第10話 夜を飛ぶ鳥のように(2)
「はぁ!? おめー、喧嘩売ってんのにゃ!?」
練習に集まった皆に事情を説明した途端、ムニャ子先輩が声を上げた。そりゃ当然だ。あと一週間しかないのに全部練習し直しになるんだから。でも、ここは退けない。
「お願い。アムニャール先輩。絶対によくなるから」
「ぬぅ……」
真剣さを伝えたくて久しぶりに本名で呼ぶと、ムニャ子先輩は困惑の唸り声を出しつつ黙り込んだ。
「とにかく、みんな一旦聞いてみて。それで雰囲気わかると思う」
あたしが布包みからジェミマのSGを取り出すと、美玲が一瞬ぎょっとした顔になるのが見えた。肩から掛けて、小さく呪文で歪ませる。薄いぶん生音が小さいから、音量は大きめに。
初めての本格演奏だ。すうっと息を吸ってかき鳴らすと、鋭い音が酒場中に響く。三曲それぞれのわかりやすいフレーズを順に弾き終わると、ヘルガちゃんがパチパチ拍手してくれた。
「不思議……音がすごくキラキラしてる。高音? が強いのかな……でも、耳に痛くない。強くて、優しい音……」
「ヘルガちゃんの魔法なら、あたしよりもっといい音にできると思う。今までより明るい感じにしたいんだ。一緒に調整してくれる?」
「う、うん! わかった。わたし、頑張るよ」
ほんの一ヶ月ちょいで、ヘルガちゃんは音への感受性がすごく鋭くなった。多分もう、あたしよりずっと耳がいい。任せて大丈夫だ。
美玲の方をちらっと見ると、彼女はあたしのギターをじっと見ていた。
「香凜、その楽器……」
「あ、うん。ジェミマが作ってくれた」
「へえ……いい親持ったね」
くすっと笑って、あたしの肩をぽんと叩く美玲。美玲はあたしの前世の親との確執も知ってるから、その一言が重い。
「で、今のアレンジ……どう思う?」
小声で、ぼそっと聞いてみる。カタカナ語は他の皆には聞かせられない。
「一言で言うと、あんたらしくない」
「うっ」
「……いい意味でね。だいぶキャッチーになりそう。売れ線っぽいというか」
「それ褒めてる?」
「褒めてるよ。ただ、ちょっと悔しいだけ。前はそういうの、できなかったでしょ」
確かに、生まれ変わる前のあたしにはできなかった。そもそも曲のアレンジとか考えたこと自体あんまりない。思いつくままに歌って、三人のやりたいままにやって。あの頃も最高に楽しかったけど。
美玲からすれば、死ぬ前にこれができてたら……って思ってしまうんだろうか。
「……なんか、ごめん」
「謝んないで。私も昔よりいいベース弾けるから」
美玲は肩をすくめて、あたしから離れていった。
その横でアリアは、ぼうっとあたしの手元を見ていた。
「アリアは……どう思う?」
「……昨夜。本当は、ずっと聞いていました」
「え!? 寝てないってこと? 体大丈夫?」
思わず心配するあたしに、アリアはくすっと笑った。
「私は平気です。エルフですから。カリンこそ、無茶をして……」
理屈はわからないけど、エルフだからと言われると確かに大丈夫そうに聞こえる。
「……ごめん。でも、その甲斐あったと思ってる」
「はい。きっと私だけでなく、この国の全ての人に響くはずです。響かせてみせます」
「うん。一緒にね」
さて、これで残るはムニャ子先輩だ。あたしはもう一度ムニャ子先輩に向き直って、聞き直した。
「どう思う? 先輩」
先輩は真顔でしばらく考え込んでから、探るような目であたしを見た。
その鋭い猫目を見た途端、ノリノリだったあたしの頭がすっと冷静になった。
「……つまり、『よくある感じ』にしたいわけだにゃ」
「むっ……」
ムニャ子先輩の棘のある言葉に、思わずうなるあたし。さすがにプロだ。
そう……このアレンジは言ってしまえば、原曲が持ってた『ロックっぽさ』をちょっと薄めて、代わりに『この世界っぽさ』を入れようとしている。目指したのは8ビートの直線的なリズムに、ジェミマの楽隊みたいな軽快なうねりを加えたロック。元の世界で言うなら、アイリッシュパンクみたいな感じだろうか。
――でも要するにそれは、ムニャ子先輩然り現地の人たちからすれば『普通』に聞こえるかもしれないってことでもある。実を言うと、その危険性はあたしも昨夜ずっと考えていた。
「ありがち感が出ちゃうのは否定しない。でも、ちゃんと理由があるんだよ。正直言うと、この音……歪めたギターの音だけでも、大半の人には『新しすぎる』って思ったんだ」
「…………」
「聞いたことない音で、聞いたことない音楽をやれば、みんな驚くだろうけど。本当に良さをわかってもらうには三曲じゃ短すぎるよ。大会に来るお客さんのほとんどは、ムニャ子先輩みたいに音楽の専門家じゃない。ただ週末に楽しい音楽と、お祭り騒ぎがしたい人たちでしょ。だから――」
「だから、聴衆に合わせてヌルくするわけにゃ?」
グサッとくる言葉だった。自分の中にあった迷いを言い当てられたような。
ひるむあたしに、ムニャ子先輩は真剣な声で畳み掛けてきた。
「あーしは昨日にゃんつった? 新鮮な律動があーしらの武器だって言ったにゃ。それを自分らで鈍らして、耳慣れた音楽にしちまったら埋もれるだけだにゃ! ジェミマさんの演奏にあっさり影響されにゃがって……」
