第1話 私の世界はここじゃない(3)
「……あのさ。なんでそんなにあの曲が好きなの?」
そう聞くと、エルフの顔は「よくぞ聞いてくれました」とばかりにぱっと明るくなった。
「はい! あなたの歌は私の知るどんなエルフ詩歌とも、里を訪れる吟遊詩人の語るサーガとも違いました。もっと身近で、人の心の奥のことを歌った……そう、個人的な歌なのです」
「……まぁ、それはそうだろうね」
元の世界の中世に、どんな歌があったかは詳しくないけど。この世界で聞く歌は、当たり前だけどロック・ポップスとはテーマも曲調もだいぶ違う。
母親がよく歌ってる『現代曲』のレパートリーは、英雄の歌、恋の歌、近くの村の噂話、近所のおっさんのどうでもいい武勇伝、とりあえずノリのいいナンセンスな曲、などなど……どれも聞き慣れるといい曲なんだけど、基本的に自分の感情を吐露するとかそういう表現がほとんどないのだ。まして、一曲まるまる使って「こんな世界やだ!」なんてことを歌うのは聞いたことがない。
「耳に新しい音楽、という驚きだけではありません。あなたの奏でる旋律。歌の調子やその言葉。全てが私の心を強く揺さぶりました……込められた切実な思いが、染み込んでくるのです。あなたの言葉はまるで、私の長年抱えていた思いを心の中からそのまま取り出したかのようでした。長い間、私が知らずに自分に課していた心の壁を、あなたの歌が崩してくれたのです」
めちゃくちゃ早口で語る。ファンというよりオタクだこれは……。
「えっと……名前なんだっけ」
「まだ名乗っていません。私はアリアノールと申します、師匠」
「じゃ、アリアノール。あなたはこの世界が嫌いなの? 『そんな風』だって言ったよね、さっき」
少し気になっていたことを尋ねてみると、アリアノールは急に表情を曇らせた。そう、話し始めてからの明るさに慣れ始めていたけど、最初はこんな顔をして歌っていたんだ。
「……私の世界は、森の中です。見知った人々だけが暮らし、互いを監視し、互いを縛り合い、積もってゆく憎しみや悲しみを心にずっと沈めたまま、生きることの喜びは薄めて川面に流し続けるような世界です。だから、私は……」
アリアノールは厳しく眉を寄せて、苦しげに続けた。
「私は、私の世界が嫌いです」
その声と表情にこもった深い苦悩は、確かにあたしの歌に共感しても不思議じゃない感じがした。どんなキツい経験してきたか知らないから、死ぬまで思春期引きずってただけのあたしの苦悩と比べていいものかわかんないけど。
「……そっか。じゃあさ、定期的にあたしが森の近くで歌ってあげるよ。だからわざわざ森を出なくていいから。それでどう?」
「そ、そんな! 危険です! 絶対に来てはいけません!」
急に焦った様子で止めるので、ちょっと面白くなってしまうあたし。
「弓で射たれたりしちゃうの?」
「はい。番人に見つかった瞬間、眉間を射抜かれて殺されます」
「…………」
思ったより本格的に排他的だった。
「状況によっては、首を切られて森の外にさらされることもありえます」
「……オークの森じゃないんだよね?」
「あっ、もちろん警告のためですよ! 楽しみのためとかではありません」
それは何かの弁護になってるんだろうか。
深くつっこむのも怖くなってきて黙りこむあたしに、アリアノールは安心させようとしてか優しく微笑んだ。
「心配してくださらなくても、師匠はいつも通りに過ごしていただければ大丈夫です。我々エルフは精霊の手を借りるのが得意ですから。風の精霊たちに音を運んでもらえば、ずっと遠くからでも聞くことができるのです」
「へー、そんなことできたんだ……あたしも精霊魔法習ってるけど、そんな使い方知らなかったよ」
感心していると、アリアノールは深く思考を巡らせるように目を細めた。表情がころころ変わって、見てて飽きない子だ。どう考えても年上の相手に「子」ってのも変だけど。
「……風の精霊、シルフは空を伝う全てのものを司ります。風、匂い、言葉や音も。彼らとの繋がりを深めれば、それらをより遠くまで運び、あるいは引き寄せることができます」
「あたしの歌も、それで聞こえてきたの?」
「はい。見張り番の日に、かすかな声が聞こえたのです。声を伝えるシルフたちも、いつもと違う震え方をしていました。聞いたことのない音や波長は、シルフたちにも影響します。エルフはそうして森の外の出来事を知るのです」
「へー……」
なんだかちょっと面白い。
この世界では空気がらみのことが全部シルフの力ってことになってるんだ。……なってるっていうか、本当にそういう仕組みなのか。だから、魔法で操れるわけだし。
「シルフと仲良くなったら、歌が上手くなったりするわけ?」
「そういうわけではありませんが……シルフの心を知ることで、どのように音を響かせればよいか伝わってくることはあります。歌や音楽はまさに、シルフとの対話と言えるでしょう」
……ふと、頭にひらめくものがあった。
あたしもちょっとだけなら精霊魔法が使える。そよ風起こしたりする程度だったけど、もし魔法で音も操れるんなら、それこそアンプみたいに音をデカくできるかもしれない。いや、もしかするともっと――
「はっ……申し訳ありません! 偉大な師匠に向かって音楽を語るなどという身の程知らずなことを!」
「いや、全然いいってば。あたし独学だし、あなたの方が音楽のこと詳しいと思うよ。歌めちゃくちゃ上手いし。さっきの声、すごかった……」
歌声を聴いた時の嫉妬心を思い出して、少し胸が痛む。
でも、大したことじゃない。だって、あたしのファンができたんだぜ。本当にただ純粋に、あたしの音楽を好きになってくれる人が。そんなこと……とっくにあきらめてたのに。
「いいえ、私はなにもすごくなどありません。私の声なんて、あなたの音楽を飾るだけの楽器にすぎませんから。言うなれば私はあなたのシルフ……あなたの歌を響かせるための触媒でしかありません」
さすがにあの歌声でここまで謙遜されるとちょっとイラッとするな。
……と思ったら。
「でも……でも、ありがとうございます」
アリアノールは頬を染めて、恥ずかしそうに微笑んだ。
思わずこっちまで照れてしまう。
「……どういたしまして。あの……じゃあさ。同じ時間に、毎日ここへ来るから。次は森から、あたしの声を探してよ」
「わかりました。本当はこうしてまたおそばで聞きたかったのですが……小さな師匠を間接的な殺人者にしないために、それで我慢いたします」
いちいち、ちょっと言い回しが怖いんだよな……。