第七幕(8)
ステラのそばに立ったルノは、舞台の前にそびえる樹木を見上げた。まるで元々ここに生えていたかのように、古木は青黒く苔むして太い根を張っている。
「今更だけど……信じられないよなぁ」
ミーシャもまた、さっきまでオーガと成り動いていた樹木を見つめる。
「ぶっちゃけ魔物なんて、本当に存在してるって思ってなかった」
「少なくとも、聖都のこんなそばに現れるなんてありえないわよね……」
うずくまったまま、ディアナも呟く。
魔物は、自然への祈りの力が弱まると姿を顕す。祈りが届かなければ、自然の神々が与えるものは、恵みから祟りへ変わるのだ。
「みなさん、大丈夫ですか!」
観客席の向こうから声が聞こえ、見るとオーギュストがリュミエール座の護衛たちとともに駆けて来るところだった。町の人々を避難させた後、戻ってきたようだ。
「オーギュスト総帥」
「はい、大丈夫です!」
エリーが手を上げて答える。
「良かった。夏至祭に来ていた人たちも、怪我なく森の外へ避難しているよ」
言ってからオーギュストは、魔物だった木を見上げる。
「ああ……楢の木だね。この西の森の、奥に生えている古木だよ」
さっきステラがやったように恭しく拝礼した後、オーギュストは光の届いていない森の奥を見つめる。
「……我々の祈りは、届いていなかったようだね」
その声が途切れると同時、まだ騒がしかった広場の入り口から数人のリュミエール座職員が駆けてくる。
「総帥、祈祷省の方が」
「ああ今行くよ」
オーギュストは舞台のステラたち五人を振り返ると、申し訳なさそうに微笑んだ。さっきの物憂げな表情は消え、いつもの穏やかな顔へ戻っていた。
「リュミエールに帰る馬車は呼んでいるが、もうしばらくかかりそうだ。少し待っていてくれるかな」
「はい」
それだけ告げて、オーギュストは職員たちと足早に去っていく。
遠くから人の声は聞こえてきていたが、舞台の周りは静かになる。散らばった客席や土の抉れた地面、倒れて靡いている夏至祭の旗が、さっきの襲撃が現実だったと教えているだけだ。
魔物だった木は、今は月の光を受けて、静かに木の葉を揺らしている。
妖精の衣装を着たまま、五人はぼんやりと自分たちが鎮めた荒ぶる神の姿を見上げた。
「あ!」
その時、突然ステラは声を上げて口を押えた。ただごとでなさそうな様子に、全員一斉に目を向ける。
「何よ。びっくりするでしょ」
エリーが言うと、ステラはばつが悪そうに頬を掻いた。
「さっき普通に、エリアンヌのことエリーって呼んでたよね……ごめん」
それを聞いてエリーは大きく脱力した。このステラという少女は本当に、魔物の前で踊っている時とはまるで別人だ。
「はぁ~~……もう、いいわよ」
長い溜息をついた後、投げやりにエリーは言う。
それからきょとんとしているステラへ、目を合わせる。
「……エリーって呼びなさいよ」
最初、目をぱちくりさせていたステラだったが、それがどういう意味か——何を許してもらったのか理解し、ステラはぱぁっと笑った。
「じゃあ私のこともステラって呼んで!」
「呼んでるでしょ」
エリーは呆れたように言い返したが、ステラは食い下がった。
「ううん。エリー、いっつも“あの子”とか“あなた”ってしか言わないもん」
そんなことないでしょ、とエリーは否定しようとしたが、それより早く周りの三人が口を開いた。
「そうだな」
「確かにそうね」
「だね~」
ルノ、ディアナ、ミーシャが次々相槌を打つので、エリーに反論するチャンスはなかった。髪を払い、エリーは観念したように口を開く。
「はぁ、わかったわよ」
期待の眼差しを向けられ、そっぽを向いたままエリーの頬が赤くなる。
「…………ステラ」
舞台の上、エリーの小さな声がそっと響いた。
名前を呼ばれただけで、ステラは青い瞳をキラキラさせて喜んだ。
「わぁ嬉しい! ありがとう、エリー!」
歓喜を表して、ステラは飛び跳ねる。さっきまで魔力を生み出しながら踊り続けていたとは思えないほど、爪先立ちで軽やかに跳ぶ。
「ちょっと踊ってる場合? あなた怪我してるのよ」
エリーは慌てて制止させようとする。ステラの手足はところどころ火膨れを作り、痛々しく赤くなっていた。
「あはは、こんなの怪我のうちに入らないよ」
なんてことないように、ステラは笑って返す。貴族の生まれの四人は、眉をひそめて顔を見合わせた。仮に、エリーが指先にこの火傷一つでも作ってきたとしたら、屋敷の使用人たちは大騒ぎするだろう。
「…………」
改めてエリーは、この小柄な銀の髪の少女を見つめた。
ステラは、魔力を持たない平民の血筋だ。仮にプリエールを習っても、祈りの魔法として発動できるはずがなかった。
そんな存在が、魔物を鎮め、祓った。自分たちリュミエール座の首席たちは、ステラの舞踏に鼓舞されて加わっただけだ。もしステラが踊り出していなかったら、まず真っ先に逃げていただろう。
けれどそれは、プリエールを踊れる者の務めに反する。
力を持たない人々を守るために、舞台に立って神々に祈りを捧げるのが、ダンサーの使命のはずだ。
(ねぇステラ)
エリーは、かたわらで呑気な顔で笑っている少女を見つめる。
(あなたは一体これまで、どんな場所で踊ってきたの……)
どんな、神々の前で。
静かに夜風が吹いていき、森の木々を揺らした。初夏の訪れを感じさせる、清らかな風だ。揺れる葉影から月の光がこぼれ落ち、夏至祭の広場に立つステラたちの姿を浮かび上がらせていた。
これから運命を共にする、五人の踊り手たちを————。
~春の舞・完~




