第9話 風をあつめて(5)
「ただいまー」
もう少し風に当たってから帰るというアリアを置いて、あたしは一足先に家に帰ってきた。この街の夜はそこそこ物騒だけど、アリアの戦闘力ならまあ心配はないだろう。
「おかえりなさい」
「……ジェミマ?」
誰もいないだろうと独り言のつもりで「ただいま」と言ったのに、そこにはジェミマがいた。向こうの方が練習で遅くなるだろうと思ってたけど、どうやら先を越されたらしい。結構のんびり散歩してたからかな。
「どしたの? ニコニコして」
「おみやげがあるって言ったでしょう。ちょっと待っててね」
そう言うと、ジェミマは大きな布袋を取ってきた。縦長の、リュートより薄くてちょっと長い袋。大きさと形的にこれは――
「楽器……?」
「開けてみて」
手渡されたそれは、確かに楽器に違いなかった。袋越しでもわかるネックの形。でも、使い慣れたリュートやあたしの改造ギタリュートともどこか違う。もっと細くて、手に馴染む……。
「……ギターだ」
あたしは袋からその楽器をバッと取り出して、舐めるように見た。
ネックの太さ。ヘッドの形。弦の数、それにこの、何度も夢見てたボディの形。薄い胴体に、綺麗なくびれ、二つの小さな角、燃えるような赤さ――
「SG。あたしの……あたしのギター」
ジェミマの前では控えるつもりだった元の世界の言葉が止められなくなる。
だって、あり得ないはずだもの。この世界にないはずの形。ないはずの重み。細かい部品の作りはこっち風だったり、ノブの代わりに意味のない模様が付いてたり、SGなのになぜかfホール空いてて中が空洞だったりするけど……そんなのどうでもよくなるぐらいに「ギター」だった。
「ジェミマ、これ、どうやって……」
「学校で言ってたでしょ。あなたが昔描いてた絵。いつかあなたに、あれを持たせて挙げたいと思ってたの。最初は形だけのつもりだったんだけど……」
ジェミマはふふっと笑った。
「いざ作り始めたら、フランクさんが熱中しちゃってね。作るからにはいい音が出ないと駄目だって。どうしてこの形なのか、どうしてこの弦の数なのかって真剣に考えてくれて」
フランクさんっていうのは、あたしの携帯用リュート(現ギタリュート)の作者でもある馴染みの楽器職人さんだ。ちなみにさっき、練習でジェミマと一緒に練習してた仲間の一人でもある。あたしの勘ではジェミマに気があるが、たぶん一生脈はない。
「鳴らしてみて。直前だから、大会では使えないと思うけど……いい音がするから」
「……うん」
あたしは持ち歩いてたギタリュートからお手製ストラップを外して、新しいギターに結びつけた。肩に掛けてみると、ずしりと懐かしい重みを感じた。木から削ったいつものピック。すり減って変な形になってきたけど、まだしっかり手に馴染む。
そして右手を構えたら、弦に向かって勢いよく振り下ろす。
「…………っ!」
一瞬、変なデジャヴを感じた。自分がまだ元の世界にいて、練習スタジオでアンプの前に立ってパワー、スタンバイってスイッチ入れてる瞬間みたいな。真空管の音がして、振り向いたら二人がそこにいるんじゃないかって。
そんな幻想が浮かぶぐらいに。この楽器は「ギター」で、「あたしの」だった。
首を振って、思い出を振り切る。今は遠い世界――いつか、あっちのことをここで歌にできたらいいな。
深呼吸して、もう一度鳴らす。まずはオープン。いつものチューニング、覚えててくれた。
指をすべらせて、コードを鳴らす。CとD。それからAとE。
「いいわね~! 私も少し試奏させてもらったけど、あなたの弾き方だともっと綺麗に響いてる。やっぱり、あなたのための楽器なのね」
「そ、そう?」
「音の大きさはどう? 胴体が薄いから音が小さくならないかって思ったけど」
「いいの、いいの。生音は小さくても、魔法で増幅するとこの硬い音がいい感じになるんだ。大丈夫、大会でも使えるよ」
もう頭の中で音が想像できる。早くヘルガちゃんと色々試してみたい。
何度もかき鳴らしてるだけで胸が一杯になる。お母さんがくれた、あたしのギター。
「あの……ありがとう、ジェミマ。あたし、あたし……何も返せないけど……」
「何言ってるの。あなたが生まれてきてくれたことが、私の人生で最高の贈り物よ」
あたしはそっとギターを立てかけてから、黙ってジェミマに抱きついた。そうしないと泣き出しちゃいそうだったから。
