第七幕(4)
“夜霧”のソロが終わると、ある意味『妖精たちの祝祭』一番の見せ場がやってくる。
森の花々が、朝日を浴びて蕾を開かせる、瞬間だ。
「行くわよ」
「ええ、いいわ」
舞台袖で足をほぐしていたエリーは、隣に立つディアナへ前を向いたまま声をかける。さっきまでうっすらと浮かべていた、翳りのような表情は消え失せ、自信に満ち溢れた“薔薇”の妖精がそこには立っていた。
そして、旋律とともに光に照らされた舞台へ飛び出していく。
“薔薇”の精は、大きな拍手によって迎えられた。音楽も盛り上がり、エリーは出だしから難易度の高い舞踏を優美にこなす。
「エリアンヌ様、素敵~!」
「彼女を見るために、夏至祭に来たようなものだ」
観客からは、老若男女問わず感嘆の声が上がった。中等部の時から、エリアンヌ・ラヴェルの名はその世代のダンサーの中で、燦然と輝いている。
転調とともに、今度は“藤花”の精であるディアナが登場する。“薔薇”の舞踏の、威風堂々とした雰囲気とは異なり、動きは吐息が漏れるほどしなやかだ。ディアナの容姿だけ見れば、女性役を踊るには長身で、細身とは言え肩幅もある方なのだが、淡い薄紫のロングチュールを揺らして舞う姿は可憐な妖精そのものだった。
エリーの舞踏以上に、指先の位置、角度、ほんのわずかな顔の向け方が極められ、女性らしい美しさが再現されていた。
見ている観客の誰も、男性が踊っていると思わない。
(それ以上に……)
ディアナは伏し目のまま、視界の端でステラを捉える。
観客のほとんどが、気づいていない。生み出される、清らかな魔法の力は、そのほとんどがステラの舞踏によるものだ。通常なら存在しない、五人目の妖精“樹木”の存在によって、舞台の中央で踊るダンサーたちの力まで底上げされている。
エリーもまた、音楽で言えば通奏低音のように、ステラの魔法を感じながら舞っていた。
(全く、こんな踊りやすい『妖精たちの祝祭』は初めてよ)
演目として、というより、魔法が行き渡っている舞台だからだ。エリーは改めて、魚にとって水のように、鳥にとって風のように、プリエールダンサーにとって魔法で満たされた場所で踊る快さを実感していた。
音楽が盛り上がっていき、“薔薇”の精の見せ場が訪れる。エリーは高く飛び上がった。
そして、大輪の花のように、回る。赤い衣装は花びらのように翻り、高貴な香りが辺り一面に広がるようだった。
「ブラーヴァ!」
「ブラーヴァ、エリアンヌ!」
最高難易度の振付を踊り切ると、客席からは割れるような拍手と歓声が上がった。
エリーとディアナが一礼をして舞台袖へ下がると、第一幕のラストを飾る“清風”が吹いてくる。
軽やかに変わった音色に合わせ、待ってましたとばかり陽気にミーシャが舞台へ現れた。
まさに風の精霊らしく、体重を感じさせない舞踏で縦横無尽に動き、ステラのそばへ近づいてはまた離れていく。“清風”が通り抜けるたび、“樹木”は楽しげに身を揺すり、戯れる妖精たちを再現させた。その仕草に、観客たちはくすりと笑いをこぼした。
やがて朝日が昇り切ると、妖精たちの世界が終わりを迎える。
最後、音楽は小さくなっていき、ステラが舞台袖へ下がっていくとともに幕が閉じていった。
第一幕は、盛大な拍手でもって締めくくられた。
「はぁ~、気分いいなー!」
「すごいわ、五人で踊ってるのに、みんな全然気にしてないみたい!」
爽快感の満ちた顔に汗と笑みを浮かべ、ミーシャが告げる。先に幕の後ろへ戻っていたディアナも、成功した第一幕に小さく手を打ち鳴らした。
