第8話 ビゼア・ラブ・トライアングル(2)
「で。そろそろ過去より今を話さない」
ようやくあたしが落ち着いた頃に、美玲が言った。
「……まだ、ちゃんと話せる気しないけど」
「でも、話さなきゃ。家で新しい女が待ってるんでしょ」
「う……」
そういう言い方をされると苦しい。すっかり頭が地球に戻ってたけど、そう、あたしにはこのファンタジー世界での暮らしがあって、助けたい女の子がいるのだ。頭おかしくなるよ、こんなの……。
「美玲っていつもそうやって、あたしを現実に戻すよね」
「……」
あたしが言うと、美玲は少し黙った。しまった。これ地雷だ。あたしが車飛び出して死んだきっかけがまさに美玲の現実トークだったじゃん。
「えっと、助かってるって意味で! あたし、一人だとすぐ周り見えなくなるから」
「そうだね。今もまさに見えなくなってるし。あの子の隣でギター弾いてたくせに」
「ぐぬ……」
アリアの歌のこと、美玲も気づいてたのか。
「あのエルフ女、好きなんでしょ」
「う……そのつもりだったけど。今もうわけわかんないよ、頭……」
美玲のこと好きだった時間が長すぎて。死に別れた恋人とあの世的な場所で再会なんて、できすぎなロマンチックすぎて、脳が雰囲気に飲まれちゃっている。
あと「エルフ女」とかいう言葉からガンガンに透けてくる対抗心が怖い。
「これだけ、はっきり言っとくけどさ。私はもう切り替えてるから」
「嘘つけ! べろっべろに泣いてたじゃん!」
「泣きはするよ。あの曲、好きだったし」
そうだった。言葉で褒められたことはないけど、ライブであれ歌うたびに美玲のテンションがMAXだったのはあたしも気づいてた。なんなら付き合ってなかった時期もあの曲弾くだけでウッキウキになるから、ちょっとやりづらかったまである。
「……ごめん。他の子に歌わせて」
「そういう意味じゃなくて。いい曲だなって思って泣いたんだよ。思い出が全部戻ってきちゃってさ。もう14年……慣れたと思ってたのに。一人で生きるの」
話しながら、美玲の手がほんの少し内側に動いた。寂しげな手。美玲がこの世界で生きてきた年月は、あたしの生ぬるい子供時代とは違っていたらしい。
ほとんど無意識に、あたしはその手を握っていた。そのままぶらぶらさせておけなくて。
「やめなよ。優しさはとっときな」
「別に減らないよ」
「減るんだよ。また私と、同じ関係繰り返す気? 世界が変わって、顔も体も変わったのに」
美玲はあたしの手をそっと離した。あたしはじっと彼女の目を覗き込む。
「……目は同じだよ」
「心が同じだから、行き着く先も同じなの」
「やだ」
「やだじゃない」
美玲の声は優しかった。傷ついてるのはどう考えたって自分のくせに。
あたしがあたしでいるから、美玲を傷つけてしまう。
「記憶を持って生まれた時から、もしかしてって思ってた。世界を回って、本当にあんたを見つけた。その理由、今わかった気がする。たぶん、あの時言えなかったことを言うため」
「……言えなかったこと?」
「別の道を行こうって。ただの親友になろうって。新しい人生、別々に歩もうって」
「…………」
美玲は最初目を逸らして、それからゆっくりあたしの目を見た。
きっと嘘だ。でも……今の美玲には、本当なのかもしれない。
「……わかった」
「ま、あんたに心配されるまでもないって。私もこの通り若くてピチピチになったし、人生やり直し放題よ。楽器もめちゃくちゃ上手くなったし」
「本当だよ……上手すぎて全然気づかなかった。前世じゃあたしと同レベルだったのに」
「あんたは相変わらずだったけど」
「ぐっ……」
美玲はふっと皮肉な笑いを浮かべて、木の根元に腰掛けた。あたしは少しだけ距離をとって、隣に座る。初めての距離感だった。
「にしても、あの子の歌すごいね。戸川純とエリザベス・フレイザー足して2で割った感じ? んー、違うな……」
「誰だっけ」
「いいよ、わかんなくて。もう私の脳内でしか聞けないし」
少し寂しい言い方。美玲の趣味はあたしよりちょっとオシャレで、好きなバンドも重なったり重ならなかったりする。もっと美玲が好きなバンドもちゃんと聞いておけばよかった。
「なんであの子の歌が、例の曲だけしっくり来ないか、わかる?」
「……わかんない」
「私はわかるよ。教えないけど」
「なんで!」
思わず子供みたいに叫んでしまう。
美玲と離してると、なんでかあたしの精神年齢が下がる気がする。
「んー、嫉妬?」
「ちょ……未練ないって言ったじゃん!」
「未練ないけどムカついてはいる」
この女……昔より性格悪くなってないか。今は許すけどさぁ。
「まぁ、まぁ。対策はちゃんと教えるから」
「本当に……?」
「私が嘘ついたことある?」
「すっごいたくさんある。っていうか、ついさっきまで他人のふりしてたし」
「だよね」
ふっと吹き出す美玲。あたしもつられて大笑いする。
――困惑とか驚きとか、後悔とかを言い尽くして。残ったのは、また会えた嬉しさだった。
そう、また会えた。これからも会える。
「香凜。何も聞かずに、これから言う通りにしてみて」
「……うん」
「ご飯食べて、お腹いっぱいになったぐらいの時間にさ」
「眠い時間?」
「そう。窓際で、あの子と背中合わせに座って、うたた寝するんだよ」
長い沈黙。
「……それって」
あの詞を書いた日の記憶が蘇る。あたしと美玲は、まさにそんな感じでうたた寝してた。
背中合わせに、互いの手を握って。
「そしたら、たぶん歌えるようになる」
「追体験するってこと? どうかな……」
なんだか胸がざわつく。思い出を上書きしちゃうような気がして。他でもない本人がそれを言うなら、とは思うけど……。
アリアが昔のあたしたちと同じことをして、それだけであの歌を歌えるようになるだろうか。別の二人で。気持ちも、全然違うのに。
「うーん……わかった。とりあえず、試してみる」
「そうしな。あたし、戻るわ」
そう言って、美玲は立ち上がった。
「まだ練習?」
「ん。ムニャ子に色々教え込んで、最高のロックドラム叩ける猫にする。にゃー子以上のドラマーに」
「過去引きずりまくりじゃん……」
ムニャ子先輩も災難だな……異世界転生してきたバンドメンに捕まったのが運の尽き。
「ボンゴ奏者としては一流だけど、エレキと合わせるにはやっぱ音足りないでしょ。まぁ、見ててよ。本番までにスティック投げでお手玉できるぐらいにしとくから」
「それはできなくてもいいけど……」
使命感に燃える美玲の姿に、あたしも負けていられない気分が湧いてきた。
――そう。思い出がどれほど愛しくても、あの時間には二度と戻れないから。だから、明日のことを考えるんだ。あたしは、アリアのいない明日が嫌だ。
「……あたしも頑張ってみる」
「そうして。慰め役、もうしないからね」
「うん。じゃ、また明日」
「また明日ね」
お互い噛みしめるように言って、背を向けた。
あの日、言えなかった言葉。あたしにとってはこれだったのかもしれない。