その剣幕に、横でヘルガちゃんがオロオロするのが見えた。
でも先輩は決してただ喧嘩腰なわけじゃない。言ってることは筋が通ってるし、何よりその挑むような目つきから伝わってくる、本気の思い。
――いい曲を、いい演奏をしたい。その気持ちはあたしと同じはず。
「埋もれないよ。あたしたちの武器は新しさだけじゃないもん。アリアの歌も、ムニャ子先輩の太鼓も、ミリエラのヴィオールも、ヘルガちゃんの音響魔法も。だから、絶対埋もれない! この編曲で今よりスゴい音楽を鳴らせるって、あたしは信じてる」
あたしが言い返すと、ムニャ子先輩は冷静な顔でじっとこっちを見つめた。尻尾がくるり、くるりと後ろで円を描く。機嫌がいいのか悪いのかわからないけど、とにかくこっちも本気をぶつけるしかない。
「上手く言えないけどさ……あたし、ただみんなを驚かせるだけじゃ足りないんだ。せっかくこんな最高のバンドができたんだもん。王様にだって、みんなにだって、こいつらスゲーって思わせてやりたいじゃん! なんてーか、ただ横っ面ぶん殴るだけじゃなくて、鼻血吹き出してビビってほしいんだよ!」
「……本当に最悪な言い方だにゃ」
ムニャ子先輩はあきれたように肩を竦める。くやしいけど、反論できない。
「つ、つまり……見てくれた人全員の心を揺さぶりたいの。そうしなきゃ勝てないし、そうでなきゃつまんない。斬新さと聴きやすさと、どっちかだけなんて悔しいじゃん。どっちも取りに行こうじゃん。ジェミマに勝つって、そういうことじゃん!」
勢いよく言い切って、あたしは目を閉じた。ムニャ子先輩の反応見るのが怖かった。
あたしに言えることは全部言った。もしこれで納得してもらえなかったら……どうしよう。もしかしたら、これっきりかもしれない。無茶苦茶言ってるのはわかってるし。ムニャ子先輩、本当はもっと忙しいって言ってたし。さすがに愛想つかされるかも――
「とんでもねーワガママ言いやがるにゃ」
「……ごめん」
「あやまってんじゃねーにゃ」
偶然にも美玲と同じようなことを言ったと思うと、ムニャ子先輩の手がいきなりあたしの背中をバシッと叩いた。思わず目も口も開いて驚くあたし。
「ふぇっ!?」
「ダラッとすんにゃよ。これから死ぬほど大変なんだからにゃ。特におめーが」
「あたし……?」
「一番ヘタクソなくせに、一番目立つ音で弾くんにゃぞ。死ぬ気で練習しねーと、あーしらについてこれねーにゃ」
「ってことは……ムニャ子先輩!」
一緒にやってくれるんだ。そう理解した瞬間、思わず抱きつこうとするあたし。
その腕を素早く避けて、ムニャ子先輩はシャーッと威嚇音を出す。
「勘違いすんじゃねーにゃ! おめーらだけに任しといたら、締まらねー演奏になってジェミマさんに恥かかせちまうからにゃ。あーしが、最高の律動でおめーの無茶な編曲を面倒みてやるってだけだにゃ。年長者の責任感ってやつにゃ!」
お手本みたいなツンデレ発言。でも、彼女の言う通り。マジでムニャ子先輩がいないと――ムニャ子先輩じゃないと、あたしのロックを理解して、その上で聞きやすくアレンジするなんて荒業は実現できない。
「頼りにしてます、先輩!」
「おう、もっと敬えにゃ」
調子に乗るムニャ子先輩に、そっと背後から近づく人影。美玲だ。
何をする気かと思った矢先、美玲はムニャ子先輩の背中をぐっと押して、さっき抱きつこうとして広げたままの両腕の中に押し込んできた。ほっぺたに猫毛がふわふわ触れる。抱き心地いいな、この人。
「にゃっ!? な、何すんだにゃ!!」
「はいはい、いいからいいから。ここは全員でガッと抱き合う流れでしょ」
美玲はそう言うと、ヘルガちゃんのことも引っ張ってきて、あたしたち三人を囲むように両腕を伸ばした。強引なグループハグ……いや、多分これ自分の照れ隠しにみんな巻き込んでるだけだな。そういう女だ。
「だ、抱き合うの? ミリエラちゃんの国の文化なのかな……」
「そんな感じ。結束の儀式みたいな。……ほら。アリアも」
少し離れて見ていたアリアに、美玲が手を伸ばす。
「……はい」
アリアはおずおずとその手をとって、あたしたちの輪に入ってきた。
――ちょっと複雑な組み合わせ。あたしだけなのかな、気にしてるの。
「……もう気ぃ済んだにゃ? 早く解放しろにゃ」
「あとちょっとだけだから」
本気で嫌そうなムニャ子先輩をなだめて、美玲がちらっとこっちを見る。
「なんかキメの一言言ってよ、師匠」
「ええ!? うーん……」
文字通りひと塊になったバンドメンバーの視線が、あたしに集まる。
あたしを待ってる、期待の視線。でも、なんでだか怖くない。失望させるかもみたいな、いつもの不安は浮かんでこなかった。
「よし、じゃあ……みんなで鳴らそうぜ! あたしたちの最高で最強のロック!!」
またしても小っ恥ずかしいあたしの掛け声に、みんなが「おー!」とか「にゃー」とか返してくれる。今度はあたしも照れずにそれを喜べた。
――夜を飛ぶ鳥みたいに。先のことなんて何も見えてるわけじゃない。
だけど……あたし一人で飛ぶわけじゃないから。
(第10話 おわり)