25. 桜の覚悟。最悪の事態
「優樹っ!」
アクオイによって吹き飛ばされた優樹の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。私の声も届いていないだろう。
「さて、厄介なやつが戻ってくるまでに片付けてしまおう」そう声が聞こえたときには、お腹に衝撃が加わり、目の前すらも見えないほどに意識が薄れていた。
「ゆう、き……」私は願った。彼が無事でありますように。
「……君。聞いているのかね月ノ矢君」なぜか薬品の匂いがする。それに私を読んでいるのは誰だろう。私はゆっくりと目を開ける。そこにいたのは、
「薬城先生……?」薬城先生はここにはいないはずなのに。
「寝ぼけておるのか? まったく。大事な説明中に昼寝とは。呆れて仕方がないわい」
「説明って……」何がどうなっているのかさっぱりわからない。
「吸血鬼の血を使った身体強化についてじゃよ! なぜ忘れているんだか」
そういえば前にも説明されたことがある。だとしたらこれは一体……?
「さて、話を続けるぞ」ひとまずは話を聞こう。それから考えよう。
「前の戦いで採取できた吸血鬼の血はほんの少しではあったが、それでも大きな影響を与えるほどの力を秘めておる」
「その血を使って身体強化に使えないかと思って先生に相談したんでしたね」
「そうじゃ。そして少量ずつ取り入れることによって、すこしずつ力を得ることができる。これは自身の身で体感しておるな」
「はい」血を取り込むごとに、たんだん力が強まってきているのを感じる。
「ではなぜ、少しずつしか取り込まないのかわかるか?」あれ? 前説明されたときはこんなこと言っていなかったような気がする。
「一度に多くの力を得ると制御ができなくなるから、ですか?」血を取り込んだあとは得た力の制御二いつも苦労しているのだ。
「もちろんそれもある。だがそれだけではない」
「一体何が起きるのですか?」
「……一日の最大摂取限度を超えた上で、全ての血を取り込まなかった場合、体が耐えきれずに破裂して死ぬ」
「全ての血を取り込まなかった場合、ですか。では全ての血を取り込んだ場合はどうなるのでしょうか」
その時、ゴゴゴゴ……と地響きがして、そして大きく地面が揺れた。実験器具が地面に落ちて、粉々に砕け散る。
「一体何が……?」
地震の影響で地面が割れ、先生と私の間に深い溝ができた。
「先生! 大丈夫ですか!」
だが先生は何も気にしていない様子で続けた。
「今、現実世界では空成優樹がやられている。このままでは何もできずに全員死ぬだろう」先生の姿がぐにゃりと歪み、人の形をした歪みになった。
「全ての血を取り込めば莫大な力を得て、奴を倒せるだろう。しかしその後、お前は吸血鬼となり、人結晶と拒絶反応を起こし、暴走する」
「……吸血鬼になるってどういうことっ! それに人結晶って何! あなたは誰!」
「……質問が多いな。だが今は教えん。もし、また自我を取り戻すことができたのなら説明してやろう」
「自我を取り戻せたらって……どういうことっ!」
私の叫びを無視して何かは言った。
「今お前に言うのはただ一つ。このまま死ぬか。血をすべて取り込むか。お前はどちらを選ぶ」
もう何が何なのかわからない。けれどもし本当に、このまま何もしなければ優樹が死んでしまうのならば……
「私は、血をすべて取り込んで、力を得て、優樹を助ける!」
「……そうか。ならば立ち上がり謡え! 血をすべて取り込み、存在を昇華させる魔法の詠唱を!」
ハッと目が覚めた。見れば今ちょうど、アクオイが優樹にとどめを刺そうとしているところだった。
「血は力の源なり……取り込めば力を与え、存在を昇華させ、新たな姫を生み出す……」無数の紅い血がふよふよと私の周りを漂う。
私の詠唱に気がついたのか、アクオイが私の方に振り返った。
「小娘っ! お前は何をっ!」
「解放:血姫」
詠唱を終えた瞬間、漂っていた血が一斉に私を刺し貫いた。そして体内に吸収され、体中に巡る。
「うぅ……あぁぁ……」力の奔流が、私を私から遠ざけていく。だけどこれでいい。優樹を守れるのであれば。
すると服が、緋色のドレスに変わる。まるで姫という存在にふさわしくなるように。
「アアアアァァァァァァァァァァッ!!!」
溢れ出る力で緋色の剣を作り、アクオイに向けて振るった。圧倒的な力が地を、大気を、全てを震わせていく。
「クソッ!」アクオイは飛び上がって逃げようとする。
(なんだろう。さっきまで目に終えないほど早かったのに、いまはゆっくりだな……)
空を蹴り、アクオイに一瞬で近づく。アクオイの驚愕した顔が見えた。もう、遅い。
「ハアァァァァァァァァッ!!!」横薙ぎの一閃。空間ごとアクオイという存在を断ち切る一撃。いとも簡単に、アクオイという名の敵は消え去った。
「ハァ……ハァ……」アクオイを倒したあと、私は異変を感じ取っていた。
自分が自分でなくなっていくような感覚。別のなにかに体が乗っ取られていく。手足ももう動かなくなって来ている。
「桜っ!」優樹が走り寄ってくる。彼には絶対に伝えなければならないことがある。
優樹が私を抱き寄せようとするが、私は手で制した。
「桜?」
「一つだけ、約束して…………どんな手段でも、なんでもいいから、わたしを、たすけてね……」
言い切った瞬間に私の意識は深く潜っていく。深い深い、闇より深い、深淵の底へ。
どうか彼が、私を救ってくれますように。
「解放:血姫」桜がそうつぶやいた途端、力の奔流が凄まじい勢いで桜から溢れ出してきて、目にも止まらぬ速度でアクオイを斬ってしまった。そして力を使い果たしたかのように落ちていった。
みんなよりも早く目覚めた僕はすぐさま桜に駆け寄り、抱き寄せようとした。だが桜は僕を手で制した。
「桜?」そう問いかけると、桜は僕の目を見て言った。
「一つだけ、約束して…………どんな手段でも、なんでもいいから、わたしを、たすけてね……」そう言い終わった瞬間、さくらの目から光が消えた。代わりに、真紅の光を灯して。
「まさか体を乗っ取れてしまうとは思いもしなかったわ」目の前で声がした。いつも優しい雰囲気をまとっている桜の声とは違う、攻撃的で、凶暴で、威圧的な声。
その瞬間、視界が半分、消えた。目を閉じたわけではない。暗くなったわけでもない。ただ、消えた。
「さて、魔界に戻って力を蓄えないと。この体を完全に掌握したわけでもなさそうだしね」
そう言うと、背中から黒い羽を生やし、空を飛んだ。そして空間に門が現れ、その中へと入っていってしまう。
追いかけなければと思っているのに、体から力が抜けていく。
(桜は、どうなってしまったのだろう……)薄れゆく意識の中で、桜のことだけを考えていた。