第9話 風をあつめて(4)
家への帰り道。暗くなり始めた空を見ながら、あたしはぼんやり考えていた。
ムニャ子先輩とみんなのおかげでだいぶ冷静かつ前向きになれた。でも――いや、だからこそ。改めて今の自分たちに足りない何かを感じてる。
あと一週間、何かもう一つ壁を超えたい。ただの『いい感じの音楽』とか『目新しい音楽』だけじゃない何かが欲しい。
たぶん……あたしの不満の根っこはそこなんだ。勝ち負けよりも大事な、音楽の芯のところ。アリアがいてみんながいるこのバンドなら、もっともっとすごいことができそうなのに、っていう歯がゆさ。
曲の問題なのか、アレンジの問題なのかはわからない。でも、今のパフォーマンスじゃまだ何かが足りないって、心のどこかで気づいてしまってる。
バンドが形になった時、あたしは正直「異世界でロックっぽい音が鳴らせただけでもう満足」って気分になりかけてた。だけど音楽にはゴールがあるわけじゃないから。もっと先へ、もっと高みへ行きたい。行けるはずなんだ、このメンバーなら。このバンドなら。全員揃って演奏した時に感じた確信を、現実にしたい。
心を揺さぶる、全身が震える、一生に一度鳴らせるかどうかみたいな音楽を、自分たちの手で――
「……カリン、風が心地良いですね」
「え? あ、うん……そうだね」
アリアの声で我に返って、風の来る方を見る。見慣れてしまった、異世界の風景。いろんなことが変わったけど、風の気持ちよさは向こうと変わらないな。
「ごめんね、ボーッとしちゃって」
「いいえ。私は嬉しいです、カリンがとても楽しそうなので」
「……そう? 結構苦悩してたつもりだったんだけどな」
少しムスッとするあたしに、アリアはくすくす笑った。
「でも、きっと創造的な苦悩なのですよね。真剣な顔だから、わかります」
「まあね……」
創造的って言われるとこそばゆいけど、確かに音楽のことで悩むのはちょっと楽しい。答えのない悩みと違って、これは産みの苦しみだってわかってるからかも。
また少し強い風が吹いてきて、ふっとアリアが目を細める。どこか懐かしむような、少しだけ憂いのある顔。
「アリアも……楽しい、よね?」
ふと浮かんだ疑問が口からこぼれる。一瞬、アリアが驚いた顔をした。
「……ええ、楽しいです。とても。生まれてきて、一番楽しいです」
アリアの言葉は心からのものみたいだった。笑顔も本物。だけど、どうしてだろう……寂しそうに見えてしまうのは。
この間の夕暮れ、手を繋いで背中を向けあったあの日から、この子の心がどこか遠くに感じている。何を思ってるのか、どこを見てるのか、微妙に読み取れなくて。あたしが勝手に恋心で見えなくなってるだけなのか、それとも彼女が隠すようになったのかわからないけれど。
「カリン。私はエルフです」
「え? あ、うん……知ってるけど」
きょとんとするあたしに、アリアはくすっと笑った。大人びた笑みだった。
「エルフの本来の発音は『エン・ルフ』、森のものという意味があります。それはただ森に住むものという意味ではなく……我々は動物よりも、木や植物に近いものだということです」
「……うん」
始まった話の行き先が読めなくて不安になりつつも、すごく大事なことなんだということだけ察して、あたしは小さく相槌を打った。
「人や獣はみな、エルフにとって『風』です。賑やかに踊り、舞い、通り過ぎていきます。木は動かず、風に翻弄され、かさかさと揺れるだけです。そうして風が過ぎた後もずっと、立っていなくてはなりません」
……ようやくこれが寿命の話だって気付いて、あたしは胸がきゅっと痛んだ。
そう、どれだけあたしが「ずっと一緒だよ」とか言っても、いつかあたしが死んだらアリアはそれから一人で生きていかなきゃならない。あたしたちの一生も、アリアにとっては一瞬のことだって……わかっているつもりでも忘れてしまう。
「ヴィシアドルや森のエルフたちは、強風にさらされて木々が倒されることを恐れています。そして、木と木で集まって、土に深く根を張っているのです」
アリアは遠くに目をやった。その瞳には、懐かしく憎らしい故郷の森が見えているのだろう。
「……でも私は、風に憧れて、風にもっと触れたいと思いました」
そこでアリアはじっと私の顔を見た。
目を逸らせない、透き通る瞳で。
「だから、今の私はとても、幸せなんです。願いがかなって、あなたや、バンドのみんなと関われたこと。森の外れにぽつんと立っていた私という木が、多くの風に吹かれて、葉を揺らして……たとえ一瞬でも思いのまま、歌を奏でられることが」
アリアの髪をまた風が揺らす。風は吹き過ぎて、アリアはそこにじっと立っている。
美しいおとぎ話みたいな言葉。でも、あたしにはやっぱり、ただ綺麗なだけには聞こえなくて――
「長話をしてすみません。でも……一度、ちゃんと伝えておきたくて」
「アリア!」
あたしが急に大きい声を出すので、今度はアリアがきょとんとした。
「アリアも風だよ。今、あたしたちと一緒に吹いてる。だから……」
だから、置いていかれる自分なんて想像しないで。
「一緒に歌おう。舞台で。二人、同じ歌を」
ほとんど反射で出た言葉だった。でも頭の中で繰り返すうちに、だんだんしっくり来た。
最初に二人でセッションして以外、練習で歌を教えるため以外にデュエットとか並んで歌ったりはしてこなかった。いつもあたしがやりたがらなかったから。
「……いいのですか?」
「うん。私もそうしたいし、それがいい気がする」
……比べられるのが怖かったんだ。アリアと二人だけなら、アリアが褒めてくれるけど。第三者に聞かれたら、必ず比較されちゃうから。自分の声とアリアの声の落差なんて、あたしが誰よりもわかってるんだから。
でも――そんな自分のつまんない劣等感より大事なものがある。
「声を厚くした方が広がりも出るし。特に三曲目、もっとパーッとした感じがいいと思ってたからさ。それに……」
「それに?」
アリアに、あたしたちと一緒だって感じて欲しい。バンドをやるってことは、種族とか生まれとか関係なく、同じリズムと旋律の中で一つになれるってことだと思うから。
「きっと楽しいよ。今よりもっと」
「……はいっ!!」
子供みたいな笑顔。憂いのある顔も綺麗だけど、やっぱりアリアにはこっちの方が似合う。
「……カリン。あなたはやっぱり、私の師匠ですね」
苦笑いで受け流して、歩き出す。その瞬間、ふとバンド名のアイディアが頭に浮かんだ。
一人じゃ外に踏み出せなかったアリア。アリアがいなきゃロックをやろうなんて思えなかったあたし。それからヘルガちゃんのおかげで自分たちの音が生まれて。ムニャ子先輩がいて――美玲がいて。全員集まってやっと吹き始めた風。
「ねえ、アリア。風ってエルフ語でなんていうの?」
「エルフ語……ですか?」
アリアは驚いた顔をしつつ、じっくりイチからエルフ語講座を始めてくれた。
……そこから聞きたかったわけじゃないんだけども。