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第四幕(8)


「その靴を、私に見せていただけませんか」


 他の職人たちと同じ厚手の白いエプロンをつけた彼は、浅黒い肌に幾重に皺を刻んだ顔でじっとステラの手元を見ていた。


「? どうぞ」


 ステラは布にくるんでいた、年季の入った舞踏靴を差し出す。


「モリスさん、あの、私たち」


 現れたモリスと呼ばれる老職人に、ディアナは事情を説明しようと口を開く。緩慢な動きでモリスは顔を上げ、二人へ挨拶をする。


「ディアナ君、ルノ君。ご機嫌麗しゅう」


 古めかしい物言いの後、モリスは手渡された靴へ視線を戻した。


「ああ……やはり」


 黒く染みを作って、形も崩れてしまっている舞踏靴を撫で、モリスは呟いた。


「これは私が作った靴だ」


「えっ! そうなんですか?」


 ステラも驚いたが、ディアナとルノもまた告げられた事実に目を剥いた。

 テオドール・モリスは〈サボエリ〉の伝説的職人だ。九つの時から工房で修業しており、彼が作った靴を履いて踊ったダンサーたちは錚々たる顔ぶればかりだ。一世を風靡した舞姫クラリス・ジュノ・ヴェルネ、名振付師となったフロランス・トゥールーズ、そして現リュミエール座総帥オーギュスト・ラクロワ……。


 モリスは真剣な表情で、ステラを見つめた。


「……この靴を、どこで」

「先生がくれたんです」

「先生? そうか……あの人の」


 モリスは何かを思い出すように、じっと黙って靴を見ていたが、布に包み直すとステラへ返した。それから、口を開いた。


「良かったらあなたの靴を、私に作らせてもらえないか」


 思いがけない申し出にそばで聞いていたルノとディアナが目を丸める。言われたステラの方は、ぱぁっと顔を輝かせた。


「もちろんです! わぁ、ありがとうございます!」


 だがその発言に仰天したのは、生徒たちよりも職人たちの方だった。慌てて奥から飛び出してくる。


「モリス職長!」

「あなたが靴を受け持つほどの者では」


「静かにせぇッ!」


 びりっと空気が震える一喝に、叱責された職人だけではなく、ルノやディアナも息を呑んだ。ここで何度もモリスを見かけている二人だったが、こんなふうに大きな声を出すところは見たことがなかった。


 目をぱちくりさせているステラに向かって、モリスはこうべを垂れた。


「工房の者が失礼な物言いをして申し訳ない。あなたの“先生”に、自分は命と人生を救われた身だ」


 モリスは壁の棚へ歩を進める。


「できるだけ早く完成させるが、それまではこの靴を使ってください」


 棚に手を伸ばし、モリスは一足取り出した。制服のものとやや形は違うものの、先端に金属の加工が施された、ごく一般的な舞踏靴だ。無造作に選んだように見えるが、熟練の職人には、今靴を手に取っただけで、ステラの足の形にぴったりなものを把握できていた。


「わぁ……綺麗な靴」


 ステラは渡された新品の舞踏靴を両手で持って、顔をきらめかす。光沢のあるリボンで結ばれたそれは、まさに贈り物のようにステラには映った。


「そこで履かせてもらったらいい」


 ルノが、棚の前に置かれた椅子を示す。


「ああそうしていただきたい。その後、足の型取りをしていきましょう」


 モリスがエプロンのポケットから道具を取り出し、準備していく。靴を試し履きするのに慣れてないステラは靴を両手に持ったまましばらくうろうろし、ようやくこの靴に自分が足を通していいのだと理解する。


「すごいな、いいのかな、私が履いても」


 ステラは自分の靴を脱ぎ、制服として支給されている薄手の靴下で、靴に足を通した。


「新品だからまだ硬いけど、モリスさんの作られるショスールはすぐに足に馴染むから」


 ディアナがそう言い添える必要もないほど、ステラには履き心地のいい靴に感じられた。靴紐を締め、ぎこちなくリボンを結ぶ。


「わぁ……これが、新品の靴……」


 ステラは両足とも通し、椅子から身を起こす。


 そして、ス……ッと両足とも金属の爪先だけで立ち上がった。


「……なっ」


 野暮ったい、いかにも田舎娘という印象だったステラだったが、プリエールの踊り出す姿勢を取った瞬間、遠巻きにしていた職人たちが息を呑んだ。


 わずかな足先だけを軸に、ステラの体は羽根をつけて宙に浮いたように見える。まだ、何の魔法も発生させていない。腕一つ、足一つ動かしていない。だがその立ち姿だけで、空気が凛と変わるのが感じ取れた。


 その爪先立ちの少女を見つめ、モリスは両目にうっすらと涙を溜めた。容姿は全く異なるのに、その立ち姿の気配にははっきりと、靴を作った一人の生徒の姿が重なった。


「……あなたのプリエールに見合うだけの靴を、必ずお作りします」


 リュミエール座の長い歴史を持つ工房の職長が、ステラの前に恭しく頭を下げた。

 ぴょんと地面に踵をつけると、ステラの姿からはもう、さっきまでの霊威のようなものは消え、のんきそうな田舎娘の印象へ戻った。


「ありがとうございます! 私もいっぱい踊ります!」


 ステラは誰にするのと変わりなく、元気よく答えた。



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