第1話 私の世界はここじゃない(4)
「あの、師匠。お別れの前に……ひとつだけ、お願いをしてもいいですか?」
「ん、なに?」
「わ……私と、一緒に歌っていただけませんか?」
公開処刑か。
――とは思ったけど、この子はきっとそんなこと微塵も考えてないだろうな。
他に誰が聞いてるわけでもなし、あたしは快く引き受けた。
「いいよ、次いつ会えるかわかんないしね。さっきの曲でいい?」
アリアノールは感極まった様子で、言葉も出せずにブンブンうなづいた。
やりづらい。
「……じゃ、始めるよ」
いつも通りに、リュートをかき鳴らし始める。
正直、あたしのリュートは上手くない。向こうでギターが下手なのは独学だし弾き語りだから仕方ないって思ってたけど、こっちで音楽家の親っていう恵まれた環境に生まれてよくわかった。あたしは弦楽器向いてない。じゃあ何が向いてるかって言われても困るけど。
それでも、私のつたない演奏に彼女はぱっと顔を輝かせて感心していた。そう――これはこの世界にあるはずのない音楽なのだ。コード進行も、込められたロックンロールの文脈も。
なんとなく、頼もしいような責任重大なような気持ち。
「わたしの、世界は――」
歌い出すと、おずおずとアリアノールの声がついてくる。
最初は控えめに、あたしの声に添えるように。
でも、だんだん抑えられなくなったのか太く強くなっていく。
あ……。
気軽なデュエットのつもりだったけど、やっぱ無理だ。この子の歌は強すぎる。
つなぎの間奏を弾く一瞬、心が走る。誰に聞かせるわけじゃなくても、求めてしまう――もっといい歌にできるって。だったら、迷ってる暇はない。
「……だからもっと!」
サビに入るタイミングで、あたしは声を落として低音のハモりに回った。
声の震えで相手の戸惑いがわかる。一瞬の目線。
でも、やめない。絶対こっちの方がカッコいいから。あたしの声で競り合っても邪魔になるだけ。悪いけどあたしはあなたと同じ。あたし自身の心より、音楽が大事なんだよ。
自分の曲で誰かにメインボーカル譲るなんて、考えたこともなかったけど。響き渡る歌声に彩りを添えて、支えていくのは思った以上に心地よかった。普通は体が子供なら声も必然高くなるもんだけど、今だけは自分が生まれつき低音寄りでよかったと思う。
「この檻を……壊してっ!」
アリアノールの悲痛な歌が鼓膜から胸に刺さる。あたしが安いちゃぶ台の上で、唇噛んで書きなぐった歌詞が、それ以上の鋭さを持っていく。
彼女の感じる苦しみが、閉じ込められた痛みが自分のものみたいに骨に沁み込んで――その瞬間、あたしは会って間もないこの女の子の心を理解した気がした。
偽物の感情なのはわかってる。バンドやってた頃にもあった感覚だ。
今だけは、互いの全てをわかってるって。演奏中は音だけが全てだから。
心が乱されて、いろんな感情が駆け巡って、あたしの声を震わせる。
そしていくら震えても、揺るがないでいてくれるもうひとつの声。
ああ……
リュートの音がかき消されそう。
「はぁ……っ、はぁ……」
歌い終えた時、アリアノールは息を切らしていた。
彼女は目をぱちくりさせて、どうしてこんなに疲れているのかわからないって感じだった。
「どうだった?」
見た目上(中身もわりと)子供のあたしが、お姉さんぶって聞いてみる。
「ど」
「ど?」
呼吸を整え、気を取り直すアリアノール。
「どうして……声を下げられたのですか」
「その方がカッコいいと思って。ハモる……えっと、音程重ねてさ。エルフの森じゃそういう歌い方しないの?」
「そういうわけでは……でも、一緒に、同じように歌ってくれると思いました。そうしたかったのに……」
わりとわがままやん。
だけどそういうとこも、多分……彼女の素質なのかもしれない。
「でも、今の方がよかったでしょ。さっき以上に声出てたし。一緒に歌ったから、あたしにも伝わったよ。熱くなってるの」
「それは……」
否定できないのか、うつむくアリアノール。
そりゃそうだ。気持ちよく歌うのが嫌なボーカルはいない。
この子は生粋のフロントマンなんだ。
「ね、アリアノール……えっと、アリアって呼んでいい?」
アリアは首をブンブン縦に振った。
「じゃあ、アリア。きっとまた……ううん、絶対また一緒に演ろうよ。方法はまだわかんないけど、なんか考えるから! あたしもアリアも死なない方法」
「……いいのですか?」
「このままじゃ終われない。もっと色んな曲を歌って欲しいし、あたしも他の曲いっぱいあるから。とりあえずまた明日、別の曲聞かせにくるから、ね!」
「師匠……」
感極まった様子で目をうるませるアリア。
「あ、そうだ。あたしの名前、まだ言ってなかったよね。キャス……ううん、カリンって呼んで。それが好きな呼ばれ方なの」
「……カリン様」
「様は抜きでお願い」
――だって、なんか「様」付けだと超神水とか仙豆とかくれそうじゃん。
「う……努力します」
手を振って少しずつ遠ざかるアリアの背中を見ながら、あたしは決意していた。
この子と音楽をやる。
ここで、この世界でロックをやってやる。
デュオでもバンドでもなんでもいい。響かせられるだけの騒音を、人生かけて鳴らしてやる。そして、彼女に相応しい拍手と称賛を受けさせてやる。
この子の歌を森の動物とあたしだけが聞いてるなんて、音楽の神様が許さない。あたしだって許せない。
そう――きっとそのために、あたしはここで生まれ直したんだ。
<第1話 おわり>