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第5話 キッズ・アー・オールライト(2)

「アリアノール。このまま何時間続けても、お前は私に勝てない。お前が疲弊した時、その子供は死ぬ。長老たちの許可は出ている。お前を生きて帰すために、いかなる手段も許可すると」

「……!」


 ずっと強気だったアリアの顔色が変わった。

 あたしの視点では善戦しているように見えてたけど、どうやら向こうのほうが一枚上手みたいだ。あれ? 私……このままだとやっぱ死ぬ感じ?


「シ・ルフェ……ヴィシ・ルフェ……イス・ヴァット・ヴィシ・ギオド……」


 ぶつぶつと詠唱を始めるヴィシアドル。

 エルフ語の呪文はわからないが、周囲の空気が急速に冷えていくのを感じる。体温がどんどん奪われていく。


「これで、その子供はまもなく凍りついて死ぬ」


 えっと……これは、たぶん、本格的にヤバい。

 シルフ魔法の専門家であるエルフの暗殺者が、今まで魔法を使わなかった理由なんて一つだけ。つまり、ずっと手加減してたんだ。相手が自分の娘だから。


「道は二つだ。今すぐ私と来るか。その子供の死体を持って、私と来るか。お前が気に入ったなら、死体は剥製にでもしてやろう」


 本気で猟奇的なのか、アリアを煽ってるだけなのかわからない。剥製はやだ!

 でも、今あたしに何ができる!? アリアを森に返すのは、アリアにとっては死と同じだ。だけどあたしも死にたくない。っていうか、この流れだとあたしが死のうが死ぬまいがアリアは森に連れ去られちゃう。

 他の方法を考えなきゃダメだ。なんとかして、このクソ親を追い払う方法。できればあたしが死なずに……くそっ、寒さで歯がガチガチ言って頭が働かない。


「ヴィシアドル……下劣な卑怯者め」

「この問いは慈悲だ。誰も死なずに終わらせる選択肢をお前に与えた。あとはお前が決めればよい。十秒、時間をやる」


 アリアは身構えたまま、横目であたしとヴィシアドルを交互に見る。

 あたしにかけられた魔法はエルフのアリアなら解呪できるのかもしれない。でも、そうするとヴィシアドルに背を向けることになる。一瞬でも隙を見せれば、この男はアリアを気絶させてあたしを殺すぐらい簡単だろう。


「あと5秒」


 ヴィシアドルの冷徹なカウントダウン。

 アリアが動けないなら、あたしが自分でどうにかするしかない。でも、初めて聞く呪文の解呪なんて学生のあたしにできるわけがない。

 ――いや、待てよ。これもシルフの魔法……シルフってことは……?


「……ヘルガちゃん」


 小声でヘルガちゃんに向けて呼びかけ、ギタリュートを構えて目配せする。

 これで伝わるかどうか。


「……!」


 ヘルガちゃんは一瞬戸惑ってから、はっと気づいて親指を立てた。

 よし、いける。


「……時間切れだ」


 ヴィシアドルの最後通告。

 同時にあたしは、震える手で思いっきりピックを振り下ろした。


「おらおらおらおらーっ!!」


 6弦が弾けて、ヘルガちゃんの魔法で激しいディストーション・サウンドが響き渡る。激しい音はさらに増幅し、甲高いハウリングとなって耳をつんざく!


「何だと……!? この音――」

「アリア、今っ!」


 一瞬ひるんだヴィシアドルに、アリアが突進して組み伏せる。


「くっ……」


 あたしの周囲に漂ってた冷気は、歪んだギターの音でかき消されるように薄れていった。

 種明かしは簡単。あたしは、ヘルガちゃんに改良前の……つまり、こないだ暴走させた方の「歪み魔法」をかけてもらったのだ。さっきアリアが説明してた通り、未完成のこの魔法は周りのシルフにも伝染して暴走する。つまり、ヴィシアドルの制御下にあったシルフたちも解放されて魔法は消えるって寸法だ。

 とっさに思いついた自分を称えるギターソロを即興で弾いてやりたい気分だけど、指がかじかんで動かないからまだお預けだ。


「ヴィシアドル。ノス・ギ・オド」


 床の上に組み伏せた父親を見下ろし、アリアは冷たい声で言った。

 言葉の意味はわからなくても、アリアが何をする気かはすぐわかった。


 ――この子は、父親を殺す気だ。本気で。


「アリア、だめっ!」


 とっさに手を伸ばす。届かない。

 父親――あたしの元の世界の父親は、ろくでもなかった。多分ヴィシアドルと同じぐらい。飲んだくれで母親を殴って、あげくに借金残して失踪した。何度も、見つけてぶち殺したいと思ったことはある。

 でも、アリアはやっちゃダメだ。あんなに綺麗な歌を歌うのに。アリアはそこに堕ちちゃいけない。理由なんか説明出来ないし、あたしの勝手な押し付けかもしれないけど……それでも。



