第7話 この手の中のぬくもりを(1)
「う~ん……」
「何か悩んでいるのですか? 師匠」
我が家の小さなキッチンで唸るあたしに、アリアが心配そうに声をかけてくれた。
メンバーが揃って一週間。全員での練習もやり始めて、バンドとしてだいぶ形になってきた。みんなの技術が高いおかげで、そっちにはもうほぼ不安はない。
「問題は、何を演るかなんだよね……」
本番の持ち時間は15分。一曲3~4分として、準備も考えると3曲ぐらいが無難だろう。
最初は元の世界の曲のカバーをやろうかなと思ってた。何と言っても大会に勝たなきゃいけないんだから、うろ覚えでもビートルズとかニルヴァーナとか本物の名曲をバンバンやって、観客の心を鷲掴みにしていかないといけないんじゃないかって。
でも、アリアはあたしの曲以外はなぜかピンとこないみたいで、普通に褒めはするけどあんまり歌いたがらないのだ。このバンド最大の強みであり、あたしがみんなに聞かせたいのは何よりもアリアの歌。だから、アリアが一番心を乗せられる歌をやった方がいいという結論になった。
……ってことはつまり、3曲ともあたしの曲をやらなきゃいけないわけで。1曲は出会いの曲でいいとして。残り2曲をどうにか決めなきゃいけない。
「曲選びですか。私は、あなたの曲であればどんなものでも歌い上げてみせますよ」
「うらやましい、その自信……」
アリアはそりゃなんでも歌えるだろう。問題は、そんなに自信持てる曲があたしのレパートリーにないってことだ。
「とりあえず一曲は激しめの入れとくか……となると、もう一曲はなんかキャッチーなのがいいな……でもこの世界でキャッチーって……」
ぶつぶつ呟くあたしを見て、アリアはふふっと笑った。
「カリン、あなたの苦悩する姿は可愛らしいです」
「な……何それ。別に可愛くないし」
うろたえるあたしの肩をぽんと叩くアリア。
一緒に暮らすようになってから、彼女のあたしへの接し方がちょっと変わった。「マエストロ」への崇拝っぷりは変わらないけど、それプラス、手のかかる妹を見守るみたいに微笑ましい目であたしを見るようになった。
妹かぁ……今のあたしの年齢考えたら、そんなもんかもしれないけど。こっちは同じ部屋で寝起きしてるだけで気が気じゃないんだから、不公平じゃん? と思ったり思わなかったり。
「この苦悩から、多くの名曲が生み出されてきたのですね……年若いのになんという非凡な才でしょう」
「前も言ったけど、そこまで名曲じゃないって。まぁ、アリアがそういうこと言ってくれるおかげで、思ってたほど悪くないんだなって思えたけど」
「それはきっとこの大会で証明されます。私が証明してみせます」
相変わらず本当に自信家だ。やっぱこの子の歌はエルフの森でも特別だったのかな。まぁいくらファンタジーな世界とはいえ、こんだけ歌える歌手が何人もいたら怖いけど。
「アリアの歌の力は信じてるよ。でも、アリアを自由にするためにあたしも最善尽くしたいんだ。だから、なるべく優勝に近づける戦略っていうか……少しでもいい曲選ばなきゃ」
「…………」
「アリア?」
不意を突かれたようにぽかんとして黙り込むアリア。声をかけると、小さく深呼吸してこちらに向き直った。
「……ありがとうございます。すみません、私ときたら歌のことしか考えていなくて」
「いいんだよ、アリアはそれで。うちの歌姫なんだから」
「歌姫……」
「曲のことはあたしの仕事。ちょっと、ジェミマに相談してくる」
アリアを部屋に残して、あたしはキッチンのジェミマのところにトコトコ駆けていった。忙しいけど、目標があるのは結構楽しい。ちょっと前までは、この異世界で一人ぼっちの気分だったし……いつか今のバンド仲間たちとも、美玲やにゃー子ちゃんみたいな関係になれるんだろうか。
(……いや、美玲みたいな関係はまたちょっと複雑か)
美玲とあたしの関係は最初から最後までいつもややこしかった。
練習スタジオで出会って、バンド組んで。それから自然と付き合うようになって、同棲したり、何年も一緒にいて……色々あって一度別れたけど、付かず離れずみたいな感じで。それでもバンドは一緒にずっと続けて。心は通じてても、同じ未来は描けなくて。
たしかに言えるのは、美玲はずっとあたしの相棒で、唯一無二の親友で戦友だったってこと。どん底の時も、楽しかった時も美玲が隣にいた。
「……キャスリーン? どうしたの、泣いてるの?」
「え? ううん、別に、違うよ!」
危ない、危ない。ジェミマはあたしの不安とか動揺をひと目で見抜いてしまう。
見抜かれるのは嫌いじゃないけど、元の世界の話は絶対言うわけにはいかない。頭おかしいと思われるだけだし、何よりもう戻れない世界の事で、ジェミマに変な心配させたくない。
「そういうことにしておきましょ。年頃の女の子は悩みも秘密も尽きないものよね」
「まぁ、そんな感じ……」
「それで? 何か、私に聞きたいことがあったんじゃないの」
「あ! そうだった」
あたしは本来の目的を思い出して、ジェミマに経緯を説明した。
「……ふむふむ。つまり、聴衆に人気がある曲が知りたいのね?」
