
「…調べましたよ。今年のうちの高校の野球部の成績。」
「…。」
「甲子園どころか、地方大会すら優勝してませんでした。」
そう、俺たちは。
いや、俺の野球部としての人生はすでに。
「終わってるんじゃないんですか。…冬川先輩。貴方はもう、野球部員なんかじゃない。そうなんですよね。」
「……あぁ。俺は野球部を…やめている。」
甲子園に行こうと息巻いて、部員全員で精いっぱい練習をした。どこかのスポーツ漫画のように、とんでもない才能を秘めた一年生や、元々強かったのに部内のいざこざでいなくなってしまった先輩、そんなのはいなかった。お世辞にも強いチームではなかった。
それでも、甲子園に行くことを目標に頑張った、頑張ったんだ。
猛暑に耐えて、お互い支え合って。
「俺たちは…やれるだけやったんだがな。」
「けど、負けた。」
「…そう、だ。」
年下の前でみっともなく悔しがる姿を見せるわけにはいかないと頭ではわかっている。後輩にすら、隠した表情。
情けない、けれど必然。俺は夏目の前では、強くいられないのかもしれない。
「俺たちは…負けたんだっ…!!」
「…一生懸命、精いっぱい。響きは良いですけど、負けは負けです。」
「何が言いたいんだ。」
夏目は変わらず、俺から目を離さない。じっと、獲物を逃がさないように睨みつける。
「もしかしたら先輩はスポーツ推薦をもらっていたり、大学でも野球を頑張るのかなと。最初は思っていました。ですが、先輩のクラスの方々に話を聞いても、私の予想はかすりもしなかった。」
「…。」
「それでも、まだ私の憶測にすぎません。…先輩、教えてください。」
「何を。」
彼女は立ち上がった。俺が座っているからかもしれない。背の低いはずの夏目の身長が、俺よりずっとずっと大きく。巨人だと錯覚するほどデカく見えた。
「野球部員でもないのに、一人で廊下で筋トレをする理由。体育館が使えないのは当たり前です。一人の勝手なんですから。…冬川先輩、あなたはまだ、諦めきれてないんですよね?」
これを認めてしまえば、自分の中の積み上げた偽りの誇りを自らの手でなぎ倒してしまうことになる気がした。長年、がむしゃらに頑張ってきた俺の努力は敗北で終わるんだと、自分に突きつけてしまう。
それと、これはなんとなくだけど。認めてしまえば。
(夏目はもう…ここにはこない。)
だって夏目が放課後残っていたのは、三年生の俺が何故部活を、しかも一人で行っているのかの答えを求めていたから。それを与えてしまえば…
(夏目がここにくる理由が、なくなる。)
「…違う。これは必要な事なんだ。」
「…そう、なんですね。」
大きな後輩は、また壁にもたれるように座って、凛とした横顔を見せつけて来た。
何をしたらいいのかわからなくなって、俺は腕立てを再開したが。
「…なつ…。」
「?」
「…なんでもない。」
何回目か、わからなくなってしまって。夏目に聞こうとして。
目を背けてしまう。
【ははっ…嘘つきですね。】
(夏目は最初から…わかっていたのか?)
結局、望みの答えを手に入れたのにも関わらず、俺の頭の中の靄は晴れることなく。むしろより濃く、先の視界を閉ざされてしまった。
水にぬれた衣服よりも重たく、べったりとした会話の後でも腹筋をしようとすると、いつも通り軽い夏目の重みが足に乗っかった。
「いーち。」
「…。」
「にー。」
「…。」
「さーん。」
「…。」
「先輩、今日は文句言ってきませんね。」
「…そうだな。」
「卒業が近づいて来てノスタルジーに感じちゃってるんですか?」
「そうかもしれないな。」
「…。先輩、先輩の人生は、野球だけじゃないですよ。」
「何…?」
「調べたんですよ、先輩の過去のお話を知ってから。高校生から野球のプロになれる確率は0.03%から0.2%ほどしかないそうです。」
「…。」
数字なんかに表せるような練習を、俺はしていない。
「そんなの無理じゃないですか。普通に生きていれば、当たらない人がほとんどの確率です。そんなことにいつまでもうじうじしていないので、次の目標に…
「そんなことじゃない!!」
「きゃっ…!」
感情的になって、俺は立ち上がってしまう。何の重りにもならない夏目の体は、簡単に吹っ飛んだ。
ここでやめておけばよかった。後味は悪いが、少なくとも後悔する羽目にはならなかった。
けれど、俺は器用じゃなくて。その二文字を、持ち合わせていない俺は。
「お前に…お前に俺の、野球人生の何がわかるんだ!!!」
「…せん…ぱい。」
怯える夏目の顔を見て、ようやく正気を取り戻した。
「あ……。」
(誰かに説教できるほど、掲げられるほど大した人生でもないくせに!俺は何を言ってるんだ…!!)
「すまん、夏目。その…。」
「もう…帰りますね。」
謝罪は宙を舞った。夏目はいつもよりも早く、定位置の鞄を持ち上げて、脱いでいたマフラー、手袋を手に持って。廊下を走って行った。
「…あぁああっ。俺は…俺はぁっ!!!」
両手で思いきり頭をかきむしる。何してんだ俺は。
野球人生が終わったのは事実じゃないか。俺は別に強いわけでもないじゃないか。
夏目に…あんなこという権利…ない。
「クソッ…クソッ!!!」
ガン!と壁を思い切り蹴る。
もしかしたら、夏目なりの慰めだったのかもしれない。
そりゃ、最初のきっかけは俺の謎が気になった興味本位だったのかもしれない。
だけど…夏目も、もしかしたら。
「…ここを、居心地が良いって…思ってくれてたんじゃねぇのか。」
その空間を俺は自ら壊した。ちっぽけなくだらないプライドを触られたくらいで。
「…寒いな。」
体が動かなかった。筋肉痛でも、ケガでもなく。鉛のように重たい体を、俺は動かすことができなくて。今日はもう、帰ってしまうことにした。
(あぁ…嫌だな。)
上着を着て鞄を持ち上げる動作。感じた不快感。
【下着が肌にべったりつくのが嫌なんです。気持ち悪くて。】
「これは確かに…そうだな。」
夏目の言っていた状態が、なんとなくわかる不快感だった。
玄関まで行ったが、夏目はいなかった。吹奏楽部の楽器の音だけが遠くから聞こえてくる、冷たく寒い玄関。朝には人がいっぱいいるせいか、逆に放課後の玄関はまるで別世界のようだ。
「あー…寒いな。」
【カーディガンいりますか?】
「…。」
もう、そう提案してくれる可愛い後輩は、いない。
次の日から、夏目は放課後。あの廊下に来ることはなかった。