――記憶してる限り、この人生で三度目だ。頭は大人のくせして、臆面もなく母親の胸に抱きつくなんて。一度目は赤ちゃんの頃。二度目は学校行くの行かないのって喧嘩した時だった。
アリアがこの場にいなくてよかった。いたら恥ずかしくて死んでた。
「……それにね。私、あなたに謝らなくちゃいけない」
ジェミマはあたしの頭をぽんぽんと優しく叩きながら、ふと申し訳なさそうに言った。
「何の話……?」
「アリアのために負けてあげられないこと。娘の大事な人だってわかってるのに、私は……それでも手を抜くことができないから」
「え、いいよ、それは! だって、ジェミマは仕事で音楽してるんだし……どれだけ音楽に誇り持ってるか、知ってるし」
あたしだって、まがりなりにも音楽に二つの人生かけてきた人間として、自分の親に八百長で演奏の手を抜けなんて死んでも言えないし、言いたくない。
「立場や誇りのためじゃないわ。私の個人的な気持ちのため」
ジェミマはそっとあたしの体を離すと、椅子に座り直してじっとこっちを見た。
「……私はね。王様やみんなに聞かせたいの。この国の音楽家にどれだけのことができるのか。そして音楽がどれだけ人生を豊かにしてくれるかっていうこと……戦争が始まると、わからなくなってしまうものだから」
遠い目をするジェミマ。前の戦争……こっちでの『父親』が死んだ頃のことだ。あたしからも聞きづらくてあんまり話題に出たことはなかった。ジェミマにも辛い顔させたくなかったし。
「戦争を止めたい気持ちはあなたたちと同じよ。でも、大人ってつい最悪の場合を考えてしまうの。もし止められなかったら……って」
気持ちはよくわかる。あたしだって、口では強気にしててもずっと考えてる。
戦争が起きた世界――アリアはエルフの森に帰って、あたしは無理やり軍隊に入れられるんだろうか。せっかく再発見したロックをあきらめて。ギターもジェミマも置いて……あたしに人が殺せるとも思えないけど。
「戦いが起きるとね。街がとても静かになるわ。音楽が消えて……人の顔にも笑いが消えて」
「…………!」
自分のことばっかり考えてたあたしは、ジェミマの言葉にびくっとした。
現実が辛いなんてことわかってるつもりだった。この世界が元の世界と同じかそれ以上に、苦しみや悲しみで満ちてるってことも。だけど、いざ想像したら、浮かぶのは自分の周りのことだけで。街だとか、顔も知らない人々がどうなるかなんて発想がなかったのだ。
「その日がいつ来るかは、私なんかにはわからないけれど。不穏な噂はたくさん聞くわ。だからもし、それがとても近いのだとしたら……この音楽大会は、みんなが集まって音楽を楽しめる最後になるかもしれない。戦いが始まれば帰ってこない人もいるもの」
「……ジェミマ」
さらっと言ったけど、わかる。父親のことだ。
あたしはジェミマの手をぎゅっと握った。
「だから、聞きに来た人たちには心の底から楽しんで欲しい。心の支えになるような思い出を作りたい。手を抜けない理由はそれ。私の勝手なわがままよ」
「わがままじゃないよ! ジェミマは……すごいよ」
それしか言えなかった。自分が恥ずかしくて。
「あなたたちの方がすごいわ。王様と話して戦争を止めるなんて、私は考えもしなかったもの」
「それはまあ、無謀というか思いつきというか……」
「約束するわ。もし私たちが優勝して王様に謁見が許されたら、その時はできるだけのことは伝えてみる」
「え……!?」
一瞬「そんなことして大丈夫?」「首はねられたりしない?」とか聞きそうになったけど、そのまま自分に返ってくることに気付いて黙っておいた。……ジェミマも本音は心配なんだろうな。
「ありがとう……。ジェミマ」
「お礼は私たちが勝った時に言いなさい。まだ勝敗は決まっていないもの。あなたも、この大舞台で存分にやりたい音楽を鳴らしてきなさい」
――次はもう、二度とないかもしれないのだから。
口にできなかったジェミマの気持ちを受け取って、あたしは深くうなづいた。
「……うん。負けないね」
「頑張りましょう、お互いに」
あたしの頭をくしゃっと撫でて、ジェミマはニコニコしながらキッチンに消えていった。
あたしはしばらくギターを抱きしめたまま、じっと座ってその重みを感じていた。