第7話 この手の中のぬくもりを(3)
翌朝。いつもより早めに目を覚ましたあたしは、あくびをしながらベッドの隣を見た。まだ寝てるかなと思ったアリアの姿がなかった。
一瞬、「もう新しいベッドできたっけ?」と頭が混乱して部屋を見回す。それから、DIY中のベッドはアリアが木材集めただけで、まだ組み立て前なのを思い出した。
「……アリア?」
名前を呼びながら起き上がる。別にあたしよりアリアが早く起きててもおかしくはないんだけど。エルフの森は朝が遅かったのか、今までのところ毎日あたしが起こすまで熟睡してたから。
部屋を出て、ジェミマが朝食の腸詰めを焼く音を聞きながら外へ出る。
アリアはそこでじっと空を見ていた。
「アリア、おはよ」
「……」
「アリア?」
「!」
びくっと肩を震わせて、アリアはあたしを怖がるような目で見た。
「……どしたの。大丈夫?」
「す……すみません。私、私……」
その暗い表情を見て、不吉な想像が頭をめぐる。森に帰りたくなったとか? それとも寝てる間にあたしがなんかしてた?
「私……う」
「う?」
「歌えません。ごめんなさい」
「え……?」
言葉の意味が頭に入ってこない。
歌えない……? アリアが?
「もしかして、喉痛めた?」
涙目で首を横に振るアリア。そうだよね、今喋ってても普通だし。
「お父さんにまた脅された、とか……?」
「違います。違うんです……あの曲が、どうしても……」
あの曲? ふと思い当たったのは一曲だけ。
理由はわからないけど、直感的にわかってしまった。
「『この手の中の』?」
「はい。……ごめんなさい。私は、あなたの曲を完璧に歌えなくてはいけないのに」
「そ、そんなことないって! っていうか、昨日はちゃんと歌えてたよ!?」
「……違うんです」
あれこれ言いたくなる気持ちを抑えて、アリアの言葉を待つ。
「最初は私も、十分に歌えている気がしました。でも、何度か歌ううちに気づいたんです。私はこの歌を何も理解していないと」
「わかりにくかった? 歌詞……」
「そうではありません! 師匠の、カリンの歌詞は素晴らしいのです。なのに私が、その歌詞に心を乗せることができない。カリンがこの歌を歌った時の、相手を想う心が……自分に重ならない」
そう聞いて、アリアが何を悩んでるのか少しずつわかってきた。
要するに彼女は、恋愛経験ゼロなんだ。ジェミマもエルフの恋は人生に一度だって言ってた。だから、この歌であたしが歌ったような……恋愛感情を上手く歌えないって話、だと思う。
「……でも、恋歌は得意だって言ってたよね」
「得意だと思っていました。誰かの恋を想像して、想像の中で私も恋をして……でも、この歌は違うんです。私には想像ができない……わからない」
アリアの切実な顔を見て、あたしはようやく昨日の練習でムニャ子先輩がほのめかしてたことを理解した。何か練習の時に、あたしが気づいてない問題があるようなことを言ってた。
ムニャ子先輩は、アリアの歌から迷いを感じてたんだ。あたしは全然気づいてなかった。こんなに歌が上手いなら何も悩まないだろうなんて思って……いつの間にか、アリアのことを神格化しすぎてたんだろうか。アリアがあたしを見る時みたいに。どんなに強くて美人なエルフだって、あたしと同じ女の子に変わりないんだ。
「私は……大会に出られません」
「な、なんで!? 出ないと森に帰るの決定だよ!」
「あなたの歌をちゃんと歌うことさえできないのなら、その心を伝えることができないのなら、私が森を出る理由もなくなるのです。皆様に迷惑をかけることも……」
歌への姿勢がガチすぎる。そんな大層な歌じゃないよなんて、言えるわけもない。
もうこの子は魂かけて歌おうとしてるんだから。
「……わかった。とにかく、まだあきらめないで!」
「でも……」
「『でも』はなし! アリアなら絶対歌えるようになるから。とにかく思い詰めないで、あたしが学校から帰るまで待ってて!」
こんな非常事態でも、学校には行かなきゃいけないのが学生の辛さ。
いつもならサボるとこだけど、大会出場まではハリエット先生に目をつけられたくない。毎日酒場で練習してるなんて知られたら、どんな罰を下されるかわかったもんじゃない。あの人、大会そのものになんか私怨があるみたいだし。
「あ、今日の練習はお休みってムニャ子先輩たちに手紙出しといて!」
「……はい」
落ち込んでるとこに申し訳ないけど、メールも電話もない世界では、今のところアリアの矢文が最速の連絡方法なのだ。
ひとまず時間はできた。あとは学校にいる間に、どうするか考えよう。
どうするか……ど……どうしよう!?
