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第二話 卒業


「お疲れ様です、冬川先輩。」

「…。」


 あの日以降、夏目は本当に毎日廊下にやってきた。雪の降らない珍しい日も、雪の降るいつもの日も、雨の日だって、夏目は寒い廊下にやってきた。赤いマフラーに黒い手袋、見慣れたベージュのカーディガン。温かさを求めてる割には、こんな寒いところに毎日来る。


「寒いですね。」

「なら早く帰ればいいだろう。」

「暇なので。」

「風邪ひいても知らないぞ…。」

「自己責任です。」

「わかってんならいい。」


 まず当たり障りもない会話をして。夏目は壁にもたれて座り込み、俺は俺で筋トレを始める。最初はおかしいと感じていた日常も、一週間が経つ頃には日常と化していた。ほとんど夏目は会話はせず、黙って窓の外を見ていることがほとんど。だが、たまの会話で俺たちは少しずつお互いを知り出した。


「私、運動嫌いです。」

「そうか。」

「…もう少し興味を持ってください。」

「んでだよ。」

「モテませんよ。」

「…どうして嫌いなんだ。」

「よろしい。」


 たまにどっちが先輩か後輩かわからなくなる。

 ちなみに言っておくが、俺は別にモテたいわけじゃない。野球部に入ったのも、ちやほやされたいからではなく本気で野球部が好きだからだ。

 ではなぜ、夏目の言葉に従ってしまうのかというと。どうでもいい会話でも、無視すると夏目はわかりやすく寂しそうな顔を見せるからだった。視線は窓の外の曇り空から逸れることはないのだが、明らかに眉が下がり、若干視線も下がる。

 それがどうしようもなく申し訳なくなるので、聞かざるを得ない。


「汗かくのが嫌いだからです。」

「そうか。」

「話を広げる努力をしてください。」

「…汗の匂いが嫌いなのか?」

「そういう訳じゃないです。まぁ臭いのは嫌ですが、私の汗は良い匂いなので。バラの香りです。」

「そうかい。」

「嫌いな理由は、下着が肌にべったりつくのが嫌なんです。気持ち悪くて。」

「あーまぁ…わからんでもない。」


 そんなの気にならないほど、運動に熱中する俺からしたら体育の時間は嫌いじゃないがな。


「今、変な想像しました?」

「あ?」

「私の下着想像しましたよね?」

「し、してねぇよ!」

「へー?…ふふっ。」

「コイツ…。手伝え、腹筋するから。」

「はいはい。」


 どうやら夏目はからかうのが好きらしい。俺の事をおもちゃのように扱うのは正直腹が立つが、腹筋をするとき、手袋もマフラーも外して本気で手伝ってくれる。そこは評価していた。


「はい、いーち。」

「その子供をあやすみたいな数え方、言わなくていいと言ってるだろ。」

「忘れちゃうんですもん。」

「嘘つけ。お前記憶力良いだろうが。」

「数学100点です。」

「体育は0か?」

「先輩は保健体育100点ですか?」

「なわけねぇだろうが。」

「ふふっ。」


 たまに反撃しようとするも、相手は歴戦錬磨。全く歯が立たない。


「これで100です。」

「おう。」

「それじゃ帰りますね。」


 これも毎日の事だった。腕立て中、夏目は黙って座って、腹筋を手伝って帰って行く。時間にして一時間少しくらいで夏目はいなくなるのが、日常。

 けれど。


「早めにな。今日はこの後雨降るらしいぞ。」

「本当ですか?…傘ないや。」

「そうか。」

「…先輩、知ってるってことは傘ありますよね?」

「まぁな。」

「良かった。」


 この日は違った。夏目は持ち上げた鞄をまた、いつもの場所に戻し、いつもの場所に座ったのだ。


「どうした?帰らないのか?」

「先輩の傘に入れてもらいます。」

「なんで俺が…。借りれば良いだろう。」

「私、傘とか借りると返し忘れちゃうんですよね。それなら先輩にいれてもらった方が忘れる心配ないので。」

「でも俺の筋トレ終わるまでは長くなるぞ…?親でも呼んで帰れ。」

「冬川先輩は私と相合傘したくないんですか?」

「したくない。狭いし濡れるだろ。」

「むー…。」


 夏目は大げさに頬を膨らませて不機嫌そうにこっちを見る。本気で怒っていないとわかっていても、その顔で睨まれると湧きどころのないはずの罪悪感がふつふつと心を埋め尽くす。


