第9話 風をあつめて(1)
「そろそろ、名前決めない?」
美玲――みんなの前ではまだミリエラだけど――が練習終わりにふと言った。
「なんの?」
ぽかんとするあたしたちの様子に、ため息をついて肩をすくめる美玲。
あたしに正体知られて以来、バンド内でもちょくちょく素を出すようになってきた。特にムニャ子先輩とはいつの間にかやたら仲良くなってるような……リズム隊の絆ってやつか。
「バンドの名前。大会まで残り一週間。名無しのままじゃ格好つかないから」
「あっ、そっか……」
大会の申し込みにはとりあえずあたしの名前だけで出したので、まだ何も考えてなかったのだ。そういえば前のバンドも名前決める時、一番こだわってたのが美玲だったっけ。
「カリン・クインテットというのは? カリンの五人組、という意味です」
「いや、個人名はやめようよ……」
アリアの提案を速攻で却下しつつ、あたしは腕を組んで考える。
……何も思いつかない。アリアと四人の仲間たち、とか……いかん、同レベルだ。バンド名なら英語で「ザ・〇〇ズ」が好き派だけど、英語使えないし。クインテットは通じるのに謎。
「なんでもいいんじゃねーにゃ? 楽隊の名前なんて便宜上のもんだろにゃ」
「だ、だめですよ! せっかくですから何か素敵な名前があった方が……!」
「あー? なんでにゃ」
「やる気とか、その、一体感というか……仲間っていう感じがするので」
いつも通りダルそうなムニャ子先輩に、珍しく燃えているヘルガちゃん。確かにバンド名があると気分がアガるのはわかる。カッコいいやつならなおさら。でもカッコつけすぎると逆にやりづらい……こだわればキリがない、非常に微妙な問題なのだ。
「まあ、次の練習までに各々考えてこよう。その中から多数決で決める感じで」
「ん」「にゃ」「はい!」「はい……」
返事の内容はともかくタイミングだけは揃った四人の返事で、だいぶバンドとして馴染んできたのを感じる。この一週間で、それぞれの演奏スタイルも変わった。
アリアは歌う間、楽しそうに部屋の中を歩き回るようになった。ヘルガちゃんはエフェクトのレパートリーが増えただけじゃなく、美玲のヴィオールにもエフェクター魔法をかけるようになって大忙しだ。美玲もすっかり昔みたいなロックベースの弾き方を隠さなくなった。
一番変わったのはムニャ子先輩の太鼓かもしれない。先週までは小さめの太鼓二つをボンゴみたいに叩いてたけど、美玲の説得――というか言い争いの結果、大小合わせて五つの太鼓(+シンバル代わりの鈴)を並べて使い分けるようになった。美玲はスティックで叩かせようとしてたけど、さすがにいきなりそこまでスタイルを変える気はないとムニャ子先輩もブチギレてこの形に落ち着いた。そりゃそうだ。でも、おかげでかなり音が派手になった。
今のあたしたちは控えめに言っても、いい感じのバンドだ。いや、そこそこすごい。ううん、結構すごいと言っていいバンドだ。元の世界でもインディーズならアルバム1枚ぐらいは出せるはず。
……弱気すぎるよね。わかってる。アリアがいる以上は「世界レベル」とか言っても文句は出ないはずなんだけど。何しろずっと売れないアマチュアバンドやってきたから、本当に『すごいバンド』になるってことがイマイチ想像できてないのだ。同じライブハウス出身でそこそこ売れたバンドもあったけど、あたしたちいつも三人でつるんでて友達いなかったし……。
でも実感があろうとなかろうと、あたしたちはこの国の一番にならなきゃいけない。今回だけでも、絶対に。
「もうすぐですね、カリン」
「……うん」
本番が近づくにつれて不安がよぎるあたしと正反対に、アリアはどんどんタフになってるみたいだった。さすが戦闘民族だけあって覚悟が決まってるというか。
