第二幕
第二幕
一歩学園の敷地に踏み込んだ途端、ステラはそこに満ちた神聖な力をより鮮明に感じた。
(プリエールの、気配だ……)
前を行くオーギュストの後をついて歩きながら、ステラは目の前に広がる城のような校舎を眺める。無数の窓、連なる塔と回廊。そういったもの以上にステラの心を浮き立たせるのは、舞踏によって発せられる、魔法の気配だった。
手書きの地図を頼りに、聖都に近づいていくほど、ステラはその痕跡が色濃くなっていくのを感じていた。
聖堂の数が増え、比例するように豊かな実りを見せる畑が並ぶ。その畑や村への治水も整っており、行き交う人の顔は穏やかだった。暮らしへの余裕が窺える。
四季折々の村の祭り——実り多く災いなくあれと神に祈るための祭りのたびに、このリュミエール座から舞踏団が派遣されてそれを叶えてきたからだ。
(でも、どうしてだろう……)
その拠点、まさに中心の地へ訪れたというのに、ステラは今自分が感じている魔法の気配に、違和感を覚えていた。
舞踏から発せられる魔力は、周囲一帯にはっきりと感じられる。だが、なぜか空虚だ。見渡す限り大きく実った麦畑が広がっているのに、その穂がひどく軽いような、そんな心許ない感覚に陥る。
(先生が、踊る時は、あんなに……)
いつの間にか、ステラは足を止めていた。
「校内はこの後、案内しましょう。まずは制服などの手続きを……ステラさん?」
校舎を目指して石畳の道を歩いていたオーギュストは、少女の足音が途絶えたのに気づいて振り返った。
美しく整えられたリュミエール座の庭には、くたびれた旅装を纏ったステラの姿は不釣り合いだ。
だが何かに没頭したような横顔は、ふとオーギュストに、過去に世話になった女性のこと思い起こさせた。
「どうかしましたか?」
声をかけられて、ステラはオーギュストの方へ顔を向けた。
「ここには、プリエールを踊ってる人がいるんですよね」
リュミエール座という場所を知っていれば、決してかけられないだろう質問を受けてオーギュストは笑って頷いた。
「ええ、そうですよ」
「見たいです」
オーギュストが最後まで言い終わるより早く、ステラは訴えた。その強さに思わずたじろぐ。
「わかりました。講堂での紹介の後で、見学の時間を設けましょう。ですが先に」
「総裁!」
そこで、校舎の一つから教師がオーギュストのもとへ駆けてきた。ステラの姿に訝しそうに視線を向けながらも、オーギュストへ報告した。
「ヴェルネ大臣から至急に返事が欲しい件があると」
「おやおや、明日の審査の件でしょうか」
オーギュストは困ったように呟いた後、ステラへ向き直る。
「申し訳ありません。少し待っていてもらって、かまいませんか?」
「はい! そしたらプリエールが見られますか?」
「ええ、もちろんですよ」
この少女にとって最重要事項は、どうやらそこらしい。“誰かが踊る、プリエール”。それを求めている。
(さもありなん……か)
オーギュストは内心で目を細めた後、表情は変わらず笑顔を浮かべた。
「1時間ほどでここへ戻りますから、それまで自由に学内を見て回っていてください」
呼びに来た教師とともに、オーギュストは足早に立ち去る。教師の方は怪訝な面持ちのまま「平民の子が、どうしてここに?」と耳打ちするようにして尋ねる。オーギュストはおっとりと答えた。「今日からここの生徒だからですよ」「はいっ!?」教師の裏返った声が響く。
二人が遠ざかっていくのを、ステラはその場で眺めていた。
「……ここには、プリエールを踊る人がいる」
ステラはオーギュストと教師が入っていった建物を見上げる。遠くから見ても荘厳だったリュミエール座の校舎は、目の前にすれば言葉を失う威容だった。
この場所のどこかで、今まさにプリエールが舞われているのかもしれない。そう思うと、飛び跳ねたくなるように両足が疼いた。
「一緒に……踊ってもらえるかな」
そこで、ステラの耳に、軽やかな音色が届いた。
(あ、この曲……)
ステラは足を止め、耳を澄ます。『春の花鳥』という演目の旋律だ。
(綺麗な音)
ピアノの音色とはわかったが、ステラが知っている音質とはずいぶん違ってのびやかに聞こえた。そこに微かに、魔法の気配が立ち上る。
(踊ってる……!)
ステラは神経を集中させ、音と魔力の出どころを探った。今いる中央の道から逸れると、東へ向かって広い庭を横切っていく。ステラはいつの間にか小走りになっていた。近づくにつれ、魔力の気配は強くなる。
早く、早くその姿を見たい。息せきって、ステラは音と魔法の出どころを探す。
そして、一階にある広い部屋を見つけた。
(ここだ……)
ステラは窓の下まで行くと、背伸びをした。
靴先が、ほんのわずかに地面に接するほどの、爪先立ちになる。
「わぁ……!」
窓から中を覗き込んだ、ステラは吐息のように声を漏らした。
中の稽古場には、彩りも豊かな光が溢れていた。光が形作るのは、翼を広げて長い尾羽をたなびかせる鳥や、その合間を幾重に花弁を散らす花々だ。
稽古場にいる二十人ほどの男女が音楽に合わせて踊るごとに、その体から魔法が生み出される。伸ばされた指先から、軽やかに踏み切る足先から、光が渦を巻くように立ち上り、稽古場いっぱいに降り注ぐ。
(わぁ、わぁ、わぁ……! 踊ってる!)
ステラは窓ガラスに、額を押しつけた。
(私以外の人が、プリエールを踊ってる!!)
今舞っている演目『春の花鳥』は、その名の通り春の到来を寿ぐもので、多くはこの時期に花園で踊られるものだ。この祈りの舞によって、害ある虫を遠ざけ、美しい花を咲かせる魔法をかける。
踊っている生徒の中でも、ひときわ目を引くのは、金の髪の少女と、黒髪の少年の組み合わせだ。二人の踊りは振付の正確さも華麗さも群を抜いており、応じて発動する魔法の精度も高かった。
「ラ、タタタ、ラン……」
ステラは、無意識に、音楽に身を揺らしていた。
踊りたい。
(私も、踊りたい)
貼りついていた窓ガラスから離れると、ステラは庭の芝生の上に、肩に掛けていた荷物を放り出した。