「なんか、ごめん。最近ずっと頼りっぱなしで」
「何言ってるの。あなたが頼ってくれて嬉しいわ。小さい頃からなんでも自分一人でやろうとするんだもの」
そりゃまあ、中身は一応大人だもん。
特にトイレだけは早急に自分でできるようになりたかった。
「そうねえ、私もいろんな人たちの前で歌ってきたけど……いつでもどこでも盛り上がるのはやっぱりアレね。恋の歌!」
「え……恋愛系? マジ?」
意外だ。もっとウェイウェイ騒ぐ感じの曲じゃないんだ。
「ええ。みんな好きなのよ。老いも若きも男も女も、一度は覚えがあるせいかしらね」
「ふーん……エルフとか、恋愛しなそうだけど」
「あの人たちも恋歌は大好きよ。エルフは長い人生で一度きり、一生かけた大恋愛をするんですって。だからその思い出を歌にして何百年も歌い継ぐそうよ。素敵よね~」
そういう感じなんだ……。
ふーん……ロマンチックじゃん。
「でも、そういう大人の曲はまだあなたにはまだ早いかしら?」
「べ、別にそんなことないし! あたしもう15だし!」
「ふふ、そうね。いつか聞いてみたいわねぇ、あなたの恋の歌」
「親には聞かせたくないって……」
ため息をつきつつ、重い足取りで部屋に戻っていくあたし。
恋愛の曲……正直、苦手分野なのだ。
物心付いた頃からわりとずっと恋多き女ではあった。自分が男に興味ないらしいって気づくより前から、近所のお姉さんに憧れたりとか、クラスメートと距離近すぎたりとか。
でも、そういうの言葉にするのが苦手で……嫌がられそうな気がして。誰かがあたしなんかを好きになってくれる気がしなくて。だから美玲とバンド組んでからも、お互い脈あるなと思いつつも口に出せなくて、付き合うまでは多少間が空いた。
そんな理由もあって、あたしが作ったラブソングは人生でたった一曲だけしかない。
「しゃーない、あの曲やるかぁ……」
そして、その曲はあたしが美玲のために書いた曲なのだ。
……やりにくい。しかも、それを今好きな女に歌わせるとかさぁ。
他に方法もないんだけど。確かに我ながらそこそこいい曲だとは思うし。アリアは何も知らないわけだから、結局はあたしの気持ち次第なわけだし。でも……でも……。
「師匠?」
「ひゃっ!?」
背後から声をかけられ、思わずのけぞるあたし。
「……どうしました?」
きょとんとした無垢な瞳が、また罪悪感を煽る。
合計45年生きてるあたしよりさらに長生きのくせして、なんでこんな子供みたいな目できるの……。
「い、いや……なんでもないよ。やる曲決まったから、あとで教えるね」
「本当ですか!? また新しいあなたの音楽を知れるのですね。とても嬉しい……とても幸せです」
「……それはよかった」
複雑な半笑いを作りながら、あたしは目を逸らす。
……美玲の顔を頭に浮かべずに歌えるといいんだけど。
***
この手の中のぬくもりを
離してしまうのが怖くて
ずっと眠ったふりして
指と指の間に
夢をみている
***
ワンフレーズ歌って、顔が真っ赤になった。
キッツい。キッツいよこれ……恥ずかしくて死にたい。
「なんと情感豊かな旋律! これは……恋歌ですか?」
「はい、そうです……」
拷問かよ。
今まで自分で歌うだけだったからあんま気にしてなかったけど。こんな恥ずかしい歌、二人で向き合ってじっくり聞かせて、歌い方まで教えろっての……? この歌詞、紙に書いて渡すの!?
「アリアはさ……」
「はい?」
「アリアはさ……」
「はい……?」
恋愛経験とかあるの? ってさらっと聞こうとしたけど無理だった。
「えっと……恋愛の曲とかも歌ったことあるの? エルフは結構好きだって聞いたけど」
「はい、何度となく歌いました。森では数少ない娯楽ですから」
この無邪気な反応を見るに、あんまり経験なさそうではある。推定百年生きてるから、子供みたいな笑顔で「元彼百人いますよ」とかいう可能性もなくはないけど。いや、一生に一度ならそれもないのか。でも一生に一度をもう使ってたら……?
いやいや、そんなことはいいんだ! 問題はそこじゃない。
「そういう歌、得意だった? えーと別に詮索とかじゃなくて、つまり、選曲として向き不向きとかあるじゃん。苦手なら別の曲にするしさ」
「師匠、それは無用の不安です。私はあなたの音楽ならば、あなたの次に美しく歌い上げてみせますから」
「つまり……別に苦手ではない?」
「はい、どちらかといえば得意な方です。私の苦手な歌は、そう……森の歌くらいです」
「森の歌?」
「祖父であり祖母である森を護り育てるために、エルフが毎日歌うものです。古臭い、淀んだ醜い歌です」
アリアの目つきが険しくなるのを見て、あたしは聞き返さなきゃよかったとちょっと後悔した。要するに、なんかトラウマがある歌なんだ。生まれ育った故郷を捨てようってんだから、憎いものなんてたくさんあるだろう。
「ま……まあ、それは忘れよう! ほら、伴奏するからさっきの曲歌ってみよ!」
「はい、喜んで!」
地雷を踏んだ埋め合わせというか、なし崩し的にあたしは恥ずかしい歌をフルコーラスでアリアとデュエットすることになった。
……確かに、アリアの歌は最高だった。