第10話 夜を飛ぶ鳥のように(1)
最後の歌詞を書き終えて、あたしはふーっと息を吐いた。
若い体は一晩の徹夜ぐらいじゃびくともしない……と言いたいけど、疲れはともかく死ぬほど眠い。けど、もう寝るには朝すぎる。
うっすら明るくなった窓の外を眺めて、あくびをひとつ。せっかくだからちょっと散歩でもしようと、あたしは散らばったメモ書きをかき集めて、学校の鞄に詰めた。そろそろ弾き慣れてきた異世界製SGを置き、いつものギタリュートを持って。ダラダラ弾くにはSGはかっこよすぎる。
まだ薄暗い空の下、草むらに座って、書き直した3曲目を軽く奏でる。古い曲名は「ソングバード」だった。サビた鳥かごから逃げ出す小鳥の歌。そう、あたしのいつものやつ。
新しい曲名は「夜を飛ぶ鳥のように」。逃げ出した後に、暗闇を飛ぶ小鳥の歌。これをアリアと一緒に歌う。わくわくすると同時に、背筋が凍りそうに怖い。あの歌声に並べるだろうか。あの子を最高に輝かせる曲にできただろうか。
小声で歌い終えると同時に、背後から拍手の音が聞こえた。
「やあ、やあ。早起きは得をすると言うけれど、これはいいものを聞かせてもらったね」
「……酔っ払い」
神出鬼没な酔っぱらい詩人。あたしはそろそろこいつの登場にもあんまり驚かなくなっていた。とりあえず、本物の危ない酔っ払いじゃなくてよかった。怪しいのは怪しいけど……。
「なんなの? あたしにつきまとってんの?」
「言わなかったかな。素晴らしい歌のあるところ、私はどこへでも現れるのさ」
「妖怪じゃあるまいし……」
あきれつつ、ふと詩人の言葉が引っかかる。
「……素晴らしい歌だと思う? お世辞抜きで?」
「おや、自信がないのかい。勇敢な音楽と裏腹に、まるで翼を持ちながら飛ぶことを恐れる小鳥のようぢゃないか。はっはっは」
カタカタ笑って、詩人はあたしの曲の歌詞をもじって言った。くそっ、そういうの死ぬほど恥ずかしいからやめろ……晒し者かよ……。
「自信ないわけじゃないけど……今までと違うことしようとしてるから、ちょっと確信持てなくてさ。あんた、たぶん結構名のある詩人なんでしょ。酒場の演奏、すごかったし……また、意見聞かせてよ」
「ふむ。怖いのかね?」
あたしがなんの気なしに思いつきで言うと、覆面の奥で詩人が真顔になった気がした。少しぎょっとしつつ、肩をすくめるあたし。
「そりゃまぁ……大舞台を前にして、怖くない人なんているの?」
大会だからとか、アリアの人生かかってるとか、そういうの全部抜きにしたって、人前で演奏するのはいつだって怖い。ロッキ◯グ・オンの三万字インタビューとかでも、やっぱりみんな緊張するって言ってた気がするし。
自分の音楽は、自分の人生だ。少なくともあたしにとってはそう。それを大勢に聞かせて価値を問うなんて、誰だってビビり散らかして当たり前だろう。……そう思いたい。あたしだけが弱いわけじゃないって。
「いなかろうね。大陸一の歌手と目される平原の女王ノールでさえ、初めて国民の前で歌う前には緊張のあまり草むらに嘔吐したという逸話が語り継がれているくらいだ」
「そんな話、語り継ぐのやめてあげなよ……」
「いやさ、これは大事な教訓であろう。いかなる偉人も、大舞台の前にはみっともなく震え上がるのだ。そして歌い出した時、助けられる者はもはや誰もいない。暗闇へ飛び立った小鳥は、差し伸べる手もなく、羅針盤などあるでなし、ただゆらゆらと、飲み込もうとする海原の闇に怯えながら……」
「……あのさ。もうちょっと気分が上がる助言できない?」
文句を言うあたしに目もくれず、吟遊詩人はピーピィと口笛を吹いた。その音色に惹かれて、小鳥が詩人の頭に留まる。詩人は木のように動かず、小鳥に頭をつつかれるままにしていた。
「飛び立つ時が来たら、鳥たちは自分を疑うことはしないものだ」
「でもさ。自分を信じるって、めちゃくちゃ大変じゃない? 何度も、何度も裏切られまくってきたんだよ。他人に裏切られるよりずっとたくさん……」
思わず、今まで誰にも言わなかったような泣き言が口に出る。
深夜のハイテンションを使い切って、勢いで自分の才能らしきものを出し切った後だからこそかもしれない。自分を信じたい気持ちと、怖い気持ちがせめぎあってる。
『才能』って言葉は怖い。あるやつとないやつ、そんな0とか1とかじゃないのに……それでも、「ない」と思った瞬間、勇気が全部死んでしまう。死んでしまった勇気が、あたしの心の中にたくさんいる。落ちてしまった小鳥たちの死骸。自分を信じてみようって、思うたびに増えていく。何度も、何度も――
「……君はやはり、見た目通りの人ではないのだね」
詩人がぽつりと言った。その意味を尋ねようとした瞬間、小鳥がばさっと音を立てて目の前を飛び去る。反射的に目を閉じるあたし。
「異邦の音楽家よ。羽ばたき続ける限り、空のすべては君のものだ。それが無辺の闇であるならば、闇すら君のものになる。それが芸術家の自由であり、夢みる者の力なのだ」
「どういう――」
「やがて夜は明けるだろう。そして、君という鳥は決して、一羽きりではない」
目を開けると、詩人の姿はどこにもなくなっていた。視界には飛んでいく小鳥の姿だけ。
「あ……」
詩人の言葉通り、小鳥は一羽ではなかった。後から飛んできた、羽の色もまばらな仲間たちとともに、小鳥は朝日に向かって飛び続けた。あたしは呆然としながら、その姿が見えなくなるまでぼーっとそこに立っていた。