 ――その時。

 静かなリュートの音が聞こえてきた。

 ぽろんぽろんと、ほんの小さな音なのに、その場の誰もが耳を惹かれた。心に滑り込み、今目の前にある全てを忘れさせ、遠い、ここにないものへの郷愁をかきたてる。


「あ……」


 アリアは父親の首から手を離し、自分の手を恐れるように後ろに退いた。解放されたヴィシアドルもナイフを振ろうとはせず、それを背中に収めてじっと膝をついていた。

 まるで、魔法にでもかけられたように。その場から争いが消えていた。


「やあやあ、みんな落ち着いたかな。よかった、よかった。荒んだ心にはやっぱりバラッドが一番さ。それから一杯の酒……あーあ、酒はもうない……」


 リュート片手にふらふらと立ち上がったのは、さっきの変な酔っ払いだった。


「……ギオドノーラ」


 ヴィシアドルが苦々しい声でつぶやくのが聞こえた。

 ……どうやら顔見知りらしい。


「お前が、なぜここにいる」

「吟遊詩人にそれを聞くかい? 私は人の営みのあるところ、どこにでもふらりとやってくる。川のそば凍死した浮浪者の隣に……うらぶれた売春宿のゴミ捨て場に……」


 飄々とした言葉にも、いちいち節をつける。ただの変人かと思ってたけど……さっきのリュートの音色といい、どうやら只者じゃなさそうだ。


「口を挟むな。邪魔をすれば貴様とて殺す」

「ひどいなぁ。私なんて歌を歌うだけしか能のない、しがない詩人ぢゃないか。詩人は人もエルフも殺さないよ。人畜無害そのものだよ~」


 うさんくさい……。

 でもこの詩人が話し出すと、なんとなく誰もが耳を傾けてしまう。たぶん今、アリアたち親子の対立を止められるのはこの酔っぱらい詩人だけなのだ。


「まぁまぁ、聞きたまえ。エルフの古い歌にこんな話があるさ~♪」


 詩人は咳払いをして、朗々と語り始めた。


「空の遠くに憧れて、ノヴィスオルは掟を破り森を出た。だが、森はどこまで彼を追いかけた。彼のそばでは、風に揺れる枝も怨嗟を歌い、地を這う根っこも彼を転ばす。動物たちも彼には狩られなくなった。木も、土も、水も、そこに育まれた命の全てが彼を拒絶した。森を出るとはそういうこと……」


 詩人の語る気味の悪い詩に、アリアが身を引き自分の肩を抱く。森を逃れたエルフの悲劇……同じことをしつつあるアリアには恐ろしく聞こえるだろう。あたしだって気味悪い。

 でも、幸いまだ続きがあった。


「おお、ノヴィスオル! 若く愚かな勇者よ。彼はくじけずに森と張り合った。兎の代わりにウジを食い、水のかわりに血を飲んで。森は彼の蛮勇を認め、ある条件を彼に課した。エルフが森を捨てるは『起こり得ぬ』こと。それを可能としたければ、何か一つ『起こり得ぬ』ことを成してみよ。それを果たせば、外に住むエルフとしてお前の生きるを認めよう!」


 話の盛り上がりに、じゃらんとリュートを鳴らす詩人。

 『起こり得ぬ』こと……なんか漠然としててよくわからないけど、何か難題をこなせばいいってことだろうか。そうすれば、アリアも平和に森を出られる……?


「ノヴィスオル……さんは、どうなったんですか?」


 話に引き込まれたのか、ヘルガちゃんが息を呑みつつ尋ねる。

 その問いに答えたのは詩人ではなくアリアだった。


「……ノヴィスオルは、わずか十年のうちに西の大砂漠を草原に変えました。その功績をもって彼は森から独立した外のエルフとして認められ……そこでエルフの王朝を築いたのです」

「! 草原のエルフ女王の祖先……!?」


 おおげさに驚くヘルガちゃん。

 草原のエルフ女王……あたしもなんとなーく知ってはいる。あたしたちが住むこの国の遥か西、エルフの女王が支配する草原の王国があるって。そこでは獣人やら人間やらエルフやら、いろんな種族が平和に暮らしてるとかいうファンタジーな話。


「はい。ノール女王は彼の娘です。詩人さんがそのお話をしたのは、つまり――」

「アリアノールにも同じことをさせろ、と?」


 娘の言葉を引き継いで、ヴィシアドルが詩人に問う。

 詩人は飄々と笑ってその問いを受け流す。


「それを決めるのは詩人の役割じゃないさ。私はただ語り、歌うだけ……でも、こんな言葉もあるよね。『同族で殺し合いをするな、それは同じ根から伸びた枝と枝が互いを折り合うようなもの』」


 役割じゃない、と言いつつかなり露骨に話を誘導してくるな……。


「…………」


 ヴィシアドルはしばらく黙り込み、割れた窓の外に目をやった。視線の先は遠く……森のある方角。


「……いいだろう。掟は長老ではなく(エント)が決めるもの。古き物語は森の法を語っている。私はそれに従う」

「やった……!」


 思わず、あたしの口から声が出る。でも、問題はこの先だ。森からの独立を勝ち取るために、アリアは――あたしたちは、『起こり得ぬ』ことを起こさなければならない。


「だが、アリアノール。お前が成すべき大業……『起こり得ぬ』ことは私が決める。森の封鎖まで、すでに時間の猶予はない。十年も待ってはいられない」

「……!」


 アリアの顔が険しくなる。それも当たり前だ。ヴィシアドルはアリアを連れ戻したいのだから、本気の無理難題を押し付けてくるに違いないんだから。

 でも――


「いいよ、受けよう。アリア」

師匠(マエストロ)……!?」


 困惑するアリアの肩を、ぽんと叩くあたし。


「だって、結局森の掟をなんとかしないとずっと追っ手が来ちゃうんでしょ。逆に言えば、ここでケリつけちゃえばアリアはずーっとこっちにいられるじゃん。自由に、さ」

「カリン……」


 ――それに、こんな傷だらけのアリアはもう見たくない。

 彼女が父親の首に手をかける姿も。


「……わかりました。条件を言え、ヴィシアドル」


 父親相手だといきなりタメ語になるの、ちょっと怖いな……。

 なんてことを考えて苦笑していたあたしは、ヴィシアドルの出した『起こり得ぬ』ことを聞いて真顔になった。


「成すべきは単純なことだ。この国が起こそうとしている戦争を、止めてみせろ」


<第5話 おわり>

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