***
「うあー……うあー……」
机の上に突っ伏して悶絶するあたし。
自分の好きな女子に恋心を教える!? 教えられたら苦労しないよ!!
「キャスちゃん……難しい問題だね。わたしに助言できたらいいんだけど……」
「いや。大丈夫。なんとかするよ。なんとか……」
さすがに中学生から恋のレッスン受けるわけにはいかない。たぶん小説とかの知識だろうし……。リアル恋愛経験者のあたしの方が若干……少しぐらいは有利のはず。
……子供相手に何張り合ってんだろう。
「誰か、大人に相談した方がいいかもね。ジェミマさんとか、アムニャールさんとか?」
「うーん……」
ジェミマとあたしの父親の恋バナは子供の頃から何度も聞かされた。でも、普通の恋の話ならきっとアリアも無数に知ってるはずなんだ。それこそ、この世界らしいファンタジーな恋なんて歌い尽くしてるはず。
問題はなんで、あの曲だけダメなのかだ。あたしの歌が変なんだろうか。確かに、アリアにとっては異世界の歌。こんな世界クソだぜ的な曲には感情移入できても、普通の恋愛ソングは逆に違和感があるのかも。
「あたしの恋愛観が変なのかなぁ」
「そんなことないと思うけど……わたし、すごく素敵だと思ったし」
まあ、ヘルガちゃんも大概変な子だけどね。いい意味で。
とはいえ伝わる人には伝わるって事実は、素直に嬉しい。あたしの自暴自棄ソングがアリアに刺さったみたいに、あたしの恋愛ソングはヘルガちゃんにだけ刺さるのかも。
「はぁー……とりあえず、ハリエット先生のとこ行ってくる」
「え? ハリエット先生に相談するの?」
「違う、違う。なんか呼び出し食らったから。まーいつものお説教だよ、たぶん」
教室を出て、職員室へ向かう。
そういえばハリエット先生も恋愛とかするんだろうか。全然想像つかないけど……美玲も第一印象はあれぐらいドライだったし、案外好きな人にはベッタベタになるのかもしれない。
などと想像しつつ廊下を歩いていると、小さく声が聞こえてきた。ハリエット先生と誰か……男の声。
「……使者殿。陛下にお伝え下さい。私は戦場へは戻れないと。今の私は教育に携わる身。その立場に満足しています」
出てきた単語にドキッとして、思わず息を潜めて壁に身を寄せる。
戦場……ヴィシアドルが言ってた戦争の話は、やっぱり本当なんだ。元軍人らしいハリエット先生がまた軍に呼び出されるってことは。
あたしはとっさに小声で呪文を唱えてシルフを呼ぶ。アリアから教わった盗み聞き魔法だ。国の状況がわかれば、王様説得のヒントになるかもしれない。
「ハリエット。まだ、奴が忘れられんか」
「誤解のある言い方はおやめください。私はあれが憎いのです。あの人形風情が……私の炎を奪ってしまった」
「そうか? 私には、お前がその人形風情に熱を上げているように見えるがな」
「あなたは人の心をわかっておられない」
何これ。戦争がどうこうってより、痴話喧嘩みたいに聞こえるんですけど。
思ってたのと違う……違うけど興味深いから盗み聞きは続ける。
「お前も同じだった。奴に出会うまでは。お前は弱くなった」
「否定はしません。だから、私はあれを許せないのです。もしまた見えることがあれば、必ず破壊するつもりでいました。自分を取り戻すために。だというのに……」
「だというのに、『陛下』は奴を国賓として迎えている」
「そう。なぜ? 私を侮辱するためですか」
感情的なハリエット先生の言葉に、相手の男はカッカと笑った。
「お前は確かに変わったな。まるで女のようだ」
「もとより女の身ですが」
「心のことだ。もうよい、話は済んだ。だが、忘れるな」
さっきから話しぶりが妙にムカつくその男は、最後に不吉な言葉を口にした。
「お前が従軍せずとも、戦に魔法使いは必要だ。命の安い若者がな」
「……」
「有望な生徒を見繕っておけ。お前の代わりになる者を」
そう言って、男は去っていった。足音が聞こえなくなった頃、ハリエット先生の深い溜め息が聞こえた。少し震えた、苦しげな溜め息が。
「あ、あのー! ハリエット先生!」
あたしは少し間をおいて、あえてアホみたいに明るい声で挨拶しながら部屋に入った。そうしないとこの重苦しい空気に呑まれそうだった。