「わかった、もう切り上げる。」

「え…いや、待ちますよ。終わるまで。」

「そうすると完全に暗くなる。女子がそんなに遅くに帰ったら、親御さんに心配されるだろう。」

「それはそうですけど…。なんかすいません。」

「謝るなら親を呼べ。」

「なら謝りません。」

「コイツ…。」


 背筋とその場ダッシュを今日はやらず、夏目と帰る事にした。


「先輩靴箱そっちなんですね。」

「三年生はこっちだからな。」

「私はこっちです。」

「だからなんだ。」

「ふふっ。」


 そういえば、いつも夏目は俺より先に帰るから、夏目と玄関まで来るのは初めてだ。まだ他の部活も活動中の中途半端な時間、俺たち以外の生徒は見当たらなかった。


「他の部員に言わなくていいんですか?先に帰るって。」

「もう言った。」

「?…そうですか。」


 外は丁度、雨が降り始めているところだった。


「傘入れてください。」

「わかってる。」


 バサッ、と大き目な傘を広げる。流石に二人分の肩幅はカバーできないので、俺が少し外に出る。


「わ、冬川先輩の傘デカいですね。」

「夏目はもう少し小さいのか。」

「私がぎりぎり入るくらいです。」

「小学生…。」

「せめて中学生って言ってください!…身長も全然違いますね。」


 校門を出る辺り、夏目が背伸びで歩き出してすぐに元の身長に戻った。


「先輩だからな。」

「男だからですよ、冬川先輩が。」

「女子でも背の高い奴はいるだろう。」

「私、平均くらいなんですよ?」

「そうか。」

「先輩は高めな方ですね。」

「まぁな。」

「…肩濡れてますよ。」

「仕方ないだろう。」

「もう少し近づいてくださいよ、ほら。」

「!」


 細い腕が俺の腰を周って、綺麗な手で内側へと押される。二の腕辺りに、夏目の肩が当たった。


「ギリギリ入りましたね。」

「別に俺は濡れても…。」

「ダメです。風邪引いたら、筋トレできませんよ。」

「家でする。」

「もっとダメです。風邪引いたら、見に行きますからね。」

「なんでだよ。」

「監視です。」


 一瞬、なら風邪をひいてみようかと考えた自分を滅したい。別に夏目と、この先を過ごしたいわけじゃない。好きだとか、そういう感情も一切ない。

 けれど、夏目が廊下に座って。すぐ近くで体を動かすあの日常。

 変だが、居心地が良いと認めてしまっていた。


「雨より雪の方が好きです。」

「突然なんだ。」

「雨は濡れますけど、雪は濡れません。」

「よくわからないな。」

「先輩はどっちが嫌いなんですか?」

「天気に好き嫌いを考えたことはなかったな。」

「雪だと部活出来ないじゃないですか。」

「それはそうだが、何もできないわけじゃない。」


 おかげで夏目と会えた、なんて歯の浮くようなことを言えるほど度胸も頭も良くできてはいない。


「よくわからない人ですね…。なら、好きな季節は?」

「夏だ。」

「即答じゃないですか。ちなみにどうしてです?」

「暑い中、走ったり、投げたり、打つのが好きなんだ。自分は今精いっぱい何かをしてる自覚は、気持ちがいい。」

「私は暑いのが嫌いです。」

「べたつくからだろう。俺は気にならない。」

「ふつーは気になります。」

「そうかもしれないな。」


 他人に合わせる、なんて知らない。けどおそらく、夏目が暑いと嘆くなら俺はきっと涼しい場所を見つけようとしてしまうだろう。


「冬川先輩と、夏は過ごせないんですね。」

「夏は廊下行かないからな。」

「そういうことじゃないです。卒業するでしょう、もう三年生なんだから。」


 卒業。この二文字は極力考えたくなかった。もしも願いが叶うなら、俺はもう一度高校生をやり直したい。未来に向けて行動するなんて億劫だ。なんて、高三にもなってまだ言っている自分はどうしようもないな。


「卒業しても俺のやることは変わらない。」

「そんな気がしますね。…部活、入ろうかな。」


 夏目は放課後、暇つぶしに俺の元に来るのだから部活はもちろん無所属だった。一度、適当に決めればいいと言ってみたのだがやはり汗をかくのが嫌だと一発で拒否されてしまう。


「汗かくぞ。」

「文化部に入ります。」

「あぁ、その手があるか。美術部とか、吹奏楽部とか?」

「先輩って芸術わからなそうな顔してますよね。」

「突然刺してくるな、対応に困る。」


 誰が万年美術成績赤点だ。


「入るなら…演劇部とか。」

「演劇?お前演技とかできるのか。」

「素で勝負します。」


 まぁ、キャラは立っている。基本クールだが、どこか可愛げのある性格の夏目。おまけに髪色も目立つ。

 最も、本来の学校生活ではどんな性格をしているかは想像もつかないが。


「良いんじゃないか。問題は声くらいだな。」

「声?」

「あぁ。綺麗で聞き取りやすい声が、少し無機質にも感じる。もし感情的な役を演じることになったら、夏目がそういう声を出すのが想像できん。…いやでも、顔立ちは可愛いし、所作とかも綺麗だから差し引いても注目はされそうだな。」

「…。」

「……?どうした?」


 黙り込んでしまった夏目へと視線を向けると、ぐっと地面とにらめっこをしていて。


「い、いきなり褒めないでください…。」

「あ、あぁ。すまん。」


 耳が赤かった。多分、俺も。


「…あ、ここです。私の家。」

「俺とほとんど近所じゃないか。」

「そうなんですか?」


 何も考えず自分の帰宅路を辿っていたが、どうやら道中に夏目の家があったみたいだ。


「なら朝も一緒に行きましょうよ。」

「目立つから嫌だ。」

「…可愛い私と隣だと、恋人だと勘違いされちゃうからですか?」


 さっき照れてたくせに、もう立ち直ってる。コイツのメンタルの図太さは素直に尊敬する。


「いや、俺の面と慎重で隣を歩いていたら不良に絡まれていると勘違いされるかもしれないだろ。」

「ふっ、あはは!そうですね、不良です。」

「いや不良ではない。」

「ふふっ…はぁ…笑った。満足です。」


 いつから不満だったんだ。


「それじゃ、ここまで送ってくれてありがとうございました。」

「おう。今度は折り畳み傘持って来い。」

「嫌です。そしたら相合傘できなくなるじゃないですか。」

「別にしたくはない!」

「ふふっ、また明日です。」


 夏目は相変わらず俺の事をからかって、家に入って行った。


「全く…いつも楽しそうな奴だ。」


 口角が弧を描いていることを否定できなかった。

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