四人とも、初めて踊る五人版『妖精たちの祝祭』に、不安はあったのだ。自分たちは受け入れられていても、はたして観客の人たちはどう受け取るか。ルノの父ほどではないにしろ、プリエールは厳格な演出を良しとする者も多い。特に歴史ある祭りで踊るものは、なおさらだ。
だが、完成された舞台と、最上の魔法の前では、それらは些末な懸念だった。
「ほら、喋ってたらすぐ第二幕始まるわよ。小道具、準備しないと」
エリーも気を引き締めてと促すものの、顔に喜色が滲むのは堪えられなかった。普段無表情なルノでさえ、微笑を浮かべているのだから。
そんな四人を背後にしたまま、ステラは閉じた幕の向こうをずっと見つめ続けていた。
「ステラ?」
ディアナが気遣うようにその背へ声をかける。
「さすがに、最初から踊りっぱなしは疲れたかしら。ほらお水飲んで」
「スッティー、まじで練習以上にキレッキレで踊ってたもんね」
ステラの肩を優しく叩いて、ディアナはグラスに注いだ水を渡す。ステラはその時初めて、我に返ったかのように振り返った。
“樹木”の精に扮したその頬は、今上気して薄紅に染まっている。
「嬉しくて……ずっと心臓がドキドキしてる」
ステラは衣装の胸元に手をやった。
「踊ったんだ……ここで。みんなと」
噛み締めている言葉に、四人は顔を見合わせる。一番の功労者だろう存在がそんなふうに自分たちとの舞踏を感激してくれていれば、もちろん誰も悪い気はしなかった。
「まだ終わったわけじゃないわよ」
エリーがそう声をかけると、ステラはまだ第二幕があることを思い出し、晴れやかに頷いた。
「うん……!」
準備を終えるとすぐ、第二幕が始まった。
曲調を変えた旋律とともに、幕が開いていく。
今度は再び、夜の森の中が舞台だ。妖精たち一人一人が、その手に火と入れた香炉を振って歩いていく。舞踏としては、第一幕より静かな動きが多くなる。
その代わり、より魔法の――祈りの側面が大きくなるのが第二幕だ。
自然の恵みがこの土地の人々を祝福し、これから長くなっていく夜の力を打ち払う。多くのプリエールの古典演目同様、物語の要素よりも祈祷の要素が多くなるのが終幕、そして大団円だ。
もうそのラストへ差し掛かる、その時だった。
最初にその気配に気づいたのは、ステラだった。
「……?」
踊りながらも、観客の向こうに広がる森の闇へ目を凝らす。
(今、何か……)
着地した時には、明らかに地面が振動した感触がした。ルノやエリー、ディアナやミーシャも遅れて異変に気づく。
微かだった振動は、すぐにはっきりとした揺れへ変わり、集まっていた観客も騒然とし始める。
「何、この音」
「おい、地面が揺れてるぞ」
それは規則的な地響きとなり、明らかに近づいて来ているのがわかった。揺れが大きくなっているのに合わせて、むっと悪臭のように嫌な気配が空気に満ちていく。ステラは寒気を感じた時のように、鳥肌が立つのを感じた。
「ねぇ……何」
「わからないわ……」
魔力のある者は、その空気の重みに敏感に察知できたが、エリーもディアナも、そしてミーシャもルノも、一体何が起こって――何が迫ってきているのかはわからなかった。
ステラだけが、凝然と闇の中を睨みつけている。
「————来る」
遅れて、貴賓席にいたオーギュストがその存在に気がついた。まさか、と呟いた後、もうどれだけの猶予もないと気づいて、声を張り上げた。
「みなさんッ! この場から逃げてください!!」
オーギュストが叫ぶのと、広場の手前の木々がみしみしと音を立てて倒れるのは同時だった。
「キャアアッ!」
「何だ、あれは……」
集まっていた人々は悲鳴を上げ、あるいは竦み上がって、篝火に映し出された生き物を見上げた。
黒々とした巨大な影が、そこに聳え立っていた。