でも、内心プレッシャー感じてるのは間違いない。自分の人生がかかった演奏になるんだから。あたしも、不安は見せられない。
「みんなに聞かせよう、あたしたちのロック!」
勇気を振り絞って強気なことを言ってみる。みんなが(ムニャ子先輩までもが)笑顔を返してくれて、ちょっと小っ恥ずかしいけど頼もしかった。
でもその瞬間、一番見られたくない相手が酒場の裏手からひょっこり顔を出した。
「あら、格好いいわね~! さすが私のキャスリーンだわ」
「ジェ……ジェミマ!?」
最悪だ。カッコつけてイキってる上に正直自分でもダッサイと思ってるけどつい口から出てしまったキメキメの台詞を親に聞かれるなんて。しかもこの親、拍手してる。死にたい。
「ジェミマさん! 見てたんすか」
急に猫背の背をぴしっと伸ばすムニャ子先輩。そういえばジェミマのファンなんだっけ。
「ええ、最後の方だけだけど。こんな音楽初めて聞いたわ。キャスリーンったら、全然私に聞かせてくれないんだもの」
「いーでしょ、別に。本番で嫌でも聞くんだから」
ムスッとするあたしを見て笑いつつ、ジェミマはふと遠い目をした。
「そっか……これが、あなたのしたい音楽なのね」
「なに、突然……」
「あなた、小さい頃からずっと不満そうだったじゃない。どんな曲を聞かせても首を横に降って。子守唄を歌っても全然寝なかった。この子が聞きたいのはどんな音楽なんだろうって、ずっと不思議だったのよ」
ちょっと罪悪感。確かにあたしは赤ん坊の頃からずっと、この世界の音楽に不満タラタラだった。でも今思えば、ジェミマのためにちょっとは嘘でもニコッとしてあげるべきだったかも。見た目はともかく中身は大人なのに、ガキくさいことしちゃったな。
「ジェミマさんの演奏に不満なんて、ワガママなガキだにゃ」
「別に、あたしだってすごいとは思ってるって……」
ジャンル違いだから食わず嫌いしてただけで、最近は普通に好きになってきたし。
ジェミマは少しかがんで、あたしの高さに目線を合わせてこっちをじっと見た。あたしも結構背伸びたから、そんなに身長差あるわけじゃないんだけど。そんな風にされると、急に年相応の子供になったみたいで照れくさい。
「キャスリーン。あなたは、あなたの音楽を見つけたのね」
「……うん。まぁ、ジェミマのおかげで」
「私は何もしてないわ。あなたの音楽はあなたのもの。あなただけが鳴らせるの」
ジェミマはそう言ってあたしの胸をトンと優しく叩いた。
……もしかすると。どう考えても才能あるとは言えなかったあたしが、アリアの心を動かすことができたのは……ジェミマの教えのおかげで、気づかないうちに昔のあたしよりずっと成長してたからなのかも。リュートの奏法だけじゃなくて――ふと、そんなことを思った。
「覚えてる? ずーっと昔、あなたが描いた楽器の絵」
「え? どんなの?」
「今あなたが使っているのとよく似てたわ。もっと長くて平らだったけど」
ぼんやりと記憶があるような、ないような。赤ん坊の頃から心は今のままとはいえ、さすがに十年前のことはおぼろげだ。でも確かにロック恋しさで毎日悶々としてた昔のあたしなら、きっと描いてただろうなって気はする。
「あの頃から、あなたの頭の中には私の知らない音楽が鳴っていたのね」
「ジェミマ……」
隠してたつもりでも、全部見通されてる。これが母親ってやつなのか。あたしの知ってる『母親』はお互い死ぬまでろくに会話もしなかったのに。
あたしが未だにジェミマをお母さんって呼べないのはそのせいかもしれない。同じ言葉で読んだら、重なってしまう気がして――あの世界で最初に嫌いになった人と、この世界で最初に好きになれた人が。
「先に帰ってるわね。キャスリーン、アリアも」
「……うん」
今日は少し早く帰ろう、と思った。あとお皿も洗おう。洗濯物もしよう。……少しは。