第1話 私の世界はここじゃない(2)
「…………」
あたしは無言で口をぱくぱくさせながらそのエルフを見つめた。
他にどうすればいいかわからなかった。その涙をぬぐってあげたいと心の中では思いつつ、絵画みたいな光景にあたしなんかが入り込んでいい気がしなかった。
「あ……なたが?」
リュートの演奏を止めたあたしを見て、エルフははっと気づいたように口を押さえた。語尾に「?」がついてるとこからすると、こっちに何か聞きたいみたいだけど。この世界じゃまだまだ子供なあたしは、その美貌とオーラに圧倒されて何も言えない。
「えと……」
「あなたが……この曲を? 作られたの、ですか?」
「はぁ……」
「ああ、なんという……なんということ。美しい、美しい心。あなたは、美しい人です」
「はぁ……?」
エルフは泣くのをやめるどころか、さっき以上に涙を流しながらあたしの手を取った。
美しいのはそっちでしょ。と言いたいところだけど、まだそんなに冷静になれない。
「ああ、ごめんなさい。言葉……人間の言葉は上手くなくて。あなたを怖がらせましたね。私はただ、お伝えしたかったのです、小さな師匠」
「ま……まえすとろぉ?」
「言葉が相応しくありませんか? では、私の神とお呼びします」
「いや、それもだいぶ強すぎるんだけど……」
「あなたは芸術によって私の魂を救ってくださいました。それは人のうちでも最高位の敬意が払われるべきです。これより軽い言葉でお呼びすることはできません」
あっけにとられるあたしに、エルフはひざまづかん勢いで媚びに媚びる。
いや、媚びてるんじゃない。この子はマジだ。本気であたしをそんなすごい音楽家だと思ってるのだ。
「ちょ、ちょっと待って……! さっきの曲の話してるの? あんなの、別に大した曲じゃないから!」
「え……?」
「あたし、ただの素人だし。っていうか子供だし。気に入ってくれたのは嬉しいけど。あなたの歌の方がずっとすごいよ。あたしの十倍すごい。ついでに美人だし。まつげ長いし。肌キレイだし」
にじりよられて、思わず脈絡もなく頭に浮かんだことを言ってしまう。
するとエルフは今度はさめざめと泣き始めた。一体、どこにそんな大量の水分が入っているのか。
「私は……私……」
「なっ、泣かないでよ! あたし褒めたじゃん!」
あたしが慌てているのを見てとったのか、彼女はようやく少し落ち着いて、自分の手で涙をぬぐった。
「私はあなたの曲が好きです。自分の体や、声や、他の何よりも。私の魂をかけて、あなたの音楽を愛しています。だから――」
一呼吸おいて。
「だからどうか、そんな風に言わないでください。まるで私の全てが無価値だと言われているようです」
雷に打たれたようだった。
あたしは――あたしは二度の人生で、誰かにこんなにまで自分の曲を好きだと言ってもらえたことがなかった。自分自身を好きだと言われた時より、その言葉は私の心臓に突き刺さった。深く、呼吸が止まるほど強く。
「……本当に?」絞り出すように問う。
「はい。嘘は申しません、小さな師匠」
「…………」
「……………………」
「……師匠?」
「……ありがとう」
あたしは柄にもなく照れてしまった。
そんなあたしを見て、エルフはようやく満面の笑みを浮かべた。
――何だって言うんだ、一体。
世界なんて、人生なんて、音楽なんて、とか思い始めた矢先に、こんな宝石みたいな笑顔をあたしにくれる。
こうやって……あたしにあきらめさせてくれない。
まぁ、文句言う気はないけどさ。
「お礼を言うのは私です。あなたが時折ここで奏でてくださった歌が、私を救ってくれたのですから」
「……嬉しいけどさ。あたしの歌で救われるって、相当変わり者か精神的にアレな人だよ。そんな感じに見えないけど」
「『アレ』とは……どれでしょう? すみません、人間の言葉が上手でなくて」
しまった、うっかり元の世界の言い回しを使ってしまった。
「つまり、なんていうか……あれは今の自分が嫌いな人の歌だよ。ここにいたくないとか、逃げたいとかさ。あなたはそんな風じゃないじゃない」
「私はそんな風です」
「朗らかに言うね……」
あらためて、エルフの姿をまじまじと見る。艶やかな肌、輝く髪。目もキラキラして、微笑みには一点の曇りもない。とても自分が嫌いな人間の顔には見えない。
この顔の奥に、そんな鬱屈を隠しているんだろうか。デスメタル好きが人当たりのいいおじさんだったりするのと同じなのかな……。
「師匠はエルフのことをどれだけご存知ですか」
「え? えーっと、森に住んでて、長生きで、美人で、耳が尖ってて……」
「はい、その通りです」
さりげなく美人と言われても否定しない図太さ、結構好き。
「……そして、エルフは森から出ることができません。生まれてから死ぬまで、ずっと森で過ごします」
「ずっとって何年ぐらい?」
「1000年です」
……長い。長すぎて逆に実感が湧かない。
「でも、あなたは外にいるじゃん」
「はい。見つかると死罪になります」
「…………」
思わずリアクションがとれず硬直するあたしに構わず、話を続けるエルフ。
「ですが、私はどうしても、遠くから微かに聞こえる歌の正体が知りたくて。その声を追って、何度も森を抜け出してきてしまったのです」
「ちょ、ちょっと待って! あたしの歌のためにわざわざ命懸けてるわけ?」
「はい。あっ、どうか責任を感じないでください。私はあなたに言いました。私は自分の体や魂よりも、あなたの歌を愛していると」
「いや、責任感じないわけないでしょ!? 今すぐ森に帰んなって!」
あたしが声を荒げると、「困った師匠だわ」とでも言いたげにちょっと困った顔をする。いや、困ってるのはこっちだよ!
せっかく初のガチなファン第一号をゲットしたと思ったけど、ここまでのガチさは求めてなかった……。
「あのさ、あたしも音楽は好きだよ。けど……それでもやっぱり、命の方が大事だよ」
「本当に、そうですか?」
「え?」
「本当に、命よりも大事な音楽はありませんか」
真摯な目で問われて、あたしは言葉に詰まった。
……こんな問いに即答できる音楽家はいるんだろうか。いや、あたしはアマチュアだけど。それでも、死んでもあの歌を聞きたい、命と引き換えでもこの曲を形にしたいと思ったことがないとは言い切れない。たとえ若気の至りだって、その一瞬は本当に本気だった。
「……ないよ」
だけど、あたしは首を横に振った。
そうしないといけない。せっかくできたファンに死んでほしくないから。勝手かもしれないけど、それが本音。
「そう、なのですか……」
「うん。死んじゃだめだよ。そんなことさせるために曲作ったわけじゃないし、人殺すために歌ってたわけじゃないから」
「……わかりました」
案外すんなり納得してくれた。意外に思いつつも、ほっとするあたし。
「確かに、おっしゃる通りです。さすが師匠。あなたの神聖な歌を、私の血で汚してしまうところでした」
「いや、そういう意味じゃなくて……まぁ、いいけど」
ため息をつきつつ、彼女の顔を見る。納得はしつつも、かなりガッカリしたようだった。本気であたしの歌が好きなんだ。なんかこそばゆいな。