話の大半は意味不明だったけど、最後の会話だけはあたしにもはっきり理解できた。つまり……戦争が始まれば、あたしやヘルガちゃんも人ごとじゃない。下手したら、戦争に行って戦わされるかもしれないんだ。
「……キャスリーンさん。なぜ呼ばれたか、おわかりですか」
「えーっと……心当たりがたくさんありすぎて」
「ええ、そうでしょうね」
さらりと言って、ハリエット先生は肩をすくめた。やっぱり、顔はいいけど性格は悪い。
「素行については、後ほど書面で注意事項を伝えます。口頭で伝えるには多すぎるので」
「はぁ……」
「近頃は、授業より音楽に関心があるようですね」
一瞬、びくっとするあたし。バレてる。
まあ教室でギタリュート弾いたり、全然隠してはいなかったんだけど。
「とはいえ、授業への出席率が上がったのはよいことですが」
「ほっ……」
「しかし、もったいないことです。あなたは努力次第ではもっと伸びるはず。特に――」
ハリエット先生は少し間をおいて、言葉を続けた。
「特にサラマンデルの術においては、あなたは学年で最も長けています。才能があると言ってよいでしょう。その長所を伸ばせば、きっと、あなたは……」
口を開いた先生が次に何を言うのか、さっきの話を聞いてたあたしにはわかってしまった。
――「あなたは、優秀な兵士になれる」。
サラマンデルの魔法は日常生活じゃ料理ぐらいにしか役立たない。炎の術が重宝されるのは、何よりも戦いの中だ。ハリエット先生自身がそうだったように。
でも、彼女はなかなか次の言葉を口にしなかった。
そのうち先生は言いかけた言葉を飲み込むように口を閉じ、苦々しげに親指で眉根を押さえて、じっと黙り込んだ。
「先生……?」
「……いえ。なんでもありません。シルフの術に興味があるのなら、得意な先生に授業を受けられるよう計らいましょう。ですから、とにかく、学校へは来るように」
「あ……はい」
お説教はそれだけで、あたしは職員室の外に追い出された。
……あたしは今までよりも、ハリエット先生のことが好きになれた気がした。
***
放課後――学校を出て家への道を歩きながら、あたしは重苦しい気分だった。
あたしたちが止めない限り、戦争は本当にやってくるらしい。止める方法は、超難関な音楽大会で優勝して、戦好きらしい王様を説得する、というかなり望みの薄いものだけ。
それでも、やれることをやるしかないんだけど。だけど、あまりに遠すぎる。
そして目の前の問題は『恋』……。
気づくとあたしは、家じゃなく酒場の方に足を向けていた。
頭がごちゃごちゃしてるこんな時は、でかい音でギターを鳴らすに限る。
歌の心がつかめないって言うアリアにそれを教えるには、まずあたし自身が思い出さなくちゃダメだ。どんな気持ちであの曲を書いたのか。どんな気持ちで歌ってたのか。
酒場に着くと、先客がいるみたいだった。防音魔法でかすかにしか聞こえなかったけど、低音と太鼓の音。ミリエラちゃんとムニャ子先輩だ。お休みって言ったのに、自主練してくれてたのかな。
邪魔しないように、そーっと裏口から酒場に入る。
「何言ってんだにゃ? あーしの演奏にケチつけんにゃ」
「ケチはつけてない。助言しただけ」
言い合ってる二人の声が聞こえた。
これでいつも演奏は相性ばっちりなのが不思議だ。
「もう一度」
「はいはい……なんだってんだにゃ、変な曲ばっか……」
文句を言いつつ、4カウントするムニャ子先輩。
そしてカウントが終わった瞬間――聞こえてきたベースラインに、あたしは凍りついた。
フレットの高い位置。1弦と2弦を交互に弾く音。
それから人差し指が3弦に飛んで。偶然じゃない。ありえない。
何百回も聞いた鼻歌が、頭の中に聞こえる。
(タララ、ラ……ラララ、ララ……)
ニュー・オーダーの「セレモニー」のイントロ。
練習初めの指鳴らしに、いつも彼女が弾いていたメロディ。
忘れない。忘れられない音。
同じ手癖で、同じリズムで――
「……美玲?」
彼女は指を止めて、私を振り向いた。その唇に微笑みはなかった。
<第7話 おわり>