第三幕(9)
「ありがとうございました!」
一礼して顔を上げた時には、ぼさぼさの銀髪頭で裸足の少女が立っているだけだった。
「靴、探しに行ってきます」
もう一度頭を下げると、ステラは舞台袖へはけていく。さっきの曲を、たっ~たらら~ら~と楽しそうに口ずさみながら、カーテンの端へ戻っていった。
荷物と脱ぎ捨てていたブーツを持つと、そのまま劇場の外へ出る。通って来た廊下をたどり、さっきの稽古場へ戻ってくる。
「う~~~~ん、どこいっちゃったんだろう……大事な靴なのに」
ステラは自分の荷物を置いていた床を眺める。その時、誰もいない稽古場に人影が立った。
「靴はここにはない」
「あ、ルノ!」
ステラは振り返り、部屋を見渡して大きく頷いた。
「そうなんだよね。靴は、ここにはない」
事実を確かめるように繰り返したステラだったが、舞台に立つ前にルノがかけた言葉を思い出した。
「あ、でも靴がなくてもちゃんと踊れたよ」
「見てた」
「そうなんだ! ね、大丈夫だったでしょ?」
ニッと、小さい子供がするように無邪気に笑う。ルノには、これまでは凡庸な仕草に見えたが、今は得体の知れなさを感じた。
「あれは、どうやって……」
ルノは訊こうとし、言葉を止める。それから、稽古場の外を指さした。
「靴は、たぶんこっちだ」
「えっ」
ルノは廊下へ出ると、窓を開けた。窓の外は、校舎の裏庭に面している。
「この下だ」
「すごいね! なんでわかったの?」
窓から下を覗き込むと、女子たちに直接聞いた通り、靴の入った袋が花壇の上に落ちていた。ステラの舞踏の後、ルノは席を離れるとあの時稽古場にいた女子の一団を探した。今のプリエールを見て圧倒されていた彼女らは、ルノが強く尋ねるまでもなく、ステラの靴を捨てた場所を明かした。
「ん、んー? でも見えない」
高さのある窓は、ルノなら胸の辺りに窓の桟があるが、ステラにはギリギリ顔を出せる程度だ。ステラは窓の縁に手をかけると、床を蹴った。
「よっ」
豪奢な窓枠からステラは上半身を乗り出す。
「あった! ほんとだ!」
「東階段から降りれば、すぐ中央裏の扉から」
裏庭に出られるから——と、ルノが説明する前に、ステラは窓枠を蹴っていた。引き上げた足が窓を越え、その身が二階から投げ出される。
「ちょっ、おい!」
ルノは慌てて身を乗り出し手を伸ばすが、その手は銀の毛先をかすめただけだった。
髪をなびかせて落下していくステラは、空中で両脚を一度揃え、打ち合わせるように動かす。アントルシャという振付に合わせ、ステラは唱える。
「空を駆るように」
ステラは宙を蹴った。足元から光が発生し、急な階段を降りていくように、ステラは地面へ無傷で降り立った。
「…………」
ルノは目の前で易々と使われた魔法に、何度目か息を呑む。遅れて、無事に着地したことへ、安堵し肩の力を抜いた。
「あったー!」
花壇の縁で、ステラは靴の包みを掴み、二階のルノに大きく手を振った。ルノは頷き返し、一階へ降りていく。
裏庭へ向かうと、ステラがくるんだスカーフの中を確かめているところだった。
「ありがとう! 大事な靴だから見つかって良かった。なんでこんなところに落ちてたんだろう」
それは、とルノは説明すべきか言いよどみ、それどころではないものを目撃する。
「何、っだ、それ……」
「えっ、ショスール、だけど」
ステラは困惑気味に自分が持っているものをルノに見せた。さっきまであんなに靴が靴がと言っていたのに、見たことないんだろうか……。
「いや、これ……」
ステラの手にあるショスールは、ルノが今まで見たことがないほどボロボロだった。ここにいる生徒誰も、見たことはないだろう。舞踏靴は、少し傷めばすぐに新しいものへ替えているのだから、こんなに履き潰すことはない。
(しかも、なんか……この黒っぽい汚れ……)
ただの汚れにしては濃い染みが、その靴には滲んでいた。ルノは眉をひそめる。
(まさか、血……?)
そんなはずはないだろうと否定する。よく見れば靴先の魔法具部分は、銀の細工が見事だ。リュミエール座の靴職人でも、この仕上がりの舞踏靴を作れる人物は限られる。色んな意味で規格外な靴だった。
「今まで、これで踊ってたのか……?」
恐る恐る、ルノは尋ねる。
「うん! でもこれは特別な時だけ。いつもは裸足か普通の靴で踊ってたんだ」
ステラは取り戻した靴を、大事そうに胸に抱く。
「これは先生から貰った、大事な靴だから」
ルノは様々な言葉が口をついて出そうになったが、それらを飲み込み、今伝えるべき最優先事項の言葉を端的に選んだ。
「そう、か……ならそれは、大切に仕舞っておいて、新しい靴に変えた方がいい」
「でも、作ってくれる人もいないし、お金もないからこれを大事に履くよ」
ステラはルノの提案に、不思議そうに首を振る。村には普通の靴屋すらなく、舞踏靴を足に合わせて仕立ててくれる店など話に聞いたことすらなかった。仮に王都にはそういった店もあるのだとしても、金銭を工面する方法もない。
ルノは呆れたように返した。
「リュミエール座の生徒には、制服などと同じで、ショスールも支給される。上位者には、優先的に専属の職人もつく」
「? でもまだ、合格できるかもわからないのに」
ボロボロの舞踏靴を抱えて、ステラは首を傾げる。銀の長い癖毛が、ふわりと揺れる。
ルノはその姿を見つめた。
この少女は自分が一体今、どういう次元のプリエールを踊ったのか、自覚していないのだ。
「心配いらない」
静かに、だが迷いなく、ルノは宣言した。
「お前はここで、誰よりも優れた、プリエールの踊り手だ」
リュミエール座の鐘が午の時刻を告げて、打ち鳴らされる。晴れ渡った空の下、真白の鳥たちが軽やかに飛び立っていった。




